Dispatched Am―放たれた刺客―
セリノリソスを出てから、伯爵は言葉もなく、静かに歩いていた。
かけるべき言葉も見当たらず、俺は黙ってその後ろを歩くしかない。
今まさに、プロポーズを断られた男に、なんて話しかけろというのだ。
俺にとっちゃ人格破綻者だったあの灰被りでも、伯爵から見れば愛おしくてたまらない奴なのだろう。そこに文句をつけるつもりはない。
誰だってどっかしら愛される部分を持ってるし、その人柄を愛してくれる人だっているものなのだ。世の中。
問題はそんな人に出会えるか、出会えないか、ってところだけ。
伯爵にとって決して悪い話ではない縁談を蹴る覚悟までしてプロポーズするくらいなのだから、よほど愛してるんだろう。
そんな相手に冷たくあしらわれちゃ、そりゃ落ち込みもするさ。
こういう時はそっとしておいてやるのが一番っつぅもんだ。
本当は一人にさせてやるべきなんだろうが、まあ、今はできないな。無事に屋敷へ帰れたら、その時は一人にさせよう。
夕日の下、お互いの足音だけが耳に響く。変わらず流れている周囲の喧騒も今は遠く、まるで近くにあるような気がしない。
壁一枚隔てた向こう側のように思えた。
「全く、相変わらず自分勝手な奴だ」
ふと、伯爵が呟く。
前を見たまま、独り言のように。
そんな勝手さも愛おしむような声だった。
「ガンマよ、やはり身分は重要だと思うか」
……俺に振るか、その話を。
勘弁してくれよ。程度は違えど、抱えてる悩みの形は割と似てんだからさ。
「分かりませんね。身分が関係なければいいのに、と願うことはありますが、やはり人は身分というものから切り離されて生きることはできない。身分を最早人間性の一部と考えるのなら、やはり関係ないわけではないのでしょう」
あいつがどんなに人格者で、気さくで、いい奴に思えても、やっぱりあいつは極悪人の身分にある。
多くの罪も重ねてきた。多くの命を奪ってきた。
それは消えないのだ。なくなりもしないのだ。なかったことにしていいわけもない。
「やはりそういうものか。確かに身分なくして、人は成り立たないのだろう。またその身分があったからこそ、今の人間性、人格が形成された、ともいえる。その身分なくして、その人には成り得ないのだろうな」
……あいつはどうなんだろう。
今の立場になる以前から、考え方や価値観はそう変わっていない、と言っていた気がする。あの身分があってこそのあいつではないのだろうか。
いや、自覚がないだけで、多少の変化はあったはずだ。
そもそもあの連中は死生観がそもそも違う。俺たちとは違う膨大な時間を生きて、価値観に変化がないわけがない。
やっぱり俺の知っているあいつも、今の立場があってこそ形成された人格といえるのか。
「俺も今の立場でなければここまで好き勝手はできなかったし、機械に傾倒することもなかったのだろう。そう考えると、やはり俺もそうか」
きっと俺が伯爵のような立場だったら、機械に傾倒するようなこともあったのかもしれない。そもそも育ち方も違うのだから、今と全く違う価値観を有していた可能性もある。
根幹は俺でも、その後得た物によって、やはり変わるのだろう。
伯爵と同じように育ったら、伯爵と同じような人間になるとは言えんが、間違いなく今の俺になるということはなさそうだ。
「結局、今ある俺たちの人格、価値観ってのは、生来の在り方と生まれた環境、その後の経験によって決定されるものなんでしょう。経験に関しても、身分によってある程度、限定されます。纏めてしまえば、そもそもの在り方と身分を掛け合わせて、作られるものといったところですかね」
「身分の重要性が分かるな。どの身分ならばいけない、といったものはなく、結局は生来のそれとの相性か」
貧しい環境で生きている間は朴訥で純粋だった奴が、急に地位を得るとクズに成り果てるというケースもそれだろう。結局そいつの生来の在り方は貧しい環境とは相性がよかったが、高い身分とは相性が悪かったということだ。
例えばそうだ。酒場で出会った女性がとんでもない美人だったとして、そいつが腹の奥底にどんな汚いものを抱えているか知らないまま突っ込んで粉砕するよりも、気心の知れた長い付き合いの、地味ながらも愛らしい、素朴な娘と結婚する方が案外幸せだったりするものなのである。
…………、
……。
やっぱ今のなし。
「人間というのは難しいものだな。身分の上でなければ生きられない」
「身分あっての人格なのですから、身分の上に生きているというのは語弊があるでしょう。それでしたら、むしろ、俺たちは身分であり、身分が生きている、という表現の方がどちらかというとしっくりきます」
また伯爵は振り返らずに、自嘲するように笑った。
「極論ではあるが、なんとなく言わんとすることも分かる」
「人とは生まれながらにして、何らかの身分にあります。身分と、それに付随して得たあらゆるものを剥ぎ取った時、俺たちに残るものなんて、そう大したものじゃない」
「その残ったものが人、というものだ、ガンマ。心と言い換えてもいい。それは魂の形だ」
人。心。それに魂、ね。
このおっさんは機械好きであるが、考え方は魔術国家の人間らしいものだと思った。
事実、魂の元素とされるエーテルは、死後エーテルの還流帯である《生命の円環》に還り、やがては生命の魂となることが実証されている。
しかし、それを輪廻転生としているのはリゾーマタにおいても、このマケドニア皇国を始めとする魔術先進国のみである。
最近では、多くの者が輪廻転生という概念、魂の永遠性については懐疑的だ。それは輪廻転生を謳うマケドニア神話の象徴である、ハーベスターシャに対する信仰が弱まってきていることすら意味している。
なんせその聖女様率いる組織である《始原の箱庭》が、未だに終末龍による終末を防げないでいるのだから当然と言えば当然だろう。
ちなみに技術国は、エーテルの流転は認めているが、輪廻転生に対しては強く否定の姿勢を貫いている。
識者曰く『エーテルは魂を構成する物質であるが、魂そのものではない。物体の同一性を定義することにおいて最も絶対的な要素は一回性であり、魂もまた同様である。一度元素に分解されたものが再構成されたとしても、それが連続して存在する個体でない以上、異なる存在である。例えば、貴殿の大切な人がミンチ状に切り刻まれた時、それはもう個人ではなく、故人の残骸だ。例え悪魔がその残骸のみを用い、綺麗に形を生前のものに整えたとしても、それはもうかつての大切な人ではないのである。これは魂とエーテルとて同様である』とのこと。
こう述べたのは、技術国でも高名な技術医師であるジェイネス・アーデンス。この『元素単位に切り刻まれた死体だけで、死体を生前の姿に戻せる存在』という仮定の存在は《アーデンスの悪魔》と呼ばれ、技術国の大学の講義では未だに自己同一性などに関する思考実験の一環として用いられているらしい。
おっと、思考が随分と逸れたな。
悪い癖、悪い癖。
「しかし、ガンマよ。ここまで話して、俺は気付いたのだよ」
「何にですか?」
どれだけ思考に没頭していたのか、と不安にもなったが、どうやらそんなに時間は経っていなかったらしい。
そのことに安堵しつつ問い返すと、おっさんは頭をぼりぼりとかき「ふむ」と呟いた。
「俺が誰かを好きになるのは、俺の恋愛観、価値観あってこそだろう。そして、その価値観、恋愛観もまた、身分あっての経験などがあってこそだ。ならば、俺はその身分があってこそ、その人を好きになるのだろう。そしてまた、俺の好きになる人の人間性は、身分による経験を経て形成されるものだ。ならば、やはり身分あってこその恋愛感情なのだから、身分は関係あるが、障害にはならないのではないか?」
「つまり、伯爵様はあれですか。そんなものは関係ない、とでも言いたいのですか?」
「少なくとも恋愛の障害ではない、と思うな」
「はぁ……」
誇らしげに言うおっさんに俺は内心げんなりとしていた。
要するに、まだ諦めてないってこったな。
人の恋路に口出しするのは野暮だとは分かっているが、敢えて言いたい。
あの女のどこがいいのか、俺にはさっぱり分からない。
それに俺は、あいつのことに関して、そこまで楽観的に考えることはできなかった。
なんでだろ。
命がかかってるからかね。
救えないもんだ。
「遅かったな。もう少ししたら、様子を見に行こうかと思っていたところだ」
ジゼリオス卿から俺たちに与えられた部屋に戻るなり、クロームは開口一番にそんなことを言う。すでにジャケットを羽織り、腰には剣を佩いていた。
もう少し、どころか、今まさに出ようとしていたところらしい。しかも俺が部屋に入った時、クロームは窓から身を乗り出していた。
どうやら、窓から飛び降りるつもりだったらしい。
バカだ。ここに本物のバカがいた。窓が出入口であること思い込んでいるバカだ。
うんざりするね、全く。伯爵のおかしい恋愛観に続いて、これである。俺の周りにはもう少しまともな奴がいないもんかね。
「それで伯爵様は如何なものだ?」
ソファに座ってくつろぎたい俺に、クロームは質問を投げかけてくる。
俺は背凭れにぐったり寄りかかり、少しだけ頭を巡らせる。
「一通り回りたいところを回って、出歩きたい欲求も解消できたんじゃねぇか? 道中は平穏そのものだったし、常に周囲に気を配っていたが、不穏なものは感じなかった」
日没前には戻ることもできた。とはいえ、東の空の端に夜が顔を出し始めていたが。
その点に関してはクロームに叱られそうだ。
「そうか。ならばよかった。伯爵様が必要以上に外出することも、明日の夜まではないだろう」
着たばかりだと思われるジャケットを脱ぎ、上着掛けにかけながらクロームは言う。手馴れた動作で佩いていた剣も外し、そっとベッドの上に寝かせた。
その置き方はまるで女性を運ぶかのように優しい。
……ん?
「……そんだけか?」
「何がだ?」
振り返り、クロームが問い返してくる。
本当に何を言っているのか分からないらしい。
「いや、ほら。日没ギリギリに戻ってきたっていうか、なんならギリ夜だぜ? その辺にお咎めはなしなのか?」
「何を言っているんだ? そう言うのだから、なるべく日没前に戻ってこれるように努力はしたのだろう? 伯爵様の性格を鑑みれば、なかなか帰ってこれなかったのも分かる。まあ、今後はできれば日没前には戻ってきてほしいところだが、止むを得まい」
淡々とした声でクロームは言う。
…………。
うお、俺としたことが思考停止しかけてた。
危ない危ない。あまりにも予想外なことで、つい。
おいおいどういうことだよ、あのクロームが俺に対して、ここまで寛大なことなんて今まであったか? いや、ないね。
なんだよ、あの一件で、あいつの中での俺の評価がそんな劇的に変わったっていうのか?
んな、まさか。
たった一回だぞ?
たった一回で人間そこまで考えを改めるものなのか?
おかしいだろ。どう考えたって……。
と、そこで俺は思い出した。
確か、この部屋は四人で共用だったはず。
セシウとプラナはどこに行った?
なんとなく嫌な予感がして視線を巡らすとすぐに見つかった。
バスルームに繋がる扉の影から、二つの頭がこちらを窺っていた。
結い上げた赤い髪を揺らす頭に、それよりも少し小さい灰色のフードを被った頭だった。
考えるまでもなくセシウとプラナである。
プラナは恐る恐るといったようにこちらを盗み見ているが、セシウに至ってはニコニコと笑いながら俺たちを見つめていた。
視線が合ったというのに、プラナのように頭を引っ込めることさえなく、なんなら俺に親指を突き立てている。
一体何がしたいんだよ、あいつら……。
『お前の作戦に従うように俺を説得したのはセシウだ』
『随分と頼み込まれたものだ。だから今回は作戦の通りに動かせてもらった。結果としてはセシウの言うとおりだったがな』
ふとした拍子に、記憶の端っこへ意識的に追いやっていた言葉が頭の中で反響する。
…………。
……。
「ん? どうしたんだ?」
クロームが不審に思ったのか問いかけてくる。
「わ、悪ぃ、なんでもねぇ」
言いながら、俺はふらりと立ち上がった。どうにも足元が覚束無い。
そしてどういうわけか顔を上げづらかった。
な、なんでだろうなぁ、ははは。
「ちょっと散歩してくるわ……」
「この時間にか?」
流石におかしいと思ったんだろう。クロームがさらに問いかけてくる。
そんな質問を背中に受けながら、俺はふらふらと出口へ向かって行く。なんなら走って行きたかったが、それはいくらなんでも怪しすぎた。
「少しな、屋敷の構造を把握しておきてぇんだ。ははは」
こんな時にでもそれっぽく聞こえる嘘をつける自分の能力に感謝した。本当に久々に、感謝した。
部屋を出て、扉を閉めたら全力疾走だ。
そう心に誓い、俺は夢遊病患者のように、或いは砂漠のど真ん中でオアシスを探す旅人のように、部屋を後にした。
ま、まずい。いろんなことが起こりすぎて、顔熱い。
少し外に出て頭を冷やさんと、死ぬぞ、これ……。
今日は何かと、調子が狂うことばかりだ。