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序章

某ラノベ賞で一次にもかからなかったものです。


お暇つぶしにでもなれば幸いです。

あと、気が付いた点などあればご感想頂けると幸いです。

カスパリア王国南方、マウラ砂漠の中ほどに、カヴァという街がある。

元々、小さなオアシスに人々が定住を始めた事で発展を始めたこの街は、今ではマウラ砂漠を抜ける旅人であれば、商人だろうと軍の一個師団であろうと必ず立ち寄る、南カスパリア地方で最も代表的な宿場町と化している。

そんなカヴァの酒場は、今夜も今夜とて、夜空に天の川が輝く頃合となってもなお、煌々たる灯りと旅人達のおしゃべり、そして、そんな旅人達の前で奏される楽の音によって満たされていた。そして今宵も、とある酒場では、流しの竪琴奏者が安物の商売道具を片手に、これまた酷い演奏で酔っ払い達の耳を騙しつつ小金を掠め取っていた。

その日、彼が竪琴の弦を掻き鳴らしつつがなり立てていたのは、散々唄い古された英雄譚でも、また、月並みで退屈な恋物語でもなかった。それはつい先日、カヴァから程近いクルスという街で起こった、とある出来事を即興詩に仕立てたものだった。

常に方々を移動して回る旅人達にとって、彼らのような楽士の唄は、時に新しい事件や政変の話題を得るための重要な情報源となる。そして、この夜も旅人の多くは、唄よりもむしろ政情の変化や、どこぞの街で起こった貴族達の醜聞を耳にするべく、彼の唄に聞き入っていた。

が、その日、彼が伝えた事件は、どこぞの貴族の乱れた色恋沙汰などと違い、気軽に酒の肴へ上げられるような類のものでは決してなかった。

調子外れの琴の音に乗せて、男は唄う。

―――砂漠の街、クルスが消滅した。

そこに広がっていたのは、瓦礫でも死体でも、まして砂でもなく、一面の白い、白い灰、ただそれだけだった。

白亜の荘厳さを誇る大理石の屋敷も、エメラルド色にきらめくオリーブの木々も、槌で刀を打つ屈強な男達も、ぶどうの豊作に歓喜する美しい女達も、全ては灰と化し、月明かりの中で白々と輝いていた――――

男の唄、いや話に、カウンターに居並ぶ男達の誰もが、グラスのぶどう酒をあける事も忘れ、じっと聞き入っていた。詩の美しさに対してではなく、その詩の示す情報に息を吞んでいたのだ。

クルスと言えば、カヴァからは人の足で三日ほどの、彼らにしてみれば比較的身近な街である。それが、つい二日ほど前に、跡形もなく消滅したのだという。

演奏を終えるや、小さな革帽子を片手にカウンターを巡り始めた竪琴奏者は、やがて、その末席まで至ったところで、一向に懐をまさぐる気配を見せない一人の青年を見咎めた。

すぐさま青年の隣席から先客の老人を追い落とし、代わりに水袋のような腹でずいと椅子を占めると、いかにも腹蔵ありげな顔で青年に声をかける。

「やあ君、どうやら私の唄がお気に召さなかったようだね」

それまで、黙々とぶどう酒を舐め続けていたその青年は、唐突な呼びかけに、「え」と微かな声を上げた。そこで初めてあなたの存在に気付きました、と言わんばかりの態度が癇に障ったか、楽士は、赤カブのような顔を一層赤らめ、先程よりもなお慇懃な口調で続けた。

「ひょっとすると、君のような若い人間には、どこかの街が住人ごと消え去ったという話よりも、宮廷での目くるめく恋愛話の方が面白かったのかもしれないね」

卑しい面を構えたその初老の楽士にとって、青年の澄ましきった態度は、何とも鼻持ちならないものだった。自分の演奏を聞くだけ聞いておいて、金を払わないとは何事だ、という訳である。たとえ青年が自分の演奏の間中、一度として振り返りもせずにちびちびと手元のぶどう酒を舐め続けていたとしても、その楽士にしてみればどうでも良い事だった。耳さえあれば、唄は聞けるのだ、と。―――ところが。

「実はつい先程、そのクルスの調査を終えてきたばかりなんです、僕」

「は?」

今度は、楽士の方が驚きに相貌を崩す番だった。改めて、青年の姿をつぶさに眺めた楽士は、その服装が示す身分に気付くや、ただでさえ醜い顔をさらに怪訝な色で歪めた。

「君、ひょっとして変換士かい?」

楽士は、青年が羽織った黒いジャケットを指して訊ねた。青年の服は、ジャケットのみならずパンツ、マントに至るまで、いずれも夜空よりなお深い漆黒色で揃えられている。

「はい」

「やっぱりそうか。―――で、その髪は、北方の血が混じっているのかな?」

「はい、母が、ルノア人で」

燃えるような赤銅色の髪こそが、彼らの国で大部分を占めるカスパリア族の一般的な髪色だ。酒場にたむろする老若男女の多くが、白髪や禿頭でもない限りは揃いも揃って情熱的な髪色をランタンの光に晒す中、一人、青年の髪だけは、濡れたように艶やかなカラス色を纏っていた。

「ああ、道理で、綺麗な顔立ちをしてる訳だ。ルノアには美人が多いからな」

「いや……どちらかと言うと、僕は父親似なんですけど」

「ああそう。お父さんは、カスパリア人?」

「はい。生粋の……それに、僕と同じく変換士でした」

「なるほど、その青い目はお父さん譲りという事か。―――しかし、いるもんなんだねぇ、親子揃って変換士なんて人間が……で、その変換士なんて大層な仕事をなさってる御仁が、あんな流れ星の落ちた跡地なんぞに行って、一体何を調べていたんだい?」

訊きながら楽士は、青年の小鉢からオリーブを摘み上げると、何らの断りを入れる事もなく、それをポイと口に放り込んだ。

一方の青年は、そんな男の図々しい態度を咎めもせずに答える。

「街の崩壊状況と、その原因についての調査です。ようやく報告書がまとまったので、学会に提出するために、明日から王都へ向かうつもりなのですが」

「原因の調査? 落ちた流れ星でも探してたのか?」

楽士の言葉に、ふと、青年は表情を強張らせた。

「しかし、つくづく信じられない話だね。つい前日まで幾百人もの人間がひとところに暮らしていた街が、ある日突然綺麗さっぱり、消えてしまうなんてね。しかもここ最近、流れ星が街を襲うって事件が、随分と増えているそうじゃないか」

そう言って楽士は、それがさも己のものであるかのように、青年の小皿に再び手を伸ばした、が。

「違います」

「え?」

青年の思いがけない言葉に、楽士の手が止まる。

が、一方の青年は、そんな楽士の様子に気を払う事もなく、じっと、手元のグラスを見下ろしながら続けた。

「流れ星が原因という通説は、真っ赤な嘘です。本当は―――」

青年の続きの言葉は、しかし、突如彼らの背後で上がった怒声によってあっさりと掻き消されてしまった。フロアの中ほどのテーブルで杯を呷っていた酔っ払い達が、互いに睨んだの睨まれただのと、やおら掴み合いの喧嘩を始めたのだ。

「いいぞ! もっとやれ! そこだ! 殴れ!」

あっさりと興味の軸足を移した楽士の無邪気な表情を、呆れたように横目で一瞥すると、再び青年はグラスに目を戻し、手元の小皿に手を伸ばした。が、いつしか小皿からは、既に最後のオリーブの一粒さえも、その姿を消してしまっていた。


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