Unwelcome Cr—招かれざる言葉—
橙色の髪を揺らしながら、街をのんびりと歩いていく少女の背中の後ろを俺とセシウは歩いていく。周囲を物珍しそうに眺めるそいつの頭は右へ左へ、上へ下へ、忙しなく動いていた。隣のセシウの頭も同じように落ち着きなくあっちこっちを見ては感嘆の声を上げている。
ついていくうちに、この街の目抜き通りと思しき場所に出ており、確かに興味を引かれるものも多い。行き交う人々の人種も、立ち並ぶ店の種類も統一感はなく、あらゆる国の文化が交錯している。居並ぶレストランでさえ扱う料理の種類は多種多様だ。
目の前の女の足取りは軽やかで、今にも鼻唄でも歌いかねないほどに上機嫌だった。
「随分楽しそうだな」
ふと俺が言うと、立ち止まってそいつは振り返る。
「あら、いけないかしら?」
「いや、そうは言ってねぇけどよ」
「楽しみましょう。せっかくの遊行よ」
くすりと唇の端を引き上げて、俺の顔を上目遣いで見つめてきた。年端もいかない少女とは思えない、あどけない顔立ちには不釣り合いなほどの色気を出してきやがるな、こいつ。
男を魅了する仕草というものを熟知しているのか、それとも生来から備わっているのか、どっちにしろ末恐ろしいガキだ。
この感覚、《魔族》の女、トリエラを思い出させる。しかし、トリエラよりも猥雑ではなく、邪気もない。
「うっはー、しっかしすごいねー、賑わいっていうの? お祭りでもやってるみたいだねー」
と、脇ではセシウが周囲を見回した感嘆の声を漏らしている。田舎者丸出しだ。
俺も出身は同じなんだから、セシウのことを言えたもんじゃないんだが、こっちはセシウよりも各地を転々としていたせいか、こういうものに感動することも少なくなってきた。いや、興味を惹かれても、顔に出さなくなったというべきか。
多分、セシウの方が健全だ。
「実際、祭りが近いからな。もともとこの街は商人の街として有名だから、普段から祭りのように賑わってはいるが、今は特にすごい活気なんだろう」
「ふふ、よく知ってるわね」
俺の説明に前を歩いていた女が振り返らずに笑う。
「書店でちらっと見ただけだよ。確か、領主の一人娘の誕生を祝う祭典か。自分の誕生日を領民全員に祝ってもらうなんて、スケールがデカすぎて俺にはさっぱり分からねぇ感覚だけどよ。貴族の考えることはよく分からねぇもんだ」
ヒュドラもそんなことを毎年されているらしい。そういえば世界の未来を委ねられたクロームも自分の誕生日を王都で大々的に祝ってもらったっていう話を聞いたな。あいつからは「料理が美味しくてすごいと思いました、まる」みたいな、子供程度の感想しかなかったようだが。
まあ、剣に脳みそがありそうな奴の感覚もまた参考にはならないだろう。
「そうね、きっとそうでしょう。ホントバカみたいよね」
少しだけ歩調を早めて、橙色の髪の少女は先を急ぐ。
「おいおい、領民がそんなこと言っちまっていいのか? お嬢様に知られたら、ただじゃあ済まないんじゃないか?」
「別に? それに、この街の誰だって、きっと『お嬢様』の誕生なんて祝ってないわよ。見てるのは目先の祭の賑わいだけ。そしてお祭りを目当てにやってきたおめでたい人たちの財布から、できるだけ多くのお金を搾り取ることしか頭にないわ。そういう街なのよ」
淡々としているようで口早な言葉にはどこか苛立ちを感じた。
俺にじゃない。それ以外の何かに、こいつは憤っている。
「どうしたんだ?」
「何も。ただ、自分のことをよく知らない人たちの娯楽と利益のためだけに、誕生祭なんていう形ばかりのお祝いをされるっていうのは、一体どんな気持ちなんだろうなって」
突然怒り出した少女の歩調は荒い。ツインテールの毛先が感情の振り幅を示すように揺れていた。
「お前、一体何をそんなに……」
問いかける俺を弾かれるような勢いできっと睨んだ少女はびっと立てた人差し指を俺の唇の前に翳し言葉を遮る。
「お前って言わないで」
有無を言わさぬ口調だった。
「じゃあ、なんて呼べばいいんだよ?」
俺の唇へ伸ばしていた指をすっと戻し、今度は自分の唇に下へ宛がって、そいつは少しばかり呻吟した。
「んー、そうね、リーシャと呼んでちょうだい」
「じゃあよ、リーシャ、お前は俺たちにどこまで付き合わせるつもりなんだ?」
触れると面倒になるような予感がしてきたので、質問をすげ替える。見え透いた腫れ物には触らないのが一番なのである。
「どこまでって、私が帰るまでの間よ」
「当然のように答えるのは構わんが、それと俺たちが従うかどうかは別だからな?」
ちょっとした小遣い稼ぎにはいいかもしれない。しかし、今日一日を潰すことになるのだったら、俺だって考えるさ。今日中にこの街に関して、いろいろ知っておきたい。
リーシャは多少考えるように視線を上に向ける。小さく唸る声がどことなく色っぽい。
「どこも何も家に向かう道中で、気になったものを見ているだけなのだけれど。いけないかしら」
「家に向かってるっつったって、お前……」
この大通りは街の中心へ真っ直ぐ向かっていっている。街の中枢には領主の邸宅を始め、主要施設や富裕層の居住区が敷き詰められていたはずだ。それも縦にも横にも、だ。それくらいは昔調べた時に聞いたことがあるし、印象に残っている。
ウェスターの衝天楼閣――と言えば有名か。
街の中心に佇む、巨大な石造りの三つの塔がそれだ。塔は中心の塔が一際高く頂点は霞んでおり、両隣の塔も雲を掠めている。背の高い建物ばかりのこの街においても一等高く、まるで捻られたように緩い螺旋を描きながら、ほんの少しばかり先細っていた。王都でさえ見たことのない規模の塔だ。
いや、まあ、王都は歴史ある建物ばかりで、それこそ建造魔術が発展途上だったため、そもそもそういったものを建てることができず、建てる必要性もなかったのが大きいんだろうが。
塔の至るところは大きく張り出しており、その上には無数の建物の姿が見て取れた。
一つの巌から作り出されたという塔。しかし、頂上が霞むほどの高さがあるようなこの塔を削り出せるほどの巨大な岩が実在するとは到底思えない。
随分と遊行を楽しんでいるらしいが、ここまでくると本当に観光だろ……ん、待てよ。
……なーるほどね。
いろいろと潜在的にあった違和感が解されていく。思考用の配管の一部に詰まっていたしこりが液状化して、スムーズに動き出していくような感じ。実に小気味がいい。
「まあ、いいか。付き合ってやる」
「あら、殊勝な態度ね。どういう心境の変化?」
「別に。報酬に現実味が出てきただけだよ」
それに目的地に関しても。
クロームとどこかで調子よく出会えたらいいんだけどな。このまま合流した方が都合もよさそうだ。
「本当にいいの?」
後ろから近づいてきたセシウが肩越しに小声で訊ねてくる。セシウとしては、このままクロームたちと合流できないかもしれないという不安もあるのだろう。
別に来た道引き返せば会えるだろうから、そんなに気にすることもないと思うんだけどな。
「大丈夫だよ、大丈夫」
「てっきとーだなぁ……」
セシウは呆れているようだが、今は気にしなくていいだろう。遅かれ早かれ答えは出てくる。自ずと、な。
「あ、ここの服可愛いかも」
先を歩いていたリーシャがふと立ち止まり、建ち並ぶ店の一つと向かい合う。
小さな服屋だった。全面が硝子張りになっており、ショーウィンドウに陳列された服はどれも可愛らしい。あまりにも可愛らしく、並大抵の女性が着たら、服に負けてしまいそうな代物だ。
年頃の少女向けの服が並ぶ店を覗き込み、リーシャは鈴を転がしたような笑声を漏らす。
「へぇ、素敵」
俺たちを顧みることもなく、リーシャはそのまま店に入っていこうとするが、附いて来る気配のない俺たちに気付いてむっとした顔で振り返る。
「どうしたの? 店の前に並んだからって、マネキンとして雇ってはもらえないわよ?」
リーシャの俺たちに対するイメージは、少しでも小遣いを稼ぎたい貧乏人、で落ち着いているようだ。何とも不服だというのに、一切否定できない。大体その通りだ。
「さすがにこういう店に一緒に入る度胸はねぇな」
明らかに俺は浮きそうだ。こういう場所には女性同士で行くのが一番いい。
俺とリーシャの視線が自然とセシウに向けられた。
「あなた、一緒に入らない?」
「い、いえ! そんな! だい、じょぶ、です……」
本人は予想だにしてなかったのだろう。焦ったように頭を振って、上擦った声でセシウは断る。
ここまで力強く誘いを断られるとは思っていなかったリーシャは訝しむように、セシウの体を爪先から頭のてっぺんまでじっくりと見た。
「そう? せっかくなら貴女に似合う服も見繕ってあげるわよ?」
「そんな、申し訳ないです……。あ、アタシ、こんな格好ですし……」
何が恥ずかしいのか、セシウは耳まで真っ赤にしている。手は何かと前髪を弄ったり、頬をかいたり、タンクトップの裾を弄ったり、ボロボロのダメージジーンズに手を擦りつけたりしているし、視線もあっちこっち行ったり来たりしていた。履き潰され汚れきったスニーカーを履いた足も忙しなく地面を踏んだり、爪先でつついたりを繰り返している。
挙動不審ってのがどういうものなのか実演しているような挙動不審さだ。
入り口に立っていたリーシャは、店から出てきたカップルとぶつかりそうになり、少々不服そうに俺たちの前へ戻ってくる。戻り際、腕を組み合って楽しそうに笑い声を上げるカップルの背中を睨み、リーシャは舌打ちを一つ、そして何か聞き取ってはいけないような罵詈雑言を呟いていた。
俺とセシウの前に来たリーシャはため息をつき、腕を組む。
「本当にいいの? 私も無理強いはしないけれど……」
「え、ええ、アタシはダイジョブですんで、どうぞお構いなく……」
「じゃあ、見てくるから、貴女たちはここで待ってて」
そう言って、リーシャは店の奥へと消えていく。細い背中が見えなくなるのを待ってから、俺はちらっと居心地悪そうにしているセシウを見た。
真っ赤になった横顔は俯き、下唇をぐっと噛んでいる。
「いいのか?」
問いかけるとセシウは俺の顔を見て、からからと笑った。
「アタシには似合わないの分かってるし、こういう女の子らしい格好は。それにほら、こんな格好じゃ浮いちゃうじゃん?」
あはは、と声を出して笑うが、その笑い声もどこか力ない。空元気なのはすぐに分かる。
ずっと一緒にいるんだ。それくらいはさすがの俺でも気付ける。
無理をして取り繕うその笑い声が虚勢を打つ空洞音に思えてならない。
かといって俺に何かできるか、っていうとそうでもないんだけどな。
「今度、服でも見に行くか」
俺の言葉に、セシウは少しだけ控えめに唇を綻ばせた。
「いいんだよ、変に気ィ遣ってくれなくても」
「何言ってんだ、俺の服買うためだよ。何舞い上がってんだ」
苦笑交じりに言うと、セシウが「何をーっ!」と拳を振り上げていた。
ひょいっとセシウの間合いから俺は離れる。
「まあ、でも、買い物に付き合ってくれたら、お礼に服を一揃い買ってやるのも吝かではない。がさつなお前にも似合う服を、女心を熟知したこのガンマ様が見つけてやろうじゃねぇか」
俺の提案にセシウは呆けたような顔になって、のろのろと振り上げた拳を下ろす。
きょとんとした顔で俺を見ていたセシウの瞳が瞬きを三つした後に、ぷっと吹き出した。
「女心なんて分かってないくせに……」
聞き捨てならないことを零した気もするが、今だけは不問にしておいてやろう。
俺は紳士だからな。紳士なのである。誰が何と言おうと。
今はこいつに笑顔が戻っただけで十分だ。
「ありがとね、ガンマ」
「何がだよ? そんなに俺の買い物に付き合えるのが嬉しいか?」
「思い上がんなってーの」
親しみを感じさせる声音で、それでいて呆れたような口調で、セシウはぽんと俺の肩をはたいた。
痛みはないのに、どうしてかそこがふっと熱くなったような気がする。
おかしな幻覚だな。
雑踏は賑わい、そして通り過ぎていく。なのに、その活気がどこか遠い場所のように思えた。
俺とセシウだけが、この場所で切り離されてしまったような感覚。一挙手一投足が何故だか印象深い。
「……女心は分かってるはずなんだが、お前のことはたまに分からないな」
「アタシもあんたの考えてることはたまに分からないけど?」
「お前は女じゃねぇからなぁ」
「あんたは男らしくないからなぁ」
くだらない嫌味の言い合い。だというのにどうにも不思議な感覚。
今とは違う場所で会話しているような。少なくとも、俺たち以外の人々が息づいている時間とは別の時間に、俺たちは思いを馳せていた。
こいつも同じ心境なのだろう。だからこそ、こいつは俺と同じように、敢えてあの頃と違う今の呼び名を口にしないようにしているのかもしれない。
こいつらしくない気遣いに思えるが、今はなんとなくそんな気がしたし、そうであると考えることが間違いであるとも思わなかった。
「ねぇ?」
「ん、どうした?」
俯き加減で、俺を見ずに呼んでくる幼馴染み。その顔はどこか照れくさそうに笑っている。
「あのさ……アタシね……」
俺の視界の端に見慣れた銀髪が映り込んだのは、セシウが何かを言いかけたその時だった。
「なんだ、ガンマ。こんなところにいたのか」
クロームがずかずかと俺たちのところに歩み寄ってくる。無遠慮なように思えるが、そもそもこいつには空気を読むという機能が備わっていない。恐らく粗悪品のクロームなのだろう。
「ちょうどよかった。今待ち合わせ場所に向かっているところだったんだ」
クロームの後ろをひょこひょことプラナがついてくる。この街に到着した時より随分調子がよさそうだ。それなりに休養を取り、その上で魔導具店を回ったからだろう。
常々、体力がないとは思っているが、こうやってすぐに回復する辺り、見かけによらずタフなのかもな。
「俺も、そろそろお前らと合流するかなぁ、とは思っていたところだったんだ。ちょうどよかった」
少し変わった俺の言い回しに、クロームが少し首を傾げる。
「そうか? まあ、奇遇だったな。ところでお前たちはこんなところで何を――」
「はぁ、あんまり合う服なかったわ……」
クロームの言葉を遮るように目の前の服屋のドアが開けられ、言葉の割にでかい紙袋を片手に提げたリーシャが出てくる。
突然出てきた女性を一瞥するも、クロームはすぐに俺へ視線を戻して話を再開しようとした。まあ、クロームはリーシャを知らないわけだし、店から出てきた女性がたまたまでかい独り言を言っている程度の認識でしかないのかもしれないな。
「それで、お前たちはなんでこんな場所に……」
「その疑問の答えは、今出てきたばかりだ」
「はぁ?」
「何? あんたの知り合いなの?」
リーシャはクロームとプラナを見て、少しばかり大仰に手を広げながら、俺に問いかける。服を詰め込んだ紙袋ががさがさと音を立てた。
「…………」
ただの通行人だと思っていた人間が関係者であることを知ったクロームは珍しく目を瞠りリーシャを凝視し、その後ゆっくりと俺に顔を戻す。その顔は何か苦々しいものに変わっていた。
「どうしてだろうな。お前が連れてくるものからは厄介事の匂いばかりがする」
それは割と、真理かもしれない。否定する気にもなれやしねぇ。