Princess of Bramble with Drab Mn—茨の姫と冴えない嘘—
〆
塔の足下に広がる街並みは蜘蛛の巣のように道を延ばしていく。
放射状に伸びる縦糸と、その合間を繋ぐ無数の横糸。横糸の一つである奥まった路地は、蜘蛛の巣がそうであるようにいくつかの哀れな虫けらを絡め取っていた。
一通りの少ない路地に倒れ伏す幾人の年若い男たち。誰もが痛みに呻き、人相の悪い顔を歪めている。
「最初の威勢はどうしたというのだ? 若人たちよ。私をぶっ飛ばすのではなかったのか?」
嘲るような声が路地に浸透する。舞台俳優のようによく通る、芝居がかった声だった。
新たな打音が続く。
倒れ伏す者たちの仲間と思われる男が、白い手袋を嵌めた片手で掴まれ、壁に押しつけられていた。
口の端からは血を垂らし、体中に無数の傷が出来ている。顔は怯えに歪み、苦しげに自分を片腕で掴み上げる者の姿を見ていた。
「も、もう……や、やめてく、れ……」
許しを乞う男に、しかし首を絞め上げる彼はくすりと笑うだけだ。
無数のゴロツキを容易く屈服させたその男の風采はあまりにも異質だった。
柔らかな鳶色の髪は短く、華奢な体を包む燕尾服の上にはマントを羽織っている。靴は道化師の履くそれのように爪先が深い内巻きになっていた。
装飾のなされたドミノマスクに顔の上半分を隠した彼は口許だけで嘲笑の表情を示している。
物語に登場する道化師がそのままに顕現したような出で立ち。マスクの奥の目は窺えず、しかし無感動に見つめているようだった。
「さあ、踊れや、踊れ。私の戯曲に出演してもらおうではないか。可哀想なアントよ」
「わ、わかった……。な、なんでもします、から……だ、だから……」
男の答えを聞き、道化師は掴み上げていた体を投げ捨てる。軽々と投げられた屈強な体は地面を滑り、倒れ伏している仲間たちの傍らに転がった。
道化師は指をパチンパチンと何度も鳴らし、くつくつと喉の奥で笑う。
「面白いことになりそうではないか。螺旋描く勇者に英雄の切れ端、そして茨の姫君。演者は十分だ。最高の喜劇に必要なものは残すところ良き演目のみ。演出はこの私が務めてさせてもらおうではないか」
道化師は嗤う。
まるでこの世界の全てを嘲るように嗤っていた。
〆
「はい、これで明日一日くらいは保つでしょう」
侯爵邸の客間、テーブルの上に広げられた俺の一張羅の上着に魔術の細工を行っていたプラナが言う。
服の懐に翳していた手の中で弾けていた燐光も消え失せ、プラナはゆっくりと手を下ろす。
「銃を入れても、不自然な膨らみが生まれない程度の空間拡張は行いました。これなら怪しまれることもないでしょう」
「助かったよ」
椅子に腰掛け作業を見守っていた俺は、プラナへ素直に礼を言う。
仮初めとはいえ、一日限定の恋人ごっこめいたことをするのだから、できればこういう物騒なもんを持っているところは見せたくない。それでも貴族のご息女をエスコートするのだから、武器は持っていかないわけにはいかないだろう。
細かい作業をして流石に疲れたのか、プラナは深く息を吐き出して、椅子にすとんと腰を下ろす。紅い瞳が窓の外、闇色の天鵞絨を纏った空に向けられた。高い塔の上にあるため、視界を遮るものは何もなく、夜空に鏤められた星辰と大きな月だけがある。
「随分と時間がかかってしまいましたね。技術国製の衣装は魔術と親和性が低く手間取りました。私も未熟ですかね」
技術国製のものは本当に魔術と相性が悪いのか、それともプラナのモチベーションが上がらないのかは定かではない。もともと、この頼み自体プラナは相当渋っていた。
どうあっても技術国由来のものとは極力関わりたくないプラナはやはり生粋の魔術師なんだろう。
「無理言っちまって悪かったな」
「明日は、ガンマだけに厄介事を任せてしまいますからね。気にしないでください」
言って、プラナはそっと微笑んでくれる。
「なぁに、美人とのデートだ。男としちゃ、これほどに楽しい厄介事はねぇよ」
「ガンマらしいですね」
俺のくだらない軽口にもプラナは愛想良く笑ってくれる。
いやホント、癒されるね。
「明日は俺のことは気にせず、祭りを楽しめばいいさ。俺もリーシャと楽しむし。多種多様な民族や種族の文化が入り乱れてるって話だからな」
「確かに、この街には数多くの異種族が揃っていますからね。数多の亜人種を始めにハルケスト族やサエノリ族、パデミス族にアリザ族、クノイド族、ギルシュタイン族、ピドー族、エルフ族、ハバナ族。枚挙に暇がありませんね」
街に想いを馳せるように、窓の外へ目を向け、プラナはぽつぽつと種族の名を並べていく。普段、人里には姿を現さない種族の名前もいくつかあった。
そういった者たちが共存できるこの街は確かに素晴らしいのだろう。人種や種族、地位や生まれに縛られず、持ち前の能力が正当に評価される商人の街ウェスター。納得できないこともあるが、この街にいると多種族たちとの共生も夢物語ではない可能性を感じるのもまた事実。
全てを否定することはできない。
「この二日間、街を散策しただけでもかなりの数の異種族とすれ違ったからな。そう考えると、明日の祭りは本当にすごそうだな」
リーシャとのデートで退屈することもなさそうだ。
明日の祭りのことを二人で話していると扉が開き、剣をぶら下げたクロームが汗をタオルで拭いながら戻ってきた。
こんな日でも剣の鍛錬を忘れないとは、素晴らしい向上心である。毎日素振りをしないと死ぬ呪いにでもかかっているとしか思えない。
「戻ったぞ」
「おかえりさない、クローム」
俺の隣で、即座に立ち上がったプラナが朗らかな声で迎えると、クロームは特に表情を変えることもなく「ああ」と応じる。
なんともスカした振る舞いなのに、クロームが素でやると格好よく見えるのがムカつくところだ。
「今、飲み物を持ってきますね」
「頼む」
部屋の奥の簡易的なキッチンに駆けていくプラナの背中に一言投げて、クロームはソファに腰掛ける。
相当汗を掻いたのだろう。髪は濡れそぼち、収斂していた。湿った銀髪は紫がかり、首筋にも汗が浮いている。
クロームは面倒そうに額から垂れる汗を拭い、ソファに深く凭れかかった。
「セシウはどうした?」
座るなり部屋を見回し、クロームが俺に聞いてくる。
「なんで俺に聞くんだよ」
「お前以外の誰に聞けというんだ」
「知らねぇよ。会食終わった後、一人で出かけたよ」
俺の答えにクロームは仏頂面のまま首を傾げる。
「お前と揃って出かけないのは珍しいな」
「別にいつも一緒に行動してるわけじゃねぇよ。なんか問題あるか?」
セットとして扱われるのは、どうにも落ち着かない。
「別に。ただ、セシウが眼鏡を持っていってくれれば、俺もくつろげるな、と思っただけだ」
さらっと酷いこと言うんじゃねぇ。
文句の一つでも言ってやろうかと思っている最中に、プラナが麦茶とついでに代えのタオルを持って戻ってくる。
クロームの前のテーブルに麦茶を置き、タオルを手渡し、クロームの汗で濡れたタオルをプラナが受け取っていく。
「すまないな、助かる」
「いいですよ」
穏やかな声で答え、プラナはタオルを持ってまた部屋の奥に戻っていく。甲斐甲斐しいよなぁ。
俺もあれくらい尽くしてくれる女性がほしいところだ。問題は旅の仲間からプラナを除くと、そういった可能性のある女性が一人もいないことだ。
新しいタオルで止まらない汗を拭い、クロームは俺にまた目を向ける。
「今日の会食でも食事が進んでいなかったようだが、セシウは何かあったのか?」
「さぁ? 大方、侯爵との会食ってんで緊張しちまったんじゃねぇか?」
確かに今日のセシウはいつもより小食だった。おかわりも二回しかしなかったし。
いや、これ全然少ないんですからね。
俺の予想にクロームは顎に指を引っかけて少し考え、そして心底納得がいかない様子で眉根を寄せた。
そんなあからさまに「は? お前何言ってんの?」みたいな顔されましても……。
「セシウがそれくらいのことで食が細くなるか?」
「お前はセシウをどう思っているんだ」
「最前線で戦う人間が落ち込んだくらいで食事を減らすものか。どんな状況でも万全な状態で対応できるように食事はしっかり摂る。後衛のお前には分からないかもしれんが」
そういうことね。
常に緊急の事態を考え、寝る時でさえ寝返りを打たないクロームと同等に考えるのはおかしい気もするが分からなくはない。
なんせこいつは腕が痺れては剣が鈍るという理由で、絶対に寝返りを打たず常に仰向けだ。寝相まで制御しようとして実際できてるこいつは絶対にどうかしている。
「それなら原因は昇降機かもな」
「昇降機?」
「なんでもあの上下移動が苦手らしくてな。さっきも眩暈を起こしていたみたいだ」
日中のセシウを思い出す。一過性のものだと思っていたが、体に違和感があったのかもしれない。
屋敷に戻ってからもぼーっとしていたり、元気がなさそうだったのも、原因がそれなら納得がいく。
「セシウが昇降機くらいで不調を来すようにはやはり思えないがな」
クロームはまだ納得がいっていないらしい。
こいつがセシウをどう見てるのかは知れないが、あいつはああ見えても結構繊細だ。慣れない感覚に戸惑っているだけかもしれない。
またウェスターに来るまでの間には様々なことがあった。エルシアでのアメリスとの戦い、イッテルビーでの惨劇、またそれ以前のこと。そういった中で蓄積されていた疲労が表面化してきている可能性だってある。
もし、そうなら、明日の祭りでは思いっきり羽を伸ばしてほしい。
あいつはまだ年頃の少女だ。戦いの使命からは逃れられなくても、たまには少女らしく楽しく充実した日常を、俺は送ってほしい。
例え俺たちが世界を救う命運を背負わされた戦士だとしても、それくらいの娯楽は許されるよな。