〈3〉Nocturnal visitant
ロウソクの火が揺らめく。真っ暗な教室の中、ロウソクの明かりという僅かな光源が、見慣れたこの空間を不気味なものへと変化させている。怪談を語るのにうってつけという雰囲気だ。その雰囲気に合わせて、皆の顔も心なしか兢々(きょうきょう)としていた。
「……ある所に一人の男がいた。その男には恋人が一人いた。いっそ婚約者と言ってもいい。近所でも評判になるほどの、仲むつまじい恋人同士だった。
二人は同棲していた。男が仕事に行っている間に、恋人は掃除とか炊事とかをする。決して裕福とはいえない生活だったけど、二人はお互いに支えあって穏やかに暮らしていた」
見慣れない光景に僅かに緊張しながら、俺は話を続ける。
「男はいつも電車に乗って、隣町にある職場まで行ってた。給料を貰ったその帰り、だいぶ日が暮れて薄暗くなってきた頃だ。男が暴漢に襲われた」
女子三人はやや硬い表情で、男三人は「面白くなってきた」とでも言いたげな表情で俺をじっと見ている。
「数人の若者が男を取り囲み、男に金を要求した。男が拒否すると、暴漢たちは殴る蹴るの暴力でリンチし始めた。男からしちゃ、自分の持っている金は恋人との生活を左右するものだ。おいそれとは渡せない………もちろん、暴漢たちにとってそんな事知ったこっちゃない。男がなかなか金を渡さないから、暴漢たちはだんだん苛立ってきた。それで、とんでもない行動に出たんだ。
一人が男の口を塞ぐと、もう一人が男の足をナイフで刺した」
みんなが一斉に顔をしかめた。…ここからが盛り上がるところだ。
「もう拷問というか、男をいたぶるのを楽しんでいた。男が口を割らないのをいいことに、暴漢たちは男の足を刺し続けて……とうとう切断してしまった。出血多量で死んだ男の死体を見た瞬間、暴漢たちは焦った。このままだと証拠が残ってしまう。苦肉の策で、近くにあったゴミ捨て場から適当なゴミを見つけて、そのゴミ袋の中に男の死体を押し込んだ。
翌日、ゴミ収集車がやってきた。ゴミ袋をポイポイと収集車に投げていく中、清掃員が異臭に気づいた。一個、不自然に膨らんだゴミ袋がある……。もしかしたらと思って開けてみると、変わり果てた男の死体が詰まってたんだ。
すぐに警察の捜査が始まった。でも、男の右足だけが見つからない。……収集車に入れられてぺちゃんこに圧縮されてたから。
警察で話を聞いた女は卒倒した。愛する人が無残に殺されて、無残な姿で発見されたから、思わず気絶したんだな。病院に運ばれ、改めて男の死を聞かされた時、恋人は般若みたいな顔をして泣きまくったらしい。
それからしばらく経って、町で無差別猟奇殺人事件が起こった。男女の区別なく、見境なく、足を切断されて殺される被害者が大量に出始めた。
犯人はもちろん恋人だ。男を殺したのは誰なのか、警察は何も教えてくれないから、それなら殺し続ければいつか見つかるはず。そう考えてたんだろう。
間もなく恋人は警察に追われ始めた。逃げて、逃げて、とうとう追い詰められた時、恋人は自ら踏切を乗り越えて、電車に轢かれて死んだ。
…それで―――」
怖気を帯びていた空間を浄化するように、扉が開いた。それはもう、聞いただけで背筋が伸びるような凄まじい音だった。
「こらあっ! お前ら、何やっとるんじゃ!」
何という不運か、カシマレイコよりも恐ろしい奴が来てしまったのだ。
パチッという音がして教室がいっぺんに明るくなった。
―――担任の金田の鬼の形相が蛍光灯に照らされる。どこから嗅ぎ付けたのか知らないが、さすがは鉄の教師の名も高き男。
「垣渕、貴島、早乙女、清瀬、弓沢、平河、黒江か。こんな遅くまで学校に残って、ごそごそと何をしとったんや?」
誰もが沈黙する中、貴島がおずおずと答える。
「えっと…あたしが、みんなを呼びました。みんなで百物語をしようって」
「なんで学校でやろうと思ったんや?」
「ここでやる方が怖いかなって思って…」
教室中を包んでいた重い空気を、金田のため息が引き裂く。
「そうか。言いたいことは分かるけどな、それはルールを破ってまでやるべきことか?」
貴島は答えない。俺も、みんなも、口を閉ざしたままだ。
「ちゃうやろ? 別に俺は、お前らの楽しみを邪魔する気は全然あらへん。けども、お前らの勝手な楽しみが、誰かに迷惑をかけることがあんねん。確かに夜の学校は暗いから、怖い話をするのにうってつけやな。忍び込もう思たらできる。せやから、お前らと同じ考えをする奴もおんねんで。んで、そういう不審者を取り締まるために、学校にはあるものが備えられとる。何や?」
未だに金田の気迫にびびってるのか、誰も答えようとしない。仕方ないので俺が答えることにした。
「セキュリティ装置」
「そうや。今日は鳴らへんかったけど、もし鳴ってたらどうなってた? まず警報が鳴るやろ? それから、用務員さんやセキュリティ会社の警備員がすっ飛んでくる。不審者が入ったと勘違いしてな。でも、忍び込んだのは不審者じゃなくてこの学校の生徒。忍び込んだ理由は怖い話をするため。用務員さんにも警備員の人たちにも迷惑かかるし、お前らの親も大恥かくところだったんやで。分かったか? 下校時刻を過ぎてからの登校は禁止や。もう二度とすんなよ」
俺たち一人一人の頭をペシペシ叩いてから、金田は掃除用具入れから箒と塵取りを取り出した。
「ほら、分かったら掃除せえ! こんなに散らかして、ホンマに」
結局、俺たちが帰る頃には、とっぷりと夜が更けていた。
貴島と平河と黒江は、三人揃ってケロっとして顔で足早に帰っていった。
「あーあ。カシマさんの話、聞けなかったなあ」
早乙女が拗ねたようにごちた。全く同感である。たったの一喝で必死に構成した話がパアだ。
「なあ、コンビニ寄って帰ろうぜ」
「俺パス。親に怒られるから」
「何だよ。まあいいや、気ィつけて帰れよ」
「おう。バイバイ」
俺も寄り道したいが、これ以上帰宅時間を遅らせるとまずい。曲がり角に消える三人を見送った後、さっさと帰ろうと足を踏み出した。
夕方の蒸し暑さとは違って、夜になると格段に過ごしやすい気候になる。彼方からオケラか何かの鳴き声が聞こえ、生温さを含んだ夜風が涼やかに肌を撫でていく。
…インターネットで見たカシマレイコの話には、続きがある。
“カシマレイコの話を聞いた者の夢には、カシマレイコがやってくる”。
俺はそんな荒唐無稽な話は信じてないが、あいつらはどうだろう。この事について言及しておくべきだったか、まあ今となってはもう遅い。
納涼怪談大会とやらはこれでお開き。カシマレイコも用済みだ。
帰って軽く夕飯を食って、風呂に入って寝よう。全く、貴島のせいで要らん夜更かしをしてしまった。
『足をちょうだい。』
唐突にリフレインしたその言葉で少し肌が粟立った。…柄にもない、夜道で一人だからって、怯える必要はないだろう。
周りには誰もいない。オケラの声と、車が走る音が微かに聞こえるだけ。街灯の光が切り裂く闇の中を、俺は一人で立っている。
―――あれはただの夢だ。何を今頃思い出してるんだ? 俺は。
「あなたの足をちょうだい。」
音を忘れた夜道で、一際大きな音がした。
刃物のようにぎらついた、重々しい、女の声が。