Running Mn―潜行奔走―
カーテンを閉め切り光を遮った薄暗い室内の中心に展開された魔導陣の上に、ぼんやりと像が結ばれていた。白いローブを纏った少女の姿はうっすらと光を帯びている。
紋章の刻まれた額に垂らされた、短い前髪の下、少女の黒い目は如何にも退屈そうであった。まるでこの世全ての刺激に飽きてしまったような、悲嘆に暮れた目である。
「運がよかったわね、あなたたち」
立体映像としてこの場所に現れたヒュドラは俺とセシウを見て、ぽつりと呟く。尊大なヒュドラの言葉に、俺は肩を竦めた。
「まさか、こんなすぐに連絡を取れるとは思わなかったよ」
ヒュドラも忙しい身の上。そんなすぐに連絡を取れるとは思っていなかったのだが、インジスに確認を取ってもらったところ、むしろ今すぐ連絡を取った方が都合がいいとのことだった。
ということで、インジスにお願いし、ヒュドラと繋いでもらうこととなった。
「今しがたメディカルチェックを終えたばかりなのよ。全くリシアの小言にはうんざりするわ」
ため息混じりに言うヒュドラに、魔導陣を展開させ脇に控えていたインジスも苦笑している。
「ハーヴェスターシャ様のお体にもしものことがあったら、民衆の心が沈みます。くれぐれもご自愛を」
「うかうか、病を理由に休むこともできないなんて難儀なものね。体を気遣うなら休みがほしいわ。私はここ三百年近く、休みがないのよ?」
眉を顰めて、淡々と文句を言うヒュドラに、インジスも言葉を詰まらせる。そりゃ確かに難儀なもんだ。
まあ、マケドニア皇国引いては魔術国家においてヒュドラの存在はあまりにも重要なものだ。魔術国家同盟の盟主であり、マケドニア皇国の法皇、アカシャ教の教祖にして、選定の聖女と称えられる女巫、何より《始原の箱庭》の長でもあり、マケドニア皇国の宗教的象徴。
そりゃ休む暇なんてあるわけがない。
もちろん病気にかかることが許される立場でもないのだ。世界の始まりから今日まで続いている始まりの巫女の命に何かがあれば、それこそ一大事なのである。
永遠であるはずの命が消えれば、それは永遠というものがこの世に存在しないと民衆に認識させかねない。万物には全て終わりがある。無論、この世界にも。
その終末が間近に迫っている以上、何が起こるか分からない。
「それで、私も暇ではないの。早く用件を済ませて頂戴な」
「忙しいようですね」
「それはそうよ。技術国からの輸入品の関税についても、これから協議しないとならないし」
「また何か、頭を悩ますものが出てきたんですか?」
うんざりしたように言うヒュドラに俺は苦笑しつつも問いかける。
技術国との貿易事情が窺い知れる言葉だ。技術国製品は、万人に使いやすいという点において、魔術の扱えない者から一定のニーズがある。魔術至上国家の代表ともいえるマケドニア皇国とてそれは変わらない。
高価で癖のある魔導器よりも、同程度に高価ではあるが使いやすい技術国製の機械を好む者は少なからずいる。技術や魔術といった区分にそこまで拘わっていない、とも言える。
しかし、そういった技術国製品ばかり売れてしまうと魔導器の製作を生業としている魔術師としては堪ったものではないわけだ。
また、魔術に取って代われるような品物が出てきたんだろう。
「それほどのものではないのだけれどね。魔術国では必要のなかったものだから、一部にコアなニーズがあるのよ。貴方も大好きな銃って奴よ」
「別に好き、というわけでは」
ただ単に便利だから使っているにすぎない。
俺の要求に一番確実に、しかも正確に答えてくれるのがこいつだっただけのことである。
「技術国の物を毛嫌いしているあの子がいないようだから言わせてもらうけれど、いい銃よ。ロマニアの新モデルらしいのだけれど。貴方の使っている銃の後継ともいえるものらしくてね」
それは少し気になるな。
機会があれば、是非お目にかかりたい。
尤も、それを手に取れるかどうかは、今後のヒュドラたちの協議次第である。
「あら? そういえばクロームはいないのかしら?」
「ああ、今回は俺たちだけだ」
ヒュドラはもう一度、俺とセシウを順に眺めて「そう」と呟く。
「インジスから話は聞いているわ。第六の《魔族》、《守天の魔術師》アメリス――彼の襲撃を受けたようね」
昨日、クロームがインジスには報告をしてくれたのは知っていたが、ヒュドラにもすでに伝わっていたか。話が早くて助かる。
同時にあの時感じた悔しさが戻ってくる。
「残念ながら仕留めることができませんでした。俺たちの力不足のせいで――」
「そのようね。でも、仕留める一歩手前までは至った。また伯爵を守りきることにも成功した。《魔族》側の張った意識結界のお陰もあるのでしょうが、周囲に被害が及ぶこともなく、損害も軽微だったと聞いているわ」
「はい。被害は最小限に抑えられました」
「クローム曰く、貴方の作戦があってこそ、だったとか」
……クロームの奴、インジスにまでそう言っていたのか。
全く、余計なことばかりしてくれるな、あいつは。
クロームたちからすればそうであっても、ヒュドラから見ればそうじゃない。どう考えても《魔族》を取り逃がした責任の方が重大だ。その辺、あいつは分かってないのだろうか。
俺の作戦でアメリスを仕留める一歩手前まで追い詰めたということはつまり、仕留められなかった責任も俺にあるのである。
「俺の作戦のせいで、アメリスを仕留め損ないました。この責任は――」
「大義であったわ」
「は?」
「だから大義だった、と言っているの。選りにも選ってあのアメリスを仕留める一歩手前まで追い詰めてくれるとは思っていなかったわ。次のスピーチのネタが一つ増えて、私は大助かりよ」
「は、はぁ……」
これまた予想外の褒め言葉に俺は辟易とする。
隣に立っていたセシウが、こっそり俺の背中を叩く。横目でちらと窺うと、まるで自分が褒められているかのように嬉しそうだった。
……調子狂うな、ホント。
「それで、そんな成果を残した貴方が私を呼び出した、ということはそれ以上の成果を上げることを期待していいのかしら?」
「最善は尽くします。そのために、一つ用意して頂きたいものが」
「あら? 一体なんなのかしら?」
首を傾げる聖女に所望する物を伝えると、聖女様は心底訝しむように俺を見つめた。
「お? 見ねぇ顔だな」
武器屋のおんちゃんは、店に入ってきた俺を見るなり胡乱なものを見るような顔をする。
確か昨日、このおっさんが伯爵と話し込んでる時、俺は隣にいたんだがな。
酒樽のような体型のおっさんは、こんな時間からジョッキにビールを注ぎ、カウンターで飲み耽っていた。デカい鼻まで赤くなり、それどころか禿頭まで赤くなっていた。
随分酔いが回っているんだろう。目も充血気味で、眠たげだ。
「旅の身でして。少し気になったので立ち寄らせて頂きました」
「旅モンがこんな店に何の用でい?」
「はっはっは、最近は何かと物騒なので、護身用に武器も必要なんですよ」
俺は努めて感じのいい笑顔を貼り付け、気さくに語る。
セシウは店の外で待たせているので存分に演じることもできた。もし見られたら、後々何言われるか分からねぇからな。
「なるほどな。まあ、金さえ払ってくれりゃこっちは構わねぇよ」
言って、店主のおんちゃんはビールをぐいっと喉に流し込む。
「こんな時間から飲んでいていいものなのですか?」
「なぁに、どうせいつも暇なんでい。これくらい飲んだってバチは当たらねぇよ」
「それはそれは、きっとアカシャ様の御使いに叱られてしまいますよ。健全な人生は、勤勉な日常の積み重ねの上にしかありません」
俺の言葉に、おんちゃんは眉根を寄せる。如何にも気分を害したような表情だ。
強面なので少し怖い。あいや、恐ろしや。
「あんちゃん、なんだ? 信者か?」
敬虔なアカシャ教徒を信者と呼ぶ奴は、大抵宗教アレルギだ。分かりやすくて助かるね。
「いえいえ、そんなことは御座いません。ただ、そうですね、法に触れる行いは、どんなにこっそりやってもどこかからか漏れるものである、というだけの話です。主がお創りになられた、天空の眩き太陽は全ての行いを見ているのです」
ひぃ、言ってる俺の口がかぶれそうだ。
今は我慢である。
「へっ、昼間から酒を飲むのが違法ってか?」
「いいえ、それは構いませんよ。ただ、アルコールの回った頭では今後の話に支障も出そうですので」
言いつつ、俺はヒップホルスターから引き抜いた銃をカウンターにそっと置いた。
途端におんちゃんの目が剥かれる。今にも飛び出しそうなほどだった。
「あんちゃんっ、こりゃロマニアの銃じゃねぇかっ」
「はい、一つ前の型ではありますが」
「いい銃だろ。クセがなさすぎて味気ねぇのが瑕っちゃ瑕だが、完成されたモデルだ」
おんちゃんの機械魂に火が付いたようだ。
さっきまでの態度から一転、なんとも友好的な目をしてやがる。
この食いつき、悪くない。
「さすが武器屋の店主様です。技術国の製品にもお詳しいようで」
「そりゃもちろんだろ。こういったもんならうちでも取り扱ってるぜ」
俺は店内を見回す。あるのは武器や鎧ばかり。銃のような技術国製と思われる製品は一切置かれていない。
普段は隠してあるのだろう。
「なんだい、あんちゃん、弾がほしいのか?」
「いえ、新しい銃を一丁、と思いまして。拳銃だけでは心許ないものでして」
おんちゃんは相好を崩し、酒を煽る。
「あんちゃんも随分臆病なもんだな」
「ははは、世の中が物騒なだけです」
俺の他愛もない返しにまた笑う。随分と上機嫌である。技術国製品の好きな人間ってのは、仲間を見つけると喜ぶもんだ。こういった同志の少ない場所に生きる人は特に。
そして同志に対して、そういった人物は、恐ろしいほどに口が緩くなるものだ。
「まあ、いいさ。最近、新しい銃も仕入れたんだ。見ていくといい」
「なんと、それは胸が躍りますね。最近ですとどういったものを仕入れられたのでしょうか?」
「ああ、あんちゃんの持っているロマニア製の新モデルも仕入れてるぜ」
ああ、本当に最近の品物だな、そりゃ。
俺もその情報は、つい先程聞いたばかりである。
「あの銃をすでに仕入れておられるのですか。是非とも一度拝見したいものです。これほど早くに揃えていらっしゃるとは、何か秘訣でもあるのでしょうかね」
口早に賛同し、賞賛すると、また一段とおんちゃんの機嫌はよくなる。赤ら顔に弛緩しきった気前のいい笑顔を広げていた。
「へへへ、そりゃああんちゃん秘密事項ってもんだぜ」
「いやいや、やはりそうでしょうね。本来、まだ出回っていないはずの銃があるのですから」
ふと、俺の一言におんちゃんの顔から笑顔がふと消失する。
口をぽかんと開けたまま、恐る恐る俺に目を向けてきた。俺は涼しい顔で変わらず笑っている。
おんちゃんの笑顔だけが行方不明だ。
俺はおんちゃんが会話の最中に、カウンターへ上げた銃弾の詰められたケースを一つ手に取り、裏面を確認する。
「製造年月日が……おやおや、どういうことでしょうね。一ヶ月前ですよ」
わざとらしく読み上げてやると、さっきまでアルコールで真っ赤だった顔からどんどん血の気が失せていく。目は落ち着き無くきょろきょろと動き回り、たまに俺を盗み見ていた。
こういった人が動揺している様を見るのは、正直楽しいものだ。
これも、セシウを外で待たせている理由である。
「ここ最近、技術国製品の取扱を認可されている行商はこの付近に来ていないはずなのですが……おかしいですね、これはどういうことでしょうか? 少なくとも二ヶ月間行商人は来ていないはずなのに、この店には製造日が一ヶ月前の銃弾が売っている。時間軸がおかしいように思うのは私だけなのでしょうか?」
わざとらしく、俺はおやっさんに問う。
答えは明白である。
ここに来る前から分かりきっていた。
なんせこのおやっさんは最近仕入れたばかりの機械の部品を、伯爵に売っていたのだから。
もちろん、普段ならば、そんなものは黙認されているし、俺だっておかしいと思っても見ないふりをする。ただ今回は入用があったので、わざと追求しているにすぎない。
最近の行商人の移動記録は、先程ヒュドラに取り寄せてもらった。それと照らし合わせれば、物事は危険なほどに晒け出される。
イチかバチか調べてみるものだ。
「認可を得ていない商人から技術国製品を、それも密輸入品を買い取るのは重罪です。それをご存知ないわけではないのでしょう?」
あえて回りくどく言って、さらにおやっさんを追い詰める。
先程まであんなに上機嫌だったのに、今では顔も青ざめ、息苦しそうである。目を見開き、現実を直視しないように彷徨わせ続けていた。
分かりやすくて助かるね、ホント。
「いや、これは、だな……」
「知らなかったからと言って罪がなくなるわけではないことをご存知ないのでしょうか? そのようなことも御座いませんよね。技術国製品を買い取る際は認可証を確認するのが義務であるはずです」
俺がそんな逃げ道を与えるわけがなかろう。
言葉を詰まらせるおやっさんの前、俺はカウンターへ身を乗り出し、すっかり血の気のなくなった死人みたいなおやっさんの顔を覗き込み、そっと笑いかけた。
「アルコールもよい具合に抜けてきたようですね。これならば有意義な取引ができそうです」
おやっさんの顔が生気を取り戻すことは、話が終わるまで終ぞなかった。
店先にしゃがみ込み、行き交う雑踏をぼうっと眺めていたセシウは、店内から出てきた俺に気付くなり、顔をこちらへ向けた。長い髪がふわりと揺れる。
「あ、ガンマ。おかえり」
言いつつ立ち上がったセシウは、穏やかに笑いかけてくる。
「おう、待たせて悪かったな」
「ううん、全然大丈夫だよ」
ぐっと親指を立ててくるセシウに、俺も同様に親指を立てて返す。
セシウの赤い目が俺の肩にかけられた長い筒へと気付き、微かに首を傾げた。
「ああ、これか。店のおやっさんと気が合ってな、安く譲ってもらったんだ」
「何? 剣?」
「いや、銃」
「へぇ、見てもいい?」
「帰ったら、な」
「うん、了解」
またにっこりと笑って、セシウは頷く。
なんとも白々しくも黒い態度である。
毎度のことながら、自分の演技力に涙が出るね。
強請って、タダでもらってきた、なんてのは口が裂けても言えないし、仕方ねぇんだけどさ。
『健全な人生は、勤勉なる日常の積み重ねの上にしかない』
自分が言った言葉が自分の胸に今更突き刺さった。
今頃おやっさんは店の中で頭でも抱えていることだろう。
申し訳ないが、勇者一行は常に金欠でね、高い金を払って銃を買っている余裕はないのである。
とりあえず今回はこれだけで見逃すのだから、感謝してほしいほどだ。