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Alternative  作者: コヨミミライ
Is Cr Duty or Obligation?―善良のカタチ―
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Running Mn―潜行奔走―

 焼けた鉄でも放っておけば冷えるとどこぞの残忍は言っていた。鉄だって冷えるんだから、人間の頭が冷えないわけがない。

 当たり前だ。

 俺の頭だって屋敷を少しふらつき、庭に出て屋敷の周りを十周くらいしつつ煙草を吸ったら、冷えた。そりゃもう圧倒的に。

 空に昇った、満ちかけの月を見た時には「ああ、俺何やってんだろ」とか感慨深く思っちまうほどには冷えた。冷えすぎて、自分がバカだと痛感するあまり嫌になったほどである。

 ……本当、何やってんだかな。

 冷えた頭を夜風に晒したところであったまるわけがなく、自嘲の感情ばっかりがふつふつと湧き上がってくる。放っておくことで冷めはするが、あったまりはしないんだから世の中不条理だ。

 ほらな、神様はクソだと言ったんだ。

 部屋に戻るついでに、クロームへの言い訳を本当にするため屋敷内を再びふらつきながら、頭の中で毒づく。

 皆が寝静まる時間になるまで帰ってこなかったのに、屋敷の全体図を把握できていなかったら、俺の面目は丸潰れである。

 広い屋敷だが、二階建て。構造の把握は容易だった、

 昔からの癖で、訪れた街の地理なども初日には把握するようにしているため、この程度だったら造作もない。言われれば、何も見ずに大体の構造図は作れるだろう。

 使えそうな部分もいくつかある。この街自体の部分と組み合わせれば、打てる手も見えてきた。

 自分でも驚くほどに、頭が小気味よく回転している。

 褒められて調子に乗ってるんだろうか。我が頭ながら単純だ。

 明日、もう少し調べさえすれば、予定の時間にも間に合う。

 そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にかテラス付近の廊下へ辿り着いていた。

 屋敷の灯りはすでにその全てが消されており、今は窓から射し込む柔らかな月明かりだけが頼りだった。次の夜には、満月となる月の光は優しくも明るく、足元をしっかりと照らしてくれる。

 静寂に満ち溢れ、どこかからか聞こえる梟の鳴き声と、虫の羽音だけが孤独を癒す。

 いい夜だった。

 穏やかな、いい夜だった。

 気負うことも少なく、心も軽やかな夜だ。

 そりゃあ、頭も冷える。

 窓から見える、薄い雲のかかった月を眺めつつ、テラス前まで歩いていくと、そこにひとつの人影が見えた。

 侵入者かと思って、多少身を強ばらせた刹那、月にかかった僅かな雲が風に流される。

 月光の中、無人であるはずのテラスに佇む人影。結い上げた赤く長い髪に目を奪われた。

 嫌でも気付く。

 一番見慣れた後ろ姿だった。

「…………」

 俺は無言のままに、テラスへと続く扉を開け、踏み入る。しんとした夜の空気が頬を撫ぜた。

 春先とはいえ、夜は冷え込む。

 それでも凍えるほどではなく、心を落ち着かせるような心地よい冷気だった。

 ぼんやりと月を見上げるパジャマ姿の華奢な背中に近付きつつ、俺はジャケットを脱ぐ。

 いつもは気配に敏感だというのに油断しきっているのか、それとも何か考え事をしているのか、俺に気付く様子はない。

 そっと近付いた後ろ姿にジャケットをかけてやると、微かに薄い肩が震えた。

 尻尾のような、結い上げた赤い髪を振って、素早く振り返ったそいつに俺は、頬が緩むのをなんとか抑えつける。

「風邪引くぞ」

「あ、ガンマ」

 どうやら本当に今の今まで気付いていなかったようだ。セシウは胸を撫で下ろし、静かに微笑んだ。

 いつもは勝気なはずのこいつの笑顔は、どこか穏やかで女性的に思えた。月の光が魅せた錯覚だろう、きっと。

 俺はそのまま、セシウの隣に立ち、こいつがそうしていたように夜空を見上げた。

「ありがとう」

 脇から、控えめな声が聞こえてくる。

 俺は「ん」と返事かどうかも分からないような声を漏らす。それで大体伝わる。

 隣に立ったことにあまり理由はない。何となく、ここが一番しっくりきただけのことだ。

「もう夜も遅いぞ。寝なくていいのか?」

 俺の問いに、セシウもまた「ん」とこれまたよく分からない返事をしてくる。

 どうやら寝付けないようだ。

「なんだかね。どうにも落ち着かなくて」

「それで月光浴か」

「げっこうよく?」

「日光浴の夜版」

「ああ」

 それで納得したらしい。

 納得できるもんなんだな、こんな適当な説明で。

「そっか。そういう名前がある程度には、同じようなことをする人がいるんだね」

「残念か?」

「ううん、ちょっと安心した」

 なんだか詳しくは分からんが、そういうことなら、そうなんだろう。不安にさせたり、落胆させたりはしてないのだからよしとするか。

 ふと一瞥するがセシウはただ夜空を見上げている。俺もそれに倣うように、空へ視線を戻した。

 たくさんの星が瞬いている。数え切れないほどの星だ。その煌きの差異さえ気付けるほどに、美しく、強い光を放っている。

 地上に灯りがないせいだろう。夜の暗さの中で、星の輝きは映える。

「たまに、ね。どうにも落ち着かなくて、寝れない時があってさ」

「そうなのか」

 そりゃ初耳だ。

「うん。アタシにもいろいろあるわけですよ」

「まあ、そりゃ人並みにはな」

 さんざんゴリムズゴリムズ言ってた俺が言うセリフじゃねぇんだろうけど。

 セシウはいつも明るく、楽しそうに笑っているが、だからといって悩みがないわけじゃない。他の人と同じように悩むし、また深く考え込んだりすることだってある。

 ただ、それを長くは引き摺らず、次の日の朝までには受け止めて、天真爛漫に笑えるように努力している。

 俺は知っている。

 昔っからこいつはそういう奴だった。

 むしろ人よりも悩みがちで、意外に何気ない言葉を引き摺ってしまう性格である。その分、元気にいようと、頑張っている。

 無理をしているわけでもなく、我慢しているわけでもなく、ちゃんと自分の中で結論を出すことができる奴だ。

 本人はその自覚があんまないようだけどな。

 すげぇと思うよ、本当に。

「んで、そういう時はこうやって空を眺めると落ち着くんだ。なんていうんだろう、月の光が体に染み込んでいくみたいでさ」

「なるほどな」

 まさかこいつから、詩情を感じられる言葉を聞くことになるとはな。

 内心、意外だった。

「なんて、ガンマが買ってきてくれた本に書いてあったことなんだけどね」

「そうかよ」

 ああ、あのカリーヌと一緒に選んだ本か。

 意外に読んでくれていたのか。少し嬉しいとも思う。

「なんか、自分の感じてたものにしっくりハマってる気がしてさ。まさしく、それって感じで」

「そりゃよかったじゃねぇか」

 自分の感じていたものをずばり的確に表す言葉に出会える。それもまた本を読むことの楽しさの一つ。俺が選んだ本で、こいつがそれを感じてくれたというのなら、本好きとしては嬉しい限りだ。

 セシウは、日頃から感覚的にいろんなものを感じている。ただそれを的確に表す言葉というのが上手く出てこないだけだ。

 もしかするとこいつも、読書を好きになる素質はあるのかもしれない。

「んじゃ、なんだ、割とこうやって月光浴することはあるのか」

「んー、まちまち、かな? 多い時は結構続くけど、たまにちょこちょこと寝れない時にって感じ、基本は」

「そうかい」

 まあ、ゆっくり眠れるに越したことはねぇか。なんせセシウは戦いの時など最前線で戦っている。肉体的疲労も溜まりやすいはずだ。出来れば休める時に休んでほしいと思う。

 あんまり思いつめてる様子ではないし、そこまで気にすることはなさそうだが。

 こういう夜があっても、何も悪いことはない。

「ガンマも寝れない?」

「いや、そうでもねぇよ。俺もやっぱたまに寝れない時はあっけど、そん時は本読んでるし。それでうっかり朝まで読み耽ることはあるけどさ」

 本当は頻繁にあるし、あの村での一件以降まともに寝れてなかったりするわけだが、それをわざわざセシウに言う必要はない。

 隣のセシウは微かに苦笑を漏らし、肩にかけられた俺のジャケットをすっと引き寄せた。

「バカだなぁ、ガンマは。ちゃんと休まなきゃダメだよ」

「今夜のお前には言われたくねぇな」

「いつものアタシなら言っていいの?」

「俺の気分次第だ。少なくとも今夜は同罪だろ」

「あはは、確かにねー」

 どこか困ったように眉を寄せながらも、セシウは楽しそうに微笑む。その、なんともいえない表情に、多少胸がちりちりとした感触に襲われる。

 危ない危ない。

「ま、今夜くらいはいっか」

 言って、セシウは夜空に視線を戻す。

 どれだけ見続けても、星空は飽きないから不思議だ。どれだけよく出来た物語でも、何度も読み返せば飽きるというのに、夜空は違う。

 言語化できないからだろうか。

 まあ、助かる。

 今、セシウの顔を真正面に見ながら話すのは精神的に応えるし。こうやってお互いに別のものを見ていた方が話しやすい。

「昔は夜、怖かったのになぁ。今は心が落ち着く」

 しばらく空を見上げていると、セシウがまたそうやって先程までとは違う話題を振ってくる。

 突拍子もないことばかりだが、なんとなく今はそれでいい気がした。

 二人っきりでのんびり昔話をするのも悪くない。

「何かと怖がってたよな、お前」

 怯えて、母に泣きついていた幼い日のセシウを思い出して、自然と笑いが込み上げてくる。いつもはセシウに助けられてばかりだった俺がセシウに頼られる、数少ないことの一つだった。

 そのせいか、今でも割と鮮明に覚えている。

「暗いのはどうしてもね。今も全然平気ってわけじゃなくて、無性に怖くなる時あるし」

「今でもか? そいつぁちっとばっかし意外かもな」

「そりゃ、前みたいに泣くほど怖いわけじゃないけど、何か理由があるわけでもないのに不安になったりするんだよね。ま、天下無敵のセシウ様にも、嫌いなものはあるってことですよ」

「いや、嫌いなもの割と多いだろお前」

「そうかな。これでも女の子にも男の子にも頼られれるタイプなんだけど」

「そりゃ、お前、人前では頑張るからな」

 本気で苦手な虫でも、自分以外のみんなが嫌がれば、ぐっと堪えて対処するし。基本的に、誰かに頼られると断れないタイプなのだ、こいつは。

 俺と二人でいる時に虫が出ると、俺に全部やらせる癖によ。俺の前でも、それくらい見栄張ってもいいんじゃねぇかね。

「あはは、ガンマにはお見通しかぁ」

 困り顔で頭をかいて、セシウは笑う。肩から滑り落ちたジャケットをまた胸の前の手で引き寄せた。撫で肩のせいか、どうにも安定しないようだ。

「そうだね。あんまり格好悪いとこ見せたくないからさ。ちょっとは張り切っちゃうよね」

「程々にしろよ。多少頼ってもバチは当たらねぇ」

「うん、だから、少しは頼ってるよ」

 先程よりも、また一段と静かな声で、セシウは呟くように言う。

 いつもの溌剌としたセシウとは違う、妙に女性らしい口調だった。思わず視線をセシウに向けるが、相変わらず空を眺め続けている。

 セシウの目がちらっと俺を見、視線が合ったのに気付くと、俺に顔を向けて笑う。

「どしたの、ガンマ」

「いや、なんでもねぇよ」

 何を思ったんだ、俺は。

 バカなこと考えてんな。

 どうにも落ち着かなくなり、話題を切り替える。

「明日は朝からあっちこっち見て回りたい。早めに寝ろよ」

 ずびびと洟を啜っていたセシウが驚いたように目を丸くする。

「ん? アタシも?」

「考えたことが上手くいくかどうか検証してぇんだ」

「あ、何かいい作戦思いついたの?」

「ある程度、にはな」

「そっか、やったじゃん」

 セシウはにっこりと笑って、まるで自分のことのように喜ぶ。

 思えば、こいつはいつも、俺の考えを支持してくれてるよな、こういう時。

 前線で命賭けるのはこいつだってのに。

「今度こそ、あのハーフヘアをぶっ飛ばしてやりてぇしよ」

「うん。負けられないね」

 セシウは力強く頷いてくれた。

 ……クロームに認められるチャンスを俺に与えてくれたことを、セシウは言わないつもりなのだろうか。

 元々俺には内緒にしたがっていたようだし、そうなんだろうな。

 正直、お礼は言いたいところだったが、言わない方が本人の意志を尊重してるか。

 無理に詮索するのも野暮ってもんか。

「今回はちょっとお前に重要な役目任せるかもしれん」

「おっ、責任重大だねぇ」

 気負う様子もなく、セシウは楽しそうに言う。

「危険ってわけでもねぇが、まあ、その辺もよろしく頼むぜ」

「まっかせなさい。天下無敵のセシウ様ですよっ」

 ぐっと拳を作るセシウに、俺は思わず笑ってしまう。

「期待してる」

 本当、すげぇな、お前。

 落ち込んだと思っても、すぐに立ち直っている。

 何かに挫けそうになるたび、強くなっている。

 俺はこいつのそういうところをたまらなく尊敬してるし、また同時にたまらなく羨ましかった。

 こいつのようになれたら、と思ったこともある。それでもなれない自分に腹が立った。そして少しこいつを妬ましいとさえ思っている。

 それくらい、こいつはすごい奴なのだ。

「ほら、もういい時間だろ。そろそろ寝ろ」

「ん? ああ、もうこんな時間か」

 時計も見ずにセシウは言う。

「それもそうだね。今日はよく眠れそうかも」

 セシウと俺は二人並んで屋内へと向かう。少し歩調を早めた俺は、先に扉を開け、セシウを通してやる。

「ありがと」

「どういたしまして」

 わざとらしく粛々とした振る舞いで言って、俺も屋内に入る。

「上着も、ありがとうね」

「おお、気にすんな」

 屋内に入ってすぐ、セシウは俺に上着を返してくる。袖を通すと、自分のではない温もりがあって少し心地よかった。

 男の甲斐性として何も言わなかったが、正直テラスは薄着だと肌寒かったし助かる。

「ありがとね。話に付き合ってくれて」

「なんだ、お前。さっきからありがとばっかだな」

 思わず吹き出してしまう。

 茶化したつもりだったが、セシウは小さく頷く。

「そりゃ、ホントに感謝してるからね」

 不意打ち気味にそんなことを言われ、俺は目を瞠ってしまった。

 そういうの、マジでやめろって……。

「ほら、明日も早いんだから、早く部屋に戻ろ」

「お、おう……」

 軽やかな足取りで廊下を歩き始めるセシウの弾んだ声に背を押され、俺も歩き始める。

 たく……本当、調子狂うことばっかりだな。

 そういうのは本当に苦手だ。

 俺はお前に感謝されるような人間じゃあねぇんだよ。

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