Princess of Bramble with Drab Mn—茨の姫と冴えない嘘—
「一体全体、お前は何度厄介事を持ち込めば気が済むんだ」
昼食の席、俺たちは下界の街に降りてレストランで麺を啜っていた。
拉麺と呼ばれる、異国の麺料理だ。
クロームの批難に俺は顔を顰める。眼鏡のレンズが湯気に曇って鬱陶しい。
「俺じゃねぇよ。俺じゃねぇ。全然俺じゃねぇ。今回は向こうが勝手に、だな」
「お前が何か余計なことをしたとしか思えない。そうでなければ、一般的な年頃の女性がお前とデートしたがるなんてのはありえない。絶対にありえない」
言いながらクロームは塩味のスープに浮かぶ肉をフォークで突き刺し、口に突っ込む。
あんまりな言いように項垂れたら、湯気がレンズへ直に当たり、目の前が真っ白になった。
伊達だけど取らない。取ったら、こいつらに弄られるから。
「俺は面倒事なんて嫌いだ。そうならないように注意してるさ。今回だってそうだ」
「今まさに自分で提案した拉麺というものの湯気で眼鏡を曇らせてるような奴に、未来予測能力と危機管理能力があるとは思えないわけだが」
「はい、その通りでした。すみません……」
正直返す言葉がない。全く以てクロームの言うとおりだった。
リーシャのあの発言にも、俺の言葉が多少なりとも関係しているのは明白だった。
三人は知らなくても俺にはある。そして三人も何となくそれを察していた。その程度には、リーシャが俺をデートの相手に選ぶのはおかしい、という認識があるわけだ。
ちくしょー、泣いてねぇ泣いてねぇ。これは全部湯気だ。ちくしょう。
みんなして俺をなんだと思ってんだ。俺だって結構女性受けいいんだかんな……。
「全く、あの面倒くさい会食を終えて、ようやく肩の荷が降りたと思えば、今度はこれか。ガンマ、お前はなんだ、俺を過労死させたいのか」
「そうなった場合、まず最初に死ぬのは俺だから安心しろ」
「じゃあ死ね、今死ね、早く死ね。この場で、今すぐ、完膚なきまでに死ね」
持っていたフォークを片手で折り曲げ、クロームは殺意に爛々と輝く目で俺を睨みつけてくる。
最早睨むなんてもんじゃない。クロームの全身が黒い波動に包まれて、刃のような双眸だけが紅く光っているようにも見えた。
「まあまあ、クローム。ちょっとお祭り見て回るだけなんだから、それくらいいいじゃん? アタシもお祭り自体には興味があったし」
「そうですよ、クローム? たまにはこういう小休止も必要です。日頃の心労を取る意味でも、悪くないのではありませんか?」
俺の隣のセシウと、クロームの隣のプラナがクロームを宥めてくれる。
お前ら、いつもはあんななのに……!
あ、ああ、分かってたよ。お前らが本当は俺のこと大切にしてたって……。今までさんざん酷いこと言っちまってごめんな、特にセシウ……。
本当はあの言動が好意の裏返しだってことも知ってはいたんだよ、特にセシウ。
いやあ、本当にぞんざいに扱って悪かったな、特にセシウ。
「ガンマは自業自得だし、アタシたちだけで楽しもうよ」
正直思わぬ助け船に、目頭を熱くしていた俺は途端に顔面を食卓へ叩きつけてしまう。
そういうことかよ……。ただ祭りが見てぇだけじゃねぇか。
「ふむ、まあ、確かにこいつ抜きで少し息抜きができる、という考え方もあるか」
クロームもクロームで変に納得しかけている。
何なの。クロームにとって、俺は疲れの元ってわけか?
俺だってお前のことを気にかけてどんだけ疲れていると思っていやがる。
それじゃあ、まるで俺が毎日飽きもせずにくだらないこと話して、回りくどい言い回しで皮肉を言って、厄介事しか持ち込んでないみたいじゃねぇか。全く失礼しちまうぜ。
「まあ、分かった。こうなった以上は仕方ないのも事実。勇者一行の眼鏡抜きでゆっくりできるのも確かだ。よし、ガンマ、今すぐここから出て行っていいぞ」
「オメェらあんまりだ! 俺に対する日頃の感謝とかないわけ!?」
正直大分みっともない気持ちになりながらも、こいつらの最後の良心に語りかける。
拉麺を掬うフォークを止めて、三人は互いに顔を見合わせ、ゆっくりと俺に向き直った。
「ないな」
「んー、そこまでは……」
「いえ、ないとは言いませんが、そのあまり……」
「おかしい! お前ら絶対おかしい! この人でなし!」
ちっくしょー!
いくらなんでもあんまりだろ!
「お前ら、本当に俺がいなくなっていいわけ!? どうなっても知らないからな!」
「では、ガンマ。お前が明日一日いなくなったとして、俺たちが受ける損失を教えてくれ」
腕を組んで、クロームが俺に問いかけてくる。
ほう、いい度胸だ。そこまで言うなら、俺がこれから華麗に論破してみせよう……。
…………。
……。
「どうした?」
勝ち誇った顔でふんぞり返ったクロームが聞いてくる。
どうせあるわけない、と確信している風情がムカつく。鼻で笑うな、鼻で。
「待ってろ、今考えてんだ」
「それがまさしく結論だな」
ため息交じりに腕を組んだクロームが言う。
おかしい。何故だ。
全く思いつかない。
戦闘中ならともかくこと日常となると、俺の存在意義はなんだ。
考えろ、俺。あるはずだ。何か俺にしかできないことが。
「円滑なコミュニケーションを」
「回りくどくしている」
「常に飽きさせない話題提供を」
「憎しみと俺の殺意しか生んでいない」
「口数が少ないせいで空気になりがちなクロームに喋る機会を」
「余計なお世話だ」
……どうしよう、どれも否定しきれない。
しかも出尽くした感さえある。
なんとか絞り出そうと、拉麺の醤油風味のスープを俺は箸で意味もなく掻き回す。
絞ろうとしている時点でダメなのは分かってます、はい。
ヤバい、情けなくて泣きたくなってきた。
日頃の俺って本当に生産性皆無だったことに気付いて辛い。
こんな現実知りたくなかった。
食事を終えた俺たち四人は再び街を歩いていた。
誕生祭が明日にまで迫り、人々の往来は昨日以上に忙しない。
おそらくは祭りの準備などもあるのだろう。
イベントの前準備に活気づく街並みはどこか浮ついていて、それでいて穏やかだった。
巨体を誇るハルケスト族や、それとは対照的に小柄な体のサエノリ族、また獣の特徴を持つ多種多様な亜人族の姿もちらほらと窺える。誰もが人々といがみ合うこともなく、協力して祭りの準備を行っている。
平穏な喧噪。銃声も怒号も爆破音もない、ただ人々の歓楽に満ち溢れた騒音。
騒がしいようで悪い気はしなかった。
それでも、俺の気持ちは少し落ち込んでいる。
自分の存在意義を考えさせられてしまった。もしかして戦闘中の方が、日常よりは役に立ってたんじゃないのか、俺?
「ガンマ大丈夫?」
クロームやプラナと一緒に先を歩いていたはずのセシウがいつの間にか俺の隣を歩いていた。
「慰めはやめろ。どうせ俺はいてもいなくても変わらない、この世の隅っこにいるのが相応しいゴミッカスでございまする……」
「いや、その話はもういいから」
何がもういいだ。
分かってるからもういいとでも言いたいのか。
おう、上等だ。弁護士通してんのか、おい。
「なんか昨日からたまに様子おかしいから心配してたんだけど、そうでもないのかな」
「俺が元気ないのはお前らのせいで自分の存在意義を見出せなくなったからであって……」
と、そこまで言って止まる。
時系列がおかしいぞ。
「昨日からってどういうことだ?」
「いや、アタシの思い違いだったらそれでいいんだけどさ。なんか様子おかしいように見えたんだけど」
首を傾げて、セシウは言う。
確信はないものの何かを感じ取っていたらしい。
一体どれのことだか分からないが。
「どうしてそう思ったんだよ」
「んー、いや、なんか間違ってたら恥ずかしいし」
頬をかいて、セシウははぐらかそうとする。
こっちとしては何を見抜かれていたのか判然としなくて、居心地が悪い。嘘つきの性分だ。
「言ってみろよ」
「わ、笑うなよ?」
「笑わねぇよ」
「リーシャさんと一緒にゴンドラに乗った時、なんか思い詰めてたように思えてさ……」
…………。
確かに俺は、なんだかその際にいろいろ考え込んでいた気がする。ていうかあの道中は基本的にこの街の基本思想が気に入らなくて、割と不機嫌になりっぱなしだった気さえする。
「そう感じるくらい様子がおかしかったか?」
「ガンマが黙り込んでる時ってのは大抵ロクでもない上にくっだらないことを考えてる時なんだけどさ、その時にどうしたのか聞いて、茶化さない軽口を返してくる時は何か思い詰めてるような感じがしてさ。当たり障りがなさすぎるっていうのかな」
思わず言葉を失ってしまう。
俺ですら気付いてなかった、俺の発言の傾向をまさかセシウが感じ取っているとは。
付き合いが長いからといって分かることじゃないとは思うんだが、女性というのはそういったことに敏感なのだろうか。
ここまでセシウに驚かされるとは思ってもみなかった。
「あと昇降機から降りる時のことも気になったし。ガンマが何にもなくて、突然、前のことを引っ張り出して、人に悪口言うのはおかしいなって」
ああ、あの時も俺、セシウに酷いこと言ったな。
男って女に嘘をつき通せない生き物だということを痛感する。
プライドがムダに高いからかね。
「お前ってすげぇなぁ」
普通に賞賛してしまう。いや、普通にすげぇし。
セシウは普段能天気に振る舞っているが、決して空気が読めないわけではない。
むしろ、親しい人物の異変には目敏いほどだ。
考えるよりも感覚で生きているセシウだからこそ、ちょっとした心地の違いが分かるのかもしれない。
俺に素直に褒められて、セシウは少し戸惑いつつも曖昧に笑う。
「そんなことないよ。ガンマとは付き合い長いから分かるだけ」
本当にそうだろうか。それだけで、ここまで見抜けるものだろうか。
もしセシウの言うことが正しいのなら、お前の言動の機微から俺は何かを読み取れているのか。
分かったつもりになっているだけに思えてならない。
「それで、一体何考えてたの?」
「別に。取り留めもないことだよ」
嘘はついていない。
セシウが指摘された時分に俺が考えていたことは、俺が何かを考えてどうにかできることではない。
一つはあまりにも大きく、一つはもう終わってしまったことで、どちらにせよ変えられるわけがない。
俺一人が思い詰めたところで何の意味もないものだ。
さも賢そうに思考を巡らせても、実際は棒立ちしているだけの馬鹿と何ら変わらない。
セシウは合点がいかないらしく、難しい顔で眉根を寄せていた。
「どうでもいいことを変に考え過ぎちまってただけだよ。別に何か悩みがあるわけじゃねぇから安心しろ」
「そう? まあ、無理には聞かないけどさ。なんかあったら言ってね?」
セシウの屈託のない優しさに、押し入ってこない気遣いに、自然と頬が緩む。
くだらない強がりから転がり出た、無作為な言葉のナイフを受けて、それでも訳を感じ取ってくれるセシウの存在が有り難かった。
都合がいい考え方だろう。そもそもが俺の幼馴染にはもったいないくらい、よくできた奴なのだ。
それでも、俺はセシウの優しさを甘んじて受けるしかない。
「そうだな。目下の悩みはリーシャとのデートに何を着ていくか、だな」
侯爵のご息女とのデートなんて、何を着ていけばいいんだか。
女性との交際経験はそれなりにあるとはいえ、相手が貴族、それも茨姫として名高い美貌と性格の持ち主となると、考えなければならない。
俺の隣でセシウがくすくすと笑う。
「ガンマも大変だね。リーシャさんのデートは受けることにしたの?」
「そりゃあ、な。断るわけにもいかねぇし。ま、あんな別嬪さんとデートするってんなら男として悪い気もしねぇし、こうなったからには楽しむさ」
クロームたちの進む方を見やりながら、俺は答える。
貴族や金持ちどもからしても高嶺の花とされるリーシャだ。そんな女性と一緒に祭りを楽しむというのは悪いことじゃない。
厄介事ではあると同時に楽しそうでもある。
茨姫という通り名のままの性格だったならば俺だってお断りしたいが、昨日見たリーシャのしおらしい顔を見た後では少しでも楽しませてやれれば、とさえ考えている自分がいる。
「とはいえ、一日だけ、だからこその話だけどよ」
言って隣に目をやると、あるはずの結い上げた紅い髪が消えていた。咄嗟に立ち止まって辺りを見回すと、後ろでセシウが俯き気味に立ち尽くしていた。
「どうした、セシウ?」
呼びかけても返事はなく、セシウはただそこに立っているだけだ。心配になって、体ごとセシウに向き直る。
「セシウ?」
もう一度、先程よりも少しだけ大きな声で呼ぶと、セシウが弾かれるように顔を上げた。
「え? 何?」
「お前こそどうした?」
問い返すと、セシウは気楽に笑った。
「何でもないよ。ちょっと眩暈がしただけだから」
「眩暈? お前が眩暈なんて珍しいな」
そういうのとは無縁そうな感じなんだが。
「なんだろ。昇降機のせいかな」
「ああ、そういうことか」
垂直方向での移動なんてのは滅多に経験しないから、慣れない動きに体が不調を来したのかもしれない。
そう考えれば納得はいくか。
「無理はするなよ?」
「ちょっとくらっとしただけだから大丈夫だよ」
そう言って、歩き出したセシウは俺の脇を颯爽と抜けて、クロームたちの後を追っていく。
「行こ? 置いてかれちゃうよ」
紅い髪を揺らしながら急かすセシウに、俺も少しだけ急ぎ足で歩みを再開する。
もう普通に駆け足もできてるし、眩暈も一過性のものだったんだろう。
少しばかり安心しながら、俺はセシウを追いかけていく。先を行くセシウの歩調は、どうしてかいつもより急いでいるようで、何かを振り払おうとしているようにさえ思えた。