Dispatched Am―放たれた刺客―
この世界を創った奴はクソだ。
何がウィットだ。そんなもんクソ以下だ。
つまり、この世界を創った奴はクソ以下。
唯一神にして創造神であらせられるアカシャ様はクソ以下でいらっしゃる。
ついさっき、ウィットに富んでるとか褒めた気がするけど、あんなのただの嫌味だ。
神様ってのはふざけた奴である。まず男神しかいないって時点で終わってる。
そうでなきゃ、こんな状況はありえない。
こんな短期間に、灰被り店主の魔道具店に三回も訪れる、なんていう状況は。
「…………」
「…………」
伯爵についてきた俺と、いつも通りカウンターで茶を啜っていた灰被りは、互いを無言のままに注視する。
俺はさぞ凪いだ目をしていることだろう。灰被りは飲もうとしていた茶をそのままに、力ない目で俺を見上げていた。
お互いに言葉はない。
今日の店内は、甘ったるすぎて気持ち悪い臭いが充満していた。漂うのは黄土色の煙。怪鳥の鳴き声が不気味なほど、よく響く。
いつもと変わらないセリノリソスの風景だ。この店のいつもというものを理解しつつある自分が辛い。
伯爵も何かよからぬものを感じて押し黙っていた。
まさか、ここにまた来ることになるとは。
しかも機械大好きなはずの伯爵様についていった結果である。これはとんでもない裏切り行為だ。
俺は、このおっさんを当分赦せそうにない。
しばらく全くロマンのない見つめ合いをしていたわけだが、その後灰被りは視線を伯爵へと逸らす。
どうやら、俺をいないものとしたらしい。
「……あー、何?」
「久々に暇ができたので、立ち寄ったのだ」
灰被り店主は眠たげな目を瞬かせ、煎餅を齧った。バリボリと煎餅を噛み砕く間、二人は無言で見つめ合っていた。
間が持たない。
伯爵も気さくに上げた手を下げるタイミングを見失い硬直している。
噛み砕いた煎餅を飲み込み、灰被りはぼさぼさの灰髪をわしゃわしゃとかいた。
「そんで?」
うわぁ、この手の会話で一番あっちゃいけない質問じゃねぇか。
「顔だけでも見ていこうと思ってな。その調子だと元気なようだ。安心したよ」
「じゃあ、もう用件は済んだっしょ? ここはあんたみたいな魔術に縁のない者が来ていい場所じゃないっつぅの。命が惜しいなら帰んな。帰れ」
すっげぇ、灰被り店主のマイペースっぷりは領主を前にしても健在か。そりゃ、勇者一行の仲間がいても変わらないんだから当たり前っちゃ当たり前かもしれない。
ていうか、灰被りの名前、聞いた気がするけど、すでに忘れてる。
なんか『残忍』っぽい名前だったような。多分大体合ってる。
伯爵様は相変わらず気分を害した様子もなく、闊達に笑う。
「はっはっは、それもそうだな」
「そこの勇者だかなんだかのおまけを、おまけに連れてきてもあたいは興味示さないぞ。おまけがおまけとか、もうおまけの二乗で、どうしようもない感じが滑稽だけど」
うっせぇよ。
なんでこいつは喋るだけで、鉛玉をプレゼントしたくなるんだろ。何かをプレゼントしたくなるような女性ってのはイイ女の証拠ですね。はいはい。
「いや、彼は俺の護衛だ。他意はない」
そこで灰被りの眉がぴくりと動いた。飲もうと持ち上げたであろう湯呑みをカウンターに戻し、伯爵を睨むように見つめる。
「……何かあったわけ?」
「何、少し命を狙われているだけだ」
まるで大したことのないように言うけど、命狙われてるって普通に一大事なわけだけど。その狙ってきてる相手が《魔族》ならば尚更だ。
灰被りが珍しく表情に変化を見せたと思ったのだが、それ以上の変化は特に見られなかった。
「そんで? あたいが心配すると思って来やがったわけか。分かりやすいように、そこのがんもどきを護衛につけてまで」
その呼び方やめろよ。
「そういうわけではない。別にそれをお前に伝えようとしたわけではない」
珍しく、伯爵は強く否定する。
つぅか、随分親しいようだけど、こいつらどういう関係?
「じゃあ、何さ」
「他に伝えたいことがあってな。ただ、状況が状況だから、護衛をつけなければ、ここまで来れなかったのだ」
「だったらほとぼりが冷めてからくればいいだけっしょ? 焼けた鉄でも放っておけば冷めるってぇのに」
伯爵様が外に出ることを望んだ理由も今ようやく知れたわけだが、灰被りの意見は珍しく正論だ。別に今すぐ、と急ぐ必要はなかったように思う。
どうあっても、明日の夜には決着がつく問題だ。それでも遅くはないはずだというのに。
何故伯爵はこの状況で、危険を冒してまでここに来たのか。
伯爵の後ろに控える俺からは表情が読み取れないため、語調から判断するしかない。
伯爵はしばし押し黙り、やがてゆっくり口を開いた。
「ウェスターの領主から縁談を持ちかけられた。領主のご息女との縁談だ。近々答えを返さなければならない」
その情報に目を瞠ったのは俺だけだった。灰被りはいつも通りに気だるげな表情のままだ。
ウェスターっつったらここからそう遠くない街だ。その上、領主の娘と言ったら、華も恥じらうほどの美貌の持ち主であることで有名だ。性格には少々難があるとも言われているが、そんな不評が霞むほどの美女だと聞いたことがある。
多くの高貴な男どもが持ちかけた縁談を全て一蹴しているはずの彼女との縁談か。
確かウェスターの領主の爵位は候爵。取り入るためにも悪い話ではないだろう。
むしろ、今まで縁談を取り合わなかったはずの彼女からの縁談。彼女の親が勝手に持ちかけた可能性もあるが、それでも良すぎる話ではなかろうか
灰被りはしばし返事もなく、湯呑みの茶を啜っていたが、やがて緩慢な動作で口を動かす。
「そんで何? あんたが誰と結婚しようと、あたいには関係ない話なわけだけど」
「そうだな、それもそうだ」
灰被りの素っ気ない感想に、伯爵はどこか渇いた笑いを漏らす。どうにも、力のない笑い声だった。
なんだ、こんな嫌味を言われるためにわざわざ来たってのか。
伯爵様も物好きなもんだ。
「まだ返答は保留にしている。今ならばまだ、適当な理由があれば断れるだろう」
「断る理由が見つからないのはあたいだけかね。いい縁談なんじゃないの? 何? なんてーか、取ってつけた感がお似合い」
取ってつけたような嫌味だった。
「だからこそ断る理由が必要だ。例えば、そうだ、もう誰かと結婚が決まっている、といったようなものか」
……この伯爵は何を言おうとしているんだろうか。
どうにも真意を掴みあぐねるな。
背中からは読み取れない。むしろ読み取れないことこそが全てを物語っている。
おっさんは、ここまでの会話の流れをある程度予測していたんだろう。だから動揺なども見せず、言葉に淀みもないのだと思われた。
ただ、どうしてこんなことを言い出しているのかは分からない。選りにも選って、こんな性格破綻者の魔術師を相手にだ。
灰被りはぽりぽりと頬をかき、のんびりと湯呑みを啜る。それでも目だけは伯爵の顔を見つめていた。
「……あたいは、お互いがいればそれだけで幸せだと思っているような、生産性のないノーテンキなカップルの次に、言葉に出さず相手に察してもらうことを期待して、言いたくないことを言わないように頭を働かせる男が嫌いだ」
言いながら、灰被りは煎餅の詰まった壺を漁り、取り出した煎餅を、乱暴に小さな皓歯で噛み砕いた。
「そうだな、お前の言うとおりだ。ならばちゃんと言葉にしよう」
大仰に肩を竦めた伯爵は、一度ゆっくりと深呼吸をする。
それはこの人にとっては珍しい、躊躇の表れのように俺は思えた。
灰被りの眠たげな目はずっと伯爵を見ている。急かすこともなく、言葉を待っていた。
「サニィ」
「その名前で呼ぶな」
呼びかけるなり、灰被りは即座に顔をむすっとさせた。ただでさえ不機嫌そうな顔がより一層不機嫌になっている。
そうか、そういえばこいつの名前はサニディンだったか。思い出してみるとより一層残忍っぽい。
伯爵はすまんと一言侘び、もう一度深呼吸をする。
そして、噛み締めるようにゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「俺と、結婚してくれないか」
……は?
俺は自分の耳を疑った。
今のはプロポーズっていう奴だろう。
それは分かる。おっさんだってもういい歳だ。結婚を考えてもおかしくないし、プロポーズすることを悪いとは言わない。
ただ、相手に大問題があるように思うんだが。
言われた灰被りだって、流石に目を丸くしていた。
片手に煎餅を持ったまま、硬直している。
「ほ、本当に言うとは思わなかったさね……」
「俺は本気だぞ。俺はお前以外と結婚するつもりは毛頭ない。俺はお前が好きだ」
完全に愛の告白だ、これ……。
え? あれ? 俺ここにいていいの?
いなくなった方がいいんじゃねぇの?
ここにいるってのはあまりにも野暮なもんじゃねぇか。
俺は無言でそっと立ち去ろうと数歩、後退る。
「残念だけど」
強い否定の言葉に俺の足が止まる。灰被りらしからぬ力の入った声だった。
「クルジス、そりゃ無理な話だ」
灰被りが伯爵の名を呼ぶ。魔術師以外に興味を示さない灰被りにしては珍しい。
相手は魔術師が毛嫌いする機械を好む奇人だというのに。
否定に、しかし伯爵はそっと笑みを零した。
「お前に、名前を呼ばれるのは久々だな」
「現実から目を逸らすな。あたいとあんたは無理だ。理が無い。そんくれぇ分かるだろ」
「身分か?」
「それを言わせるってぇのかい」
……身分違いの叶わぬ恋、か。
美談ですこと。
実利を考えりゃ、ウェスター領主のご息女と結婚した方がずっといいだろう。
伯爵の心がどうだかは知らんけどさ。
それ以上伯爵は何も言えなかった。言うべき言葉をどれだけ探しても、見つけられなかったのだろう。
灰被りはそれを話の終わりとして、茶を啜った。
「命を狙われてるんしょ。月の刻も近いさね。さっさと帰んな。あ、これ早めの結婚祝いね」
口早に言って灰被りはカウンターの下の棚から紙袋を取り出し、伯爵へ力任せに突きつけた。
「いや、それをもらうわけにはいかない」
「持っていけ。もう会うこともないだろうしな」
その言葉は残酷だった。
もう二度と、自分の前に姿を現すな、と灰被りは言っている。
差し出されたそれを受け取るということは、もう灰被りに会わないという約束を結ぶことを意味する。
あまりにも重い、小さな紙袋を、伯爵は無言のままに受け取った。受け取ってしまった。
「面倒をかけたな、サニィ」
「もう二度とその名前も呼ばれないと思うとさっぱりするね」
冷たい嫌味に背を向け、伯爵は何も言わずに俺の脇を抜けていく。
俺も重苦しい空気だけが残ったここに残る意味はなく、伯爵の後を追う。
去り際、横目で窺った灰被りは何食わぬ顔で煎餅を食んでいた。
後腐れも何もなく、この店での日常を再開している。
あいつにとってはその程度のことだったんだろうか。
出入口前の床がやけに軋む。硬い木の感触は、俺たちを追い立てるようだった。