Dispatched Am―放たれた刺客―
水の流れる音が聞こえる。それに混じって聞こえるカチャカチャという音もあった。その音に俺は目が覚めた。
少し考えて、それが食器を洗う音だと気付く。目覚めて真っ先に思考を巡らす辺り、俺もなんか末期なのか、と片隅で思ったりする。
つぅか、ここどこ……?
分からない、ということが嫌いな性分である俺は、状況を確認するために体を起こした。
……広々とした空間、柔らかくありながら多少硬い感触、俺はソファの上で眠っていたらしい。カーテンが開け放たれたガラス戸からは眩いほどの陽光が射し込み、小鳥の囀りも耳に心地いい。
実に清々しい朝だ。
寝惚けた頭で周囲を見回すにつれて、少しずつ状況を把握してくる。
ここはリビングか……。
さらに視線を巡らすと、テーブルに突っ伏して眠っているクロームの姿もあった。ジャケットをかけられて、寝息も静かに深く寝入っている。
イケメンは寝てる顔もイケメンだから腹立たしい。
さらに奥、対面式のキッチンでは藍色の髪を結い上げたインジスが洗い物をしていた。手元に注がれていた垂れ気味の目が、ふと俺の方へと向けられる。
「あら、ガンマ。おはよう」
この朝の穏やかさによく合う、柔らかい声で言って、インジスはにっこりと笑う。見る者全てを魅了する慈母のような笑みだった。
やっぱ朝ってこれくらい爽やかで然るべきだよな。久々の穏やかな目覚めになんだか目頭すら熱くなってきた。この程度のことで目頭が熱くならないといけない日頃の俺を思うと余計泣けてくる。
負のスパイラルだった。
「どうしたの? ガンマ。私の顔をそんなに見て。何かおかしなところでも」
「あ、いや、そういうわけじゃないです。あー、はい、おはようございます」
俺のぎこちない言い方に、インジスはくすくすと笑う。
「寝坊すけさんね」
……確かにまだ頭はまともに回っていない。
どうして自分がここで寝てるのかもよく分かってなかったりする。
あれ、ていうか、俺、インジスにいつもどういう口調で話してったっけ。
普段割りと頭回して話してる分、寝起きはたまに特定の人物に対する話し方を忘れる。
……眠ぃ。
こういう時は情報を頭に入れて、回転を促すのが一番だ。
「セシウとプラナはもう起きてます?」
「二人とももう起きてるわよ。部屋で支度を整えているんじゃないかしら?」
「はぁ……ん? シタク?」
何か引っかかるけどなんだったか。
なかなか思い出せない。
そんな俺の様子にまたインジスが笑う。
「本当に寝惚けてるのかしら。昨夜、言ったじゃない。貴方たちに会いたいって人がいるって」
「…………」
待て。俺の脳みそ本当に大丈夫か。
どうにも回らないと思ったけど、昨日酒を飲みすぎたじゃねぇか。
そうだ。寝る前のことをようやく思い出してきた。
このまま回転率を上げていこう。
えーと、そうだ。確かにそんな話があったな。
「伯爵様でしたっけ」
「そうよ、ここの領主様。まさか本当に忘れてたの? ガンマにしては珍しいわね」
「自分のことに関してはそんなに計画的じゃないんですよ、俺は」
欠伸を噛み殺し、瞼が未だに重い目を擦る。
割と自分の周辺のことに関しては気を向けられない方だ。
「自分の周りの人にも関わることでしょう? ふふ、ガンマは眠いとこういう会話も苦手になるのね。なんだか珍しいわ」
いや、そんな無邪気に笑われても……。
ていうか今、なんの話してんだ、これ?
また欠伸が出てくる。寝直したいくらいだ。
「まあ、まず顔洗ってきなさい。もうすぐ朝食もできるから」
「ん……あー、はい」
力なく返事をして、俺はソファから立ち上がる。その時にようやく、自分に毛布がかけられていたことに気付いた。
……インジスでもかけてくれたんだろうかね。
そういうところ、本当気が利くよな。
俺は覚束ない足取りで洗面所へと向かった。
冷水で顔を洗ったら眠気も随分とマシになった。
まだ頭の隅っこに眠気はあるが、それでも意識は鮮明になっただろう。
ついでに歯も磨いて、リビングへ戻ると、すでにセシウとプラナも下りてきていた。
ソファに座っているセシウは長い紅髪を結い上げ、普段通りの私服に着替えているし、クロームと向かい合うようにテーブルにつきミルクを飲んでいたプラナはいつもと変わらぬローブ姿だ。
「あ、ガンマ、おはよ」
ソファの肘掛に凭れかかるようにしてくつろいでいたセシウが俺に気付き、その挨拶でプラナも座ったまま俺の方を顧みた。
「あら、ガンマ、おはようございます」
「うぃ、おはよーさん」
プラナの方を向いて軽く挨拶を返し、俺はソファに挟まれたテーブルへと向かう。ソファに座るセシウはどこか不機嫌そうな顔をしていた。
「どうした。朝から不機嫌そうな顔して」
「別に。どっかの眼鏡が挨拶も返さなかっただけ」
ぷいっとそっぽを向かれるが気にしない。理由は分かってて聞いてるし。
「そらそうだ。眼鏡は挨拶どころか言葉を発しねぇよ」
「あんたのことだろっ!」
セシウの隣にあった薄手の毛布を投げつけられた。俺の腹部に当たった毛布はそのまま音もなく、絨毯の上に落ちる。
「そもそも俺、眼鏡かけてねぇし」
「あー、眼鏡かけてないからガンマって分からなかったなぁ」
上擦った声で言うセシウの目は泳いでいる。
「お前らやっぱ眼鏡かけてなくても俺だって分かってんじゃねぇか!」
どいつもこいつも眼鏡がないと分からないとか眼鏡が本体とか言うくせに詰めが甘ぇなぁ、おい。
ちゃんと設定は一貫しとけよ!
ため息を吐き出しつつ、俺はテーブルの上の朝刊を手に取り、一人がけのソファに腰を下ろして足を組んだ。三人がけのソファはセシウに占領されてるし、わざわざこいつの隣に座る必要もない。
「それで? 昨夜は二人で飲んでたわけ?」
「それがどうかしたのかよ?」
広げた新聞に目を通しつつ、俺は問い返す。
「いや、クロームまでぐっすり眠ってるし、そんなに飲んでたのかなぁって思って」
「ああ、そういやクロームは起きてねぇな、珍しく」
未だにテーブルに突っ伏したクロームはぐっすりと眠っている。ジャケットかけて居眠りしてるだけでイケメンだから死ねばいいと思う。何度でも思う。
「クロームがこんなに眠っているなんて珍しいですね」
言って、プラナはくすくすと笑った。
女性は好きな男性のそういう様子を見て可愛いって言うんだろう? よく分からない感覚だ。
「まあ、いつもは時間通りに起きるからな。アイゼンシュテルンの機械並みの精密さで」
あの帝国の機械っていうもんは人間にはできない精密な動きが可能だ。
俺はクロームを機械の一種とさえ思っている。少なくとも機械のような奴だと言っても間違っていないとも。
しかし俺の例えが気に食わないのか、珍しくプラナは唇を尖らせた。
「あんな鉄の塊よりも魔術の方がよっぽど精密ですし、手間もかかりません」
……あー、魔術師の前で機械の話題っていうのはいけなかったな、そういや。
俺たちの生まれ育ったこのマケドニア皇国は魔術によって繁栄した国だ。魔術はこの国の根幹にある文化であり、今ある文明も魔術によるものばかりである。
反面、アイゼンシュテルン帝国は技術の国。鉄工によって繁栄した国であり、機械が全ての根幹にある。文明もまた機械が生み出してきた。
マケドニア皇国は魔術を、アイゼンシュテルン帝国は技術を至上とする。そして互いを理に外れたものとして認めていない。
現在、世界は魔術至上国家と技術至上国家、それといくつかの中立国によって分けられている。終末龍の危機に晒されている今、大きな戦争こそ起こっていないが、やはり国境間での小競り合いなどは続いている。
魔術師と技術士もまたそうだ。
魔術師の前で、アイゼンシュテルン帝国の機械の話をしようものなら、間違いなく機嫌を損ねる。
実際今プラナは体から黒いオーラまで発していた。
「あー、すまねぇ、悪かったよ。確かに魔術の方がよっぽど頼りになる」
俺はどっちも一長一短だと思ってるが、ここは同意しておいた方がいいだろう。
「そうです。その通りです。魔術の方がずっと優秀ですよ。魔術は彼の唯一神アカシャ様が我々子らに与えた術であり、つまり神が生み出したものです。世界のあるべき形といってもいい。我々は世界の枠組みから外れず、神より賜った素晴らしき術を活用し生きているわけです。それに引き替え、あのブリキ野郎どもといったら……ガンマ、聞いていますかっ!」
「あ、はい! 聞いてます!」
突然呼ばれ、俺はびくんと肩を震わす。隣にいるセシウまで肩を震わしていた。
正直今聞き流してたわけだが。まあ、聞いてるふりを通そう。
「いいですか! あのブリキ野郎どもといったら、もう途方もないクズですよっ! あいつらの言う技術なんてものは神に与えられたものではありません。この世界にあるべきではないものを生み出しているんですよ! 分かりますか!? これはアカシャ様に対する冒涜に他なりません! それにですよ! あの機械というものは環境を汚染するというではありませんか! そんなものを何故好き好んで使うのか! 連中は馬鹿ですか! 馬鹿ですよ! 魔術なんてエネルギー還元率平均九六・一八三六七四パーセントですよ!? ずっとクリーンではありませんか!」
「はい、仰るとおりであります!」
プラナの剣幕に口調までおかしくなってくる。
実際、環境を汚染する機械ってのはそんなにない。本当に限られた一部のものだけであり、それに関しても帝国側が規制を強め、その総数は減少傾向にある。現在は星の中心にある、火の元素の根源《業火》のエネルギーを変換して作られる、電気と呼ばれるエネルギーが主流で、それはかなりクリーンであるらしい。つってもそれを言って聞くプラナではねぇよな……。
無関係のセシウはソファの上で膝を抱えて縮こまっている。こういう時のプラナは怖いのだ。異様に。
なんていうか、目の輝きがヤバい。ふとした拍子にとんでもない魔術をぶっ放してきそうだ。
「ところでガンマ」
「は、はい?」
「貴方の使っているピストルというものは、確かアイゼンシュテルンが作り出してしまったものですね」
「……いえ、あのですね、これは帝国の同盟国ロマニアで作られたものでして……」
「そんなことに大した意味はありませんっ!」
「は、はひぃ!」
ひ、ひっでぇ怒り方されたっ!
今のは不条理だろ!
「そんな鉄屑の何がいいというんですか! 音はうるさいし、臭いも鼻につきますし、何より不調を来たすことも多い! 魔術の方がずっと静かですし、安全ですよ! それに銃弾というものには魔術の付与がしづらい! その上で一度使えばそれでおしまいです! クロームの剣や、セシウのグローブなどは付与を行ってもすぐに効果が切れることがないというのに、銃弾はたったの一回! 一回ですよ!? どうなってるんですか! おかしいでしょう!?」
「い、いえ、あの、私といたしましては、正確な狙いがつけやすく、常に一定の威力があり、また安価である点でこれを使っているわけで……」
しかもロマニア製のこの銃は軽量で、ジャムも少なく、耐久性もあり扱いやすい。多くの技術至上国家の軍において正式採用されているものだ。銃弾が一般普及しているため、魔術至上国家であるここでも、然るべき場所に行けば手に入れられるしな。
決してプラナが言うような危ないものではない。が、分かりきっていた、そんなことをプラナに言ってもムダであることは。
「そんなのはどうでもいいんですっ! 銃は構造が複雑すぎて、魔術の付与もしづらいんですよっ! そんな鉛玉じゃ魔物だって倒せないじゃないですかーっ! あーもう!」
「ひぃ! かたじけのうござるっ!」
やっぱり何言ってもダメだったー!
プラナさん、お願いですから、少しくらい俺の話に耳傾けてくださいよっ!
機械っていうのも結構便利なんですから! 魔術と違ったよさだってあるんですから!
キッチンにいるインジスは、腕を組んで、のんびりと俺たちのやり取りを静観している。どうやらもう朝食の準備は整っているらしい。
……止めに入ってくんねぇかな。くんねぇよな、そりゃ。
そんな中、クロームがふっと突然起き上がった。かけられていたジャケットがぽとりと床に落ちる。
途端に全員の視線がクロームへと向けられた。
「…………」
無言のままに、鋭い眼光で周囲を見回し、クロームは背後の壁に立てかけられた剣に目を留める。
「…………」
誰も何も発しない。ただクロームの動作を眺めていた。
「……朝か」
一言ぽつりと言って、クロームは板張りの床に落ちたジャケットを拾い上げ、椅子の背もたれにかける。その後、俺たちの方へと顔を向けた。
「どうしたお前たち?」
「どうしたじゃねぇよっ!」
もういろいろ突っ込むべきところが多すぎて、何にも言えない。
ホントにブレねぇな、こいつは。
アイゼンシュテルン製の機械である可能性も否定できないんじゃなかろうか。
俺は思うね。賭けてもいい。