Dispatched Am―放たれた刺客―
「なんだ、またお前か」
カウンターで椅子に座り、円筒状の容器に入った切り餅揚げをばりぼり喰っていた灰被りは、開口一番から失礼極まりなかった。
今日の昼間と何ら変わらないその言動に呆れかえり、言葉を失っている俺を死んだ魚のような目で見上げ、何喰わぬ顔で茶まで啜っている。
さぁて、ここはその斬新的すぎる接客態度と、先鋭的すぎる内装、また前衛的すぎる商品陳列方法によって、訪れる人々に忘れられない怒りと苦しみと悲しみを植え付ける、芸術的すぎる魔導具店『セリノリソス』であります。集まった閑古鳥が行列を成して、空気さん達に大盛況です。知らんけど。一度来たら、今度会ったら殺してやる、と息巻いて、また来てしまうという、不思議な魅力を持った店である。よし、殺ろう。
相変わらず店内には陽光が届いておらず、ランタンの弱々しい光ぐらいしか光源がなくて見づらい。確か昼間来た時は紫色のよく分からない煙が漂っていたが、今は橙色の湯気らしきものが紗幕のように俺の視界へかかっていた。
しかも、相変わらず店内の奥深くからは獣の暴れる音が聞こえてくる。はい、聞こえてきたっ。籠を揺すってるっ。なんかくちゃくちゃ喰ってる音まで聞こえてるっ。
もう、やだ……帰りたい。
「どうした? そんな人肌恋しそうな目をして? 恋人がいなくて寂しいのか? ん? え? 寂しいんだろ? このヒモめ」
「彼女じゃねぇっつってんだろ……」
「そうか、もう彼女じゃないのか。それは残念だったなぁ。うんうん。ざまぁねぇや」
……もうやだ。殴りたい。
「あのなぁ……」
「ガンマ! すごいですよ! この絨毯! 無毛竜の皮ですよ!」
ここは一つ、何か強く言ってやろうと思った矢先に、背後からプラナの弾んだ声が聞こえてくる。
どうにも店に入ってすぐの場所に敷かれている絨毯を、今までずっと観察していたらしい。あのぶよぶよとした気味悪い弾力のある絨毯だよな、確か。あの時は人皮だったらどうしようとか思ったが、竜の皮なのかよ。
「無毛竜っちゃなんだよ、一体」
「洞窟の奥底に棲息している希少な獣竜種の一種ですよっ!? 絶滅危惧種なんですよ!? すごくレアですよ!」
「は……? マジ、で?」
俺、薄気味悪いなぁとか思ってたんだけど……。
「無毛竜は生まれた時から、自身の身体を強固な結界で守っているんです。汚れた空気さえ通さず、清浄な空気だけを取り入れる緻密さを持ちながら、上位魔法の攻撃でも破壊されないほどの強度を誇った、最高位の結界です。その結界に保護されているために、一切脅威に曝されることのない彼らは体毛さえ必要としないんです。あらゆる衝撃や有害、脅威は全て結界によって弾かれますからね。なんでも、結果内は常に無毛竜にとっての適温らしいですしね」
そりゃまたすげぇな。
それを知ってるプラナもすげぇ。
「ん? でも、空気を取り入れるってことは適温に保つのは難しいんじゃねぇのか? 気密性があるってわけじゃねぇんだろ?」
「お前バカだな」
罵声は背後の灰被りから投げられたものだった。
イラッとするけど、怒らないように理性を叱咤激励しておく。怒ったら負けだ。
「マクスウェルの悪魔って知ってるかぁ? その理論が適用されてぇんだよ。外界の分子の速度を見極めて、結界内に取り入れることで、温度を上げることも下げることもできるわけ。分かる? 眼鏡は飾りですかぁ? ジゴローさん?」
「ああ、そういう……」
それだったらまあ、可能なのかね。理論上はあり得るというべきか。でも、それを実際にやってのけてる辺り、竜ってのは本当どうかしている。
竜族は俺達の理解を平然と超えた場所にいる存在だ。
何が恐ろしいって、俺達がその理論を見つけるよりもずっと昔から、竜族は本能的にそれを運用しているっていうことである。
スタート時点がそもそも違うのだ、あいつらとは。
入り口にしゃがみ込み、無毛竜の表皮で出来た敷物の触り心地を堪能していたプラナが、俺達の方へと歩み寄ってくる。
「絶対的安全圏に身を置いていることにより、無毛竜の表皮は他の生物では考えられないほどにきめ細かく、さらさらとした絹のような肌触りをしています。生まれたばかりの赤子の肌と同じようなものなんです。損耗がほとんどありません」
ほう、確かにそう聞くと、確かに興味は惹かれるかもしれない。
子供の肌って触り心地いいもんな。俺も子供の頃、セシウの頬をよく引っ張っていたが、なかなかに心地良いものだった。まあ、大抵俺の悪戯だったから、普通に怒られたり、泣かれたりしたけど。
はいはい、若気の至り。
「そういうこともあって、一部の富裕層の好事家達に好まれましてね、アイゼンシュテルン帝国が乱獲を行ったことにより個体数が急激に減少してしまったんです。まあ、絶滅を危惧したハーベスターシャ様が直々に手を回して、マケドニア皇国が狩猟を取り締まり、保護下に置いたことで、少しずつではありますが、個体数を増やしてはいるようですが」
「さらに無毛竜の結界そのものにも価値はあるわけだけどな。結界を体の表面に薄い膜でも張るかのように展開している。しかも、魔導陣は細胞一つ一つに刻み込まれている。剥がされた皮でも魔力さえ供給してやれば、本来の結界の力を発揮してくれるっつぅわけだ。お陰で経年劣化も少なく、汚れも付着しにくいし、すぐ落ちる。撥水、消臭、抗菌――なんでもありなもんだから、敷物としての利便性も高いんだよ」
左右から無毛竜に関するレクチャーを受け、俺は内心うんざりしていた。
なんでこう魔術師って自分の専門の話になると、やたら饒舌になるんだろうか。ぶっちゃけ俺はそこまで興味ねぇんだけど。
しかもステレオである。気が滅入りそうだ。
でも、無毛竜の表皮、いろいろと便利に使えそうではあるよな。何かいい活用方法がないもんだろうか。敷物にしておくには勿体ない気がしてきたぞ。
「竜なんてのはもともと希少種だろぃ? かつては人間が束になっても勝てないような奴らだったし、専門の狩竜師が徒党を組んで、運がよければ勝てる程度だったわけだわ。んでも、アイゼンシュテルン帝国がなぁ、技術力に物を言わせて、対竜用の狩猟道具を開発しちまってからは、ちょっと心得のある一般人でも然るべき道具と人員さえ用意すりゃ容易に捕獲できるようになっちまった」
どこか、そんな人間どもを卑下するような口調で言って、灰被りは茶を啜った。
いつの世も、行きすぎた技術は世界の循環を崩壊させる。人が人の力のみで竜を屠るだけならば、それは食物連鎖として成立するのだろう。しかし、そこに行きすぎた技術力が加われば、パワーバランスは崩れてしまう。
特にアイゼンシュテルン帝国の技術力の高さは恐ろしいものだ。あそこは魔術を徹底的に排し、科学の発展に総力を尽くしている。
まあ、それによる環境汚染や破壊、生態系への影響は結構問題になってて、他の国とは折り合いが悪かったな、あの国は。
「店主、随分話せますね」
プラナが楽しそうに、唇の両端を引き上げる。挑発するようにも思える、大胆不敵な笑みである。対する灰被りは、カウンターの上に身を乗り出し、死んだ魚のような目でプラナをじっと見つめている。
「あんたこそ、よく分かってるじゃあないか。ははーん、分かっちゃった系ですよい。お前さんがこのヒモに、お使いを頼んだわけかい」
「おや察しがよろしいですね」
「あんなマニアックな魔道書を買う奴なんてのは限られてるもんでね。あの本を買うのは、理論の荒唐無稽さを理解できない阿呆か、その本質的な可能性に気付ける馬鹿しかいないわけよ」
互いに挑戦的な笑みを浮かべ、見つめ合う。
二人の魔術師の間の空気が琴線のように張り詰めていくような感触。二人に挟まれた俺は、ただ互いの顔を見て、おどおどとするしかない。
やべぇ、完全に場違いだ。
「どうやら、貴女もあの本の価値が分かる馬鹿のようですね」
「ああ、そう思ってくれて構わんさね」
言いながら、灰被りはカウンターの奥の棚へ腰を下ろしたまま手を伸ばし、ビーカーを一つ持ってくる。台に置いたビーカーへ急須でお茶を注ぎ、灰被りはそれをずいと前に押し出した。
「はいよ、どーぞ」
灰被りの視線の先にはプラナがいる。わざわざお茶を出すとは、大したサービスである。この店で始めて見たサービス要素と言ってもいい。
「俺の時にはお茶なんか出さなかっただろ、テメェ」
「魔術に精通しない奴はこの店において客じゃないだろ? 何言ってんだ、お前?」
「ああ、そうかい。この店でまともなのは、来る者を拒まない聖人君子の入り口だけだな」
ホント、気持ちがいいほどムカつく奴だな。プラナと一緒にいて、狂っていた調子を取り戻してしまう。
「茶菓子に煎餅とかあっから、いろいろ欲しけりゃ言ってくれ」
「センベー……確か東洋のお菓子でしたか……」
「そそ。このお茶も東洋のものさね。好みは分かれるところだが、どうだろうか?」
プラナは、少々怯えたような手つきでビーカーを包み込むように両手で持つ。そもそもビーカーに注ぐということ自体、どうなんだろうか。灰被りは湯呑みで飲んでるくせに。
あー、それしかないのか。こいつ、一緒にお茶を飲む相手とかいなさそうだもんな、ざまぁ。
プラナは恐る恐る、ビーカーを口元に近づけ、そっと緑色の濁った液体を流し込む。
僅かに口に含んだ茶を味わい、プラナはほうっと息を吐いた。
「これは……独特ながら、よい味ですね。苦みの中に深い味わいが……」
「ほっほう、そっちも分かるのか。あんたとは仲良くできそうな感じさねぇ」
気力のない目を伏せ、くすくすと灰被りは笑う。
「あの本にあった残留魔力の質感から分かってはおりましたが、この店内に漂う魔力を感じて確信しました。貴女はやはり優秀な魔術師ですね。よろしければ名前をお聞かせ願えないでしょうか?」
「あ、あたいの名前かい……?」
プラナの問いに、灰被りは僅かに視線を泳がせ、ぽりぽりと困ったように頬を掻いた。
おお、こいつが調子に乱すところが見れるとは。
意外すぎるところで無気力な表情が崩れたな。
「な、何か、失礼がありましたでしょうか。その、問題があるのならば、無理にとは言いませんが……」
戸惑うプラナに、灰被りは軽く手を振った。
「いやぁ、そうじゃあ、ないんだけどさ。んー、いーもんかねぇ……」
「なんだよ、別に名乗って減るもんじゃねぇだろ?」
「お前は黙れ」
あー……そうかい。
しかし、名前を名乗るのを躊躇うってのは、一体どういうことだ。何か訳ありだったりして。
「あー、あたいの名前はサニディンっていうんだけどさ……」
「さ、サニディンって……」
俺の隣でプラナが息を呑む。
「知った名前か?」
「サニディン・アノーソクレース……かつて結晶の魔術師とさえ謳われた、結晶魔術のエキスパートですよ。ヘカテー魔術学院が誇る魔術師の一人でもあります」
「つぅことは何? 同門?」
「まあ、実際に会ったのは初めてですがね。学院ではよくお名前を耳にしましたし、またその功績を見る機会も多かったですよ」
世間は狭いもんだ。
プラナにとっては先輩に当たる奴なのか。こいつがねぇ。
「あんらま、あたいの名前も随分と浸透してたわけかい。こりゃ驚きだ」
「それまでマイナーで実用性がないとされていた結晶魔術を専攻し、その発展に大きく貢献したのはサニディンさんでしょうに。貴女がいなければ、結晶魔術が世界で最も美しい魔術として讃えられることもなかったはずですよ」
「お前の心は薄汚れてるのにな」
「殺すか?」
凄むサニディンに、俺は諸手を挙げて降参する。
こりゃ「殺すぞ」って言われるより怖い。
「それに結晶魔術の台頭という功績がなくとも、貴女の名前は有名ですよ。なんせ、長らく学院の歴代最優秀成績を保持していたお方なんですから」
「あー、まあ、随分と長くレコードブレイクされてなかったっぽいけどねぇ」
「そいつを破ったのかお前!?」
プラナは確か、今の歴代最優秀生徒だったはずだ。それまではこの灰被りアマが最も優秀だったということ自体驚きだが、それを破ったプラナもすごすぎる。
俺の周りにいる魔術師は才能がありすぎて、普通の魔術師がどういうものなのかっていう感覚さえ狂ってきそうだ。
驚く俺に対して、プラナは慌てふためき、唇の前に指を立てて「しーっ」と言葉を遮ろうとする。しかし手遅れであった。
「あんたが記録を塗り替えた? ……それってつまり?」
そこで俺は自分の失言に気付いてしまった。
やっちまった! 魔術学院の記録を塗り替えたのがプラナであることは世界中に知れ渡っている。しかも学院に入る以前から、プラナは《始原の箱庭》に見初められ、その名前を与えられていた。
今の記録を保持するものがプラナだと分かれば、その正体も自ずと知られてしまうことになる。
「なんだ、あんたがあの白金の幻灯師と名高いプラナだったわけか。そりゃ、話せて当然だわなぁ」
大して驚くわけでもなく、頬杖を掻いたサニディンはお茶をずずずっと音を立てて啜る。
俺達の動揺なんて、全く気にしていない様子だ。
「あんまり驚かねぇんだな」
「あ? だってそんな興味ないし?」
「お前……自分達で言うのも何だが、仮にも世界で最も注目を集めてる集団だぞ、俺達」
「勇者一行とか正直どうでもいいだろ。少なくともあたいは興味ない。お前みたいな奴が面子に入ってるだけで底も割れてるだろ」
……あー、クロームが聞いたら間違いなく、俺を斬り伏せそうなセリフである。俺は本当に勇者一行の悪いイメージを蔓延させる原因らしい。
まあ、分かりきってはいたけどさ。
俺だけがどうにも他の連中に比べて、劣るし。
「えーと、クロールと世襲とがんもどきだっけか」
「クロームとセシウとガンマな」
俺の名前の間違い方にだけ、恐ろしいまでの悪意を感じる。これなら一切覚えられてない方がマシだった気さえしてくる。
「お前は、なんか存在ががんもどきっぽいな、語感的に。じゃあ、お前ガンマな」
「……いや、合ってるけどよ……」
悔しいことに。
存在ががんもどきっぽいっていうのは、どうなんでしょうね。
悪びれた様子もなく、サニディンは切り餅揚げは口へ放り込む。どうやら中身が空っぽになったらしく、容器を床に置くと、棚から煎餅の詰まった袋を持ってくる。
ずっと食ってるんだな、こいつ。
「プラナは覚えてて、俺達は覚えてないのかよ」
「んー? ああ、まともな魔術師以外興味ねぇっての」
今にも唾を吐きそうな顔だ。
本当、こいつの人間性どうかしてる。
と、そこで背後からプラナの笑い声が聞こえる。
「ふふふ、さすがサニディンさん、噂に違わぬ奇人っぷりですね」
「あー? そうかねぇ。あたいからすると、思った通りに生きてるだけなんだけどなぁ」
やりたいようにやっちゃう辺りいけないんじゃないかね。
「まあ、いいさ」
サニディンは煎餅を口に咥え、急須から湯呑みにお茶を注ぐ。
「最近は骨のある魔術師に会う機会に恵まれなかったし、いろいろと話したいところなんだが、時間は大丈夫か?」
サニディンの問いかけに、プラナは俺を仰ぎ見る。俺が暇ではなかろうか、と気にかけてくれているようだ。顔は不安そうだが、フードの端から覗く赤い瞳はゆっくりしていきたいと強く訴えてきていた。
「んー……」
……正直、あんまり遅くなるのは芳しくない。けど、まあ、こう見つめられちまうとな。
「いんじゃねぇか? 俺は適当に時間潰してるから、ゆっくり話してろよ」
俺はここにいない方がいいだろう。
いても話には混ざれないし、俺がいない方がプラナも話に集中できるだろう。
俺の言葉に、プラナの顔がぱーっと明るくなる。まるで太陽のような笑顔だ。
「ありがとうございます! ガンマ!」
「いや、いいよ。俺はその辺歩き回って、適当に時間が経ったら迎えに来るからよ。ここを動くなよ」
「分かってますよ、ガンマ。本当にありがとうございます」
ぺこりと頭を下げるプラナに、自然と俺の唇は綻ぶ。
そうやって感謝してもらえて、悪い気はしない。
俺は適当に書店でも回ってみるとしようか。
プラナだって魔術について話せる相手が身近にいなくて退屈していたことだろう。いつも気を遣っているような奴だし、たまにはいい息抜きになるかもしれない。