Unwelcome Cr—招かれざる言葉—
俺たちがウェスターの門前に到着したのは日も昇りきった午後のことだった。
街を囲む石造りの塀の足元には深い水堀があり、門との間には白石の橋が架けられている。橋の前に立った俺たちになど頓着することもなく、行く者来る者たちは両脇を絶え間なく通り抜けていく。
どこぞのお気楽な伯爵が治める街を出立してより二日ほどの道程で、全員がそれなりに疲弊はしてはいるが、まあ、日没前に到着できたのは幸いと言えるはずだ。
日が暮れると《魔族》どもが野に放った魔獣も活発になる。イッテルビーで戦った、キュリーの放った銀狼よりは遙かに弱い連中ではあるものの、歩き通しによって疲弊した状態での戦闘は極力避けたい。
いつものことだが、足が痛む。辿り着くまではあまり痛みもなかったはずなんだが、到着したことによる安心感なのか、急に痛みを訴え出してきた。
プラナも普段は魔素に分解して収納している魔導杖を具現化して、支えにしている。
「うおー、着いた着いた」
絡み合わせた指を天に伸ばし、大きく伸びをしたセシウは相も変わらず快活な声で言う。出発して到着するまでなんら変わっちゃいない。もっと言うと、それ以前からそんな感じだし、なんか思い出してみると、俺と初めて会った時からこんな調子だったかもしれない。
衝撃の真実だが、セシウは昔からセシウだったようだ。おー、怖い怖い。
「お前なんでそんな元気なの?」
「ガンマ、なんでそんな疲れてんの?」
「質問に質問で返すんじゃありません。お母さんに教わらなかったのかよ」
「それはガンマが子供の頃に、クリファさんとうちの母さんにいつも言われてたことだよね」
あははと悪意なく笑いながら、セシウはクリティカルな反論をしてくる。
ちなみに「クリファさん」とやらは俺の育ての親の名前だ。
「あたしは身体動かすの好きだからねぇ。散歩とかでも好きだよ」
「接地している足の片方を前方に動かし、重心を前に出した足に移動させ、もう片方の足を前方に動かすことを交互に繰り返す行為を日を跨いで続けることを人類は散歩と定義しない」
「ん? どういう意味?」
「過度な運動は骨格筋細胞や神経細胞に負荷を与え、酸化ストレスに晒されることになる。これは細胞機能の低下を招き、末梢性疲労を引き起こすことになる」
「ん? んー? つまりどういうこと?」
腕を組んで、眉根を寄せたセシウは必死に考えているようだが、理解できていないようだ。当たり前だ。理解できないように言っているのだから。
俺は額にうっすら滲んだ汗を服の袖で拭い、鼻にかいた汗で滑り下がってきた眼鏡を指先で押し上げる。
「二日間歩き通したら、普通の人間なら疲れる」
「ああ、そういうこと。初めからそう言えばいいのに」
納得が言ったらしい。当たり前だ。理解できるように言ったのだから。
「日ごろから修練を怠っているから、そうなるのだ」
涼しい顔をして、クロームは言う。ムカつくほどに涼しい顔だ。きっと涼しい顔が似合うほどの美貌だからだろう。呪われてしまえばいい。
「俺がお前やセシウのこなしてるようなトレーニングをやったら、それこそ俺は死ぬからな?」
ていうかこいつらの体力とか身体能力とかはトレーニングだけでどうこうなってるものとは思えない。
「継続は力だ。事実、剣の素振りをしていたら、俺は勇者になったぞ?」
「それこそお前だからだろうが」
常人が朝な夕な剣の素振りをしても絶対、勇者にはなれない。
「あの、皆さん……」
か細い声が聞こえて、俺たち三人はぴたりと話すのを止めて振り返る。杖に縋りつくように立ったプラナが、それすら億劫であるかのようにおずおずと俺たちを上目遣いで見る。
やばい。顔に血の気がないし、身体が小刻みに震えてる。
「ど、どこかで一度休憩しませんか……?」
俺より遥かに貧弱なプラナは目的地への到着を目前にして、新たな旅に出ようとしていた。
「それにしたって、厄介事だぜ」
ミートソースの絡まったパスタをフォークの先で弄びつつ零す。
近場のレストランを休憩場所に選び、昼食を摂っている時のことだ。
客で賑わう店内で俺がぽつりと漏らした一言に、全員の食事の手が止まる。ホワイトソースのパスタを優雅に食べていた向かいの席のクロームは怪訝な顔で俺を見てきた。
「何がだ?」
「どこぞの変人奇人な伯爵様の頼み事だよ、あいにゃろ面倒事を押し付けやがって」
「ああ、例の言伝の件か」
思い当たったのかクロームは漏らす。しかし、どうとも思っていないらしく、そのままフォークに巻いたパスタをひょいと口へと運んだ。
「求婚の断りなんてもん、誰が喜んで伝えるよ。伝える方も伝えられる方も誰一人愉快じゃねぇ」
「別に俺かお前自身が断るわけではない。どうは言っても第三者だ。場を設けてもらい、伝える。それだけのことだろう」
俺は思わず重いため息が漏れた。冷水の注がれたコップの縁を指先でなぞる。
「それだけで済まねぇと思ったから、俺たちに頼んだんだろ、伯爵様はよ。そうじゃなかったら、自分で遣いを送ってるし、俺たちにこんな場所までご足労願わねぇよ」
「そう言われてみればそうだね。なんであたしたちに頼んだんだろう?」
隣でハンバーグ食ってたセシウがふと疑問を口にする。
頭痛くなってきた。
「今まで気付かなかったとしても、せめて今の会話の流れで察してくれ」
誰だって、バッドニュースをわざわざ口に出して、鬱屈した気分を増長させたくはないだろう。
プラナも分かっちゃいるんだろ。レタスとトマトのヘルシーすぎるサンドをちょこちょこ齧りながら、渋い顔をしてる。
向かい側のクロームは、どういうわけか不思議そうに首を傾げていた。
「どういうことだ? ただ、近くを通りがかるから頼んだわけではないのか?」
ここにも馬鹿がいたー! わーい! ちっくしょー!
「普通の人間は世界の命運を背負った勇者一行にそんな雑用頼まねぇよ」
頼むから、もう少し自分の立場を理解してくれ。
「あのな、あのおっさんに結婚の申し出をした娘っ子さんは相当の別嬪さんで有名だが、それ以上にものすんげぇ我が儘で有名なの。金と権力に物を言わせて、ほしいもんは何でも手に入れてきたような奴なの。そんな奴が、結婚を断られたらどうなる? 怒り狂うのは目に見えてんだろ。だけど、伝言を持ってきた相手が偉大なる法皇ハーヴェスターシャ猊下の威光を背負った、世界の命運を託された勇者一行だったらどうだ? 相手は強く言い返せねぇ。それで何とか押し通せると思ったんだよ、おっさんは」
少し考えれば分かることだろうが。
こっちとらおっさんから頼みたいことがあるって言われた時点で嫌な予感がしてたんだ。なのにクロームが二つ返事で受けちまうから、こんなことになっちまってる。
「ああ、なるほど、そういうことか。まあ、いいではないか。ジゼリオス卿には世話にもなった。その恩を返せると思えば」
「世界の命運を背負ってる俺たちがこんなところで寄り道していい理由にはならないんじゃねぇのか」
俺の反論にクロームは微かに笑う。カップに注がれたアイスココアを薄い唇の隙間に流し込む。
「何が愉快だよ?」
「焦ったところで何の解決にもならない、と俺に言ったのはお前だろう?」
……本日何度目になるか分からない、ため息が漏れた。
毎日俺のため息の数は数えきれない。憂鬱になる事実だな。
「そうかもしんねぇけどよ」
「ならいいだろう」
まさかクロームに言われることになるとは思わなかったな。
「ま、いいじゃん。あたしたちなら、面倒事にならないと思ったから、頼んだってことはあたしたちなら楽に終わるってことでしょ? ちゃちゃっと済ませちゃおうよ」
隣のセシウは変わらず能天気だ。脇に堆く積まれた皿の数が、全く悩みなどないことを物語っている。
クロームの脇にはそれ以上の皿が積まれているのがまた俺を憂鬱な気分にさせた。
その光景だけで俺は随分と満腹だ。
摂った栄養を少しは筋肉以外にも回してくれないもんかね。
「あ、店員さん、おかわりくださーい! 大盛りで!」
食費が……!
〆
最先端の魔導建築技術が実現を可能とした高層建造物が建ち並ぶ街並み。空へ架かる梯子のようにも見えるそれはしかし無味乾燥としており、神話のような幻想性は損なわれていた。
当代風という風情の損なわれた建物群は無数の架線によって結ばれている。蜘蛛の巣のように張り巡らされた線は魔素を編み込んだ、高度に魔術的なものであり、陽光を受けて静かに煌めいていた。目に見えないほどにか細い線に釣り下げられたゴンドラが絶え間なく建物の間を行き交っていく様は、まるで空を飛んでいるようでもある。
ゴンドラに詰め込まれた人間は様々であり、性別も、年齢も、人種も法則性はない。窓に手を当て空からの眺めに感動している者もいれば、見慣れてしまったのか何の感慨も示さない人間もいる。
知らぬ土地に心弾ませる観光客と住み慣れた地を漫然と過ごす領民を綯い交ぜにして、無数の建物の間をそれこそ縦横無尽に交錯するゴンドラ。
中空が主要な移動手段の一つとして使われるようになっているためか、建物の上部にはけばけばしい広告などが敷き詰められている。無数の看板の中でも特に極彩色の背景の広告に映った若く麗しい女性の顔の半分は、まるで顔自体が作り物の仮面であるかのようにひび割れて剥がれ落ち、その内側には無数の歯車が晒されていた。
「技術とは美しさだ」という安っぽい煽り文句が添えられた、印象的な広告。その上に彼はいた。
人目を憚ることなく、尖端が内側にくるりと巻かれた靴で危なげもなく、足場としては薄い看板の上に立ち、街を俯瞰する人影。
高所に吹く風が影の纏うマントと、柔らかな鳶色の短髪を翻す。蒼穹を背負う彼は、颶風の只中に有っても平然とその場に立ち、白い手袋を嵌めた指先で、薄ら笑いを浮かべた自身の唇を撫ぜた。
彼が見つめるのはただ一点。
街を包囲する壁と外界を繋げる大門から伸びた大通りを歩む、四人の男女の姿。
銀髪の剣士、ローブを目深に被った魔術師、しなやかな体をした赤髪の女性、眼鏡をかけた茶髪の男性。今まさに街へとやって来たバラバラの四人組は、何事か話しながら、人々に溢れる大通りをのんびりと歩いていた。
「ちぐはぐ、あべこべ、か」
唇の粘つくような笑みを深め、影はそっと歌詞をなぞるように呟く。その声はどこか芝居がかっており、低い声は舞台役者のようによく通るものだった。
「多少の干渉なら、剪定の魔女の脚本を乱すようなことにはなるまい。余興としての程度もいい。どれ、何かしら一つ楽しませてもらうとしよう」
装飾の施されたドミノマスク越しに彼らを見下ろし、くつくつと影は喉の奥で嘲るように笑った。
〆