Dispatched Am―放たれた刺客―
軽やかな足取り。肩で風を切って歩く伯爵の後に続いているうちに分かったことがいくつかある。
まずそもそもとして、伯爵という立場でありながら変装もしなければ、こそこそすることもなく、堂々と道を歩いていること。
しかも屋敷にいた時と同じ、地味な開襟シャツにぼろぼろのジーンズという出で立ちだ。貴族としての威厳なんかこれっぽっちもありゃしない。
むしろ庶民のような格好である。
俺の方がいい服着ている気さえしてきて、逆に申し訳なくなるほどだ。
完全に街に溶け込んでいた。
ポケットに手など突っ込んで歩く姿はその辺のあんちゃんと全然変わらん。どっちかっていうと年よりもフランクすぎるほどだ。
その上、街の人々だって気さくに声をかけてくる。伯爵の姿を見かけるなり「おう、伯爵さん、こんにちは」「伯爵様、こんにちは」「あらら、伯爵さんじゃないの、最近は調子どう?」などと最早友達感覚である。伯爵が愛称なのではないかと勘繰ってしまうほどに。
伯爵はそんなフレンドリーな挨拶に顔をしかめることもなく、むしろ嬉しそうに挨拶を返し、稀に談笑などで盛り上がる始末だ。
はっきりいって上流階級としての威厳は皆無だった。
それは今だけを見ればいいことなのかもしれない。しかし、巨視的に見れば、いい傾向とは言えない。貴族として、領主としての威厳がなければ、いざという時に人を率いることができない。恐慌状態を纏めることができない。
統率されない追い詰められた民衆ほど恐ろしい力はない、と俺は考えている。
有事の際に、人々を纏め上げられるだけの威厳を今の伯爵からは感じなかった。
あるかどうか分からないもしもの時に、多くの民衆を殺すのは、こういうその場限りの支持をほしがる領主だ。
あまり誇れることじゃない。
上に立つ者は、一種意図的に憎まれ役になる程度のきっぱりとした決断をつけなければいけないものだと思うんだが。
「ガンマくん、いろいろと話し込んで、時間をかけてしまい申し訳ないな」
俺はいつの間にか思考のせいで不機嫌そうな顔になっていたんだろう。それの原因を勘違いしたらしい領主が、歩きながらそんなことを言ってくる。
後ろを歩く俺は眼鏡を指先で押し上げて、表情を和らげる。
「いえ、そのようなことはございません」
「しかし、お前の表情は気難しい。ならば、俺の立ち振る舞いに貴族らしさがなく、気に食わない、か」
「…………」
このおっさん、候補を二つまで絞ってやがったか。
それだけ自覚はある、と取ってもよさそうだな。
「誠に無礼だとは思いますが――はい、確かにそう思っています」
「そうだと思ったよ。君はどうやら、人を率いる才能に秀でているようだ」
「いえ、俺にそういった能力がございません」
俺の否定に、前を歩く伯爵は可笑しそうに笑う。
「それも人を思い通りに操るためのものか? 君はそうだな、統率者というより、扇動者としての才覚があるようだ」
同じようなことをかつてキュリーにも言われた記憶がある。
なんでこう、どいつもこいつも同じような的外れの評価を俺に与えるのかね。期待されるのは好きじゃないからやめてほしいものだ。
前を歩く伯爵はぼりぼりとぼさぼさの頭をかき、空を見上げている。そろそろ日が落ちかけている。夕暮れ時になるのも遠くはなさそうだ。
できれば暗くなる前には帰りたいな、なんてことをつい考えてしまう。
「俺は、そうだな。元々人を統べる力ってのがないんだよ。だから気に入ってもらって、なんとなく信頼されないと、ロクに命令もできん。ついてきてくれるだろう、という自信がないものでな」
「何を仰るんですか。人を統べるのには一定のセオリーというものがあります。それを徹底すれば、最低限の統率は生まれます。人という生き物は単体で見れば個体差が激しいものですが、群衆として考えると驚くほどに単純です」
我ながらクズいことを言っている自覚はあるが、それでも事実だ。こういったことができない奴が指導者になると、実際に人が死ぬ。
余計な感情は排し、民衆という集合した個体ができるだけ損耗せずに生き残る手段のために命令する、一個の装置になれなければならない。
俺の意見に、伯爵はどこか寂しそうに笑う。
「それは扇動者の考えだ。扇動者と統率者は根本的に違う。民衆に薪を入れ、燃え盛った炎を自分の思う方へと向けるのが扇動者というもの。だが統率者は、何をせずとも湧き上がるその炎を制御するものだ」
「民衆にそうあるべきだ、と思い込ませる。そういった点で大差はないものかと」
「傲慢だな」
「そう思います」
なんで俺は、このおっさんとこんな真面目な話をしているんだろうか。
こういう話をするのは柄じゃねぇんだがな。
あんまり長引くような上手いことして、別の話題に移したいところだ。
「だがな、現状、終末龍の脅威があるからこそ、俺たち統率者は必要とされている。ただの統率者ではない。絶対的な、民衆の意見を受けない統率者だ。しかし、それもそれまでだ。それからはない。仮に、終末龍がいなくなり、全てが復興し、文明が発展し、通信能力が発達し、交通が整備された時、俺たちのような絶対的な統率者は邪魔になる。それは間違いない」
……このおっさん、本当に食えねぇな。
統率者でありながら、すでにそれを考えているのか。
俺だってそうなるだろうな、とはなんとなく思っていた。
まあ、俺は統率者でもない、そこまで真剣に考えていなかったが、おっさんはそのことをずっと考えてきているのだろう。
伯爵の予想は、最早予言と言ってもいい。
必ず、その日は訪れる。
民衆はこの支配体制がどれだけ間違ったシステムなのかに気付き、扇動者の声に従い反乱を起こすだろう。それはあるべき終わり、人類という集合した個体が次の段階へパラダイムシフトするために必要な通過点だ。
「そのようにお考えの上で伯爵様は伯爵様であり続けるのですか?」
「貴族主義の終わりへの兆しはすでにある。終末龍の存在があっても、そういったものは生まれてきている」
実際に、技術国にはアドラー共和国という例がある。小さな国ではあるが、王政を完全になくしており、民衆から選ばれた代表議会と一年に一度選ばれる二人の執政官で成り立っている。
恐らく、遠い先に到来するであろう新たな政治の形の先駆けとなる体制だと俺は思っている。
だが、アドラー共和国は先の終末龍の厄災によって文明が破壊された後に、民衆が生み出した国だ。というよりも統治できる者がいなかったために、その中で民衆が試行錯誤して自然と成り立った国というべきか。
そのため、まだアドラー共和国は終末龍の脅威に遭遇したことがない。
誕生より九十八年しか経っていない国だからな。
終末龍が現れた時、ああいった体制の国民がどのようになるのか、正直気になってもいる。
「だから俺は、そうだな。できれば、終末龍の脅威がなくなるまでは、ちゃんとこの街の人々を導いてやりたい、と思うのだ。だから、できるだけ長くこの体制が続くように、俺は民衆に愛される領主をやっていたい」
……結局は民衆を守るため、に落ち着くのか。
全く、このおっさんは本当に食えないな。
きっと、おっさんの代で民衆が反乱や暴動を起こすことはないだろう。
起きるとしたら次代、か。
なんとなく、このおっさんのことを嫌いになれない理由が分かった気がした。
道中、武器屋のおっちゃんに呼び止められた。
伯爵とも特に仲がいい人物のようだ。
なんでも新しい部品が手に入ったから、ちょっと見ていけ、とのことだった。
最初は疑問が大量に湧いてきたがなんてことはない。技術国産の機械の部品のことだ。
どうやらこのおっちゃんも魔術大国の者にしては珍しい機械好きのようだ。
二人は機械トークに花を咲かせるわけだが、俺はそこまで機械に詳しいわけではないので、何のことを話しているのかはよく分からなかった。店内には目星いものもなかったので、邪魔をするのも気が引けた俺は、店の外に出て、軒先で伯爵様が出てくるのを待っていた。
壁に背中を預け、俺は行き交う人々をただ眺める。それくらいしかすることがなかった。
頭の中では明日の夜のことについてぐるぐる考えているわけだけどさ。
アメリスへの対策を、しっかり考えなければならない。手の内を晒した以上、あいつも対策を練ってくるだろう。ならば、俺たちへの対策を予想すればある程度、相手の動きも見えてくるはずだ。
上手くそこに付け入ることを考えれば、あるいは、とも考えているんだがな。
問題はその対策を考えるのが《魔族》のうち誰なのか、というところだ。
アメリスは単純馬鹿なようで、その実頭のキレは悪くない。ただし考え方が直線的すぎるので、分かりやすい予想がしやすい。でも、こいつの突飛な思考回路は一番難しい。
次にトリエラ。言うまでもなく頭脳派だ。前回の件を鑑みるに、嗜好のために回りくどいことをする部分があるので、そこに付け入ることは可能だろう。しかしあいつが考えたその趣味の悪い手法に、アメリスが従うタイプなのかどうかまでが分からない。
カルフォルが対策を考える可能性だって否定はできない。あいつに至っては、あらゆる部分が未知数だ。俺たちにとっては都合の悪い頭の出来であることは間違いない。こいつが関与した場合は、かなり分が悪いし、対策を立てるのも難しくなってくる。
何より一番の問題は……キュリー。
俺の思考ルーチンを一番見通しているのはあいつだ。俺たちの内情にもある程度通じてしまっている。何よりあいつ自身、かなりの策士だ。あいつが俺たちに関する情報をフル動員し、俺の考えを予想して、策を準備してきた場合、確実に俺たちは負ける。
あいつだって《魔族》だ。それがないとは言い切れない。
……結局のところ、妙案が何一つ浮かんでいなかった。
アメリスの言動を信じるのなら、あいつは単体で俺たちを倒したがっている。あいつの「約束を守る男」という言葉を信じるのなら、そこに賭けていいのかもしれない。
狡猾というよりは純粋に闘争を望んでいるような狂人だ。そういったことをしてもおかしくないと言えばそうだ。
ただ、あいつの後ろにいるトリエラの存在が気がかりではある。
あの女は、そんな正々堂々だとか、約束だとか、そういったものを簡単に踏み躙りそうな性格だ。
……トリエラの出方次第か。
魔族の内情に関して、情報がほしいところだ。こういう時に頼れる相手として真っ先にキュリーが思い浮かぶ辺り、俺ってばまだまだだな。
男として最悪の部類に入ってることだろう。
「お、すまないな。随分待たせてしまったようだ」
ふと、店の扉からひょこりと伯爵が出てきた。
纏まらない思考を端っこにどけて、俺は伯爵に顔を向ける。
「いえ、そのようなことは」
「話が盛り上がってしまって、つい、な」
苦笑いする伯爵の片手には紙袋がぶら下がっていた。俺の視線に気付いたのか、伯爵はその紙袋をくいっと少し持ち上げてみせる。
「ああ、必要なパーツが入荷したのでな、買ってしまったよ」
「パーツって……なんとなく分かってましたけど、やっぱり機械を組み上げることもできるんですね」
「初歩の初歩、というわけではないが、中級程度だな。あまり凝ったものは作れんよ。単純なものが限界だ」
それでも造れるだけすごいとは思うけどな。
一時期、覚えてみようとも思ったが、この国じゃ必要なもの一式を揃えることも難しく、始める前に断念してしまった。技術国の製品は、基本的に魔術国には流れてこないのだ。あの武器屋のおっちゃんもどうにかこうにかして、仕入れてきているのだろう。
「さ、次に行くぞ」
「ここが目的じゃなかったんですか」
「ああ、本来の目的は別の場所だ。まあ、寄り道は人生のよい娯楽だからな」
そこに関しては同意見だ。
しかし、多少都合も悪かった。
そろそろ夕暮れ時だ。日が山の向こうに隠れ始めるのも時間の問題。
安全を考えて、暗くなる前に帰りたいのだが。
そう言って、聞くような人じゃねぇよな。
諦めて、先を行く伯爵様の後を俺はついていく。
「伯爵様はどうして機械をそこまで気に入っているのでしょうか?」
「好きに理由はないだろう」
行き交う人々の間を縫うように歩く伯爵が振り返らず、ごく当然のように答える。
「まあ、そうでしょうが。魔術大国であるマケドニアにおいて、機械好きは肩身が狭いと思うのですが」
「それはそうだがな。大した理由はない。ただ単に、魔術に対する素養がからっきしだから、そこそこ素養のあった技術に逃げただけだ」
自分を卑下する風でもなく、事実として伯爵は答えた。
魔術は生来の素養で、その後がほぼ決定されるからな。適正がない者は魔術を扱うことさえ難しい。
魔術で成り立っているこの国では、魔術が使えないというのは、それだけで生きづらい。
生まれや育ちがどうであったとしても、高い魔術適正を持つ者は優遇され、皇都へ招かれることも少なくはない。その後は何一つ不自由のない生活だって約束される。
魔術の素養がない者は、生まれた場所でこつこつ細々と生きていくしかないのである。
そもそも魔術が扱える者は大抵のことを自前の魔術で解決できるが、魔術の使えないものは決して安くはない魔導器を買わねばならない。この時点で格差は十分すぎるほどあるわけだ。
魔術が使えない者でも魔術の恩恵を得られるように、と生み出された魔導器というものは未だに高価で、結局は素養のない者の家計を逼迫させている。
皮肉な話だ。
「それに機械は便利だ。人手を最低限に抑えられる。俺は人に何かをやらせるってのが好きじゃないんだ。できれば、自分のことは自分でしたいと思っている」
「ああ、道理で。使用人をあの子くらいしか見かけなかったので、おかしいとは思っていたんですよ」
来訪者が勇者だと気付くなりテンパっていた少女を思い出す。使用人としてのスキルには多少難があるように思えたが、技術国の機械はそういったものでも使い方さえ分かればそれなりに扱えるのだから、そこまで不便もないだろう。
「ああ、ミリアのことか。本当は使用人を雇うつもりもなかったんだがな。領主など平時は暇なもんだから、家事なんて自分でいくらでもできる」
言いながら、伯爵は苦笑する。
では、どうして、お世辞にも優秀とはいえないあの子を雇っているのか、問いかけようとする前に伯爵は言葉を続けた。
「あの子は、両親を流行病で亡くしてしまってな。身寄りのないので俺が引き取った。これから生きていく上で身につけなければいけないことも多いので、その予行練習として雑務を任せている」
このおっさんは本当にお人好しだな。
見たところおっさんは生活力がないわけではないだろうし、自分で家事をやった方がいろいろ不便もないだろうに。
貴族に、ここまで根っからの善人がいるとは驚きだ。
口ではどうとでも言えるだろうから、実際はよく分からんけどさ。
そんなことを考えてしまう時点で、俺は相当なクズだ。
なんとなく認めたくもないのかもしれない。俺たちより豊かな暮らしをしている人間が、俺たちよりも遥かに豊かな心を持っていて、また多くに愛し愛されながら生きているという事実を。
そんなことが本当にあったら、俺たちが誇れるものがなくなってしまうから。
裕福な奴はそれだけ心が汚れていないと、立つ瀬がないのだ。
この考えも、相当にクズだよな、ホント。
「ん? どうした?」
返答がなかったことを疑問に思っただろう。前を歩く伯爵は、足を止めずに横目で俺の様子を窺ってきた。
「ああ、いえ。どうしてあのような子が使用人をやっているのか納得いきましたよ」
本心を見透かされないように、本心と思えそうなことを付け加えて誤魔化す。伯爵は気分を害した様子もなく、むしろ穏やかに笑う。
「手厳しいな」
「まあ、相応には」
「なるほど」
悔しいが、このおっさんとの会話は軽快で面白い。
考え方には似通った部分があるんだろう。それなのにどうしてこうも、人望とか立場とかが違うのかね。
どこが違うと、差がつくんだか。
まあ、俺がジゼリオス卿ではなく、ジゼリオス卿が俺ではないからなんだろう。
単純な上に、皮肉が効いてて、本当世界を創った奴はウィットに富んでると感慨も深くなるところだ。