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Alternative  作者: コヨミミライ
Is Cr Duty or Obligation?―善良のカタチ―
46/113

Dispatched Am―放たれた刺客―

 目の前には純粋な黒が広がっていた。余計な色など一切含まれていない完全な黒しかない世界。

 辺りを見回しても、頭上を仰いでも、遥か遠くへ視線を投じようと黒しかなかった。そもそも遥か先があるのかも分からない。全てが黒く、光さえもなく、その場所がどこまで広がっているか、空に果てがあるのかも分からない。自分が今立っている場所が本当にあるのかも怪しい。

 暗いのではなく黒い。闇とはまた違う何かであった。

 俺の体だけが鮮明に浮き上がっている。

 周囲に目を向けるが、俺以外の何かは見当たらない。凹凸があるのかも知れない。

 流れる風もなく、空間に溜め込まれた空気さえ無味無臭だ。踏み締めた足場の感覚さえも掴めずにいた。頼れる音もなく、静寂や沈黙、静謐などという言葉では不適切なほどにただただ無音。

 濃淡の概念もない黒い世界に戸惑う俺の視界の端に、何かが映り込んだ。

 淡い光を放つそれは人の群れだった。

 夥しいほどの群集があった。

 そいつらが誰なのか、すぐに気付く。

 あの村の人々だった。

 イッテルビーの人々だ。

 彼らは皆一様に俺を見つめていた。

「ガンマさん」

 傍らで俺を呼ぶ声が聞こえた。この世界で初めての音。

 俺は声のした方へと引き寄せられように目を向ける。

 そこには看板娘が立っていた。

 助けを乞うように潤んだ瞳で俺を見つめ、胸元を握り締める手は微かに震えている。

「お前は……」

 その姿を見ただけで、込み上げてきた切なさが鼻先をついた。あの一夜の無念と後悔が胸を締め付け、咽喉に石がつっかかったように息苦しくなる。

 その繊細な体を抱き締め、謝りたかった。

 ただ、謝りたかった。

 余計な装飾はいらない。彼女たちに謝りたかった。

 許しはいらない。ひたすらに謝り続けたい。

 俺の一生という時間を費やして謝り続けようと許されない罪であることは理解している。

 言葉を詰まらせる俺を見つめる看板娘がやがて唇を開く。

「ガンマさん……どうして……?」

 悲嘆するように看板娘を言う。

 その言葉に俺の胸がずきりと痛んだ。

 許しを得られないことは分かっているなどと殊勝ぶったことを言いつつ、責められることに苦しみを覚える俺の都合のよさに嫌悪感すら覚える。

「すまない……。俺はお前たちを助けられなかった。あの村を救えなかったのは俺たちのせいだ」

 俺は俯き、罪を告白した。村人たちに許されるとは思ってはいない。むしろ断罪してほしかった。

 そんなことを考える反面、俺は看板娘の顔を直視できずにいる。

 なんとも情けない人間だ。俺っていう奴は。

 看板娘の顔は分からない。その瞳を見るのが怖かった。どんな表情をしているのか確かめることにすら怯えた。

 しかし、そっと看板娘が笑う気配を俺は察した。

「ガンマさんたちのせいじゃないですよ」

 その言葉に俺は救われた気にさえなる。

 許されるとは思ってはいないと、断罪されるべきだと考えた俺はどこに行ったんだ。屑と詰られるべき人間じゃあないか。

 俺はゆっくりと視線を看板娘の顔へと戻そうとする。その最中、看板娘の口が三日月のような笑みを浮かべていることに気付いた。

「こうなったのは、ガンマさん。あなただけのせいじゃないですか」

 いつもと変わらぬ優しい声音で、少女は俺へと囁きかける。心臓が強く脈打った。だというのに指先から凍り付いていくかのような錯覚が生じる。

「ガンマさんたちが私たちを助けようとしてくれたのは知ってます。皆さんが必死だったことも知っています。でも、何もできないガンマさんは何かできたんですか?」

 言葉が俺の心臓を何度も串刺しにした。

 ああ、心っていうのはやっぱり心臓と同じ場所にあるらしい。

「お、俺は……」

 口の中が渇く。冷え切った指先が、震える。ただ立っているだけだというのに、足が震えそうになる。看板娘を直視できない。視線が彷徨う。

 責められてもしょうがない。そう思っていた俺の本心に気付く。

 こいつらが俺を責めることはないと、俺達の努力を認め許してくれるだろうと、都合のいいことを心のどこかで思っていたんだ。

 責めないと思った相手に対してのみそんな格好をする俺は本当に最低だな。

 俺の愚かさを見透かしたように、看板娘が優しく笑う。

「責められないと思っていたんですか、ガンマさん。あの時、私たち、すごく怖くて、辛くて、痛くて、苦しかった。どうして自分たちがこんな目に遭うんだと運命を呪いました」

 看板娘が俺に歩み寄ってくる。

 少女を直視できずに顔を逸らそうとして、いつの間にか村人たちが俺を取り囲んでいたことに気付く。ようやく、俺に向けられた彼らの目が憎しみの炎を宿していることを知った。

「死にたくない、死にたくない、死にたくない。どれだけそう思って、みんな死んでいったと思いますか?」

 俺の目の前までやってきた看板娘は俺の両肩へ添えるように手を置き、瑞々しい唇を耳元へと寄せた。

「それを赦せるわけがないじゃないですか」

「違うんだ、俺は……あの村を救おうとしたんだ……」

 今度は見苦しく言い訳まで始めて許しを乞う自分に嫌気が差した。

 何が、断罪されるべきだ。何が許してもらえるとは思っていないだ。

 耳元で看板娘はくすくすと愛らしく笑う。

「一体誰が村を救ってほしいなんて言ったんですか」

 びくりと肩が震える。俺の微かな動揺はしかし添えられた手を伝わって、看板娘は分かっただろう。

「私たちが救ってほしかったのは私たちであって、村なんかじゃない」

 ああ、そうだ。あの村を消してはいけない、と考えたのは俺自身だ。この村を誰かが救ってくれと言ったわけではない。勝手に俺が救おうとしたんだ。

「貴様は最初に言ったな」

 背後から投げられた聞き覚えのある声に俺は弾かれるように振り向いた。そこに立っていたのはクロームだった。

 見下すような瞳は冷たく、蔑むようだ。

「一度村を出て、村人たちを救う方法を考えるべきだと」

 そうだ。俺が言った。その方が確実だと思ったからだ。

 あの場所で何か打開策を見出せないまま時間を浪費するよりはいいと考えた。

 それはクローム自身に却下されたがな。

「貴方は確かにそう言った」

 別の方向からプラナの声が聞こえて、俺は振り向く。

 プラナは杖を片手に持ち、フードで顔を完全に隠していた。それでも顔だけは俺の方を向いていた。

「いつ魔導陣が発動するかも分からない状況下で貴方はあの場を離れることを選んだ」

 プラナの声もまたクローム同様冷たいものだった。俺を睨み続けていたクロームが再び口を開く。

「お前は見捨てようとしたんだろ、村人を」

「違うっ!」

 確かにあの時の俺の判断はそう捉えられてもおかしくないものであったかもしれない。しかしトリエラの仕掛けた魔導陣がいつ発動するかも分からない状況下ではそうするしかなかったのだ。

「情報が少ないあの時点ではあれが最善だったはずだ。ヒュドラと連絡を取り、意見を乞い、可能な限り適任を寄越してもらう方が確実だった。そのためにも一旦あの村を離れる必要があったのは分かっているだろ! 万が一、何の対策も取れていない状態で魔導陣が発動してしまえば、俺たちの命さえ危うかった! クロームが死んだら、それこそ世界の終わりだろう!」

 クロームを世界の命運を託された勇者だ。そのクロームが死んだら世界を破滅するしかない。だから俺はクロームの安全を確保できる上での最善策を選んだつもりだ。

「確かにあんたはそう考えた」

 最も馴染みのある声が背後から聞こえ、俺は全身が粟立つのを感じた。

 恐る恐る振り返れば、当然のようにセシウが立っている。俺を蔑むように見下していた。

 ずっと側にいたセシウにそんな目で見られるのは、何よりも辛いかもしれない。

「万が一、魔導陣が発動すれば私たちだって危なかった。対策を取っていても危なかったんだからそれは当然だよね」

 擁護するようでいて、その声音は鋭い。まるで嘲るような口調でさえあった。

「そうだ。俺はクロームを死なせるわけにはいかない……」

「じゃあ、その万が一の時、私たちはどうなるんですか?」

 看板娘の言葉が俺の胸を八つ裂きにした。無垢な問いを装った詰問は俺の心に致命傷を与える。

 クロームが微かに鼻を鳴らす。

「どんなに奇麗事を並べても変わらない。貴様は確かに、村人たちを見捨てようとしたんだ」

「違う……」

「ガンマ、あなたはあの瞬間、村の人々全員の命より、私たちの命の方が重いと結論付けたんです」

「違う……!」

「私たちが生き残るために、あの村の人たちが死ぬのは仕方ないって考えてたんだよ、あの時のガンマは」

「違う! 違うんだ!」

 そうじゃない。そんなつもりはなかった。そんなことを考えてなんかいなかった。俺は本当に村人を救いたかっただけだ。

 あんなにもよくしてくれた村の人たちが死んでもいいなんてことは思っていなかった。

 そうであったはずなんだ。

「確かにその時は違ったのかもしれない」

 また別の声が俺の心に爪を立てた。

 今度はあまり聞き慣れてはいないが馴染み深くも思える声だ。

 いつの間にか目の前にいたキュリーが哀れむように見つめていた。ただひとつの石ころによって進むべき道を見失った蟻を見つめるような目であった。

 お前まで、俺を責めるか……。

「だが私は村人を連れて逃げることもできると伝えたはずだ」

 そうだ。確かにキュリーからその提案はあった。

 村人全員を逃がすためのルートだって確保してくれていた。

 それでも俺は村を守る方を選んだ。

 看板娘がくすくすと俺に笑いかける。

「それなのに、どうしてガンマさんは私たちを助けることより、村を助けることを選んだんでしょうね」

「違う! お前たち全員を連れて逃げるのはあまりにも危険だったんだ。事実を告げれば混乱を招く! 恐慌状態になった時、俺たち四人だけで全員を統率し、森を抜けるのはあまりにもリスクが高すぎた!」

 そうだ。村を捨てて逃げることを選べば、どこかで必ず犠牲者が出てしまう。森を抜けるとなれば、魔物に襲われることにもなる。俺たち四人だけで全員を守りきることはできない。

 絶対に犠牲が出るであろう作戦を推し進めるわけにはいかなかったんだ。

「あの村の魔導陣を全て無効化するという作戦だって、リスクが高いということをガンマさんは知っていたはずです」

「それでもガンマは、選んだ」

 背後に立つプラナとセシウがさらに俺を責め立てる。

「村の魔導陣を無効化することができれば、村人は全員助けられた! 森を抜けて逃げるよりも犠牲者は少なかった!」

 腕を組み、キュリーが唇を綻ばせる。

「そうだな。確かにそちらの方が多くの命を救えただろうな。お前の言うとおりだ」

 あれが最も多くの人間を救える手だった。

 仕方のないことだったんだ。

「それでガンマよ、結果はどうだ?」

 クロームは俺を睨み、ゆっくりと問いかける。

 静かな声音は、何よりも激しく俺を断罪した。

 セシウが俺を上目遣いで見上げてくる。

「ガンマ、あんたの心は満たされた?」

 どくんと心臓が強く脈打った。

「うまくいけば全員助かる手段を選んで、全員を見殺しにして、あんたは満たされた? 誰かは死ぬけれど、多数が生き残る手段を選べば、全員が死ぬことはなかったのに」

「俺は……俺は……みんなを助けたかった……! ただそれだけなんだ」

 やめてくれ。それ以上言わないでくれ。

 分かっている。

 あれは俺が招いた事態だ。

 俺があいつらを見殺しにしたのは分かっているんだ。

 だから……もう……。

「違いますよ、ガンマさん」

 看板娘がそっと俺の側に歩み寄る。

 目の前に立ち、優しく微笑んだ。

 全てを包み込むようなその微笑に全てを見透かされているようで、背筋が凍りついた。

「ガンマさんが助けたかったのは私たちじゃない。そして私たちを助けたかったわけでもない。ガンマさんは村を救ったっていう功績がほしかっただけ。だって、それは勇者様の名を高めるから」

「十の命のうち四を犠牲にしながらも六を助け、多くの批難を受けることは分かりきっているが、それでも誰かを助けられる茨の救済の道を選ばず、十を得るか失うかの名誉への道を選んだんだよ、お前は」

 看板娘が、キュリーが、俺の心を暴いていく。

 俺の心の中に閉じ込めていた、薄汚い思考が俺自身に晒されてしまう。

「そんな貴方のせいで私たちは死んじゃったんですよ?」

 途端に、黒に埋め尽くされていた空が罅割れた。世界全体が軋み、罅に埋め尽くされていく。全てが罅に覆われ、あれほどまでに広がっていた黒が一瞬で砕け散り、瓦解する。

 眩い光が俺の目へと殺到し、あまりの眩しさに俺は目を閉ざした。瞼越しでも網膜に焼けるような痛みを与える光にも、目はすぐに順応する。

 恐る恐る目を開くと、そこに広がっていたのは燃え上がる村だった。

 家が、木々が、店が、全て真っ赤な炎に包まれていた。橙色の明かりに照らされた大地は血に濡れ、数え切れないほどの亡骸が転がっている。どいつもこいつもぼろぼろに引き裂かれ、体の一部分が欠損し、内臓を撒き散らしていた。

 地面に転がる臓器の桜色があまりにも綺麗で、まるで作り物のようにさえ見えてくる。

 ああ……これは、俺が招いた結果そのものだ。

 黒煙が舞い上がった先にある空には分厚い雲が立ち込め、閉ざされている。無数の火の粉が木の葉のように踊る。

 俺の目の前には人影があった。夥しいほどの亡骸を背に、その小さな影は俺を見据えている。

「あなたのせいで」

 俯いた影が覚束ない足取りで近づいてくる。

 怖かった。ただ純粋に怖かった。

 これ以上の咎を与えられることが怖かった。

 それでも俺は動けない。目を逸らすことすらできない。

 亜麻色の髪は掻き乱され、砂漠の枯れ草のようにボロボロだ。着ているエプロンも引き裂かれ、土と灰に汚れ、ところどころ焦げている箇所もあった。見るも無残な姿。俺がその姿にしてしまったのだ。

「あなたのせいで、私はこんなになったんですよ」

 人影が顔を上げる。

 三日月のような笑みを模った唇が言葉を紡ぐ。血走った瞳は大きく見開かれ俺を射抜く。

 狂気さえ感じる笑みを浮かべた看板娘の眉間には、大きな穴が開いていた。穴から血を垂れ流しながら、それでも少女は笑っていた。

「あなたが、あなたの偽善が、あなたの欲望が、私を、私たちをこんな汚れ物にしてしまった! あなたが、あんたが、あんたなんかが私たちを殺したんだ! 私たちをクソともつかぬ、地面に転がる肉襦袢にした! あんたのせいだ! 全部! 全部っ! あんたのご自慢の知略とやらが私たちを殺したんだ! あんたなんかに救えるものは何一つない!」

 俺は逃げられない。

 顔を逸らすこともできない。

 言い逃れもできない。

 ただ、その責めを受けることしかできなかった。

 受け止めることもできない。ただ、投げつけられるそれから逃げれず、突っ立ったまま当てられ続けている。

 ただそれしかできない。

 他でもない、俺が、俺を見放していた。

 俺すら味方をしない俺の世界、俺に逃げ道なんてものはなかったんだ。




 それはあの日より俺を苛み続ける悪夢だった。

 一切の安息を許さぬように、俺を取り巻く全てが俺を責めた。

 逃げようもない、終わりもない、無限の責め苦がそこにあったんだ。

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