Dispatched Am―放たれた刺客―
寝覚めは最高だった。二度寝する気も起きないほどに。
全身は汗で濡れそぼち、髪までもがびしょびしょだ。呼吸は荒れ、妙に息苦しい。まるで水底から今まさに這い上がってきたかのようだ。それは心境もまた同様である。
ベッドの上で体を起こした俺は俯き、呼吸を落ち着けようと意識する。
こういうことにはもう慣れていた。
夢から覚めてしまえば、冷静に対処できる。
そんな自分に嫌気も差すわけだが、今は気にしている場合じゃない。
……相部屋じゃなくて本当によかったと思う。
クロームにこんなザマを見られるのは癪だ。向こうが何もしてこなかったとしても、俺にとっては苦痛だ。
セシウやプラナにも知られたくない部分だ。
何度か深呼吸を繰り返してるうちに息は整った。ふと気付くと、両手がシーツを握り締めているのが視界に入る。
……まだ、少し頭の中がパニックしてるようだ。
冷静に対処もできないようじゃ、本当に俺はダメだな、と自嘲的な感情さえ込み上げてきた。
暗い室内、月明かりが差し込む窓辺の寝台、俺だけがいる。無様な弱者だけが取り残されていた。
……寝直せる気分じゃあ、ねぇよな。
とりあえず頭拭いて、リビングで何か飲むか……。
酒でも飲めば、まだ寝れるはずだ。流石にこのまま寝ないでいるのは後々辛い。
そろそろ、この問題に対する解決策を考えるべきかもしれない。
あの夜以外、目立った戦闘もなく、穏やかな滞在生活が続いている。そのため、俺が睡眠不足で注意力が散漫になっていることも露呈していない。
もし日中眠そうにしていても、俺の普段の立ち振る舞いのおかげで、不審に思われることもない。
クロームやプラナからすれば、俺が不規則な生活をしていてもそれを当たり前のように流せるだろう。問題はセシウだが、今のところ気付いているような素振りはない。
寝付きはもともといい方ではないし、誤魔化しようもあるだろう。
ただ、問題は今後だ。
今はまだ平穏だからいい。もし戦闘になった場合は、そういった僅かな注意不足がとんでもないミスを引き起こす。
……何か、眠れる方法を考える必要があった。
とはいえ、粗方思いつくものは試した後だ。
結局、酒に頼って、無理に寝入ることしかできていない。
机に置かれたウィスキーのボトルに目を向ける。インジスから拝借したボトルはすでに空っぽだ。
……こうやって人間は酒に溺れていくんだろうな。
はぁ、やだやだ。まさにダメ人間じゃあないか。
起きていたところで役に立つ情報が手に入るわけでもない。明日も早いし、酒飲んでとっとと寝よう。
息を潜め、物音を立てぬように、部屋を出て、キッチンのある一階へと降りていく。まるでこそ泥だ。
住み慣れてもいない家だから尚更だろう。
どうにもよからぬことをしているような気分になる。
まあ、実際、そんなに間違ってもいない。
板張りの床が軋む音も、寝静まった家では五月蝿く聞こえる。昔からこそこそ生きてきた人間だ。いつも通りひっそりと行こう。
階段を下りて、静かにキッチンへと這入る。
「誰だ?」
這入るなり、潜めた、それでいて唸るような声を投げつけられた。
予想外の事態に肩を震わしてしまったが、その声には聞き覚えがあった。
「クロームか?」
「なんだ、ただの眼鏡の台座か」
うっせぇ。
灯りもないキッチン、人影が微かに動いた。目はすでに暗闇に慣れており、コップを調理台に置く動きもしっかりと見て取れた。
「こんな時間にどうしたんだ? 寝過ごすなとは言ったが、限度というものがあるだろう」
小さな声で、クロームは俺に訊ねる。それでも皮肉を忘れない辺り憎たらしい。
「本読んでたら眠気が失せちまってな。ちょっと酒でも飲もうと思っただけだ」
こうやって咄嗟に嘘を思いつけるのは、俺の誇れない才能の一つだね。
俺の答えにクロームはふんと鼻を鳴らした。
「すぐ酒に頼ろうとするのは如何にもお前らしい発想だ。程度の低さが特に、な」
「うるせぇな。俺はむしろ人間としては平均的な部類の程度だよ。お前が高尚すぎるだけだ」
「俺が知らないうちに人類は随分と落ちぶれてしまったようだ」
こんな夜中に遭遇してもクロームはクロームである。
俺に対しての態度はおそらく一年中このままなんだろう。嫌な世の中だ。
「んで、お前はなんでこんな時間に起きてるわけだ」
「どうにも寝付きが悪くてな。雑念を払うために素振りをしてきたところだ」
……ああ、そうかい。
さっきから何か手に持っているなぁとは思ったが剣だったのか。
こいつ、剣がなかったら一日何やって過ごすんだろう。何もせずに終えそうだ。
「お前が寝付き悪いなんてのは珍しい話だ。いつもは誰かの助けを求める声以外では、朝まで絶対に起きないクロームさんが一体どうした?」
嘘みたいな話だが、事実である。こいつは普段、例え何が起ころうと、それこそ寝惚けたセシウが廊下で物にぶつかり、盛大に転げたとしても絶対に起きない。起きなかった。毎朝必ず五時半ぴったりにこいつはきっちり起きるのだ。二度寝なんかしないし、眠気で起きるまでに時間がかかることもない。カッと目を開いたかと思うと、てきぱきとした動作で起き上がるのだ。
どうかしている。
だというのに、どこかで誰かが危機に晒されたていたり、危険が迫っていたりすると、クロームは即座に目覚めるのだ。
なんとも勇者向きの特技である。こいつは生まれた瞬間から、根っから勇者なんだろう。
模範的な勇者すぎてもう諸手を挙げざるを得ないね。
俺の疑問にクロームは珍しく答えを躊躇うように、首元を雑な手つきで掻いた。いつもは言いたいことをはっきりと言いすぎているくらいだというのに。
「なんというんだかな……」
「なんだよ。まどろっこしいな」
普段、迷いもなく自分の意見をはっきりと主張する奴に言い澱まれると調子が狂う。ペースを乱さないように意識しすぎて、つい挑発的な口調になってしまった。ある意味本音。
クロームの顔が一瞬とむっとしたのを、暗闇に慣れた俺の目は確かに捉えた。それをきっかけに躊躇いも消えたらしい。クロームは静かに口を開いた。
「ガンマ。プラナやセシウにはくれぐれも言うんじゃないぞ」
「それは内容を聞いてから判断する」
「ガンマ」
唸るような声で脅されるが、俺は涼しい顔で肩を竦めてみせる。なんならくいっと眼鏡を押し上げてもやりたかったが、生憎眼鏡は部屋に置きっぱなしである。どうせ伊達だ。
思い通りに事が運ばなかったのが不服なのか、クロームは口を引き結んじまった。そこは普通に「おう」と軽く受け入れるべきだったんかね。
いや、そういうわけにはいかねぇ。
クロームはうちの主戦力、そいつの問題は俺たち全員の命にも関わってくる。
「とりあえず言うだけ言ってみたらどうだ? どうせ、俺以外に話せるような相手はいねぇんだろ?」
「勘違いされていると業腹だから一応言っておくが、それは別にお前を信頼しているとかそういうわけではないぞ。お前が一番どうでもいいからだからな」
「言われなくても分かってっつぅの」
悲しいけどよ。
「まあ、なんだ。そんなすごくどうでもいい俺に言うのを躊躇うぐらいだから、それ相応の問題ではあるんだろ。とりあえず話すだけ話してみろ。お前が問題を抱えベストコンディションじゃないっていうのは、俺たち全員の命にも関わってくる。それが俺のフォローでカヴァーできる程度のものなら黙っておくし、俺たちにとってまずいもんの場合、問題は共有する必要がある。それだけのこったよ」
本人が隠すことを望み、それが隠し通せるものだっていうんなら、不必要に吹聴する気など毛頭ない。
クロームは重い息を吐き出し、腕を組んだ。思案を行わせる程度の説得力はあった、というとこか。このままもう少し押し込んでみよう。
「俺なんかに話そうって思う時点で、お前も話すか話すまいか迷ってるんだろ。その裁量を俺に任せてみねぇか? どっちがいいか判断できないってことは、心のどっかで話す必要があるとも思ってるんだろ?」
「…………」
クロームは組んでいた腕を解き、もう一度重いため息を吐き出すと、肩を竦めてみせた。
「お前の言い方は回りくどくて面倒だ、相変わらず」
「あ? そうでもねぇだろ? 今のは」
「話が長い。もっと短く纏めることもできるだろうに」
よく言われる。
もう最近は開き直ってきているほどだ。
そう言うクロームの説教もこっから長いんだろうなぁと思ったら、意外なことにクロームは微かに表情を和らげた。本当に微かではあったが、普段変わらないこともあって分かりやすい。
「まあ、いい。このまま立ち話で済ませるものでもない。言ったからには付き合ってもらうぞ」
「お、おう?」
……何? 俺の意見は通ったのか?
呆気に取られる俺など気にかけることもなく、クロームはその長身でキッチンの上の戸棚に手を伸ばすと、何かを取り出した。
ウィスキーのボトルだ。
「グラスは頼むぞ」
「あ、ああ……」
え? 何、飲むの? これから?
さっき、飲もうとした俺がさんざん貶された気がするんだけど、気のせいだったのか?
ウィスキーのボトルを片手にリビングへと向かうクロームがふと立ち止まり、俺を顧みた。
「こういう話は酒と共にするのがちょうどいいだろう」
「ああ、そりゃ素晴らしい発想だ。数巡前の世界から変わらない文化だよ、そいつぁ」
当初の目的がそれだった分、断ることもできない。発言を考えるべきだったといまさらになって後悔してしまう。
リビングの食卓を挟んで、俺とクロームは向かい合わせに座っていた。互いの手元に置かれた、グラスにはウィスキー。琥珀色の水底では丸い氷が転がっている。
まるで湖面に映った満月のようだ。
テーブルの上に吊るされた照明だけを灯しているだけなので、リビングの隅に蟠った闇が首をちりちりと撫でてくる。もちろん錯覚だ。
俺とクロームの中心には、冷蔵庫を漁って見つけたチーズがつまみとして木製の皿に盛り付けられており、照明を直に受けた表面はてらてらと光沢を帯びていた。
クロームはつまみもなしに飲もうとしていたらしいが、この時間帯は大分腹も減ってくる。そんな状態で飲むのはよろしくないだろうと、俺がチーズを探し出してきたわけだ。
チーズは肝臓の働きをよくし、アルコールの分解を早めるだとか、チーズの脂肪が胃袋を保護するだとか、そういった俺の話はクロームに先程切り捨てられたばかりである。
知るのは一瞬の恥、知らぬは一生の損という言葉を知らないらしい。
クロームはグラスを傾け、ウィスキーを喉へと流し込んだ。いつもより一口の量が多い。よくない傾向だ。
手に持った小さなグラスの水面を見つめ、クロームは氷を転がした。カラコロと澄んだ音が耳に心地いい。
酒は美味いが、どういうわけか空気だけは重かった。
「……で、なんなんだよ?」
黙り続けるのもらしくなく、俺が最初に口を開いた。
「なんなんだろうな」
曖昧なクロームの言葉に敢て俺は気安く笑声を漏らす。
「珍しく煮え切らねぇ言葉が多いな、今夜のお前は」
俺に指摘されたことが不服なんだろうか。クロームは再びウィスキーをぐいっと煽った。
最初に一つ食って以降、一回も手をつけていないぞ、こいつ。
「やはりお前に話そうと思ったのは間違いだったかもしれん」
「今更気付いたのか?」
わざとらしく肩を竦めて、俺はチーズを口へと放り込んだ。クロームは眉根を寄せ、不快感を隠そうともしていない。
「話せと言ったかと思えばそれか。お前は俺をからかっているのか?」
「俺に話そうって最初に判断したのはお前だろ? 今更気付いたのか?」
言い終えてから流し込んだウィスキーが咽喉を焼く。それがまた心地よかった。
「馬鹿げている。とんだ酔狂だった」
「そりゃお前が飲んでるからだろ?」
「……貴様はなんだ? 何がしたい?」
「別に。なんでもねぇよ。話すならさっさと話せってだけのことだ」
俺もできるだけ早く寝直したいのである。こいつが話したいことがあるのならいくらでも聞いてやるが、話さないならいる意味はない。
クロームは酒をぐいっと一気に飲み干すと、そっと息を吐き出した。
「……情けない話ではあるが、最近どうにも夢見が悪くてな」
「…………」
さっきとは違う意味で帰りたくなった。
聞かなきゃよかったわ。
「……それ、どういう夢なわけよ」
「そこまで話す気にはなれん」
痛みを堪えるように奥歯を噛み締めるクロームの顔で察しがついた。
「あの村の夢でも見たか?」
空になったグラスに視線を落としていたクロームが弾かれるように顔を上げた。見開かれた目が俺を凝視する。
図星のようだ。
「そんなこったろうと思ったよ」
言いながら俺はボトルを手に取り、クロームのグラスにウィスキーを注ぐ。
「あの村での一件は俺たちにとってあまりにも辛い現実だった。そりゃ、お前にとっても辛いもんだし、セシウやプラナだって何かを抱え込んじまっただろう」
「お前はどうなんだ?」
「俺がどうかってのは今あまり重要じゃない。そうだろ?」
割とガチで影響受けてるけどな。
それを言ったところでどうなるっていうんだ? お互い大変ですねとでも言って傷の舐め合いをするくらいにしかならんだろう。
あまりにも無意味で痛ましい。
クロームはもう一度深いため息を吐き出し、グラスの中の小さくなった氷をまた転がす。
「そこまでバレているなら下手に隠すのも女々しい、か。そうだな、確かに俺はあの村での惨劇を夢で見ている」
「そりゃ、また、随分と辛い夢だな」
同じような夢を見ていることは気取られないように言葉を選ぶ。
「夢を見るようになったのはいつ頃だ?」
「あの村の惨劇の後、すぐだな。あの日以来あまり寝られていない」
「なるほどな。細かい内容とはか?」
俺の問いに、クロームは眉根を寄せる。夢の内容を鮮明に思い出してしまい、苦しいのかもしれない。
俺もそれは同じだ。
妙に息苦しくも感じる。
しばし黙り込んでから、クロームはそっと口を開いた。
「村の人間が次々と殺されていく夢だ。俺はそれを助けようとした。何度も助けようとして、しかし守ろうとした村人は皆死んでいった。それの繰り返しだ」
「…………」
夢の中でもこいつは勇者なんだな。
てっきり同じように責められる夢を見ていたかと思ったら、そうでもないらしい。
なんていうか、自分が嫌になるな、これ。
「その夢って、俺たちとかもいた?」
よく分からない問いにクロームは一瞬訝るような表情を見せる。
俺自身、その質問に大した意味はなかった。ただ、自己嫌悪に陥りそうになっている頭を別の方向に動かすためのもんだ。
「……そういえば、お前たちはいなかったな」
「そうかい」
こいつは夢の中でも、誰かを守ろうと、助けようと、救おうとしている。
俺とはとんでもねぇ違いだ。
情けねぇな、ホント。
「夢を見るたびに思う。もうあのような悲劇を起こしてはならない。もし、また同じようなことがあった時、全てを救いたい。救うべきなんだ、俺は」
「それで夜中に一人で鍛錬か?」
「そうだ。もう二度と斯様な悲劇は繰り返さない。今度こそ全てを救ってみせる。ただの一人の例外もなく救う。そのためには力が必要だ」
こいつはどうして、そんなに真っ直ぐな目をして、荒唐無稽に思える夢物語を躊躇いなく語れるのだろう。
それが馬鹿馬鹿しいとか、くだらない幻想だとか、そういうわけじゃない。そう言いきってしまった後、失敗した時のことなんてこいつは考えていない。そもそも失敗した時にどうするべきか、なんていう逃げ道を考えていない。
しかもそれが無謀ではないのだ。
もしそれを達成できなかった時に責め苦を受ける覚悟だってできているんだろう。
嫌気が差すほど真っ直ぐな奴だ。
「寝る間を惜しんで鍛錬に励んで、実戦で不調を来たすようじゃ意味がねぇぞ?」
「それは分かっている。だが、何もせずに眠っているだけの時間が俺には浪費に思えてならない。何かできることがあるのではないかと考えてしまうと、どうしてもな」
こいつの言いたいことは分かる。
あの悲劇は俺たちの無力さが招いたものだ。だからこそ、そこから何かを学んだ気になることで、せめて意味を持たせようとしている。
俺もクロームも、そうなんだろう。
クロームは特に実直な奴だ。だから気持ちばかりが逸っちまうってのも分かる。
休むという、安楽の行為が赦されないような意識がある。
助けられなかった。見殺しにしてしまった。その罪を背負った俺たちがそんな生易しい、人間らしい安息を過ごしてしまっていいのか、という呵責だ。
沈黙に耐え切れず、俺はウィスキーを飲み干す。僅かに熱いため息が零れた。
「無理した気になるのは簡単だ」
静まり返った部屋の中、ぽつりと零した俺の声はやけに響いた。
「ろくに休まず、とりあえず目先のことをしているだけでいい。辛くはあるだろうがそれだけだ。でも、そうやって得るものなんてのは精々同情と感心くらいだろ。お前はそれがほしいわけじゃないだろ」
「当たり前だろう」
「分かってる。そんなのは分かりきってる」
俺だってこいつがそんな奴だとは思っていない。
「大方、何か成すべきことがあるとは思うが、何を成すべきか分からないんだろう。だから、剣の鍛錬をせざるを得ないわけだ、お前は」
「じゃあ、お前には何を成すべきなのか分かるというのか?」
「さぁ? 知らねぇよ?」
クロームが目を細め、俺を睨みつける。そりゃ俺なんかに知ったような口叩かれた上にこんなこと言われたら、怒る気持ちも分かるけどよ。怖ぇつぅの。
「まあ、ただ言えんのは鍛錬ばっかりしてるのはオススメできねぇってこったな。勇者ってのは剣の腕が達者でありゃなれるもんじゃねぇ。凄腕の剣士になったって、そりゃただの剣士だろうよ。それどころか、人間としてのあらゆるものを切り捨て、剣に励めば、そりゃ剣を振る何か別のものだよ。勇者ってのは、人間らしいものを切り捨てて、敵となるものをとりあえず切り捨てりゃなれるもんってわけじゃねぇだろ」
俺個人の考え方で言えば、人の心は勇者を勇者たらしめるのに最も欠かすことのできない要素である。人類にとっての英雄は人間でなければならない。人の心を持った人でなければならない。
「人間らしさを忘れんな。そうやって無理したところで、何かが好転するわけでもない。お前が無理を通して、頑張った気になって、その先に死んだとしても、お前は人々の救済に尽力した人格者として讃えられはするだろう。ただ、世界は救われない。それだけだよ」
「…………」
珍しく俺の言葉を黙って聞いていたクロームは、ふと腰を持ち上げるとウィスキーのボトルを手に取った。
「全く……」
何をするのかと思えば、注ぎ口を俺の方に向けてくる。
……一瞬意味が分からなかったが、注いでくれるようだ。俺は大人しくグラスをクロームへと差し出した。
「よもや貴様に説教をされることになるとはな」
言いながら、クロームはウィスキーを俺のグラスへと注ぐ。
「なぁに、これまで共に戦った仲間からのちょっとしたアドバイスって奴さ」
「ああ、貴様が後ろにいるだけで、随分と戦いに集中できるさ」
それはどういう嫌味なんだろうな。
言っても、俺はお前らと旅している間に、お前らのいろいろを観察していたんだ。実際、いろいろと見えてきている。
そんな俺のアドバイスが少しはためになったら、それはいいことだろう。
「ま、なんだ。とりあえず休めよ。人間、死に物狂いで頑張ることは誰にだって案外できる。問題はどうやってスマートに成すべきことを成すかだよ、俺たちの場合」
俺の教訓とも言える言葉に、クロームはふっと珍しく唇を緩めた。アルコールが体に回ってきたからこそ見せた、一瞬の隙だったのかもしれない。
「そうだな。俺も意味のない努力はあまり好きではない」
「ほう、そりゃ意外なことで。俺と同じじゃねぇか」
「ふっ、お前は単に努力そのものが嫌いで、何でもかんでも屁理屈で無意味な努力ということにしたがっているだけだろう」
「そりゃあ、悪ぅござんしたね」
軽口を叩ける程度には気分も落ち着いてきたようだ。
この調子なら大丈夫だろうよ。
クロームの頭も切り換わったことだし、俺もいい加減こいつが成すべきことを探さなきゃならねぇな。
考えよう。人々に希望を与えるような勇者の活躍を、どうやって演出するのかを。