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終章

お疲れ様でした。こちらがラストです。

   終章  



あれから、約一週間後。

辛うじて大規模な損壊を免れ得た、大理石造りの王宮の回廊を、つかつかとせわしない足音を立てながら歩く者があった。簡素なデザインのドレスに身を包んだ、ミラだ。

その切れ長の目には、すでに色濃い隈が出来上がっている。この一週間というもの、彼女は、地震により被災した市民への寝食の提供や、被害状況の調査報告を取りまとめるべく、ほぼ一睡もせず、時に一人で、時に多くの侍従を侍らせながら、こうして王宮内を駆け回っているのだった。

「殿下!」

そんなミラを、中庭の向こうから呼び止める者があった。

その声に、ミラはそのせわしない足取りをはたと止める。

「どうした、クロエ」

変換士の黒い制服に身を包んだクロエは、右手の三角巾をさりげなくマントで隠しつつミラの眼前に片膝をつくと、深く頭を垂れ、恭しく言った。

「ギル・バティスタが、ようやく意識を回復しました」

「ギルが……」

大理石の顔が、微かに笑みで緩んだ、次の瞬間。

「ミラ様ぁああああっ!」

「げっ……」

その顔は、再びピキッと硬質な音を立ててひきつった。

ミラが視線を向けた先、クロエの背後には、全身を包帯でぐるぐる巻きにされ、さながら異国のミイラを彷彿とさせる一人の男が、今まさに、その包帯だらけの顔に満面の笑みを浮かべつつ、ミラ達の所へと駆け寄る姿があった。

「ミラ様の愛に呼び戻され、冥土から帰って参りましたぁ!」

「ええい、呼び戻した覚えはないわっ!」

ギルの嬌声に、すかさずミラが怒鳴り返す。

「いいえっ。確かに姫様は、俺が死ぬ間際、行くなぁ! と仰いました。だから俺は、行かなかったのです。ミラ様のご命令は絶対ですからっ!」

「では、もう一度命じる。今すぐ逝け! すぐに逝け!」

「はい! 姫様のご命令とあらば……って、えええっ!?」

 と、今度はその背後から、もう一人の騒音メーカーが追いすがってきた。

「こらぁあっ! ギル! 起きた傍から走り回るのは、およしなさいまし!」

「この程度の怪我で、俺のミラ様への愛を断てると思ったら、大間違いだぜぇ!」

「知るかってんですわよ! クロエさまにあなたの看病を仰せつかっている、私の身にもなって下さいませんこと!?」

あの後ベルダは、クロエと、そしてイスマエルの手によって修理され、無事、機能を復活させるに至った―――のだが。

実は、単に旧来の機能を取り戻した、というのでは、なかった。

やおらベルダは、その右手をがっぽりと外し、手首に開いた丸い切り口をギルに突き出しながら言った。

「これ以上おいたが過ぎますと、この超濃縮型エネルギーキャノン・イスマエルカスタムをお見舞いして差し上げますわよ!」

「おうおう、やれるもんならやってみろ、ベルダ! ―――おいクロエ、ちょいとその剣を貸せ」

包帯だらけの手を突き出すギルに、うっかり剣を差し出しそうになる手を止めてクロエは喚いた。

「貸しませんよ! ってか、けが人はとっととベッドに戻って大人しくして下さい!」

「んっふっふ、鶏頭め。今日こそ、この五〇〇〇度の火球を放つ超強力キャノンで丸焼きにして、ディナーのメインディッシュに供して差し上げますわ!」

「ベルダさんも、そんな物騒なものはさっさと収めて下さい! あと、ちょいちょいイスマエル殿下の研究室で、訳の分からない改造を受けるのはもうやめて下さい!」

 いよいよ中庭は、二人と一体の乱闘模様を呈し始めた。が、ただでさえ忙しい所に足止めを食らっていたミラは、早々に彼らに背を向け、再び廊下を歩き始める。そんなミラの背中を慌てて引き止めながら、クロエは再び申し上げた。

「お、お待ち下さい、殿下」

「何だ」

「実はもう一つ、お伝えしたい事が」


テラス越しに麗らかな陽光が差し込む大広間は、しかし、暖かく柔らかな春の陽気とは裏腹に、ひどく硬質な、そして冷やかな緊張によって充たされていた。

部屋の中心には、ぶどう酒以外は料理も何も置かれない簡素な長いテーブルが置かれ、その両端には、簡素ながらも上等な執務服に身を包んだ二人の王子が、それぞれ向き合うように席を占めている。

クロエがミラを連れて部屋に戻るや、いよいよ機は熟したとばかりに、末席に座る黒服の王子、イスマエルが口を開いた。

「今日は、兄様に是非お願いしたい事があり、こちらにお招き致しました」

「お願い?」

レオンはあくまでも淡々とした口調で問い返した。それは、かつて自らを王座から引きずり降ろし、あまつさえ牢獄へ投じた男に対するものとは思えないほどの、静かなものだった。

 庭先から迷い込んだ蜂の羽音さえ響くほどの静寂の中で、さらにイスマエルは続ける。

「是非、兄様にはもう一度、このカスパリアの王として、冠を戴いて頂きたいのです」

が、その言葉に、レオンは俄かには答えを寄越さなかった。 

しばしの静寂の後、レオンは小さく溜息をつくと、ぶどう酒で唇を湿し、そして言った。

「随分と、身勝手な言い分だな、イスマエル。一旦王座から引き摺り下ろした人間に、今度は、再び王位に就けとは」

「分かっております。しかし、それがこの国にとって―――いえ、国民の幸福にとって、最も理に叶った選択なのです」

「そなたの理など、聞いてはおらん」

淡々と、しかし同時に、厳然と放たれたレオンの言葉に、イスマエルは気圧されるように口を閉ざした。

 再びの静寂の後―――ややあって、レオンは部屋の隅に控える妹と、その友人に声を投げかけた。

「そなた達は、どう思う」

 その言葉に促され、黒服の青年と白いドレス姿の少女は、互いの目をじっと見合わせた。

 しばし、探るように目線を交わした後、口を開いたのはクロエだった。

「私は、やはりイスマエル殿下の仰るとおり、もう一度、レオン陛下に王位に立って頂く事が、良策かと思います」

「……そうか」

 思慮深げな溜息と共に、レオンが背もたれに身を預けた、その時、

「ただし」

今一度、クロエは口を開いた。

「恐れながら率直に申し上げますと、やはり当面は、レオン殿下一人で国を治める事は、大変困難かと思われます。ここはイスマエル殿下と協力し、統治する事が望ましいかと、」

「クロエ君!」

 咄嗟に、クロエの言葉を遮ったのは、イスマエルだった。

「私はもはや、国政に関与するつもりはない……。兄様が王位に就かれた暁には、母の実家に、大人しく自らの身を封じる所存だ。王族として、今回の事態の責任を……」

「だから、そなたの理など聞いてはおらんと言っているだろう」

弟の言葉を制すると、レオンは再びクロエに話を促した。

 頷き、クロエは続ける。

「現時点における、イスマエル殿下に対する国民の支持には、確かに圧倒的なものがあります。伝えるべき真実を伝えずにいた、という件を差し置いたとしても、恐らく、この事実に変わりはなかったでしょう。―――なぜなら、真に国民が望んでいるのは、イスマエル殿下が彼らに約束なされた、暗闇や寒さに怯える必要のない、快適な生活なのですから」

「うむ……確かに」

「プルーム政策に対する考え方という点については、確かに、お二人の考え方は正反対だったかもしれません。ですが―――だからこそ私は思います。きっと、そんなお二人だからこそ、共に手を取り合う事で初めて、この国を、真に歩むべき道筋へと導く事が出来るものと……」

「なるほど―――だが、クロエ」

強い眼差しでクロエの目を見据えながら、レオンは言った。

「そなたは本当に、そのような事が可能だと思っておるのか? まるで正反対の考え方を持つ我々が、本当に協力し合えるなどと、」

「可能です」

きっぱりと、クロエは答えた。

「国民の幸福を、心の底から望んでおられるという点では、お二人は互いに、何ら劣る所はございません」

「そうか……」

溜息と共に、レオンは今一度イスマエルに向き直った。

「そういう訳だ、イスマエル。余は再び王冠を戴く。―――ただし、そなたの協力を前提の上で、だ」

「し、しかし、私は兄様に対し、償いきれない罪を……」

「罪ならば、今後の働きで返せ。イスマエル。―――いいな?」

 包み込むような兄の言葉に、もはやイスマエルは、何らの反論も口にする事はなかった。

 代わりに、決然とした眼差しで新王を見据えると、こく、と力強く頷いて言った。

「はい。兄様」

 


その夜、クロエは大広間のテラスにて、一人、ぼんやりと月を眺めていた。

少し肉厚な弓張り月を、濃藍色の空に望みながら、クロエはこれから自分が成すべき事について思いを馳せていた。

「何を、考えているのだ」

不意に背後から声がし、クロエは振り返った。

そこには、絹に金糸を縫いこんだ優美なドレスに身を包んだミラが、大広間から漏れ出る光を背中に纏いながら立っていた。

カサンドラにて同じく月を眺めた時に比べると、ここ数日の激務のためか、ただでさえ肉付きの薄いその頬や目元は、尚一層やつれて見えた。

が、それらはいずれも、彼女が、王族としての使命を必死に果たしている事の証拠に他ならなかった。そんな彼女の気高さと、同時に危うさが、クロエの心を打った。

綺麗だ……あの時よりも、ずっと。

ふと胸に生じたざわつきを、慌てて隠すようにクロエはその視線を逸らした。

「いえ、こ、これから僕は、何をすべきなのか……この国で、僕が求められている仕事は何なのか、その事に、思いを巡らせていたのです」

「……そういえば、そなた、腕が完治し次第、再び旅に出るそうだな」

ミラの弁が示すとおり、クロエは腕の治療が済み次第、再び旅に出るつもりでいた。その事は、すでに周囲の者には伝えている。二人の王子にも、ギルにもベルダにも、もちろん、ミラにも。

「だが、全都市からの増幅装置の撤廃が決定された今……もう、プルームの暴走に関する調査など、必要なかろう?」

俯き、軽く口を尖らせつつそう口にするミラは、何故か、気まずげですらあった。

そんなミラの、いつにない調子を軽く怪訝に思いつつ、クロエは返す。

「だからこそ、です。殿下」

「は?」

顔を上げたミラに、クロエは柔らかく微笑みながら答えた。

「増幅装置を使えなくなった以上、新しいエネルギー源と、その効果的な使用方法の模索は、これまで以上に急務となります。―――研究対象こそ、確かにこれまでとは変わります。……が、しかし、僕の変換士としての仕事に、終わりはありません」

「……そう、か」

再び、ミラは口を尖らせながら俯いた。

ローズマリーの香る庭先からは、微かな虫の音が夜風に乗って届けられる。

互いの息遣いが感じられるほどの距離に、静けさに、次第にクロエの中で、王族に対するものではない緊張が満ち始めた、そんな時だ。

「決めた」

「へ?」

「私も、そなたと共に、旅に出る」

「え? ―――殿下も、旅に……?」

「そうだ。そなたと共に、国内外の様々な街を、村を、港を、森を、いいや、それだではない、私もまだ知らない、未知の世界を、たくさん、たくさん旅するのだ!」

その表情は、威厳を湛えた王女のそれと言うより、むしろ、好奇心と冒険心を浮かべた少年そのものと言った方が正しかった。

「……殿下」

振り返るやミラは、やおらニッと口元をほころばせた。

「ミラでいい―――ただし、二人きりの時に限るが」

「ミラ……?」

戸惑いと喜びに表情が崩れそうになるのを、すんでの所で堪えるクロエの一方で、ミラはあくまで溌剌とした眼差しでクロエを見上げながら訊ねた。

「なぁ、クロエ。旅をするのに必要な技術や、知識があれば申せ。そなたの腕が治るまで、学んでおくから」

「え? 知識、ですか?」

「例えば……ほれ、虫の調理方法だの、食べられるキノコの選び方だの、地図の読み方だの……そういう話だ。なぁ、どんな知識が必要なのだ?」

なおも瞳を輝かせながら問い詰めるミラの顔を、半ば呆然と見下ろしていたクロエは、ふと、今の彼女には絶対的に不足した、しかも、旅には欠かすことのできない重要なスキルにの存在に思い至った。

「ああ、そうですね、そういえば……」

「何だ、何を準備すればいいのだ?」

「とりあえず、馬の餌の味に慣れて頂く所から、始めてもらいましょうか」


                                   了


最後まで読んで頂き、大変お疲れ様でした。

そして、ありがとうございました。

どうか眼球に疲れをお残しにならないよう、目薬などをお差し下さいませ。


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