二章
学会本部へ戻り、本来の目的である報告書の提出を行ったクロエは、太陽が西の空へと傾き始めた頃、ようやくいきつけの宿へと足を運び始めた。彼の生家は、そこで待つ家族と共にすでに失われている。そのためクロエは、王都へ立ち寄る際は専ら、父の旧友が営む宿を、定宿として使う事にしていた。
道すがら、広場や大通りの露店を冷やかしつつ歩いたクロエは、気の早い一番星が茜色の空に輝き始めた頃、ようやく馴染みの宿へと辿り着いた。
夜の帳に染まりつつある漆喰の壁には、レッジョ亭なる文字が彫り込まれた古い木造りの看板が掲げられている。その看板の下、窓も衝立も開け放たれた一階部は、未だ宵の口だというのに、早くも活況と喧騒を帯び始めていた。
看板をくぐり、樫のドアを抜ける。すると早速、傷だらけのカウンターと、強烈な香草の匂いがクロエを出迎えた。
「おう、いらっしゃ――――おや!?」
カウンターの向こうで、料理に勤しんでいた初老の小男が、顔を上げるなり驚いたように軽く目を見開いた。店の主人、レッジョ爺だ。
「クロエじゃないか! どうしたんだ、帰るなら帰ると言ってくれと、いつも言っているだろうに!」
早速レッジョ爺は、カウンターの向こうから大手を広げて飛び出すと、ただでさえドライフルーツのような皺だらけの顔に、さらにたくさんの皺を刻みながら、クロエの懐に抱きついた。
「いやいやいや、しばらく見ない間に、大きくなって」
「いえ、身長は、もう何年も変わっていないんですけど……ところで、部屋の方は空いていますか?」
盛大な賑わいを見せる店内をぐるりと見渡しつつ、クロエは訊ねた。想像よりも店内は込み合っており、ひょっとすると部屋の方もすでに埋まっているのではと懸念したのだ。もし満室だとすれば、今すぐ他所の宿を回り、空室を当たらねばならない。
「いや。空いているよ。ベルダの寝室が」
「えっ」
レッジョ爺の言葉に、クロエは思わず上擦った声を上げた。
「どうした、初めてでもないだろう」
「い、いえ、確かに一度、彼女の寝室を使わせてもらった事はありますが……その、いろいろと、気まずいというか」
みるみる青褪めるクロエを、しかし、レッジョ爺はそれを歳相応の照れと見なしたか、ニカリと茶色い隙っ歯を晒しながら言った。
「何じゃ、オートマタ相手に何を気兼ねしとるんじゃ。そもそも、お前さんもいい加減ええ歳こいた男なんじゃろ? もっとドーンと構えんかい、ドーンと!」
「い、いえ、そういう事ではなく……」
と、そこへ。
「く……クロエさま」
聞き覚えのある華やかな女性の声に、クロエははっと振り返った。と同時に、予想だにしなかった光景に、思わず目を瞠る。
そこに立っていたのは、黒いワンピースにフリル付きの白いエプロンを纏った、一人の若い女性だった。眼鏡の奥に光る緋色の瞳と、腰まで伸びる若草色のウエービーな髪が、赤髪蒼目のカスパリア人が多くを占める店内で、ひときわ異彩を放っている。レッジョ亭の看板娘にして、かつてクロエの父が技術の粋を結集して造り上げた、一点もののプルーム駆動型オートマタ・ベルダだ。
が、クロエが目を瞠ったのは、動く人形である彼女の、その奇異な存在感ではなく、彼女の肩に、まるでそういう衣装であるかのように掛けられた、人の体長ぐらいはあろうかという巨大なカジキマグロであった。
「あ、相変わらず、調子は良さそうですね、ベルダさん」
「う、ううっ……ぐろえざま……」
「は、はい」
こく、とぎこちなく頷くクロエの一方で、ベルダは文字通り人形のように端正なその顔を、ぶわっとほころばせた。そして、抱えていたカジキマグロをドサッと床に打ち捨てると、クロエの懐へ一目散に飛び込んだ。
「ぐろえざまぁああっ! ひっ、ひどいですわ! 私を置きざりにしたまま、一人で旅に出られてしまうなんて! 私がどれだけクロエさまの事をお慕い申し上げているか、ちっとも分かっていらっしゃらないくせに!」
そんな彼女の背後では、打ち捨てられたカジキマグロが、素焼きタイル敷きの床の上で、びったんびったんと元気良く跳ね回っている。
「すみませんベルダさん、でも、僕はその、観光じゃなくてあくまで調査のために旅を続けているのであって……あと、すみません、若干生臭いので、少し離れて頂けますか」
が、ベルダはなおもクロエの懐に肩を埋め、離れるどころか顔を上げる様子を見せない。そこへレッジョ爺が、面白半分にとんだ茶々を入れる。
「おいベルダ。今夜は満室でな。悪いがお前の部屋にクロエを泊めさせてやってくれ」
その声に、やおらベルダは満面の笑みをがばと上げた。
「という事は、今夜はクロエさまとベッドを共に……?」
「い、いえベルダさん、僕は椅子で……それが駄目なら床にマントを敷いて寝ますから、どうぞ、お構いなく」
「クロエさま♪」
「は、はい、なんでせう、ベルダさん」
「とうとう私達も、夫婦として身も心も結ばれる日を迎えるのですね」
「いや、そもそも夫婦じゃありませんから、」
「またまた。相変わらず照れ屋さんなんですね。クロエさまって」
「いえ、照れている訳ではなく、その、周囲の目が痛くて……」
そうして、若い一人と一体が、酒場の入口で雑な寸劇を繰り広げていた、その時だった。
チキ……チキチキ……パツン。
不意に、酒場を照らしていた照明がせわしなく明滅し、そして、ふつりと切れた。
「え……あれ?」
突如漆黒に包まれた店内を、慌ててクロエは見渡した。が、他の客等は、取り立てて慌てる様子も見せず、相変わらずの陽気な調子で酒を酌み交わし合っている。
怪訝に思ったクロエは、さらに遠くへと目を凝らした。見るとレッジョ亭だけではなく、通りに面する他所の店も同様に、軒並みその明かりを落としていた。
街全体がとっぷりと暗闇に沈む中で、クロエは少なからぬ衝撃を覚えていた。
このような事態に遭遇するのは、クロエにとっては決して初めての事ではなかった。むしろ、彼が渡り歩く辺境の街や村では、頻繁に出くわすケースでさえあった。街のメインベントのプルーム湧出量が不足する事によって起こる、一時的な供給停止である。
「クロエさま、怖いですわ」
甘えた声で擦り寄るベルダには構わず、クロエはなおも周囲を見回しながら呻いた。
「まさか……王都でも供給停止が?」
「え、ええ。最近増えていますのよ。本当に困ったものですわ」
「やっぱり、減っているんですね。王都でも……」
「そんな事よりもクロエさま、今なら周りの目も気にせず思う存分愛を、」
「いっそベルダさんも供給式に変えますか?」
「嫌です!」
ベルダは、抱きすくめていたクロエの身体を、ことさらにぎゅっと抱きしめた。
ばき、と、クロエの胴体のどこかで、何かが折れる不穏な音が響く。
「こうして暗闇に乗じてクロエさまと睦み合えなくなるのは辛いですっ! 充填式のままがいいですっ!」
「やっぱり……供給式に変えましょう……ね?」
ほどなくして供給停止が明けたのか、いっせいにランタンの灯りが灯り始める。
「おおい、ベルダ。いい加減、マグロを調理場に運んでくれんかの。そんな所でいつまでも跳ね回らせておったら、邪魔でしょうがないわい」
「はぁい。ではクロエさま。続きはまた後ほど」
「はい……って、続きも何も、僕は別に……」
口ごもるクロエを尻目に、ベルダは暴れるカジキマグロの脳天にズゴンと拳を叩き込むと、今やすっかり大人しくなったその巨体を抱え、カウンターの向こうへと運んでいった。
「ほう、なかなか脂の乗った良い魚じゃな。グリルにすると美味そうじゃの」
「では、クロエさまのお好きなローズマリーの香草焼きなどいかがでしょう。ね、クロエさま、いかがです?」
「……どうぞご勝手に」
昼食時とは別の意味で憔悴させられたクロエは、へろへろと力ない足取りで、カウンターの末席にぽすんと腰掛けた。と、そこでクロエは、頭上のランタンがしきりに明滅を繰り返している事に気が付いた。周囲にはすっかり灯りが戻っている。プルームの供給停止はすでに解除されている、はずなのだが。
「随分とちらついていますね」
すると、カウンター越しのレッジョ爺は、ふと、魚をさばいていた顔を上げ、相変わらずの陽気な声でいけしゃあしゃあと言った。
「そうそう。お前が来たら頼もうと思っていたんじゃよ。そいつを直してくれんかのう。もう随分前からその調子なんじゃ」
「どうして、ベント技師の方を呼ばなかったのですか?」
「だってのう。うちにはタダで直してくれる専門家がいるからのう」
「それって……僕の事ですか」
クロエの問いに爺は答えず、ただニカリと隙っ歯を見せたのみだった。
「別にいいじゃろう? どのみち魚が焼き上がるまで、少し時間がかかるんじゃから」
爺の言葉に、呆れたように溜息をつくと、クロエはおもむろに席を立った。
「……わかりました」
早速、椅子を足場にカウンターへよじ登ったクロエは、なおも明滅を繰り返すランタンのガラス蓋を開くと、その中でちらちらと光る小指ほどの小さな棒をそっと取り出した。モノリス刀と素材を一にする、照明用の小型モノリスだ。
「やっぱり傷が入っていますね。これでは出力が不安定になるのも仕方ありません。―――それにしても、おかしいですね。ダイヤモンド並に丈夫なはずのモノリスが、落とした程度でこんな傷が付くはずはないのですが」
「申し訳ありません、クロエさま」
応じたのは、ベルダだった。
「その……一月ほど前、店に大きな蛾が迷い込んで参りまして。何とか追い払おうとしたのですが、なかなかランタンから離れて下さらないので、とうとう我慢ならずに蹴り飛ばしてしまったんです」
「え? 蹴り飛ばしたんですか?」
「はい。ランタンごと……」
すると今度はレッジョ爺が、何かを思い出したようにポンと手を叩く。
「ああ、思い出した。あの時ゃ大変だったなぁ。向かいの店まで飛んで行ってしもうて、あちらの店の親父に散々怒鳴られたもんじゃよ」
言うなりレッジョ爺は、悪びれもせずに禿頭を掻きながらアハハと笑った。ちなみに向かいの店までは、少なく見積もっても大人の足で二〇歩以上はある。
「なるほど……」
クロエは腰の革ポーチをまさぐると、中から、大きさも形もランタンの芯と同じ、小さな石の棒を取り出した。だが、こちらはランタンの芯と違い、明滅どころか光ってさえもいない、ただの黒い棒だ。そんな、黒いだけの小さな棒を握り締めたクロエは、早速、呪文のような言葉を、棒に向かって囁き始めた。
「要請する。ベント開放、プルーム量二〇ガルを要請、いずれも光エネルギーに変換……以上、要請を終了する」
と、クロエが詠唱を終えるや否や、これまで何の変哲もない、ただの黒い棒に過ぎなかったそれが、やおら、他のランタンと同じく、眩い輝きを放ち始めた。
新たに輝きを帯びたその棒を、先程のランタンに仕込みながらクロエは言った。
「たまたま、同タイプのモノリスを持ち合わせていたので、交換しておきます。あと、もう二度と、モノリスを蹴らないで下さい」
「おお、さすがは変換士じゃ。助かるのぅ」
調子の良いレッジョ爺の言葉に、やれやれとばかりに軽く首を横に振ると、クロエは早々にカウンターから床へと飛び降りた―――が。
ぼてっ……。
「あいたっ」
着地するや、クロエは床に足を滑らせ、派手な音を立てて前のめりに突っ伏してしまった。素焼きタイルの上で、干乾びたカエルのような無様な姿を晒すクロエを、周囲の男達が指差しながらゲラゲラと笑う。その笑い声には、面倒事を押し付けた当の本人であるレッジョ爺のものも紛れていた。
「相変わらず鈍臭いのう、お前は」
「い……いいんです、変換士は、変換ができればそれでいいんです」
むく、と身を起こしながら、クロエは悔し紛れに言い返した。したたかに打ちつけた鼻からは、すでに大量の鼻血がだくだくと流れ落ちている。
「まぁクロエさま、鼻から血が」
すかさずベルダが、カウンターを飛び越えてクロエに駆けつけた。こちらは、もちろん踏み誤る事なく綺麗に着地する。
「ええ、わかってます。すみませんベルダさん、ハンカチを貸してもらえますか? 後で必ず、洗って返しますので」
「いいえクロエさま。洗わずとも結構でございますわ」
「え?」
「クロエさまの身体から流れるものであれば、たとえ鼻血だろうと鼻水だろうと、汗だろうと涙だろうと私にとってはこの上なく愛しゅうございます」
「ベルダさん……」
感激に声を震わせるクロエに、ベルダは頬を赤らめながら続けた。
「で、でも、やっぱり一番興奮するのは、クロエさまのせ、」
「やめて下さい。それ以上は、いろんな方を困らせる事になるのでやめて下さい」
すかさず正気に戻るや、クロエはぴしゃりとベルダの言葉を制した。
夜が更けゆくにつれ、酒場はさらなる活況を呈していった。
いつしか街路の石畳は、乾燥がちなこの時期には珍しく、したたかな雨によって洗われ始めていた。時間を追うごとに雨脚は強まり、通りの向かいに灯る酒場の明かりが、次第にひどく霞んでゆく。店の喧騒に加え、庇を叩く雨粒の音が耳を聾する中、クロエはカウンターの末席で、昼に遠慮した分を取り戻すかのように、目の前の食事を黙々と口に運んでいた。
先程のカジキマグロをグリルしたものに、ニンニクの香りを移したオリーブオイルをかけて頂く。極めてシンプルな料理だが、クロエには、昼間の宮廷料理よりもむしろ美味に感じられた。少々大味ではあるが、ふっくらとしたマグロの食感と香草の香りがやみつきになる。何より、誰に遠慮するでもなく、また畏まる必要もなく食事を出来るのが有難い。
ちまちまとマグロの切り身をつつくクロエに、一仕事を終えたベルダがカウンター越しに声をかけた。
「いかがです? クロエさま」
「あ、美味しいですよ。とても」
「そうですか、それは何よりです」
オリーブの塩漬けを盛った小皿を差し出しながら、ベルダは再び訊ねた。
「ところで今回は、どのような御用で王都に戻られたんです?」
「いつもと変わりませんよ。各地のプルームの流量と、増幅装置の稼働状況についてまとめた報告書を、学会に提出しに来たんです」
「いつもながら、本当に素晴らしいですわ、クロエさま。国のため人のため、人知れず日の当たらない研究に邁進するお姿には、本当に感心致します」
「いえ……そういうつもりは、ないんですが」
ベルダの賛辞を、クロエは歯切れの悪い言葉と共に否定した。
「何かのためにとか、誰かのためとか……そういう大それた目的は、特に―――まぁ、結果として、そうなればいいな、と思う事はありますが」
運ばれたばかりのオリーブの粒を一つ、口に放り込むと、クロエは虚を見つめながら、なおも呟いた。
「ない……いや、わからないんだ……どうして僕は……」
「クロエさま?」
ベルダの言葉に、クロエははっと我に返るや、慌てて話題を切り替えた。
「と、ところで、相変わらず王都は賑やかですね」
随分と宵も深まった頃合だというのに、店内は未だに煌々たる灯りによって満たされている。ランタンに仕込まれたプルーム変換装置・モノリスが、街のメインベントから供給されたプルームを光エネルギーに変換し、店内を明るく照らしているのだ。
店の隅では、暖炉にしつらえられたモノリスが、プルームを熱エネルギーに変換し、冷え込み始めた夜の空気に暖を与えている。暖炉に薪をくべるという習慣は、このカスパリアにおいてはすでに年寄りの昔語りの常套句と化している。
「いえ、本当に賑やかですよ。辺境の……特に、国境付近の街や村は、本当に静か―――というか、閑散としています。僕も、旅に出るまでは想像もしていなかったのですが」
「では、どうしてクロエさまは、旅を続けていらっしゃるのですか?」
「え?」
「カスパリエが住み良いのでしたら、ずっと、カスパリエにお住みになればよろしいのに」
「かも……しれませんね」
誰に聞かせるでもなくそう呟くと、クロエは、ぶどう酒のグラスをくいと呷った。
―――その時だ。
バタンッ!
唐突な物音に、クロエは思わず、せっかく口に含んだぶどう酒をぶっと噴き出した。
「す、すみません」
「あらやだクロエさま、新しいプレイですか?」
メガネにかかったぶどう酒を、エプロンの裾で拭きながらベルダが言う。その顔もまた、クロエが噴いたぶどう酒でべっしょりと濡れている。
「ち、違いますよ……それより、一体何の音です?」
怪訝な面持ちでクロエが振り返ると、そこには、随分とひどいなりをした人影が立っていた。随分長いこと雨の中を駆けて来たのだろう、頭上まで引き被ったフード付きのローブは、雨水を充分に吸ってか、裾の下から雫が垂れるほどにぐっしょりと濡れている。
文字通り全身を覆い隠したその姿からは、年齢はもちろん性別さえも判然としない。ただ、大人の男と見なすには、あまりにも上背と肩幅が足りなかった。
最初こそ、ドアの音に驚いた客らは、一瞬振り返って人影に注意を払ったものの、ほどなくして新しい客の来店と判断したか、再び歓談の輪へと戻っていった。しかし、店に元の喧騒が戻った後もなお、人影はテーブルに着くでもなく、はたまたカウンターに座る様子も見せず、ただ、ドアの前で立ち尽くすばかりで、動く様子を見せなかった。
やがて見かねたレッジョ爺が、人懐っこい笑みと共に人影へと歩み寄った。
「いらっしゃい。生憎、宿の方はもう埋まってるんだがねぇ」
「……てくれ」
刹那、ローブの人影は、見えない段差でも踏み外したかのように、その場に崩れ落ちた。
咄嗟にクロエは人影に駆け寄り、抱き上げてフードを剥ぎ取った。―――と。
「え?」
そこに覗いた人物の顔に、クロエは思わず息を吞んだ。
白い肌、涼やかな目鼻立ち、そして何より、決して見紛う事のない、見事なルビー色の髪の毛……。
「殿下……?」
それは紛れもなく、昼間、王宮の廊下で遭遇したあの少女に違いなかった。
薄く、それでいて艶やかな唇が、呼吸のたびにしっとりと輝き、一方で、閉ざされた薄い瞼の縁では、長くまっすぐな睫毛が儚げに震えている。
ややあって、店のまぶしさに耐えかねてか、少女はその長い睫毛をびくつかせると、やがて、生まれたての雛鳥が卵の殻を破るかのように、そっと瞼を開いた。
「あ……」
ラピス色の大きな瞳が、生まれて始めて母親を見た子猫のように、じっとクロエを見つめ返す。
「あの……殿下……?」
「た……すけて、くれ」
「え?」
少女が口にした意外な言葉に、クロエは思わず訊き返した。
「どういう、事ですか?」
「この国を……この国の民を……たすけて」
が、少女は、残された力で辛うじてそれだけ言い残すと、再び瞼を閉ざし、クロエの懐にガクリと身を沈めた。




