Dispatched Am―放たれた刺客―
庭を焦がす劫火はまるで蒼穹にぶら下がっているようだった。
逆巻き、酸素を本能のままに食らい、のた打ち回る紅い獣の群集。
熱い風が頬を撫でる。絡みつく熱に、額から汗が滲んだ。
二階の窓を埋め尽くすほどの大火。
生き残れるはずがない。逃げ切れるほどの余裕もなかったはずだ。
……死んでくれよ、頼むから死ね。
真っ赤に染まった窓を見つめるジゼリオス卿を俺は横目で見る。橙に染まった顔は多少驚いているものの、目だけは品定めするように炎を観察していた。
「せっかく整えた庭を燃やしてしまってすみませんね、伯爵様」
「別に構いやしない。状況が状況だ。しかしこれでは、勇者様たちが巻き込まれているんじゃないか?」
どうやらこんな状況でもクロームたちの心配をしてくれているらしい。いやいや、言っちゃ悪ぃがなんかやりやすいわ、この伯爵様。
最初は戸惑ったけど、理解があって助かる。
心配そうに炎を見つめるジゼリオス卿にプラナはくすりと笑った。
「大丈夫ですよ、二人は結界で守っています。あの魔術は私がプログラミングした魔術、それを防ぐようにプログラミングした結界を拵えるくらい造作もありません」
「ほう、さすがは勇者一行の魔術師だ。そんなこともできるのか」
素直に驚くジゼリオス卿にプラナもご満悦のようだ。
簡単に言うけど、そもそも二種類のプログラミングを並列して行うこと自体、人間業じゃない。
右手で絵を描きながら、左手で文章を書くとかそういったレベルのものではない。本来、脳をフル動員しても数時間、物によっては数日を要するような膨大なプログラムをこの短時間で二つ同時にやってんだ。並大抵の人間なら、完成する前に回路が焼き切れる。
魔術師の脳みそってのは本当にどうかしてんぜ。エーテルの基本性質である『重ね合わせ』を用いた超並列処理による手助けがあってこそだと分かっちゃいるが、恐ろしいもんだ。
魔術によって形成された炎の崩壊現象が徐々に始まっている。プラナの支配が薄れた大火は火の元素へと還元され、じきに炎は消えるだろう。
もしもの時を想定し、俺は銃を構え直し、窓の脇から庭の様子を窺う。
「ジゼリオス卿、あのような野蛮で非効率的でムダの多い機械なんてものより、魔術の方がずっと優秀であることは、火を見るよりも明らかだと私個人は思うのですが」
耳に入ってくるプラナの声は、表面上淡々としているもののどこか棘があった。
プラナの嫌味混じりの言い方に納得する。
いつもよりやたら強めの火力だったのはそういうわけか。プラナはこの機械大好きの伯爵様に魔術の偉大さを見せ付けてやりたかったんだろう。
分かりやすいような、回りくどいような……。
技術製品好きの逆鱗に触れるような言い回しだったというのに、ジゼリオス卿は闊達に笑い声を上げる。
「よしてくれ。俺には魔術の素養ってもんがこれっぽっちもない」
自虐するわけでもなく、ジゼリオス卿は言う。
別にそれを恥と思ってはいないんだろう。
火勢が急速に弱まっていく。炎は紅い粒子となって空に上り、溶け込むように消える。
「それに、なんだ――」
俺は銃を握り締め、あいつの黒焦げ死体が拝めることを切に願っていた。
生きていてもそれなりにダメージはあるはず。ならばせめて先手を打って、息の根を止めたいもんだ。
「――過ぎた力は人を孤独にする。魔術はそういった類のものだよ」
ジゼリオス卿の言葉に俺は、つい昨日プラナから聞いた話を思い出してしまった。
まるで終焉を思わすような黄昏の道、プラナが語ってくれた過去。
人のためを思い、強大な力を身につけてしまったが故に、人に恐れられることとなった一人の少女の話。
今、プラナはどんな顔をしているんだろう。
振り返ることができるほどの余裕はなかった。
炎が消える寸前まで弱まったのを認め、俺は壁に押し当てていた背中を跳ねるように離し、庭に向かって銃を構える。
そこには黒焦げの《魔族》――せめて重傷を負ったアメリスがいるはずだった。
だというのに。
庭には小さなドーム状の結界があった。
半透明の赤く薄い壁の一つはクロームを、一つはセシウを覆っている。最低限二人を包める程度の結界は幾分か窮屈そうでもあった。
そしてもう一つ、アメリスを覆う結界があった。小さく、狭い、正方形の結界の中、窮屈そうにしゃがみ込んだアメリスの姿には傷も火傷もない。
生きている。
傷一つ負わず、アメリスは結界の中から俺たちを睥睨していた。
三人を包み込んだ結界が罅割れ、硝子の割れるような澄んだ音を立てながら消失したのはほぼ同時。
プラナの大火力によって時間を稼いだお陰だろう。二人ともある程度は回復できたらしく、結界が壊れるのに合わせて素早く立ち上がり、構えを取っていた。
同様に立ち上がったアメリスは目の前に立ちはだかる二人をゆっくりと見渡し、大仰に肩を竦める。
「そうかい、そんなに焼き上げるのがお好みかァ?」
アメリスの両手が閃く。どこからともなく取り出し、真上に投げた二つのバタフライナイフのグリップ部分がくるりくるりと回転し、収納されていたブレードが露出する。白日に晒されたナイフの煌きに一瞬の眩ささえ覚えた。
まさに蝶が羽ばたくようにグリップで羽ばたいたナイフを慣れた動作で掴み取り、アメリスはナイフを持った両手を垂らす。
「イィぜ。俺も飢えてンだ。テメェら全員ミンチにして、ミートパイでも拵えてやろうじャねェの」
アメリスの身体が前に傾く。途端にアメリスはクロームへと迫っていた。
クロームの剣とアメリスのナイフがぶつかり合う。
速度を乗せて放たれた右手のナイフの突きをクロームは剣で防ぎ、大きく弧を描いて振り下ろされる剣を弾き返す。アメリスは退かず、弾かれてよろけた身体から即座に回転蹴りを放った。
クロームの素早く身を反らして蹴りを避け、そこからアメリスの横合いへと回り込む。
しかしアメリスの身体はさらにもう一度回転をしつつ、全身を折り曲げ地面を這うように回る。
クロームの斬撃はアメリスを仕留められず、僅かに逃げ遅れた毛先を刈っただけだ。
「ヒュゥッ!」
逆手に持ち替えた左手のナイフがクロームの右太股をなぞるように切り裂く。クロームの顔が一瞬歪む。順手に持ち直したナイフが翻り、今度は腹部を撫ぜる。
密着されてる状態では分が悪いと判断し、クロームは間合いを取ろうと飛び下がる。が、アメリスは地を這うようにクロームの左脚を引っかき、クロームの目の前でバネのように跳躍した。
逆手に持ったナイフが身を反らしたクロームの頬を切り裂く。
そのままアメリスはクロームの肩口に背面を向けて飛び越え、背後へと着地。起き上がりながら背中に蹴りを叩き込んだ。
「バァカ。下がったら負けだッつゥの」
背中にキツい一撃を受けて地面に倒れたクロームに中指を立てて、アメリスは舌を出してみせる。長く細い、獣のような舌だ。
挑発にかまけて隙だらけのアメリスの脇から駆けつけたセシウが殴りかかるが、アメリスは振り返ることもせずにしゃがみこんであっさりやり過ごす。
大振りの一撃を空振りしたセシウの真下にはアメリス。両手には逆手に持ったナイフ。
セシウはクロームが先程食らわされた一撃を思い出し、即座に上体を後ろに引く。だが、アメリスはくるりと地面を這ったまま回転し、伸ばした脚でセシウの隙だらけの足を払った。
重心が後ろに傾いていたセシウはそれだけでバランスを崩し容易く地面に倒れこんでしまう。
「何度も同じ攻撃するワケねェだろッつゥ! ンのタコッ!」
おいおい、どういうこったよ。
これが《魔族》だっていうのかよ。
あの二人が束になっても勝てないような連中なのか。
いくらなんでもおかしいだろ……。
相手が《魔族》でも、俺たち四人がその気になりゃ、倒せないまでもそこそこの戦いはできるもんだと思っていた。相手に深手を負わせることくらいはできるだろうって考えていたんだ。
「どうしたどうした! 勇者なンだろ! 英雄様なンだろ! なッさけねェ話だなァ! エェッ!」
なのに、なんだよ、この状況は。
アメリスと初めて戦った時、俺たちはあいつを退けることができた。
……あの時は全然本気じゃなかったってことなのか。
イッテルビーでの戦いにおいて、俺たちはトリエラに大敗を喫した。でも、あの時の俺たちは冷静さを欠いていただけで、作戦を組んで堅実に戦うことができれば勝てるかもしれない、という認識も間違いだったのか。
「少しは気持ちよくなれッと思ッたのによォ。揃いも揃って半端すぎンゼ、自称勇者さん方よォ」
今、この状況で俺たちの不利になる要素はない。
意識結界は周辺の人々に配慮をする必要がなく、むしろ俺たちにとってはプラスでさえある。その上、事前に張られた結界を察知したことで心の準備もできていた。
感情的になる要素もないはずだ。
別に伯爵様を人質に取られてるわけでもないし、伯爵様が執拗に狙われているわけでもない。
後裔は敵の攻撃には晒されず、援護のしやすいポイントにいる。前衛が後裔を守ることを考える必要もないという利点でさえある。
何一つ不全はなかった。これを万全と呼ばずして、何を万全と呼ぶというのか。
それでも俺たちは今、成す術もなく圧倒されている。
この程度なのか……俺たちは。
俺の考えは……甘かったのか?
俺たちなんかでは――
「終わってなどいない」
弱々しく吐き出されたクロームの声は、それでも二階にいる俺の耳まで確かに届いた。
沈み込んでいきそうだった意識が、忘れかけていた認識が、俺の中で鮮烈に蘇っていく。
それはまるで渇いた大地に染み込む雨水のように、俺の心へ浸透していく。
「アァ? 今なンつッたよ?」
「まだ……終わっていない。誰がもう終わりだと言った?」
地面に倒れたクロームの手が伸び、地面に倒れた剣へゆっくりと伸ばされていく。
顔の傷から溢れた血はまるでペンキのように白い頬へ張り付いている。いつの間にか頭も切っていたらしく、額を流れた血が左目を塞いでいた。
「ハッハッハ! そのザマで言えたセリフかッつゥの。オメェ今、最高に惨めだぜ?」
アメリスの罵倒に感情的になることもなく、クロームは掴んだ剣を庭に突き立て支えとし、弱々しく、それでも確かに立ち上がった。
鬱陶しい血を手の甲で乱暴に拭い、クロームは口の中に混じった血を唾と共に吐き出した。
「それがどうした……。惨めだったら何がいけないというんだ」
クロームはよろけて倒れてしまいそうな身体で、それでも剣を構えた。両足に傷を負ってるっていうのに、なんでお前はそこまで立とうとする。
未だに負けを認めようとしないクロームの面倒さにアメリスは苛立ちすら覚え始めているようだ。
眉を顰め、眼光がギラギラと獰猛に輝く。
「あのよォ、勇者さんよ、この状況分からないワケ? お前、本当に刻まれてェのかァ?」
「俺が勇者であるのなら、ここで倒れるわけにはいかない」
「アァン!?」
「そうであるのなら、誰かがそうあることを望むのなら、なおさら俺たちは負けられない。負けてはいけない。その最期の一瞬まで、貴様たちに毅然と挑むべきなのだ」
そうだ。
俺たちは負けるわけにはいかない。負けることは赦されない。
どんな状況であろうと、勇者一行である俺たちが屈してはいけないんだ。
俺たちは民衆の希望となることを望まれている。
その期待を背負った以上、俺たちは負けられない。
「来い、アメリスッ! 叩き潰してやるッ! 貴様に俺の魂を砕けるか、試してやろうッ!」
剣の切っ先をアメリスへと突き付け、クロームは言い放つ。
そうだ。何を弱気になっていたんだ、俺は。
負けることを考えてどうする。俺たちが諦めてどうする。
俺たちが戦うことをやめたら、誰が戦うというんだ。
お前に励まされてばかりだ、俺は。
人を救うということの難しさをいつも気付かせてくれる。その気高さに心を揺さぶられる。
やっぱり、お前は、勇者なんだ。
お前が勇者であり続けるのなら、俺も勇者の仲間として最善を尽くそう。
「プラナッ! クロームの援護を!」
「はいっ!」
「詠唱は省略! 緩急をつけた魔術で動きを制限しろ! 当てなくていい!」
「任せてください!」
窓際に駆け寄ったプラナの魔導杖に嵌め込まれた宝珠が淡い光を宿し、瞬間虚空に無数の魔導陣が出現する。半径一メートルほどの小規模な魔導陣たちは全てが線で繋がっていた。この魔導陣の群れそのものが一つの連射型魔導陣だ。
自らが形成した大量の魔導陣を見て、プラナはどこか恍惚とした顔で微笑む。
「すごい……これがサニディンさんの宝珠サーペンティン……。クロシンのスペックをこれほどまでに高めるなんて……」
そうか。そういえばプラナはあの人格破綻者の灰被り店主からそんな宝珠をもらっていたな。
あいつの宝珠が、これほどまでに大量の魔導陣の形成と同時演算を可能にしたっていうのか。
「これが結晶魔術、最初で最後の使い手と謳われた《結晶の魔術師》の実力……!」
確実に高められた力に、プラナの頬は上気し桃色になっていた。
「この力ならば……!」
魔導陣への元素の充填が完了し、魔導陣が赤、緑、青の輝きをそれぞれに放ち始める。
「行きますよ。殺され方を選ばせてやるわ、《魔族》ッ!」