Dispatched Am―放たれた刺客―
インジスの用意した朝食を食べ終え、俺は一人自室に戻ってきていた。リビングじゃ煙草は吸えないから、食後の一服をするためだ。
ついでに置きっ放しだった眼鏡をかけ、開け放った窓の枠に腕を載せて、一服を満喫する。
部屋では吸っていいということではあるが、流石に部屋を煙草臭くするのは申し訳ないので、こうやって極力窓から顔を出して吸うようにしていた。
外の景色を眺め、煙を吐き出す。今日は風も穏やかで、煙はゆったりと空に昇っていく。
……もう少しで出かける時間だ。
一服を終えたら、すぐに下へ戻った方がいいだろう。
しっかし――
「おっかしいな……」
この流れだといつもは当然のように窓から侵入してくる奴がいるはずなんだが……。
んー、読みが外れるのは珍しい。
少し居心地が悪い。
まあ、この前釘を刺されたばっかりだしな。
少し頭冷やせってことか……?
余計にあの時あいつから投げられた言葉を鮮明に思い出してしまう。
『私は、きっとお前が思っているようなモノではない』
『人間の物差しで計れば、私は考えるまでもなく悪人だ』
『私はお前と違い、お前は私と違う』
『私は咎人だ。この世界を滅ぼそうとする者達の仲間だ。変な思い入れをすることもない』
あいつはどんな気持ちであの言葉を言ったのだろうか。
今の俺にはそれすら判別がつかない。
紫煙と一緒に重いため息を零す。
分かっている。あいつが《魔族》だなんてことは。十分分かりきっている。でも、それでも、俺はあいつを敵として見ることができないし、悪人とも思えない。
本人がどう言っても、やっぱり俺からすりゃあいつは善人だし、その辺の人間よりもいい奴なのだ。
あいつを《魔族》として見るということができない。
「それを分かってないって言うんだろうよ……」
独り、声を絞り出す。
そう思えない時点で分かりきってなどいない。
これではいけない。どうあっても、あいつがどんなに優しい奴であろうと、どんなに俺たちに協力をしようと、それでもいずれは倒さなければならない敵だ。
あまり入れ込まない方がいいに決まっている。心を凍らせているのが本来は正しい。
分かっちゃいんだよ。
そんなのはさ、分かりきってるだろ。
その方が辛くもないだろう。
いつしか煙草はそのほとんどが灰となっていた。そよ風に吹かれ、自重に耐えられなくなった灰は窓の下へと落ちていく。
「どうすりゃいいっつぅんだよ……」
誰に聞いても答えなんか出ないだろうし、そもそも聞ける相手だっていなかった。
俺はどうするのが正しいんだろうな。
全世界の宿敵である《魔族》として、善良な女を殺して世界の終末を防ぐか。
それとも人間以上に人間らしい女を殺さないために、世界を終末へと導くか。
結局はその二択だ。
ホント、あいつが分かりやすい悪人だったらよかったんだ。
それならこっちだって、そう在れたっていうのに。
「儘ならねぇよな、ホント」
……時間だ。
行くとしよう。
一階に下りるとクロームはすでに身支度を整えていた。セシウとプラナはそもそも朝食の前に準備を終えている。
どうやら俺待ちらしい。
リビングに入るなり、全員の視線が俺に集中した。
「おいおい、そんなに見つめるなよ。照れるじゃねぇか」
「何言ってんの、ガンマ」
三人がけのソファに座り、アイスココアを飲んでいたセシウに冷たくあしらわれる。
プラナとインジスは苦笑してるし、クロームはいつも通りの仏頂面だ。
必然俺の話しかける相手はセシウとなる。
「なあ、セシウ。確かに春の日中は少しばっかり陽射しもあったかくなってきて、冷たいものもほしくなってくるかもしれない。でも人と人のやり取りはいつでもホットが素敵なんだぜ」
「それでもガンマの冗談は寒いからいらないかな」
セシウの返しに一人がけのソファに座っていたインジスがぷっと微かに吹き出した。
「はい! そこ笑わないっ!」
「うふふ、ごめんなさい」
相変わらずたおやかに笑いつつ謝り、インジスは読んでいた本で顔を隠す。絶対ニヤけてるだろ、あれ。
「おい、セシウ。お前のせいで笑いものにされたぞ」
「自業自得でしょ」
ぷいっとセシウにそっぽ向かれる。
「まあ、聞けって」
言いつつ、俺はセシウの脇に置かれた毛布を避けて、流れるような動作で腰を下ろす。
「ちょっ! なんでここに座るのさっ!」
「いいだろ、そんなの。広いんだしよ」
大体、一人がけのソファはインジスが使ってるし、食卓の方にはクロームとプラナが向かい合って座っているんだ。とりあえずあの二人のところには座れんだろう、空気読んで、人として。
「やだっ! なんか移りそう!」
「移るってお前なぁっ!」
よほど嫌なのか顔を赤くしてムキになって俺を蹴ってくるセシウに少し心が痛む。蹴られた場所も普通に痛い。
「あっちいけー!」
「いで、いでっつぅの!」
ずかずかと遠慮のない蹴りを食らい続けるのも嫌なので、ソファの隅の方へと渋々移動する。セシウとの間には畳まれた毛布を置き、一応の境界線としておく。
それでも警戒のレベルは高いらしく、セシウは唇を引き結びじっと俺を睨んでいた。
獣がおる。獣だ。
今にもがるるぅとか威嚇してきそうである。
嫌われてんのかね、俺……。いや、別にこいつに嫌われても全然問題ないじゃん?
多少間を置くと、警戒レベルが下がったしくセシウは肘掛に頬杖をかいて、窓の方へと目をやった。
「それで? 準備はできてるの?」
「ん? ああ、もうできてる」
「そ。ならいい」
……こいつなりに気にかけてるんだろうか。
いやいや、そういうことは考えないようにしていたじゃないか。やめておこう。
「ふむ、準備ができているなら、早めに出るとするか」
言って、クロームがおもむろに立ち上がった。
時計を見るが、まだまだ余裕は十二分にある。どうやらじっとしていられない性分のようだ。分かりきってたけどよ。
流石に早いと思ったのか、インジスも少し驚いているようだった。
「あら、もう行くの?」
「ええ、早めに着いた方が都合もいいでしょう」
言いつつ、クロームは上着かけにかけていた自分のジャケットへ颯爽と袖を通す。
「もう少しのんびりしてもいいんじゃねぇか?」
「ここでじっとしていてもしょうがないだろう」
「どうせ、行っても時間を持て余すだけだ。寛げるうちに寛ごうぜ?」
十分早く行動したところで、この状況ではできることも限られる。ならばその時間を休息に当てた方がいいだろう。休める時に休むのは俺の主義だ。
「お前の程度ならそうだろうな。余裕を持って行動するのは人として当然のことだ。それは誠意を表すものでもあるだろう」
「早く行ったところで相手としては迷惑な場合もあるけどな。早く行くだけで済むなんて、随分とお手軽な誠意だ」
クロームが俺を睨む。俺もクロームを眼鏡越しに睨む。
俺とクロームの間で空気が張り詰めていく。
やっぱ、どうにもこいつとは考え方合わねぇよな、本当。
考え方が完全に別方向へ向かっている気がする。
そりゃこうやって衝突するわけだよな。プラナに対してだったら、まだ合わせてもいいんだが、こいつに合わせるのはなんか気乗りしない。
「ま、まあまあ!」
隣に座っていたセシウが立ち上がり、俺とクロームに笑いかける。けど、お前の笑顔、なんかすんげぇ引き攣ってるぞ。
「ほ、ほら、いざ出かけようとした忘れ物とかあるもんだしさ、今から出ようとしたら、なんだかんだちょうどいい時間になるよ!」
……なんだそのざっくばらんな計算。
いや、ていうかそういうことを織り込んだ上での出発時間だろうに。
言い返そうと思った途端にずいっとセシウが顔寄せてくる。
「ごめん、ガンマ。今は合わせて」
こっそりと俺に耳打ちして、セシウは微かに寄せていた顔をすぐに離す。
あー、そういう。
……。
…………。
仕方ねぇな。
「ね、ガンマ。早めに行って、ゆっくりしてる分にはいいじゃない。ここにいても、向こうにいても、話して時間潰せるんだしさ」
「まあ、そう言われちまうとそうかもしれねぇが……」
最初っから同意すると途端に胡散臭いので多少の難色は示しておく。
まさか俺が、セシウのたったそれだけの言葉で意見を変えることになるとはな。
なんとなく思ってしまったのだ。こいつが分かっていてくれるなら、それでまあいいか、と。
……またよくない傾向だ。抑えろ抑えろ。
「しょうがねぇ。行くとすっか」
あえて気怠るそうに重い腰を上げるフリをする。フリ、だ。あくまでフリ。
なんとなくクロームに負けた気もするが、セシウが促してくれたお陰で譲る気になれた。それだけのことだ。
「ようやくその気になったか」
「まあ、こんな口論をしていたお陰で、随分といい時間にもなったしな」
クロームに対して素直な返事をするのもらしくないので皮肉も返しておく。こうやって、常日頃の対応を意識的にできるのは、常日頃から意識的に対応してるからなのかね。
そう考えると俺ってつくづく酷い奴。
「プラナ、行けるか」
「はい、もちろんですよ」
クロームの呼びかけにプラナは素早く応じ、席を立つ。さすがプラナというべきか、クロームの要求へ即座に答えるな。
「それではインジス。出かけてくる」
「ええ、いってらっしゃい。気を付けてね」
椅子に座ったまま微笑み、インジスは俺たちに手を振った。
なんかいいよな、こうやって送り出してくれる奴がいるっていうのは。
「夕食はどうする?」
「あー、多分それまでには帰ってこれると思うかな」
少し考えて俺は答える。まあ、さすがに向こうで夕飯までご馳走になるのも申し訳ないし。
大丈夫だろう。
「そう。じゃあ、用意しておくわ。何か食べたいものはあるかしら?」
「ハンバーグ!」
真っ先に快活な声で答えたのはセシウだった。びっと手を挙げて、無邪気な笑みはまるで子供。思えば学び舎の時分からこいつは元気に挙手して、間違った答えを元気な声ではきはき言う子であった。
あの頃と何一つ変わらん。
「ハンバーグってお前、ホント子供だよな」
「うっさいなぁ!」
その辺も全く変わっていない。
顔を真っ赤にして怒るセシウを放って、俺はテーブルの方へと足を向ける。
「ふふふ、じゃあ、今晩はハンバーグにするわね、セシウちゃん」
「やったー!」
「あ、そうだ。セシウちゃん、出かける前にそこの毛布戻しておいてくれる」
「はーい!」
夕飯が好きなものに決まって気分がいいんだろう。セシウの返事は上機嫌だ。そんな二人のやり取りを聞きながら、俺は椅子の背凭れにかけられた自分のジャケットを手に取った。
我ながらイカしまくりのスタイリッシュな動作でジャケットを着るが誰も見ていない。
……悔しくなんかない。
別に、全然、虚しくなんかないし。