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Alternative  作者: コヨミミライ
Is Cr Duty or Obligation?―善良のカタチ―
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Mn's Night : after―策月一夜の痕―

 魔道具店近くの喫茶店、その窓際の席に座り、俺は文庫本を開いていた。

 窓からは魔道具店の入り口が見える。ここから見ていれば、ジゼリオス卿が出てきてもすぐに分かるだろう。

 目の前に置かれたエスプレッソの香りを感じつつ、俺は開かれたページを見つめていた。

 本を開いてからというもの、一向に読み進められない。ページを捲ってみるものの、文章が頭に入ってこず、結局は捲ったページをもう一度見直すばかり。

 まるで風景を眺めているような感覚。

 指先から感じる、紙に感触にさえ違和感があった。

 ダメだな。ため息を吐き出し、俺は本を閉じる。

 珍しく、読書をする気分になれない。

 椅子に持たれかかり、漫然とカップの持ち手を指の腹でなぞる。

 恐らくは、もっともイケていない手慰みだ。

 ふと、視界の端に何かがちらつく。

「ご一緒してもいいか?」

 聞き慣れた声だった。しかし、久しく聞いていなかったように思える声。

 知性に溢れた、穏やかで落ち着いた声。理知的な顔立ちに反する無邪気な笑みを浮かべた、美女の姿が脳裏に浮かぶ。

 俺は顔を動かすのも億劫だった。

「どうぞ」

 半ば適当に答えると、その声はくすっと笑い、俺の向かいの席に座る。

 俺は魔道具店を見つめたまま、コーヒーを飲もうとして、頬を打たれたような勢いでテーブルの向かいに目をやる。

「キュリー!?」

「どうした?」

 お前が人前に出てきちゃダメだろ!?

 いろいろな部分で危機感を覚えて、思わず腰を浮かしてしまった俺に対して、頬杖をかいたキュリーは他人事のような反応だった。

 キュリーの姿を見て、さらに俺は言葉を失ってしまう。

「……あ、れ?」

「そんなに慌ててどうしたんだ?」

「い、いや、なんか予想外すぎて」

「どういう意味だ、それは?」

 苦笑交じりに首を傾げるキュリー。

 賑わってはいないとはいえ、それなりに客が入っている店だというのに、キュリーは特に平然としている。

 当たり前だ、服を着ているのだから。いや、そもそも服を着るのが当たり前だ。

 待て、俺は何を考えているんだ、バカか。

 キュリーは豊かな黒い長髪を結い上げ、丸襟のブラウスに八分丈のタイトなパンツを履いていた。春先でまだ風が冷たいからか、薄手のカーディガンを纏い、変装のつまりなのか細い眼鏡をかけていた。

 ……正直、ぱっと見誰だか分からなかった。多分肌の露出が控えめだったからだろう。

 これだけだと、なんか俺が変態みてぇだな。

「まさか服を着たお前を見ることになるとはな」

「なんだ? 残念がっているのか?」

「いや、そうじゃねぇけどよ」

 言葉を濁す俺の困惑など知らない素振りで、キュリーは通りがかった店員に注文をしていく。メニュー表が手元にないため、気さくでありながらも馴れ馴れしすぎない口調でオススメの商品を尋ね、店員と穏やかにやり取りを交わし、カプチーノを注文していく。

 初めて見る、俺以外の人とキュリーが話す姿。

 なんだか不思議な感じだ。

「で、どういう心境の変化だ? 服を着るのは苦手だったんじゃないのか?」

「ああ、そうだな。苦手だ。息苦しい。倭国の服はゆったりとしていていいんだがな」

 そう言う割には、ブラウスのボタンは襟まできっちり閉じられている。

「じゃあ、なんでまた」

「服を着ずに来た方がよかったか?」

「そうじゃなくてよ」

 また言葉を濁してしまう。

 これじゃあ、いけないな。

 あの日の会話を境に現れなくなったキュリーが、何故突然俺の前に再び姿を現したのか。それを問わねばならない。

「……なぁ」

「幾分か、凛々しくなったような気がするな」

 問おうとしたところで、キュリーが口を開く。

「は?」

「お前の顔立ちが、だよ」

「なんだそりゃ。別にしばらく会ってなかったわけでもねぇだろ」

 おかしなことを言うもんだ。

 しかしキュリーは俺の顔をじっと見つめて、唇を綻ばせる。

「有り体に言ってしまえば、男らしくなった。前よりも頼り甲斐がありそうだ」

「そんな二日、三日で人の顔が変わるかよ」

「変わるものさ。人というものは。少しは、自分に自信を持てたようだな」

 眼鏡越しに見える赤い目が、そっと細められる。

 ……お見通しってわけか。

 キュリーの目を欺くことはできそうにない。

「まあ、確かに、な」

 これ以上反論しても、論破されるのは目に見えているので、渋々認める。

 面と向かって言うのは気恥ずかしく、視線は勝手に魔導具店へと向かってしまう。

 店員がキュリーの注文したカプチーノを持ってくる。店員に穏やかな声で礼を言うキュリーの振る舞いは、本当に人当たりがよく店員が返した笑顔も自然なものだった。

 カップの淵を指で撫でながら、キュリーは頬杖をついて俺の顔を覗き込んでくる。

「まだ素直に受け入れられてはいないようだが、自分の作戦が通用したことは自覚できているようだな。それならいい」

「そう簡単には受け入れられねぇさ。お前の言うとおり分かっちゃいる。周りの連中が賞賛してくれてるのも分かってる。あのクロームにまで言われちゃ、な。前々から、多少なりとも賞賛されていたのも分かっちゃいた。ただ、それを素直に受け止められるほどの実績が、俺にはなかった」

 その賞賛を受け入れて、その気になって、失敗してしまうことが怖かった。

 期待からの失望を恐れ、だからこそ期待されないように振る舞い、また期待などされていないと思い込んでいたかった。

 事実として、俺はあの村で取り返しのつかない失敗をしでかしてしまっている。

 あの時俺は、心の片隅、どこか本当に隅っこの部分で小さく、それでも確かに「ああ、よかった」と思ってしまっていた。

 自分が期待されていたら、その期待を真に受けて大言壮語を吐いていたら、それこそ言い逃れはできなかった。

 無力であってよかったと考えてしまっていたのだ。

 とんでもないゲスな考え方だろう。

 そんな俺の汚い部分も、キュリーには見透かされているのだろうか。

「だが、お前は今回、アメリスを退けてみせた。カルフォルでさえ、あの展開は予想外だっただろうな。お前の作戦は確かに《魔族アクチノイド》を抑え込んだ」

「そうは言っても、前線で死力を尽くして戦ってくれたのは、あいつらだ。俺じゃない。だから、素直に俺の功績って思っていいもんなんだか」

 俺の本音に、キュリーは肩を竦めてみせる。認めようとしない俺に呆れているのかもしれない。

「お前の作戦がなかったら、彼らはアメリスにやられていただろうさ。無策で勝機のない戦いに挑むことを勇猛とは呼ばない。ただ命を投げ捨てているだけだ。お前の作戦があったからこそ、彼らは最前線で戦い抜くことができた。もちろん、お前の仲間も賞賛に値するだけの活躍はしたのであろうが、勝利を確実なものにしたのはお前の作戦だよ。それは間違いない」

「そういうもんかね」

 窓の向こうに目を向けたまま、漠然と答える。

 行き交う人々を見つめ、なんとか気分を誤魔化す。どんなに麗らかな日差しを受け、人混みに埋もれながらも、あの魔導具店はまるでどこか遥か遠い世界の建物のように平然とした顔でそこに居座っていた。

「そういうものさ。お前はよくやったよ。誇っていい」

「何もできないから、できることをやっただけのことだ」

「お前の仲間ができて、お前にできないことがあるように、お前にできることはきっとお前の仲間にはできないさ。人間、あれもこれもできるわけではないんだ。お前は、お前にしかできないことで仲間を助けた。それでいいではないか」

 俺の反論を、やはりというべきかキュリーは容易く論破する。

 勝ち目がねぇな、ホント。

 テーブルの反射した陽光が眩しくて参るね。思わず俯いてしまったのはそのせいだろう。そうに決まっている。

「もう私の助力も必要ないわけだ。だから、悩むことは、もう何もない」

 ごく当然のように、キュリーは言う。

 分かりきっていたこと。何の理由もなく、キュリーは俺の前に現れたわけじゃあない。

 そんなの、分からない方がおかしい。

 俺は一度深く呼吸をして、キュリーと向き直る。

「そうだな。もう迷いはない。決心もついたさ」

 キュリーが少しだけ湿っぽく笑う。珍しく、ぎこちない笑みだった。

「俺は今の関係を続けていくことに決めた」

 俺が関係を絶つことを選ぶと思っていたのだろう。キュリーは目を瞠り、言葉を失っていた。大きく見開かれた赤い瞳が、俺を凝視する。

「いろいろ悩みはしたさ。どうは言っても、お前は《魔族アクチノイド》だ。どんなに考えてもそうじゃない道理はなかった」

「そうだ。どんなに申し開きをしようが、私は畢竟《魔族アクチノイド》――人類種の敵だ。だからこそ、お前は私から……」

「だからって俺はお前を否定しやしねぇよ」

 喫茶店の中、できるだけ目立たないようにと、お互い静かに話していたというのに、思わず強い語調となってしまう。

 キュリーは息を呑み、押し黙る。

 議論において、相手の言葉を遮るのも、声を荒げるのもナンセンスだ。

 落ち着こう。

「お前が《魔族アクチノイド》だっていう事実から逃れる方法ばかりを俺は探してた。何か、そうじゃないって思える方法があることを探してた。お前をただ一人の人間として見れる、物の見方があるんじゃないかって。でも、お前が《魔族アクチノイド》っていう事実を否定するのは、結局お前を否定するってことなんだって気付いただよ」

「ガンマ……」

 か細い声で、キュリーが俺の名前を呼ぶ。

 その声はどこか安堵するようなものにも聞こえた。

 気付かないふりをして、俺は目を伏せ、湯気を立てる珈琲の黒い水面を見つめる。

「かつての、《魔族アクチノイド》になる以前の時分のお前が、どんな奴だったのか、俺は知らない。もしかしたら今よりも人格者だったのかもしれないし、今より勝手な奴だったかもしれない。今と全然変わっていないのかもしれない。そんなこと俺には分からない。俺が唯一知ってるのは、今のお前だ。そして、今俺が親しみを覚えているのも今のお前だ。お前が《魔族アクチノイド》だと知った上で、俺はお前に親しみを覚えた。結局、それがそのまま答えなんだと俺は思う」

 初めて会った時、こいつは最初に自分が《魔族アクチノイド》であることを俺に告げた。そのことを分かった上で、俺とこいつは言葉を交わした。

 敵であることは分かっていても、俺はこいつと話すのを楽しく感じていたし、会える時を楽しみにもしていた。

魔族アクチノイド》だから、どうこうなんてものはない。ただ、俺はキュリーの人柄に惹かれていた。

「長い年月を《魔族アクチノイド》として生きて、お前は確かに変わったんだろう。俺が親しんでいる、今のお前が、その歳月の上にあるっていうんなら、俺はそれを否定することなんてできねぇよ」

 こいつが《魔族アクチノイド》として歩んだ道が、今のこいつに繋がっている。キュリーが《魔族アクチノイド》でなければ、今のキュリーには成り得なかったのかもしれない。

 そもそも、俺とキュリーが出会うこともなかった。幾星霜の時を生きれる不老の存在となったからこそ、キュリーは俺と同じ、この時代に生きている。

 例え、何かの奇跡で同じ時間に生まれたとしても、俺とこいつを出会わせた関係性――有り体に、俗っぽく言っちまえば絆、だろうか――は結局、創世種(エレメンツ)魔族(アクチノイド)という忌まわしき宿敵という、今まさに俺とこいつの間に横たわっている問題そのものだ。

 皮肉なもんだよな、本当に。

「それでも、私とお前は、違うんだよ、ガンマ」

「違うのは誰だって同じだろ。人間、みんななんだかんだ言って違う。男と女の時点でほとんど別の生き物みてぇなもんなんだから、それと同じ程度だよ」

 俺の言葉に、キュリーは頬を綻ばせて、小さな笑声を漏らす。今この席にある重苦しさにはそぐわない、ふっとしたら笑い方だった。

「お前らしくもない論理性に欠ける返しだ」

「そうか? みんな違うんだよ。似てるようで、割と人間ってのは全然違う」

「ふふ、元も子もないな。そう、だな。同じ、なんてものはないな」

 少し憂いを帯びた声で笑って、キュリーは髪を掻き揚げる。一緒に上げられた右の脇髪。ちらりと見えた、小さく、柔らかそうな耳に、少し視線を奪われてしまう。

「それでも私は《魔族(アクチノイド)》で、お前は《創世種(エレメンツ)》だ。きっと、いつか、決定的な時がやってくるぞ?」

「そうだな」

 分かっちゃいる。

 どうは言っても、いつかどっちかが倒れなければならないんだろう。

 今はこうして、仲良しこよしで話し合えても、キュリーは未だに《魔族(アクチノイド)》に留まり続けている。

 最後の最後、俺たちが対峙した時、キュリーはやはり《魔族(アクチノイド)》として俺たちと戦うんだろう。

 その時、俺は《創世種(エレメンツ)》として、こいつと戦えるのか、自分でも分からない。まあ、俺ができなくても、クロームが、セシウが、プラナが戦うはずだ。

 むしろ、キュリーはその時、《魔族(アクチノイド)》として、俺を躊躇も逡巡も悔悟も後悔も何一つなく、俺を殺すのか。

 俺は、窓の外に目を向け、頬杖をかいた。

 行き交う人々は今俺が直面している苦悩など知らぬ顔で、のんびりと通り過ぎていく。きっと彼らにも、俺からじゃ見えない悩みがそれぞれあるんだろう。俺の悩みも、それと同じ程度のものでしかない。

「そん時のことはその時にでも考えるさ」

「なんだそれは。またお前らしくもないな」

「答えを出さないことの賢明さに気付いただけだよ。焦って、答えを求める必要なんてない。答えってのは、いつか素知らぬ顔で目の前に現れやがる。それまではどんなに考えて、悩んで、もがいてもロクにことになりゃしねぇんだ」

 どんなに足掻いても得られなかったはずの自分に対する自信も、その時その時に自分ができることをやり続けたら、突然目の前にやってきた。

 結局、世の中そんなもんで、今できることをせずに先ばかり考えてる奴は、つまづいて転ぶだけだ。

 いや、違う。俺が言いたいのはこんな、決して活かされることのない背伸びした教訓じゃない。

「結局のところな、どうは言っても、やっぱり俺はお前と離れるのは嫌なんだよ。お前との時間は俺にとってなくてはならないものになりつつある。この関係を続ければ続けるほどに、決定的なその時、苦しくなるのは分かってる。それでも、俺は、お前と送れるんだろう楽しい語らいを彼方に追いやったまま、お前と戦いたくはない。その時まで、お前らと語らいたい」

「享楽主義者め」

 悪戯っぽく笑って、キュリーは俺の鼻先に指を突きつけた。そんなキュリーの仕草に俺まで頬が緩む。

 多分、今、俺すんげぇださい笑い方してる。

「どんな立場でどんなことをしでかした奴でも、これくらいの楽しみ、許されたっていいだろ。お互いに、な」

 キュリーも俺に倣うように魔導具店に目をやった。

 未だ、伯爵が出てくる気配もなく、いつも以上に人を拒んでいるように見える悪趣味な建物。

 こいつのことだ。俺が見届けた事柄も把握しているのだろう。その場所に目を向け、キュリーはどんな想いを何処は馳せているのか。

「そうだな。そういうのも、悪くないのかもしれないな」

 キュリーはそっと零す。

 今はそれだけで十分だろう。

 全ての問題が、言葉だけで解決するわけではない。

 多くのことは時節によってのみ、解き解される。その時になるまではどんなに頑張っても、より複雑に絡まっていくだけだ。


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