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Alternative  作者: コヨミミライ
La's Bathos—仕組まれた賛美歌—
85/113

Unwelcome Cr—招かれざる言葉—

 幾度か昇降機を乗り継ぎ、俺たちはいつの間にか空を棚引く薄く白い膜さえも突き破っていた。

 眼下に広がるのは雲の海。ゆったりと流れていく雲の合間からは草原の緑と山の岩肌が窺えた。それ以外のものはあまりにも遠く、小さく判然としない。

 そんな高高度でありながら息苦しさはなく、また風もそよぐ程度のもの。

「これも魔術か?」

「そう思ってよろしいかと」

 俺の隣に並んだプラナが潜めた声で言う。普段俺の隣はセシウが歩いているんだが、今回は意図的に二人で歩調を合わせて、並ぶように仕向けた。

 セシウは今クロームと共に前を行き、リーシャと何事か話している。

「すっごいねー、こんな高いところ初めてだよ」

 セシウが能天気に笑い、周囲を落ち着きなく見回しながら歩く。前を見て歩かないと転びそうなものだが、セシウはその辺平気なようだ。

 俺たちは地上と変わらず、いや地上よりも随分と高級そうな屋敷が並ぶ石畳の道を歩いて行く。

「あんまりあっちこっち見てると、程度が知れるわよ? 少しは落ち着きを持ったらどう?」

 高飛車なリーシャにそんなことを言われても、セシウは気分を害した様子もなくあははと頼りなく笑って頬をかいた。

「そう分かってはいるんだけどねー。どうしても気になっちゃって。だってすごいじゃん、こんな高い場所に人が暮らしてるなんて。雲の上だよ?」

「そうだな。まさか雲を見下ろすことがあるとは思ってもみなかった」

 セシウの言葉にクロームが淡々とした声で続ける。

「雲っていいよねーふかふかしてて。寝転んだら、絶対に気持ちよく眠れそうだよねー」

「それは……」

 クロームが言葉に詰まる。

 脳みそが筋肉でできているクロームでさえ分かっているのに、セシウは分からない。最早脳が筋肉でできているのではなく、脳にも筋肉しか詰まっていないのではないだろうか。

 ここでクロームがぼかして言うのか、それとも話に乗ってやるのか、見物である。

「それはいいものだな。俺も子供の時によく夢見たものだ」

「だよねー。あはは、いいなぁ。飛び込んでみたいな」

 そしたらよく眠れるだろうな。そう思うよ。本当に。

「あんたたちそれ本気で言ってるの?」

 先をずかずかと心なしか荒い足取りで歩くリーシャが苛立った声で二人に訊ねた。

 なんとなく分かる。リーシャは理知的でまた賢い女性なのだろう。立ち振る舞いからは子供めいた強気さに合わせ、聡明であるが故の気品も感じられる。

 そんなリーシャにとって、二人の荒唐無稽な話はいくらか耳障りなのだろう。

 リーシャの問いかけにセシウは気楽にまた笑う。

「いやいや、例えばの話だよ。あたしだって雲に触れないことくらい知ってるよ」

 さもおかしそうに言うセシウの隣でクロームが途端に立ち止まった。

 ぴたっと止まったまま微動だにしない。最初に後ろを歩いていた俺とプラナが止まり、その次に遅れて気付いたセシウとリーシャが止まった。

「どしたのクローム?」

 セシウが問いかけると、クロームの肩がわなわなと震え出した。

 な、なんだ……。まさか何かに気付いたのか。

 クロームの感覚は鋭敏だ。敵の気配には誰よりも早く気付く。

 こんな高所で襲撃に遭うのは避けたい。足場はしっかりしたものだが、ここでの地の利もない。

 もし相手が《魔族(アクチノイド)》だとしたら、こんな場所はいとも容易く崩壊させることだって可能なのかもしれない。

 そんなことは不可能だと思いたい。でもあいつらに希望的観測は通用しない。あいつらは理の外側にいる連中だ。

 常に最悪の事態を想定しながら対峙しても、それ以上の無理と理不尽と不条理を押しつけてくる。

 ……まずいぞ。

 身構えて周囲を見回し始める俺に反してクロームは動かない。

 そして助けを請うように俺とプラナを顧みた。

「……雲は……触れないのか……?」

 美姫のような唇をわなわなと震わせ、クロームは俺たちに否定の言葉をねだるような目を向けてくる。

 …………。

「よーしお前ら行くぞー」

 俺は何食わぬ声で言って歩き出す。しばし躊躇った後、セシウがついてくる。同様にリーシャも続く。何故かプラナもついてきていた。

 俺は何も聞いていない。まさか勇者がそんなにバカなわけがない。

 セシウでも知っているようなことを知らないわけがない。

「ガンマ、お前なら分かるのだろう? 雲が触れないなどという妄言がどんなに浅はかな……」

「触れねぇよ、バカ」

 なんか《魔族(アクチノイド)》以上に危惧しなきゃいけないバカなんだろうか……。




「はいはーい、到着したわよー」

 なんともやる気のない上に苛立ちを隠さないという高度な口調でリーシャが言う。剣術を習い始めて一日目のへっぽこの剣に振られてるような振り抜きで装甲が粉微塵に砕け散るのと同じくらい高度。

 俺たち四人は目の前のリーシャなど構わず、その背後に沈黙のまま佇む建造物を見つめていた。

「……おい、眼鏡」

 いつも以上に引き締まった顔のクロームが恫喝するように俺を呼ぶ。

「なんだ。学無し」

 俺はのんびりとした顔で三人と同じものを見つめ、しかし三人よりも遙かに悠然と構えていた。

「お前、さてはこれを知っていたな」

「何のことだか」

「とぼけるな。この状況を目の当たりにした今、お前のよく分からない言動の真相がはっきりした。全てが分かった」

「そうなんだ……! クローム! 本当に残念な事実だが、俺たち人類の力じゃ雲は……!」

 迫真の芝居で苦しげに言う俺に対し、クロームの手が剣に伸びる。

 これあかん奴や。即座に理解した。

「うっわー! 豪邸じゃん! すっごー!」 

 セシウは目を爛々と輝かせて建物相手にテンションがハイになってる。俺たちはその性質上、貴族の屋敷にお邪魔することなど数え切れないほどあるわけだが、その度にセシウはこんな反応をしている気がした。いつまで続くんだろう。そもそも前の屋敷での感動を忘れている可能性も微かに……。

「何? そんなに意外だったかしら?」

 面倒くさそうにリーシャは言う。こういう反応が心外なのかもしれない。

 それでも無理はないだろう。目の前に斯様な豪邸があれば、誰だって感動するはずだ。

「……そういうことだったんですね、ガンマ」

 プラナも合点がいったらしい。

 羽振りのよさ、この街の歴史に関する知識の深さ、歴史的文化財ともいえる建造物の内側を我が物で歩く理由も説明がつく。何よりクロームに負けずとも劣らない美貌。

 すでに十分すぎるほどヒントは揃っている。

 俺は早期になんとなくだが、そんな気はしていたし、要素が揃えば揃うほどにそれは確実なものになっていた。

 時が導く有無を言わさぬ答え合わせ。正解を選んだのは俺だったようだ。

「私の正体が分かったところで何も変わらないでしょう? 報酬は払うわ。それで何か問題がある?」

 リーシャは相変わらず苛立ちきった口調で言う。下層にいる時はあれほどまでに上機嫌だったというのに、高層区が来るほどにリーシャは苛立ちを露わにしていた。

 最初は地の性格を覆い隠していただけで、少しずつボロが出てきていたのだと思ったが、どうやら理由は違うようだ。

 俺は居住まいを正し、そして外交的な笑みを浮かべる。目は計略に輝いていたのかもしれない。

 気分は悪くない。自分の予測がここまで確かに的中したのだから。

 一歩踏み出し、俺は真っ正面からリーシャと向き合う。

「ウェスター領を統べる領主ユグテンバーグ・イレイス侯爵。その通り名は商業の王。もう一つの名を金の悪神」

 ふと漏らした俺の言葉にリーシャは目を見開き、俺を凝視した。

「宗教よりも純粋な利益を信仰し、そのためには敵性種族、敵性文化との融和さえも辞さず、むしろ積極的である人物。一部の熱心なアカシャ教徒からは膨大な憎悪を受けるが、一部の者からは熱狂的なまでに支持され、新時代を築く先駆者ともされるカリスマ。己個人だけではなく都市全体の利潤のために生きる金の信徒。形骸的文化に対する死徒」

 続ける言葉にリーシャの唇が引き結ばれ、動揺に見開かれていた瞳も引き絞られる。浅葱色の双眸が俺を射るように睨んだ。その骨子に茨のように食い込んだ、生後間もなくより叩き込まれた立ち居振る舞いを俺自身が引き摺り出しているのを確かな手応えとして感じた。

「どうしたの、急に?」

 平静を装うとしたらしいが気丈な声音には、どこか糾弾するようなものを孕んでいた。上流階級特有の高みからの説教めいたものを感じる。

 俺は胸に手を当て、不躾なまでに粛々とリーシャへ頭を垂れた。

「その唯一のご息女にして最愛の華であらせられるエルドアリシア・イレイスお嬢様。またの名を茨の姫。お会いできて光栄です」

 俺の言葉にセシウが驚きの声を上げる。

 疑惑が確定してクロームは舌打ちをして目を覆った。用件は簡単なものだと言っていたクロームも心の準備ができていなかったのかもしれない。

 プラナだけが苦笑いをしている。

 リーシャ、いやエルドアリシアは訝しむように目を細め、俺を睨んだ。

「貴方は……」

 俺は頭を上げて、ゆっくりと微笑む。

「月並みではありますが、改めて初めまして、と申しましょう。私たちは勇者一行です。エルシア領主クルジス・ジゼリオス伯爵からの言伝を他でもない貴女に届けに参りました」

 今にも私兵を呼び出しそうなほどに警戒していたエルドアリシアは、しかしやがて糸が切れたように脱力し、ため息を吐き出した。

 何かの前兆があったわけではない。ただふっと、霧散するように茨姫は無防備になる。

 人が諦める時というのは拘ったものほど呆気ないものだ。

「そう、そういうことなのね……」

 誰にでもなく呟き静かに笑ったエルドアリシアの浅葱色の瞳の青味が、どうしてか濃くなっているような気がした。

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