Unwelcome Cr—招かれざる言葉—
「うっわぁ! 絶景!」
長方形の箱形のゴンドラの長辺に沿って、内側を向いて並んだ長い座席に膝をつき、窓に顔を寄せたセシウが感動の声を上げる。混雑しているために座席の前に立っている俺とクロームに向かって足をぱたぱたと振って、犬の尻尾のように喜びを伝えていた。
隣に座るプラナも同じような格好で窓の向こうの景色を眺めているが、こちらはセシウと違って大人しいものだ。いつも通りフードを目深に被っているため、頭の後ろさえ見ることはできないというのに、どうしてだかうきうきしているのは背中から伝わってくる。
普段では絶対に見ることのできない高所からの絶景。しかも本当に空を走るゴンドラからの俯瞰風景だ。二人が舞い上がるのも無理はないだろう。
子供みたいな奴だ、とは流石に俺も言わない。奥にいる見知らぬ少年とセシウが同じような感動の仕方をしているのは、どうかと思うけど。いや、きっとあの少年の精神年齢が高いんだろう。そうに違いない。
「しかし、空を走る、というのは何とも不思議な感覚だな。こうして実際に見ても、ぴんとこない部分がある」
「お前は割と飛んでる方だと思うけどな」
並んで吊革を掴んでいるクロームの言葉に、俺は少しだけ苦い顔をする。
高所から飛び降りたり、跳躍で高所に飛び乗ったり、何なら以前は竜との戦闘で相当の高度まで行っていた記憶がある。こいつが常日頃やってることも、俺からしたら全然理解できないです。
大はしゃぎをするセシウの隣で腕を組みつまらなそうに座っていたリーシャが俺を睨め付けるように見上げる。
「なんだ、睨むんじゃねぇよ」
「睨んでないわ。全然睨んでないわ。何も不満なんかないわよ?」
低い声がそうでないことを物語っていた。俺は敢えて大仰に肩を竦める。
「俺の仕事はお前を無事に送り届けることだ。なら、これが一番手っ取り早い」
「そのせいで行きたかったお店に行けなかったのだけれど?」
「いえいえ、お嬢さん、ああいった店こそが危険なのです。それに、帰り道ついでの楽しみだと仰っていたではありませんか。ここからの眺めもお楽しみになればよろしいかと思われますが?」
リーシャは俺に聞こえるように恐らくはわざと大きな舌打ちをして、そっぽを向いてしまう。相当お怒りのようだが、わざわざこいつの買い物に付き合ってやる必要はないのだ。
先程まで買い物に付き合ったのはクロームたちと合流するために過ぎない。無事合流できた今、ご丁寧に言うことを聞いてやる理由もない。こいつを早めに送り届けた方がいろいろ都合もいいしな。
「ガンマー、ガンマも見てみなよ! すごいよ!」
「俺はお前ほど子供じゃねぇ」
「子供じゃなくても見ておいた方がいいって!」
騒ぐんじゃねぇよ。感動するのもいいし、盛り上がるのも勝手だとは思うが、こういうなんか仲良しみたいに思われそうな会話を不特定多数に聞かれるのは嫌なもんだ。
仕方がなく、従うことにする。
ため息を吐き、俺が歩み寄ると、セシウとプラナが両側に身を寄せ、俺が覗き込めるスペースを作ってくれた。仕方なくその間に入って窓の外を見る。
身を乗り出した時、ふっと甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
窓に鼻先がつくほどに顔を近づけ、下界の景色を眺める。
蜘蛛の巣のように伸びていき、枝分かれし、複雑に繋がり合う道。大小様々な建物が敷き詰められ、高層建造物の合間をゴンドラが絶え間なく行き来していた。ゴンドラの中は、このゴンドラ同様多くの人を敷き詰めているはずだ。その上、眼下の道でも色とりどりの点となった人々が忙しなく動き続けている。ここから見える範囲だけじゃない。この目に映る建物にも多くの人がおり、そして俺の視界に映らない場所でも同様の光景が広がっている。
その全ての人間がそれぞれ違う思考や価値観、思惑を抱き、自我を持って生きている。この街一つにも数え切れない意識があり、それらがそれぞれに人生を歩んでいるのだと感じた。
この同じ空の下にいる俺たちは、そのほとんどを知ることもなく、しかし俺たちと同じように、心を持ち、生きているのだ。
なんて途方もなく広大すぎる世界。今俺が見ているのは、漠々とした曠原のほんの一部でしかないのだ。こんな光景さえもが、世界から見れば本当に小さい点にしかすぎない。
分かっていたはずの世界の広さを再認識する。
こんなにも巨大なものの行く末を俺たちは背負っていた。
こんなにも膨大な人々の希望をクロームはただ一人で背負っている。
偉大にして荘厳な絶景を前に、俺はおそれを抱いた。それは畏敬でもあり、また畏怖でもある。
勇者とはそういうことなのだろう。
一国というものすら地図上でしか識れない俺にはあまりにも漠然としすぎている。
「ガンマ?」
感想一つ漏らさない俺を心配したのか、セシウが俺の名前を呼ぶ。その声が俺を現実へと急速に引き戻した。
「どうした?」
「ん? ああ、思った以上にいい眺めで、つい、な」
「あはは、子供だなぁ」
苦笑した俺にセシウは呆れた笑いを返してくる。
俺は今上手く笑えてるんだろうか。俺は今までどんな顔をしていたんだろうか。
「でも、すごいよねぇ。でっかい建物ばっかり。アタシたちの故郷じゃこんなのなかったよね」
「ん? ああ、そうだな。すっげぇよな。こんな建物一体どうやって建てたんだか……」
「現在の魔術ならば、これらの建築はそこまで難しいものではありませんが、これだけの規模にこれだけの数となると、かなり高度なものだとは思いますね」
俺の隣で景色を眺め、プラナが言う。おとがいに手を当て、何やら考えているようだ。魔術師としての知的好奇心を刺激されているのかもしれない。
「そうね。この街の高層建造物群は王都からしても目を瞠るものらしいわね。まあ、あそこは景観保護のせいで、建物の様式や意匠、全体的な外観にもいろいろ制約があるせいから建てられないだけらしいけど」
プラナの曖昧な言葉にリーシャがさらに付け足す。
「聞いた話だと、ここら辺は地盤がしっかりしてるらしくて、高い建物も建てやすいらしいわ。それに、元来この街の建造物は特別頑強らしくてね、そりゃもちろん被害は出たけど、他に比べると建物の損害が少なかったらしいわ。だからこの街の歴史自体、他の街に比べて長いのよ」
「終末龍の厄災を受けて、建物が生き残ったのですか? にわかには信じ難い話ですね」
確かにプラナが疑うのも無理はない。実際に終末龍の脅威を目にしたわけではないが、終末龍は周囲の物質をエーテルに分解し、塵に返す存在だと言われている。硬度などを無視して、力でねじ伏せるわけでもなく、万物の始祖であるエーテルにまで分解してしまうのだ。
神話の時代に喪われてしまった魔法の域に達する結界や、まだ人類の到達できていないような天空にでも逃げない限り、それらから逃げきることは難しいとヒュドラも言っていた。
もちろん終末龍が完全には復活していない以上、その力も絶対的ではなく運良く被害を免れることもある。そうやって生き残った人間たちが被害の少ない場所に集まり、身を寄せ合って、再興してきたのが今俺たちが生きる世界だ。
それもこれも、魔術の進歩による復興作業の著しい効率化があってこそのことだが。
「さぁ? その時代の記録はあまり残ってないのよ。建築師たちの記録もあるんだけどね。魔術師ってみんな自己顕示欲が強くて、自分に都合のいいようにしか書いていないのよ。どれも信頼できるソースではないらしいわね。だけど、そうね、一説にはドアーフと協力したっていう話も聞いたことがあるわ」
「ドアーフ……」
土の眷属たる種族の名を呟いたプラナの顔は苦々しいものだ。嫌悪感を催しているといってもいい。
ドアーフに何か、嫌な思い出でもあるんだろうか。
「確かにドアーフの太古から続く建築能力は素晴らしいものです。猊下の神殿を築いたのも彼らだと言われてはいます。しかし、現在の彼らが人類に協力をするのでしょうか?」
プラナのさらなる問いに、リーシャは大仰に手を広げてみせる。
「そういう話もあるっていうだけのことよ。ただ、この街の誕生には、エルフやドアーフなのかは定かではないけど、人間以外の種族も関わっていたのは間違いないらしいわね。今じゃエルフやドアーフもみんな人里から姿を消してしまったけど、亜人種はこの街に居着いているし、損得の勘定さえ合えば友好な関係を築いてるのよ?」
「損得の勘定?」
人間関係の下地に当然のように敷かれている価値観。それでいて口に出すことは好まれない、その言葉に引っかかりを覚えて、俺はつい復唱してしまう。
リーシャはそんな俺に気付き、艶然と微笑んでみせる。相変わらず牝の色香と、少女の無邪気さが混在した、不敵な笑みだ。
「そう。ここウェスターは商人の街。富を生む者には敬愛を、富を創る者には尊敬を。この街には種族や人種、生まれや育ちなんて大した意味を持たない。その相手が例え竜であろうと、利益になると判断されれば、何の分け隔てもなく受け容れられる。この街が生まれて以来、受け継がれている商人の価値観は、この街に住まう人々全員に染み渡っているわ。実力がある者は誰であろうと権利を与えられるし、才能がなければ貴族であろうと居場所なんてすぐになくなるわ」
「そいつぁまた、随分と――」
――差別的だ
口を衝いて出かけた言葉を俺は難なく飲み込んだ。下手に話を掘り下げる必要もないし、議論に発展させるものでもない。街の在り方に俺が口出しをしたところで何も変わりはしないだろう。
窓に体を貼り付けて建物群を眺めるプラナの隣で、俺もまた下界に目を向けた。
上空からの景色も記憶しておけば、何かの役には立つかもしれない。念のため、しっかり観察しておいた方がいいだろう。
ゴンドラは緩やかな勾配で高度を上げていき、街の中心に佇む高層居住区の中程の終着点で停止する。
魔術による制御だからなのか、停止する際にも目立った音や揺れは感じられない。操舵手の腕でどうこうなるものではないほどに、およそ慣性というものがなかったのだ。
「慣性制御か?」
我先にと発着場のホームにぞろぞろ出て行く乗客たちがいなくなるのを待ちながら、俺はなんとなくプラナに問いかけてみる。プラナは難しい顔でゴンドラ内部を見回した。
「恐らくはその類のものだと思われます。この程度の質量の慣性を打ち消すくらいならば、それほど難しいことではないのですが……」
難しいことではないと言いつつも、プラナの顔は何か腑に落ちないものを感じ取っている様子だった。
「どうした?」
「現代ならばそう難しい技術ではないと言いましたが、この街が誕生した当時もそうであったというわけではありません。しかし、この街の中枢を成すであろうこの建造物は明らかに、ゴンドラがあることが前提となった構造。このゴンドラ自体も慣性制御ができなかった時代の名残というものが感じられません」
ゴンドラのような設備がなかった時代に、こんな高層建造物を作る理由はそんなにない。権力の誇示や脅威の早期発見ということもあるだろうが、それにしたってこの建物は高すぎる。ゴンドラがなければ、昇るだけでも相当の時間と労力を要することになり、またその分情報の伝達も遅れてしまう。
権力の誇示をして民衆を脅そうとする心配性な奴が、迫り来る危機にいち早く気付きたいような臆病者が、指揮系統の鈍るような無茶をするだろうか。そしてそんなことも考えないバカがこんな建物を建てられるとも思えない。
しかしリーシャの話によると、この建物は建造されたその時の姿のまま、ほとんど手つかずだという。この塔は、改修されてこの姿になったのではなく、建造当時からこの高さだったのだろう。
「この街が生まれたのが、そしてこの建造物が建てられたのが、いつ頃なのか定かではありませんが、終末龍の被害を免れたというのなら少なくとも一巡前、リーシャさんの口ぶりから感じ取るには、二巡以前の遺産であるはずです。二巡も遡れば、魔術の退化も相当なもので、別物と言っても過言ではありません。慣性制御も、その代替となる魔術もないはずです」
どうにも怪しいもんが多いな、この街には。判然としないものが多すぎる。
俺とプラナを除いて全員がホームに出ていた。クロームたちも俺たちが出てくるのをホームで待っている。
ここは終着駅なので、しばらくは発車することもないようだ。都合もいいので、少しここでプラナと情報を共有しておこう。
「この街の魔術が特別進んでいたのか?」
「それは有り得ません。新たな魔術は魔術師以外の人間によっても蔓延していきます。どれだけ魔術師が秘匿しようと、それが人の目に触れる魔術であるならば、魔術の存在は人から人に語り継がれ、やがて魔術師に届きます。それが実現できると、そういう発想があると、魔術師が知れば、それはやがて別の者の手によって再現さえされることでしょう。これだけ人種も種族も問わず、絶えず文明と文化を持った生物が行き交う街で、存在を秘匿することは不可能です。ある一点だけが局所的に魔術が発達するということは、まずありえないことです」
「魔術の発展地域における円錐化現象のモデル、か」
俺のふと漏らした言葉にプラナはどこか困ったように笑う。
「ご存知でしたか。ガンマの見識の深さを甘く見ていたわけではありませんが、少々余分の多い話をしてしまったようですね」
「耳年増なだけだよ」
以前、とある文献で得た情報だ。
地域毎の魔術の発展度の棒グラフを地図に重ね合わせると、特に発展している地域の周辺も発展度が高くなる傾向にあり、その度合いは距離に比例して低まり、全体で見ると円錐状になる。またその円錐形が大きくなるにつれて、周囲の他の円錐形群も同様に大きくなっていく。
また、魔術の系統は多種多様であり、円錐の中心となる地域で特に発展している魔術系統は、周辺地域でも広く用いられることが多い。そのため、円錐形内の魔術的文化は似通うことが多い。
その法則性から考えても、やはりこの街はおかしい。
明らかにはみ出ている。
数巡前から生き残っているという街なのに、明らかに基礎は近代的魔術の存在が前提だ。
「最新の魔術を取り入れて今の形になったというよりは、過去からあったのに他の魔術師には模倣できずにいた、って考える方が自然だろうな、こりゃ」
「そうですね。私もそう考えています。周辺の建物は最先端の建築魔術で建てられたものや、改修されたものだとは思いますが、この塔だけは別物と考えるべきでしょう。そして、この街で最も高く頑強な建物は、この塔です。しかも、それは特別な事情があってそうなわけではなく、ただ単にこの塔ほどの建物が最先端の魔術の力では建てらないという、実にシンプルな理由であろうことも、留意しておくべきです」
「ああ、そうだな。明らかにこの建物は当時としてはオーバーテクノロジーだ。その上、現代においてもそうだってんだから、ぞっとするぜ」
明らかにおかしい。
何か実害に繋がるという確証はないが、少し調べてみるべきだ。
違和感を突き詰めた先に何があるのか分からないが、何でもなければそれだけの話。問題は、それが何か重大なことに辿り着くかもしれない、という可能性だ。
「こういった当時の文明ではあり得ないほどに高度な魔術というのは世界各地に点在していますが、これもその一端でしょうね。その中でも特に異質なものだとも言えます」
終末龍の厄災によって、大多数の書物や記録などの歴史的資料はなくなってしまっている。そのために喪われた魔術は数知れない。こういったものもまた喪われた魔術の名残と言えるのだろう。それじゃ説明のつかないものもいくつかあるわけだが。
この街の基盤に息づくそれらがどちらであるのかは、見識の浅い俺には判断しきれないところだ。
「ちょっと、あんたたち、いつまでそこで時間潰してるわけ? 早く来なさいよっ!」
ホームにて俺たちが来るのを待っていたリーシャが痺れを切らしたらしく、声を張り上げて俺たちを呼ぶ。俺とプラナは顔を見合わせ、肩を竦めた。
「情報の擦り合わせはまたの機会に、ですね。クロームたちにはお伝えしますか?」
「必要ないだろう。不要な状況は却って思考が鈍るような奴だからな、クロームは。詳しく分かってから伝えればいいさ」
少しだけ苦笑して、プラナはそっと頷く。
「そうですね。ガンマもクロームのことをよく理解しているようで」
プラナの賛辞とも皮肉とも取れる言葉に俺は少し表情に困った。ずっと傍にいるプラナにそう言われるってのは、妙な気分だ。
なんかこう、複雑な気持ち。珍しく自分の気持ちを表す言葉が見つからず、どうにも収まりが悪かった。