Dispatched Am―放たれた刺客―
「行きますよ。殺され方を選ばせてやるわ、《魔族》ッ!」
すでにクロームとセシウを相手に交戦を再開していたアメリスへと魔術が放たれる。クロームと刃を交えていたアメリスは飛来した火球を既のところで飛び下がって躱す。
クロームもそれ以上距離を詰めることはせず冷静に後退している。
やはり、クロームが考えていることは俺の予想通りだったようだ。
「デュランダル――起動」
下がりながら、クロームは呟く。
クロームと俺の考えがカチリと小気味よいほど噛み合った。
「過去を複製せよ、未来を再現せよ――因果律を逆行し蘇れ――」
「テメェ! やらせるかッ!」
「其の刃、悠遠を経て不滅――其の輝き、悠久を以て不朽で在り続け――」
詠唱を始めたクロームに危機感を覚えたのか、アメリスは発動を阻止しようと走り出す。しかし、その行く手にセシウが立ちはだかる。
ビンゴだ! セシウもこの状況ですべきことが分かっている。
「ちょいっとお兄さん、私とも踊ってみせてよ」
「ハッ! テメェじャイケねェよ!」
「月まで吹っ飛ばしてやんよっ!」
セシウがアメリスへと疾駆する。
ナイフと拳がぶつかり合った瞬間、金属と金属を打ち合わせるような甲高い音が鳴り響く。
一合目は二つの力が拮抗し、弾かれ合った。
間を置かずにセシウは吼え、さらなる一撃をアメリスへと叩き込む。
アメリスはそれもナイフの刀身で受け止めた。瞬間、アメリスのナイフが砕け散る。
収納性を重視したバタフライナイフ程度のブレードならセシウが砕くことは容易い。
「ハァッ!? バカじャねェのかッ!」
これには流石のアメリスも驚きを隠せないようだ。正直、砕くことも可能だと分かっていた俺でさえ、その光景を見ると何か納得できないものがある。
「常に栄光に寄り添いし証人よ――また常に栄華を約束せし象徴よ、我らの道を指し示し給え――」
目前に迫ったアメリスを前にしてもクロームは詠唱に集中している。それは俺たちのサポートを信頼してのことなのだろうか。
ナイフを砕いたままの勢いで迫る拳を紙一重で避けたアメリスにさらにプラナの放った風の刃が襲い掛かる。
アメリスは咄嗟にその場から下がる。一瞬前までアメリスがいた地面は風の刃によって容赦なく深く抉れた。
さらに火の弾が、風の刃が、水の鞭が、間断なくアメリスに降り注ぐ。
「汝、時の霜に朽ちることもなく――汝、時の王に屈することもなく己が正義を振り翳す――」
「二番、八番並びに九番、十三番を接続。接続魔導陣間に新規魔導陣十六番、十七番を組成。充填した元素配合率を調整」
プラナが指定した魔導陣同士が線で繋がれ、線上に新たな魔導陣が組成される。
それぞれの魔導陣から線を伝って充填されていた元素が新たな魔導陣へと供給されていく。新たな魔導陣のうち赤と緑を得たものはより鮮烈な赤い光を、そして青と緑を注がれたものは浅葱色の光を放った。
元素を充填された二つの魔導陣は燐光を散らしながら回転を始める。
「十六番、放て」
プラナの凍てついた声による指示と共に赤い魔導陣から魔術が放たれる。それは今までよりも火力の高い火の弾だった。
アメリスは即座に避けるが、地面に衝突した火球は破裂するように火の手を周囲に広げた。先程までの火球と同じ動きだ。
「白刃によって正義を示し給え――煌きによって希望を授け給え――」
しかし、その後、広がった炎は集約し、さらにアメリスへと食らいかかった。
「アァ!?」
迫る炎をしゃがみ込んで避けるが、頭上を通り過ぎた炎はさらにくるりと回転し、アメリスを追う。
「うざッてェ!」
悪態をつき、舌打ちをしたアメリスの背後に透明赤色の六方形の小さな障壁が幾つも形成される。虚空に浮かび上がった無数のブロックはアメリスの背中を守るように密集し、炎の行く手を阻んだ。
炎と障壁がぶつかり合い、炎が弾ける。同時に障壁も粉砕され、半透明の赤い破片がきらきらと輝きながら飛び散っていく。
「防ぎやがったかっ!」
「あの魔術と相殺できる最低限の障壁を間に合わせましたか。さすがは《魔族》――魔術の腕も相当ですね」
そうか。
あいつの立ち振る舞いや接近戦を好む戦い方に忘れかけていたが、あいつも立派な《魔族》。桁外れの実力を持つ魔術師であることは確かなのだ。
あの状況で咄嗟に障壁を展開できる冷静さも含め、かなり頭もキレるようだ。
結界を四次元的な空間制作術であるとするらば、障壁は三次元的な物体形成術だ。その下位にある膜は二次元的な領域指定術であり、魔導陣を形成するのに使われている。
障壁は結界よりも下位で、集約した元素を硬質化させて魔術的な壁を形成するだけの簡単な防御術でしかない。反面、シンプルであるが故に結界のように細かいプラグラミングが必要なく、大量の元素を集められるだけの技術があれば、短時間で強固な壁を作ることができる点が強みだ。
あの状況で即座に判断し、プラナの魔術を防げるほどに強固な壁を作り出すなんてのは十分すげぇ。
「敵のことを褒めている場合なのか?」
「ご安心ください、伯爵様」
事態の流れを見守っていたジゼリオス卿の嫌味のない問いにプラナはどこか酷薄に笑う。
「あのチンピラを生きて帰すつもりはこれっぽちもございませんから」
その言葉に、その残酷な横顔に、俺は背筋が凍りつくような錯覚さえ覚えた。
「新規魔導陣十八番から三十六番までを展開」
淡々とした指示に応じるように、連結魔導陣の両端にさらなる魔導陣が新たに形成されていく。魔導陣は屋敷の壁面全体を覆うように広がり、元素の充填を開始する。
合計三十六基の魔導陣。その全てが詠唱を省略しているとはいえ、立派な魔術だ。
おいおい、マジかよ……これがあの灰被りが寄越した宝珠の底力とでもいうのかよ。
「素晴らしいです……これだけ展開しても術者に対する負担がこんなに少ないなんて……!」
その力にプラナさえも感動に打ち震えている。
これだけの魔術を行使してなお、プラナの顔に疲れは見えないし、息も荒れていない。これも宝珠の補助機能あってのものなのだというのだろうか。
「汝の駆けた神話の戦場を――何時か駆ける新話の戦場を今ここに――」
クロームの詠唱は今も続いている。
聖剣デュランダルは仄かに輝きを宿し、クロームの周囲で風がざわつく。
後ろで纏められた銀色の髪が翻り、空気は限界まで張り詰めていた。解放の時を今か今かと待ち焦がれ、脈動するデュランダルの力に周囲のエーテルが励起し、蛍の光のように浮かび上がる。
「させッかよォッ!」
クロームの詠唱を阻もうとアメリスが再度突撃を図るが、横合いから飛び込むセシウの攻撃を察し、その蹴りをぎりぎりで受け止める。
しかし不意を突かれたアメリスは咄嗟にナイフでその脚を受け止めてしまった。ナイフは砂糖菓子のように容易く破砕され、勢いの衰えぬことのない蹴りが、アメリスの脇腹にめり込んだ。
アメリスの身体は鞠のように軽々しく吹き飛び、無様に地面を転がる。
「さっきまでのお返しだっ! ありがたく受け取りなっ! ハーフヘッド!」
地べたにキスをしたアメリスに対し、突き立てた親指で足元を指し、セシウは力強く言い放つ。
「ハッ! まだまだ貸し分には程遠いッつゥの!」
起き上がりながらも挑発を返し、アメリスは新たに取り出したバタフライナイフのブレード部分を手のスナップだけで露出させる。
「ふふっ、黙って腸をブチ撒けなさい」
俺の傍らで恍惚とした表情のプラナが呟く。同時に全魔導陣の元素充填が完了していた。
「全魔導陣、順次発動」
それはまさに死の宣告。
ただその一言のみで、すべての魔導陣が回転を始め、色とりどりの燐光を散らす。
「なッ! ざッけんなッ!」
大火が濁流が烈風が白氷が、弾丸となり、刃となり、鞭となり、槍となり、矢となり、奔流となり、柱となり、立ち上がったばかりのアメリスへと一斉に襲い掛かった。
その一つひとつは小さな魔術かもしれない。しかし、それらは次々と再充填され、さらなる魔術を放っていく。
一瞬の間隙すらなく、色とりどりの魔術はひたすらにアメリスへと雨のように降り注いだ。その猛威に籠められたのは憤怒か、憎悪か、殺意か、それとも何もないのか。
火の燃え盛る音、けたたましい爆発音、耳元で唸る風、水が弾ける音、大気の凍てつく音、氷の割れる音。あらゆる音にかき消され、そんなものはもう見えない。聞こえない。
「第一の大樹より生み出され――」
苛烈な攻撃の最中、クロームの声だけが俺の耳に届く。
傍らに立ったジゼリオス卿は庭を埋め尽くす庭の彩りを見つめ、のんびりと口笛さえ吹いていた。
もう倒しきれたと思っているのかもしれない。
「第二の塔にて研ぎ澄まされた――」
「全魔導陣、停止」
プラナの声に従い、あれほどまでに降り注いでいた魔術がぴたりと止む。舞い上がった静謐は声を発する間もなく庭園へと降り積もった。
まるでそれまであったことが夢であったかのような空白。
それでも轟音の残響は俺の耳で蟠っていた。
立ち上がった砂塵と塵埃が先程までアメリスがいた場所を覆い隠している。渦巻き晴れぬ幕に意味もなく焦ってしまう。
奴は死んだか?
「第三の龍に加護を授かり――」
一陣の風が吹く。魔術でもなんでもない自然の風が吹き荒び、庭に蔓延する塵埃を払拭する。
まず擂鉢状に窪んだ地面を見た。
一秒でも早く、提示される結果を目に収めたく、俺は窓から身を乗り出す。
かき乱された庭、ありとあらゆる魔術を一点に受けた地面は完全に抉れてしまっていた。
それだけの衝撃を受けたはずの中心に、その球体は当然のようにあった。
白色透明の球体だ。表面は光を受けて虹色に輝き、まるでシャボン玉のようにも思えた。しかしそれはシャボン玉よりも遥かに頑丈であり、あれだけの攻撃に晒されても罅一つ入っていない。
透けて見える球体の内側には、無言で立ち尽くすアメリスの姿。
そこに笑みはなく、瞳は瞋恚を宿し、口元は怒りに引き結ばれていた。眉根を寄せ、鋭利な目は引き絞られ、まるで俺たちを射殺すようだ。
隣でプラナが隠すこともなく舌打ちをする。
「あわよくば肉片に、と思っていたんですがね……。生意気な限りです」
プラナの血を湛えたような紅い瞳は本気だった。
そりゃそうだ。プラナは冗談でこんなことを言わない。
もしプラナが危なっかしいことを口にしたら、それは本気なのだ。
だからこそ恐ろしい。
「第四の扉を解き放った――」
アメリスの周りに展開された結界は音もなく、ゆっくりと薄まり、割れて破片を散らすこともなく消失する。結界の中で微かに浮遊状態にあったらしいアメリスの身体がトンと擂鉢上の地面の中心に着地した。
「テメェら……どうやらそんなにも死に急ぎてェらしいな」
唸るように低い声でアメリスは呟く。
両手にぶら下げたナイフが手から滑り落ち、大地に突き刺さった。
アメリスは虚空を掴むように腕を挙げる。
「イイぜ? そんなに早くイキてェッてンなら俺がイカせてやるよ」
虚空で広げたアメリスの手が何かを掴む。
何もないはずの空間に広がった波紋から伸びた、短い棒状の何かをアメリスは確かに掴み取っていた。
剣の柄……?
しかし、それでも俺は笑っていた。
「バァカ、もう終わりだよ」
「アァン!?」
今にも噛み付きそうな勢いで吼えるアメリスさえ今は滑稽だ。
最早、勝負は終わったも同然だった。
俺は今まさに何かを解き放とうとしているアメリスから目を逸らし、クロームへと視線を投じる。本来なら愚の骨頂とも思えるその行為さえ、今の俺には容易く出来た。
俺の目の動きを察したアメリスもクロームへと目を向け、息を呑んだ。
クロームの周囲では膨大な量のエーテルが励起し、眩いまでの光を放っていた。クロームを中心にして風が逆巻き、庭の芝生が小波のようにざわめく。
「第五の天を征して尚、不敗の剣よ――」
閉ざされていたクロームの目が開かれる。アメリスを見据えたその銀色の瞳さえもが、体内のエーテルの活性化により淡い光を宿していた。
アメリスが僅かに後ずさる。あのアメリスが、好戦的に貪欲に戦いを求めているようなあいつが危機を察して下がった。
分かっているじゃねぇか、流石は抜群の危機探知能力を持つ《魔族》だ。
少しばかし遅かったけどな。
俺は煙草を咥え、ゆったりとした動作で煙草の先をオイルライターで炙った。
安っぽい紫煙の味わいさえまるで最高級の葉巻のように美味に感じられる。それは紛れもない勝利の味だった。
「其の力を以て、此の時、此の場所に神威を示せっ!」
クロームがデュランダルを天へと掲げる。その瞬間、大気中のエーテルが一瞬にして動き出した。この空間に満ち溢れた膨大な量のエーテルが光を放ち、俺たちの視界を真っ白に染め上げる。
世界が生まれる以前にあった無とさえ錯覚するような純白が俺たちを包み込んだ。
「《旧き剣》ッ!」
張り上げられた声と共に光は急速に収束し、世界が再構築されていく。
無論比喩だ。世界はそもそも分解さえされていないし、あの剣に新世界創造の力はない。
しかし、強すぎる光によって未だ眩んだままの眼球が取り入れ、脳が処理して認識させた景色は、まさに神話の再現であった。
天空を埋め尽くす、雲霞の如き剣の群れ。形状も用途も物語も時代も異なる無数の剣が、空を塞いでいる。
太陽の光さえも翳らせる剣の群集の切っ先は、その全てがアメリスの心臓へと向けられていた。
これを神話と呼ばず、何と呼ぶというのか。何に喩えろというのか。
創世の時代が、今ここに組成され、蘇生した。
アメリスは自らを狙う天上の剣を見上げ唇の端を微かに吊り上げる。
「オイオイ、なんだよこりャ……」
そして《魔族》は哄笑を上げた。
空に唾を吐くように、高らかに笑い始めた。
「アーッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!」
クロームは剣を空に掲げたまま、ただ冷たくアメリスを見つめている。そこに荒れ狂うような殺意はなく、ただ雪の夜のように静かであった。
誰もが狂ったように笑うそいつをただ見ていた。
「こりャとんでもねェジョークだっ! ハッハッハッハッハ! なんて荒唐無稽なペテンだッ! 選りにも選って空が落ちやがッたかッ!」
天を衝くような高笑いさえ、今は剣に塞がれて、どこにも逃げられない。
一頻り笑い声を搾り出したアメリスは「アー……」と渇いた声を漏らす。
「いいぜェ……俺をイカしてみろよッ! 勇者さんよォ!」
途端にアメリスは地を蹴り、駆け出――天空から三振りの剣が放たれ、アメリスの手の甲へ、太股へ、足へ突き刺さった。
剣がアメリスの身体を地面に縫い留める姿はまさに虫の標本だった。
クロームはデュランダルの切っ先をアメリスへと向ける。
「神話を以て貴様の生命を制裁しよう」
「ハッ! イカすな、そのキメゼリフ! クセになりそうだ――ガッ!」
さらに新たな剣がアメリスの肩を貫いた。
何をしようとムダだ。
もうアメリスに勝ち目はない。
十八小説の詠唱を要して解放された《旧き剣》の力は今までのそれとは桁違いだ。
例え《魔族》であっても、神話の時代に現存していた剣を受けて無事でいられるはずがない。
クロームの詠唱を許してしまった時点で、アメリスの負けは決定していた。
俺は煙草の煙を吐き出し、ただ、そいつの最期を記録しようとアメリスを注視する。
無数の剣が、お前を終わらせようと待っている。この荘厳なる処刑台の上に在って、お前は何故笑っていられるんだ?
「貴様相手に語らう時間も惜しい。貴様如きに手向ける言葉も、ない。ただ、俺からのささやかな剣を受け取れ」
「ヤってみろよ、どこまでイケるか見てきてやンぜ?」
未だに屈することのないアメリスに対しても、クロームの表情は無いでいる。
そうして、クロームは無言のまま、首を刎ねるように剣を下ろした。