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Alternative  作者: コヨミミライ
Is Cr Duty or Obligation?―善良のカタチ―
34/113

One Days Cs & Mn―とある昼下がり―

「あの女ぁ……あの女ぁ……あんの女ァッ……!」

 灰被り店主に言われた通り店の隅にあった階段を上った先、本棚の並ぶ二階に到達した途端、セシウの怒りは爆発した。

 こうなることは分かっていたため、俺は大して驚かない。ここに来るまでずっと俺の背後を無言のまま、俯き加減で歩いていたから、どこかで必ずこうなると思っていた。

 よくもまあ、ここまで耐えたものである。それだけでも俺は賞賛に値すると思うね。

「あんの煎餅女……こっちが下手に出れば大きく出やがって……!」

 今にもキィーッとか奇声を上げそうなほどセシウさんは怒り心頭である。これは……まずいな……

「お前はよく耐えた方だと思うぞ? 頑張ったじゃねぇか」

「んー……いや、まあ、そりゃあ、頑張ったけどさ」

 俺に宥められてセシウはしゅんと俯く。頬は未だに紅潮しているし、よほど怒ってるんだろうな。まあ、あんな扱いされりゃあな。

 何にしてもセシウのコミュニケーション能力があったお陰でなんとか聞き出すことはできたわけだしな。その点についても感謝していいだろう。

「後でなんか買ってやっから落ち着けや」

「ん……んー……まあ、頑張ってみる……」

 俺もとばっちり喰らいそうで怖いしな……。

「とりあえず本、探そうぜ」

 肩を竦めて苦笑混じりに仕切り直した俺は、本棚の並ぶ店内へと向き直る。

 相も変わらず薄暗い店内。ここには本当に本しか置いてないらしく謎の激臭も、正体不明の獣の暴れる音も遠い。

 ひっそりと静まりかえった二階。恐ろしいまでに音はなく、稀に木が軋むような音だけが聞こえてくる。

 深い闇の中に何物かが潜んでいそうな感覚。そこにはいないはずの何かが見えてしまいそうな予感。僅かな音が耳を撫でる度に背筋が凍り付いてしまいそうになる。

 ……落ち着こう……。

 誰もいるわけがない。

 暗い闇の中にあるのは本棚と本だけだ。それ以外の物もきっと置物だ。怯えることはない。何も怯えることはない。必要な本を見つけて、買って、帰ればいい。

 簡単な話じゃねぇか。

 意を決して、俺は闇に紛れる本棚の群れへと分け入っていく。天井には相変わらず申し訳程度のランタンがぶら下がっているだけで、目を凝らさないと本のタイトルさえ見えない。何て目に優しくない場所だ。あの灰被り店主の性格の悪さが窺い知れるというものだ。

 後ろを付いてくるセシウは俺のフリースの裾を相変わらず摘んでいる。バレてないと思っているのかもしれないがバレバレである。慣れ親しんだ感触だ。

 これはこいつの癖みたいなもんなんだろうか? 別に俺の側にいたって安心なんかしないだろうにな。その行動をすると落ち着くという癖がついているのかもしれない。子供みてぇだな、本当。

 二階の床にはぶよぶよとした感触の何かの皮が敷いてあることはなく板張りだ。一歩進むごとにギシギシと二人分の足音が悲鳴のように鳴る。

 その音にまた恐怖が喚起されてしまう。鎌首を擡げた恐れを何とか奥底に押し戻し、俺は本の背表紙に書かれたタイトルを確認していく。

「なんだこりゃ……並び順もばらばらじゃねぇか……。これでどうやって探せっつぅんだよ……」

「他の店に行く?」

「いや、ここまで来たら、何としても揃えちまおう。タダで帰るわけにはいかねぇ」

「そりゃ買うんだもん、タダじゃあ済まないよね」

「うるせぇ。とりあえずお前は左側の本棚チェックしろ」」

 俺はポケットから折り畳んだメモ用紙を引っ張り出す。少しくしゃくしゃになったそこには、プラナとクロームからの頼まれ物が書かれているそのメモ用紙を、振り返らずにセシウへ手渡す。

 ぺらりとセシウが後ろでメモを開く音。

「……うわ、相変わらず字汚いなぁ、あんた」

「余計なお世話だ」

 俺の密かなコンプレックスを突っつくんじゃねぇよ。

 勇者一行のメンバーはどういうわけか字が全員綺麗だ。クロームは曲がる部分を直角で書く癖があって、直線のみで構成される角張った文字を書くがとても見易いし、セシウも筆圧が強く刻みつけるように書くものの字自体はとても綺麗だし、プラナに至ってはまるでタイプライターで打ったような字だ。プラナはさらさらと流れるように字を書いていくし、とても綺麗な行書体である。あいつの字は本当、見ていて魅せられる。手本みてぇな字だ。

 魔術師ってのはいろんなものが人間離れしてるんだよな、本当。

 なのに何故かメンバーで俺だけ字が汚い。酷い雑字である。バランスも悪いし、変に小さく書いてしまう癖があって、自分でも見づらいと思う。昔から気になったことはメモする癖が合ったのだが、そのせいで日常的に走り書きな上に最低限読める字しか書けなくなってしまった。

 細かく詰めて書くのはメモを買い換える手間を減らすためだ。メモ帳が埋まってしまうことをなるべく回避するために、一行に二行分書くようにしている。

 なんたっていつも町に滞在しているわけではない、町から町への道中で紙が切れると非常に歯痒いのだ。

 昔は大して気にしていたわけでもないんだが、周りの連中が全員流麗な字を書くせいで、最近はちょっと気にしている。

 だから普段はなるべくこいつらに俺の字を見せないようにしていたんだけどな……。今回はしょうがない。

「読みづらいなぁ、もう……」

「うるせぇよ。読めるんだからいいだろ。文句あんなら返せ」

「いや、いいけどさ」

「んじゃ文句言うんじゃねぇよ。くれぐれも見落とすなよ」

「う、うん、まあ頑張る……」

 その自信のなさは俺の字の汚さのせいか? この店の暗さのせいか?

 後者であることを祈ろう。

 俺達は左右の本棚の本を上から下まで順番に確認しながら、のろのろと奥へと進んでいく。クソ……本当に探しづらいな。びっしりと本が詰まっているため確認にも時間がかかる。

 全く、なんでこんな店が経営成り立ってんだよ……。

 理解に苦しむね。

「あ、ガンマ、一冊目発見」

「おー、お手柄だな」

 俺は背表紙をなめ回すように調べながら振り返らずにセシウを褒める。

「うぅ、目ぇ疲れる……」

「大丈夫か? 辛いなら俺だけでやるぞ?」

「ううん、ガンマ一人にやらせるのも悪いし、頑張る」

 甲斐甲斐しいな……。

 この頃、セシウのこういう健気な一面ってのに意識が向いて仕方ない。

 俺がここ最近、向き合わないといけないな、と思いつつ向き合えていない事項ってのはまさにそれなのだ。

 俺は頬をぽりぽりとかいて、軽く手を挙げて振る。

「サンキュ、助かるわ」

「ううん、いいよ、こんくらい」

 穏やかな声でセシウは言う。きっと俺の背後でこいつはそっと笑っているんだろうな……。

 んー、落ち着かん。

 前の村の一件で、こいつの弱り切ったところとか、俺に縋るような顔とか、俺が無事だったことに心の底から安堵するような素振りとか、本気で気遣ってくれるような言動とかに触れてから、どうにも感覚が狂っている。

 今までは別のそんなの特段気にならなかったし、あの時は状況が状況だったから、深く考えることもなく受け取っていたけど、こう日常的な時間に戻ってからというもの、どうにも調子がおかしいのだ。

 俺の中でセシウという奴は、がさつで何事も力任せでぶっきらぼうでバカな運動神経だけが取り柄のような可愛げもない幼馴染みだったはずなのだ。もうなんつぅか悪いところしか目につかない、見てくれは言うことなしだけど、絶対に恋愛対象としては見れない、見ることもない、そういう距離感の奴だったのだ。いるのは当たり前だけど、別にそれ以上であることは求める気もないし、むしろ心底ごめんだったし、惰性で関係性があったような感じだ。

 なのに、なんなんだろうな、最近は。

 セシウの健気な部分とか、案外気が利く部分とか、そういう愛嬌のあるところがすんごく気にかかる。

 あれ? こいつ実は結構いい子なんじゃね? とか思い始めている自分がいるのだ。

 別にセシウがいい子であることに問題はない。いや、それは分かりきっていたことだ。こいつは性格がねじ曲がっているわけじゃあねぇし、気立てもよく、さばさばとした性格だ。姐御肌でいろんな奴に慕われてもいる。こいつが人間性に問題のない奴だってことは知っていた。

 問題は俺がそこに興味を向けているという点なのだ。セシウは別に今までと変わっていない。いつも通りのセシウだ。

 変化があったのは俺の内側。そんなのは考えなくとも分かる。その変化があったという事実が俺にとっては一大事なのだ。

 一体、俺の心境にどういう変化が起こったというんだろうか?

 だってどう考えてもおかしい。

 今までは何の悪気もなく筋肉バカとか、ゴリムスとか言ってたのに、最近はなんかそういう風にセシウを虐めることに罪悪感を抱いている節がある。お陰で何度かセシウとか呼びかけそうになってしまっている。

 冗談じゃねぇ、本当に冗談じゃねぇ。

 こんなのは全然俺らしくねぇ。

 あの一夜でそんなに人間とは変わるものなのか? あれ、なんかあの一夜で言葉、官能的すぎて誤解を招きそうだな。セシウとどうこうなったことはありませんよ、俺。

 …………。

 いや、うん、まあ、なんだろ、こう、最近はセシウという存在の重要性に気付き初めてしまったといかなんというか、あー! なんかこの言い方もおかしいだろ!

 俺はこの心境の変化に付いていけず、戸惑っていた。だからあんまりセシウと二人っきりで買い物ってのも乗り気じゃなかったんだ。

 こう、すんごく落ち着かない。

 今までの振る舞いをなんとか続けようとしているのに、なんか違う気がして焦っていた。

 当然のようにしてきた言動を全く再現できていない気がする。

 一体何がどうしてこうなったんだかな……。理解できないものは苦手だ。本当はしっかり考え込んで整理すべきなんだろうが、どうにもそうする気になれなかった。

 セシウは弄ることに躊躇いを感じてしまうっつぅのは重症だよなぁ、これ……。早く軌道を修正してしまいたいところだ。日課ができないのも落ち着かない要因の一つに思える。

 そんなことを考え込みながら本棚を眺めていくと、探していたタイトルの本を見つけた。著者名も合ってる。これだな。

「おっし、こっちも見つけたぞ」

「おーさっすが、ガンマだね」

 さすが、ね……。いっつも俺のことバカにしてるようなのに何がさすがなんだろうか。

 あー、あんま考えないようにしよう……。

「S.J.サニトラスの『球形魔導陣応用術』――そっちの本はタイトルなんだったか?」

 振り返って訊ねるとセシウは自分の手に持った分厚い本へと視線を落とす。

「えーと、レイナルド・D・パラッシュのゴブリンでも分かる……く……くら……くろな……『ゴブリンでも分かるクルジア言語によるプログラミング~応用編~』――かな?」

 慣れない魔術の専門用語に難儀しながらもなんとか読み上げて、セシウは俺の顔を窺うように小首を傾げる。

 ふむ、タイトルも著者名も合ってるな。

「よし、あと四冊だな。この調子で見つけて行くぞ」

「そうだね、頑張ろう」

 にっこりと笑って、セシウはすぐに本棚へと向き直る。

 …………。

 俺も再開しよう。

 そんな感じで、俺達は本棚に張り付き、目当ての本を探していく。いきなり二冊も見つけて順調なスタートとも思ったんだが、それ以降は全然見つからず、随分と実りのない探索活動となってしまった。

 それでも店の中心付近にまで辿り着く頃には合計五冊の本を見つけることができた。

 ディメイド・オーランドの『完全図解・第五魔術における火の元素の運動と作用』に、オディアス・ツエリアンの『究極微粒子(アトム)の魔術的活用術』、そしてクロウェス・R・ハーゼンネイルスの『新説・イデア論』――新たに見つけた三冊もまた難解なタイトルで一体どういったものなのか、どのように活用できるものなのか、俺達には全く見当がつかない。

 残すところはプラナが最も切望していたクロナルド・マッケンシーの『召喚と降霊の概念連理』だけである。それさえ見つければ、この薄気味悪い店からもおさらばだ。

「それにしても、こんな本をプラナはいつも読んでるのかねぇ」

 本を探す手を止めて、俺は自分の手にある三冊の本に目を落とした。どれも分厚いハードカバーで、開くと文字がびっしりと書かれている。専門用語ばかりで流し読みしただけでは全然理解のできない代物だ。俺の呟きに、セシウもまた作業を中断して振り返り、顎に指を当てて僅かに考える。

「うーん、そうだねぇ。部屋に行くと、いつも本読んでるかな、寝るまでずっと」

「そうなのか?」

 俺はいつもクロームと相部屋だから、そういうのは分からないんだよな。同じ部屋を使うセシウにしかその辺は分からない。

 ちょっとこういう話は新鮮なので、なんか興味も湧いてきたな。

「たまに寝付けない時とかはベッドの上で読みふけってるみたいだし。すごい熱心で、たまに話しかけても気付かないの」

 そりゃあ本当に真面目だ。

 常々優秀な魔術師だとは思っていたが、やっぱり陰でしっかり努力はしてるもんなんだなぁ。もちろんプラナに関しては才能もあるんだろうが、それ以上にあいつの並々ならぬ努力が大きいのだろうか。何にしてもプラナは魔術に関して、純粋なまでにひたむきだ。

 頼もしい限りじゃないか。

「んで? お前はそういう時何してんだ?」

 プラナが勉学に勤しんでいる時に話しかけるほどセシウはバカじゃない。かといってセシウが一人で何もせずに黙っているとは考えにくい。

 セシウは一体、何で時間を潰しているんだ?

「ん? 筋トレかな? スクワットとか、懸垂とか、腕立て伏せとか?」

 ごく当然のようにセシウはあっさり答える。

「へ、へぇ、そりゃあ真面目だなぁ……」

 頼もしい限りじゃないか……。

 どうは言っても脳筋族か。

「そういやずっと聞こう聞こう思ってたんだけどさ、お前ってやっぱりプラナがフード取ったところとか見たことあるわけ?」

「え? なんでまた急に」

「いや、ずっと目深にフード被ってるじゃんか? 一緒の部屋が多いお前なら見たことあんのかなぁて」

 これはずっと抱えていた疑問だ。プラナはいつも深々とフードを被って顔のほとんど隠している。血を湛えたような円らな瞳も稀に見れるし、小さな鼻も、形の整った薄い唇も見覚えがある。だけど、フードを取ったところは一度も見たことがない。

 そこまでしてフードを取らないとなると、実は何か隠しているんじゃなかろうか? とか思ってしまうわけだ。

 無理矢理取るわけにもいかないし、すんげぇ気になっちまうんだよな。

「んー……私も最初の頃はね、見ようかなっていろいろ試してみたんだけどさ、全然ダメだねぇ。たまにお風呂一緒に入ろうって誘ってみたりするんだけど、いつも断られちゃってさ。お風呂上がりとかも、出てくる時にはもう髪の毛乾かしてナイトキャップを深々と被っちゃってるし」

「そ、そりゃあ徹底してるな……」

 年代の近い同性しかいない場合、案外呆気なく外してるんじゃないだろうか、とか思ったんだが甘かったようだ。鉄壁だな、本当。

 しかし一緒にお風呂、ねぇ……。実現していたら、それはそれでいろいろと聞きたいところだったな……。

「そこまでがっつり隠すってことは、なんか理由あんのかね?」

「それも聞いたけど、なんかはぐらかされちゃったね……。確か『セシウさんは頭皮を引き剥がせと言われて剥がせますか? 剥がせないですよね? それと同じことなんです』とか言われて、ああ、なるほどなぁって思ったね」

「いや、なんかおかしくねぇか……」

 バカははぐらかすのも楽でいいな。クロームとかはぐらかそうとする怒るし、絶対に諦めてくんねぇからな。

「まあ、でも基本的にプラナと相部屋だと楽かな。すごく気遣いしてくれることもなくて、私もくつろげるしさ。でも痒いところにピンポイントで手が届くんだよねぇ。もう大助かり」

 あはは、とセシウは朗らかに笑ってみせる。まあ、プラナは行きすぎた配慮をしない奴だからな。確かに一緒の部屋だったら助かるだろうな。

 適度な気遣いをしてくれるってのは有り難いものだ。

 俺とクロームなんてお互いに気遣いも気配りもゼロだからな。ただ同じ部屋にいる、というだけで特に干渉もしないでお互いがお互いの時間を過ごしてる感じだし。

 女子部屋いいなぁ……羨ましいなぁ……。転がり込んでしまいたい。

 あんな殺伐とした部屋、僕ちんもういやです……。

「そういうあんた達って部屋だとどんな感じなの?」

「……そ、それは……聞かないでくれ……」

 嫌なことを聞かれて俺は目を伏せる。一気に気分が沈んでしまう。

 お前らの和気藹々とした感じと比べるまでもなく、俺達はつまらない時間を過ごしている。そりゃもう殺風景で情の欠片もない時間だ。

 あまり思い出したくもない……。

「あ……なんかごめん……なんとなく想像はつく……」

 セシウも今の問いの過ちに気付いたんだろう。すんげぇ哀れむような顔で俺に謝罪をしてくる。その哀れみの視線もある意味辛いけどな……。

 なんたって、あの無愛想で常に仏頂面で、曲がったことが大嫌いなクロームとの相部屋だ。学生時代の寮生活で学級委員長と相部屋になってしまった感じだろうきっと。寮生活なんてしたことないけどさ。

 とりあえずすごく息が詰まるのである。下手なことできねぇし、エッチィものを見ることもできない。美人を連れ込むこともできないし、消灯時間もしっかり決まっている。

 もうなんか、いろいろ疲れますよね……。

「ほ、ほら、ガンマ、生きてればいいことあるって!」

 絶対に無理して作ってるであろう笑顔で俺を励ましてくれるセシウ。やめろ、今そういう慰めの言葉は却って俺を傷つける……。

「その尺度で考えなきゃいけないくらいのことだってのはよく分かってる」

「あー……えーと、ほら……なんだろ、えーと、馴染めばまた違うって!」

「一緒に旅して三ヶ月だぞ!? しかも同じ部屋だぞ!? それで馴染めてないもんが馴染むわけねぇだろっ!?」

「あ……う、うん……そうだね……」

 どう考えても無理である。

 完全に詰んでいる。最近の小説じゃ国の英雄たる騎士と敵国の姫君という地位と立場を鑑みても絶対結ばれることのないであろう二人が恋に落ち、幸せに結ばれることも多いというのに、こればっかりはどうにもならん。絶対に俺とクロームが意気投合することはないだろう。間違いない。

 どうやっても埋めれない、海溝よりも深い溝が俺とあいつの間にはある気がする。

 セシウがフォローしきないのがいい証拠である。

 この、逆境でもめげず、何事も前向きに考える素敵野蛮人がフォローを投げ出すということはそういうことだ。

「大体よ、あいつとはもう根っから合わないんだよ。価値観っつぅか、趣味嗜好っつぅか、倫理観っつぅか、色んな面であいつとは相容れない」

「まあ、ガンマとクロームって考え方合わなそうだもんねぇ」

 セシウは苦笑いを零し、本棚に向き直ると作業を再開する。俺もそれに倣うように本棚へと視線を戻し、目的の本を探し始めた。

「クロームは実直で真面目で曲がったこと大嫌いな、ちょっと頭硬いタイプ。なのにあんたは、適当だし不真面目だし結構狡賢いタイプでしょ?」

「俺は自分のことを適度に善人で適度に悪人な卑怯者だと定義している。実際そこに間違いはないだろうし、真っ向切って正々堂々戦いを挑むクロームとは真逆に、俺は相手の裏を掻いたり不意をついたりするし、獲れる寝首なら獲る方がいい奴だ。どんな悪人にも尋常な勝負を挑むあいつと、どんなに騎士道を重んじる相手でも罠に嵌めようとする俺とじゃ、相容れるわけがねぇ。あいつは根っからの善人だ。それは認める。あいつの志を崇高なものだと評価もしている。だけど、だからこそ、あいつは俺のような善人にも悪人にもなれない半端者が苦手だろうさ。俺だって真っ当すぎるほどに善人なあいつが苦手だ。嫌いとか憎いとかそういうんじゃなくて、そもそも扱い方、対応の仕方ってもんが分からない」

 俺が根っからの善人で困った奴を純粋に放っておけないような奴なら、クロームと志を重ね合わせ一つの目的に邁進することもできただろう。また俺が本当に悪人であったのなら、クロームは俺を容赦なく斬り捨てることを選べたはずだ。

 だけど、俺はそのどっちにも属すことができていない。いつもいつも、何かをしようとする度に、俺とクロームで意見が割れる。

 クロームはいつも民衆を最優先し、民衆のために行動しようとするし、その方法もまた真っ直ぐで歪みがない。対して俺は、民衆を優先し、民衆のために行動しようとはするものの、それより上に勇者クロームの命が失われる危険性はないか、また勇者の価値と期待度を上げることはできるか、という考えが常にある。当たり前だ。勇者として選定されたクロームは確かに民衆を救う存在であり、民衆のために行動するべき存在ではあるが、そのために勇者クロームが死んでしまっては意味がない。また、出来うる限り勇者クロームの評判を上げるために、民衆からの見栄えがいい活躍をしなければならない。これを意識しなければ勇者への期待度は下がっていくことだろう。また、俺はそのためになら少々非人道的な方法だって検討する。相手を絶望の淵に陥れる方法だって考える。

 それがクロームには理解できず、また認められないのだろう。

 あいつは自分の命を擲ってでも人を助けようとする嫌いがある。その分俺はあいつを生かしきった上で、あいつを活かしきれる方法を検討してやってるわけである。

 多少の策略なくして、英雄は成り立たないだろう。これは俺の持論だ。

 英雄というのは前人未踏の偉業を成し遂げたり、多くの命を救っただけでは成り立たない。そこに至るまでの間に行われる演出で観客を魅せ、より民衆が望むような劇敵な脚本通りに物語を進行させることで、英雄というものは華々しくなる。これがなければ、人々の心に消えないほど深く焼き付くことなんてないのである。

 この辺もクロームは理解していないからな。意見が合わないわけだ。

「適度に善人で、適度に悪人ねぇ……。ガンマは別に善人ってわけじゃあないかもしれないけど、そこそこいい奴なんじゃないの?」

「そこそこ悪いこともするからな。だから適度に善人な一面もあるし、適度に悪人な一面もあるっていうこと」

 ていうかそこそこいい奴なんて評価をしてたのか、こいつは……。なんかちょっと意外だな。

「子供の頃は『おれがゆーしゃだぁ!』とか言って、木の枝手に持って、マント代わりに敷布(シーツ)羽織って、村中走り回ってたのにね」

 くすくすとセシウが悪戯っぽく笑いながら、そんな俺の黒歴史を何の前触れもなく掘り返してきやがる。言うなればそれは俺にとってのパンドラの箱――出てくるのはどうしようもできない後悔と羞恥心であるが、俺個人にとっては十分厄災である。

 本当、今でもたまに思い出すと顔が熱くなる。

 なんで子供の頃の俺はあんなことをしていたんだろうか。

「あんまそういう話蒸し返すなよな……」

「そんで森の魔物に木の枝で喧嘩売って、泣きながら逃げてたよね?」

「だからやめろっつぅの」

 マジでやめてほしい。

 黒歴史を掘り返されるほど辛いことはない。しかももうあの過去はなかったことにできないのである。俺はいつまでもこの恥に苦しみながら生きるしかないのだ。あー、恐ろしい。若気の至りって恐ろしい。

 しっかし、あの時は本当に死ぬかと思ったよなぁ……。今の俺からすりゃあんな魔物は雑魚同然なわけだが、子供の頃の俺にとっては相当の強者だった。あの時の俺って勇気だけはあったな。いや、無鉄砲で短絡的なだけか……?

 確か、あの後は村の大人達が何とか魔物を退治してくれたんだっけ? いやぁ、逃げるのに必死で村まで魔物を連れてきてしまって、大混乱になったよなぁ。

 本当、あの時は迷惑をかけてしまった……。

 義母にもたっぷりと叱られたしなぁ。掛布も一枚引き摺り回したせいで使い物にならなくなってしまったし……。

 子供の頃の俺を、出来るなら今すぐ張っ飛ばしたいところである。

 あの頃の俺は一体何を考えてたんだか……。

「でも、あの頃のガンマはいつも誰かのために何かしようってしてたじゃん? そんなに悪人ではないと思うよ、ガンマは」

「だから、そういう昔の話を持ち出すんじゃねぇよ。俺ももう大人になったの。何年前だと思ってんだ」

「んー、そういうもんかなぁ?」

「そういうもんだよ」

 全く……人がいつまでも変わらないわけがないじゃねぇか。

 あの頃の俺は世界に蔓延る不条理なんて知らなかったし、世間は優しいものだと思ってたし、また人を助けるということの困難さも知らなかった。

 自分一人でも必死になれば困った人を助けられる気がしていた。世界を変えていけるような気だってした。誰かを救える気がした。

 でもあの頃より成長した今は自分一人では困った人一人本当の意味で助けられる気がしない。世界に揉まれただ流されていくことしかできない。誰かを救おうとすることが、愚行に思えてしまうことだってある。

 子供の頃の俺は力を持たずとも人助けに一生懸命だった。今の俺は力を得たというのに、何もできる気がしない。

 もしかしたら現在の俺こそ、過去の俺に張っ飛ばされるべきなのかもしれねぇな。

 情けないもんだ。

「ほら、ガンマにもそういう時期があったんだから、クロームとも仲良くできるよ」

「昔と今は違うんだっつぅの。何度も言わせんな」

 ため息を吐き出し、俺は本を探す作業に集中する。背後でセシウがぶつぶつと何か言っているが、もう気に留めないことにしよう。

 それにしてもあの頃のことをセシウも覚えているとはな。もうほとんどの奴が忘れてると思っていた。自分だけ覚えていて、たまに眠れない夜にふと思い出して恥ずかしさに悶えるようなその程度の記憶だったんだがな。

 セシウはたまに俺も覚えていない、俺の過去を覚えていたりするから怖いな。こういう点でも幼馴染みと一緒にいるのが危険だということが分かる。

 過去なんてもんは出来うる限り埋葬されるべきなのだ。

 と、そこで俺は本棚の右端の本に目が吸い寄せられるような感覚を抱いた。なんとなく目に付いたその本のタイトルは『召喚と降霊の概念連理』――間違いなく目的の本だった。

「お、見つけたぞ」

「マジで? やった!」

 本棚の下方を見るため、床に膝をついていた俺は立ち上がり、その本へと手を伸ばす。背表紙にまさに指が触れようとしたその瞬間、奥の闇からついっと白い手が伸びてきた。浮かび上がった繊手に俺の指先が触れる。冷たい感触に背筋がぞくりとする。

 一瞬遅れて俺の脳ミソが高速回転を始めた。

「う、うおわぁっ!?」

 驚きのあまり素っ頓狂な声を漏らし、腕を引っ込めた俺は後ろへと飛び下がった。

「な、何!?」

 俺の突然の奇行にセシウも戸惑っている。そりゃ気持ちも分からないではないが、俺の方が戸惑っているし、パニくってる。頭の中で大量のクエスチョンマークとエクスクラメーションマークがランデブーしている、

「な、なんかいる……。白い手のお、おば……」

「そ、それ以上言うなぁっ!」

 俺が何を言わんとしているのかを理解し、セシウが速攻で制止してくる。俺だって自分の頭をなんとかしたいけど、これはだって、どう考えても……。

「お……おばさんだ……きっとおばさんだ」

「そ、そうだよ、ほら、何もおかしいことなんてないよ!」

「誰がおばさんだ」

 全く聞き覚えのない声が闇の向こう側から投げられて、俺とセシウは二人揃ってバカみてぇな悲鳴を上げて、後ろに飛び下がる。運動神経がある奴は怯え方もアクティヴである。

「全く、騒々しい……」

 天使のように透き通った声が闇の中から零れ、何かが浮かび上がってくる。白い何か……頭蓋骨の次はなんだ? 本体のお出ましか?

 ぼんやりとしたそれは次第にランタンの灯りの下へと踏み込んでくる。最初に不確かな灯りに照らされたのは編み上げのブーツだった。板張りの床が不穏な軋みを上げる。足があるってことはお化けじゃねぇのか……。

 いや、そもそもお化けとかこの世にいるわけないじゃないですかー。全く何言ってんですかー。

 そんなことを考える俺の手には『召喚と降霊の概念連理』がある。考えるまでもなくとんでもない矛盾だ。

 この店は内装のありとあらゆるものが恐怖を喚起して、まともな思考を阻害するな。碌でもない精神攻撃だ。

 次にクロッシェレースのあしらわれた木綿のスカートがランタンに照らされる。スカートは長く、編み上げブーツの上部はすっぽりと隠されていた。さらに影がこちらに続くと、スカートと上衣が繋ぎ合わされたワンピースであることが分かった。

 およそ清楚な文学少女らしい、白い木綿のワンピースだ。それだけなら何とも可憐で見惚れてしまうというのに、その上に羽織っているものがあまりにも異質であった。

 何故、本革の黒いライダースを着ているのだろうか? それも右の肩には髑髏のマークまであるパンクな仕上がりだ。木綿のワンピースの楚々とした雰囲気をぶち壊すには十分すぎる代物だろう。

 一体こいつは何を血迷ったんだ……?

「この店で客同士が遭遇するなんて、珍しいこともあったものだな」

 透き通った声で呟き、その異様な服装をした女性はため息を吐き出す。顔がランタンの光の下に晒され、闇に紛れていた容貌が掘り起こされた。

 長く伸びたストレートヘアーは燃えるような金色。裸は白くも血色がよく、それが幽霊の類でないことはすぐに分かった。鼻梁は高く、唇は薄い。ほっそりとした輪郭の美女だった。切れ長の目は蒼く透き通っており、まるで眼窩にサファイアを嵌め込んでいるようだ。

 背丈はそれほど高くはなく、むしろ小柄の部類に入る方ではあるが、下から覗き込むような上目遣いは挑むようで、力強さと気高さを感じさせる。長い睫毛がかかった、蒼い瞳の奥底には蒼炎の揺らめきさえ幻視してしまいそうだ。

 意志を貫く、誰にも媚びることがないであろう女性に思えた。

「えーと……人間?」

 及び腰になりながらセシウはおどおどと分かりきったことを問いかける。この段階でもう疑いようはないだろうに……。

 対して、そんな失礼極まりないことを訊ねられた女性は、腰に両手を当て、胸を張った。適度に膨らんだ乳房が誇張されるのでついつい目が行きそうになる。

「如何にも。正真正銘の人間だぞ? どうだ、参ったか?」

「……ヤケに得意気だな、おい」

 分かりきったことじゃねぇか。

 ここまで来て、幽霊だとか言われたら、それはそれで恐ろしいと思える程度には、あからさまに人間だった。くどいほどに人間だ。

「いや、アタシもな、考えたんだ。ここは一つ幽霊と言った方が面白いのか、それとも人間だと普通に言った方が逆に面白いのか」

 何を考えてんだ、こいつは。

「だけど、まあ、なんだ。話がこじれるからやめた」

 そして考えている割には適当だ。

 まあ、これ以上セシウが怯えたら何も話が進まないしな、面倒くさがってくれてよかったわ。

 セシウは戸惑いながらもおずおずと引き気味だった腰を戻していく。

「それで、君達、魔術師じゃないだろう? こんな店に一体何しに来たんだ?」

 あー、やっぱり魔術師には、同類とそうでない奴が分かるんだな。確か、魔術師のように長時間魔術的物質に触れているものは、身体に微弱な魔力を帯びるんだったか。そんな感じだった気がする。

 魔術に関しては俺も専門外だからよく分からん。

「わ、私達は、ちょっと頼まれ物があって……」

「頼まれ物、ね」

 金髪の女は値踏みするように俺とセシウを見つめ、俺達の手に握られた本へと目を留める。

「見たところ、浅くとも魔術に関わりを持つ者らしいな、君達は。残滓を感じる。それにその本、君達を使いに出した魔術師は随分と優秀なようだ。そこらの魔術師では価値すら分からぬ一品揃いだ」

 そ、そんなもんなのかよ……。

 頼まれた物を集めていただけだったから全然分からなかったぞ。ぱらぱら捲っても意味不明なだけだしな。

 しっかしやっぱプラナってすげぇんだな。

「確かにその手の本はここのような、変わり種を取り扱う店にしか置いていないだろうな」

「あー、やっぱりここは変わった店なのか。なんとなくそんな気はしてたんだけどさ」

 最初がこの店だったのはある意味運がよかったかもしれない。頼まれ物を一度に済ますことができたのも、ここだったからこそなのかね。。

 運がいいのか、悪いのか、いまいち判断に困るところだ。

「そんなことも分からずにここへ来たのか? 命知らずめ」

 呆れたようにため息を吐き出し、金髪の女は闇に覆い隠された店内を見回す。

「この店で下手な場所に迷い込むと、一生出てこれなくなるぞ? 魔術師の中でも程度が低い者では抜け出せないような、異界化された迷路が組み込まれている。君達、よく無事でいられたな」

「え……? それまじっすか……?」

 脇に立つセシウの顔がどんどん青ざめていく。俺の顔も多分引き攣っていることだろう。

 対して、金髪の女だけは何食わぬ顔で当然のように頷いた。

「うん、死ぬぞ?」

 ……どうやら、俺達は知らぬ間に、九死に一生を得ていたらしい。なんてことだ。一歩間違えたら、勇者の仲間が二人、魔導具店で文字通り帰らぬ人となるところであった。

 んなばかばかしい話があってたまるものか。

「ま、まあ、頼まれ物は全部揃ったんだ……こんなとことっととおさらばだ……」

「まだ揃ってないんじゃないか?」

 どうにかこうにか現実から目を逸らそうとしている俺に、金髪の女はさらに追い打ちをかけてくる。

「これ、アタシも欲しいんだよね」

 言って、女は自分の右手に持っていた本を顔と同じ高さに持ち上げて、俺とセシウが見えるようにする。

 持っていた本は『召喚と降霊の概念連理』――プラナが一番欲しがっていた本だ。

 そういやさっき手が触れたモンな。同じ本を欲していても不思議じゃあねぇか。

「残念ながらこの店にはこの本が一冊しかないんだ。こんなマイナーすぎて異端にもなれていない魔術師の本なんて、きっと他の店にも置いていないだろう。というか置いてなかった。探してきたし」

「…………」

 どうやらこの女はこの街にある魔導具店を粗方回ったようである。魔術師としても相当やり手でありそうなこいつが言うってことはまず間違いなく置いていないんだろうな。

「ねぇ、ガンマ? どうしよう?」

 セシウが困り顔で俺に意見を求めてくる。

 プラナのことを考えたらなんとしても譲ってもらいたいところではある。何せ、俺達も苦労してここまできたのである。それも自覚はなかったが命がけで。できればプラナが最も欲しがっていたその本を持って帰ってやりたいところだ。ただ、向こうも向こうでそれなりに努力をして、あの本を見つけ出したわけだ。ていうかこの街って結構広いよな? 魔導具店だけ回るにしたって相当辛かったことだろう。ようやく見つけた本を奪い取るというのも寝覚めが悪い話だ。

 セシウもその辺分かってるから、俺に聞いてきたんだろうな。

 しばし考えて、俺は肩を竦める。

「分かった。持ってけ。こういうのは早いモン勝ちだ」

「ほう、優しいものだな」

 右の眉を上げ、金髪の女はくすりと笑う。しかし視線だけは俺を監視するように見つめていた。そこに多少の居心地の悪さを感じつつも、俺は努めて平素通りの振る舞いを意識する。

「お前の苦労に比べたら、こっちの苦労なんて大したもんじゃねぇよ」

「ねぇ? いいの? プラナ、それが一番ほしいんじゃないの?」

 脇からセシウが俺の顔を覗き込んでくる。

 プラナと赤の他人をかけたセシウの天秤は未だにどちらも掲げてくれていないらしい。まあ、気持ちは分かる。俺も結構悩んだし。

「俺達は旅の途中だろ? 次の場所に行けばあるかもしれねぇし、プラナだって事情話せば分かってくれるだろ?」

 プラナは話の分かる奴だ。なんなら皆まで言わずとも許してくれそうでさえある。

 今すぐ手に入れる必要は別にないのだ。今は街中を一人で回ったこいつに譲ってやろう。

「んー……まあ、それもそうか……。そうだね。じゃあ、今回はしょうがないね」

 そこでようやく安心したらしく、セシウは穏やかに笑って頷く。こいつもこいつで、別に向こうに渡したくわけではないようだからな。

 どっちかっていうとどっちにも渡してやりたくて、それでもどちらかにしか渡せないという葛藤で悩んでたようなもんだし。

 つくづくいいやつ――なんでもない。

「つぅわけで今回はお前に譲るよ」

「そうか? それではお言葉に甘えるとしようか」

 ほんの僅かに唇の左端を吊り上げるようにして笑い、金髪の女は自分の手にある本へと目をやる。

 喜びを隠そうとして、それでも零れてしまいそうになった笑みを誤魔化したような笑い方だった。

 こいつも内心は嬉しいんだろうな。

「ふむ……面白いものだ」

 ぽつりと呟き、金髪の女は俺達へと顔を向ける。

「君達もとりあえずそれで買い物は終わりなんだろ? 厄介な場所に迷い込まないように案内してやるぞ。この本の礼だ」

「いや、別にそんな必要はねぇよ……」

 反射的に遠慮しようとする俺に、そいつははんっと嘲るように笑った。

 なんとなく、こっちが素のような気がした。本当になんとなくだけど、こいつは加虐嗜好が強いタイプだ。

 多分間違いない。

「別に死んでもいいなら止めはしないがな」

 …………。

 そういやこの店には厄介な迷路が仕込まれているんだっけか。話を聞く限り、魔術による異界化らしいので、恐らく来た道を戻ったところで帰ることは困難だろう。俺がどんなに道順を覚えていても、ハマってしまえば帰ってこれないはずだ。

 袖を引かれて、俺はセシウの方へと目を向ける。セシウは不安そうな顔で眉根を寄せていた。きっと先程の話を思い出し、霊的な物に対する物とは違う恐怖心を抱いたんだろう。

 実害がある分よっぽどタチの悪いもんだからな。いるかもしれないわけじゃなくて、確実に店内に存在しているんだからな。

「つ、連れて行ってもらった方が……」

「そ、そうだな……」

 もう何も、迷いはなかった。




「あれま、生きて帰ってきたのか」

 二階で出会った金髪美女に案内されて、ようやくカウンターに辿り着いた俺達に、灰被り店主はそんな心優しい労いの言葉をかけてくださった。

 最早、反論する気も起きない。ここに来るまで、さんざん酷い目に遭った。

 まさか床の一部が魔術で液状化しているとは思わなかった。しかもその中には肉食魚まで棲んでいやがった。それも外見は板張りの床そのままで傍目から見たら全然分からない。

 セシウが誤ってその液状化しか床に足を突っ込んでしまった時は本当に死ぬかと思った。セシウが。

 セシウ自身も死ぬかと思ったらしく、悲鳴を上げながら、引き抜いた足の先で靴に噛み付いて離れない、この世の物とは思えないおぞましい魚を殴打していた。正直泣きじゃくるセシウはある意味年相応の少女だったとはいえ、素手で肉食魚の甲殻を砕く姿は恐ろしかった。

 必死なので遠慮もなかったために、最後には魚の方が無惨な姿で痙攣していたし。

 その他にも空間の歪みから鉈が降ってきたり、人食い本に遭遇したりと散々な目に遭った。本を探している最中に何事もなかったことが奇跡に思える。俺達はある意味運がよかったのかもしれない。

 そんなこんなあってぐったりしている俺とセシウを交互に見て、相変わらず煎餅を咥えた灰被り店主はぼさぼさの髪に覆われた頭皮をぽりぽりと掻いた。俺達の背後に立つ金髪美女様だけは平然とした顔である。羨ましい限りだ。

「んー、死ぬと思ったんだけどなぁ。おかしいなぁ」

「殺す気だったのかよ、初めから……」

「当たり前だろ。バカップルとか死ねばいいんだ。うん。つぅわけで今すぐ死ね」

 呆れ返ったセシウは低い天を仰ぎ、目を手で覆った。

 もうホントに言うことねぇな、こいつ。

「さっさと帰るから会計済ましてくれ……」

「あ? 何言ってんのさ? 今言ったこと聞いてた? 死んでこいって言ったでしょ? この店ならその辺歩いてるだけで死ねるから、ちょっと歩き回っておいで」

 ……そもそもそんな店が普通に存在してること自体どうなんだろうか? 普通店を歩き回るだけで命が危険に晒されるなんておかしいだろう……。

 そしてこの灰被り店主が今まで捕まらないでいることが恐ろしい。もしかしたら前科の一つや二つくらいはあるのかもしれない。

「あー、死体は大丈夫。ちゃんと骨も残さないから」

 ……まあ、人喰う魚や本があるくらいだからな。残らないかもしれないな。

 つぅことはこれまでにも何人か死んでるのか? 表沙汰になってないだけで。

 この店のことクロームに伝えたら刃傷沙汰になりそうだな……。

「いいから会計しちまってくれよ。そしたらもう来ねぇから」

 言って、俺は脇に抱えた本をカウンターの上に置く。最早文句の一つも言う気が起きないらしいセシウも、本をカウンターに載せる。

 合計五冊の本が積み上げられ、灰被りは渋々といった様子で本を閉じ、食いかけだった煎餅を全て口の中に放り込むと、ばりぼりと煎餅を砕きながら積み上げられた本へと目を通し始める。

「えーと……『完全図解・第五魔術における火の元素の運動と作用』に『ゴブリンでも分かるクルジア言語によるプログラミング~応用編~』……それと『球形魔導陣応用術』……『新説・イデア論』……んで最後に『究極微粒子(アトム)の魔術的活用術』……ねぇ……」

 一通り本のタイトルを確認した灰被りは顔を上げて、無気力な目を俺に向けてくる。死んだ魚のような目だというのに、どうにも威圧感のある目だ。

「ねぇ? あんたに頼んだ魔術師って実はゴイスー?」

「は?」

「すごいのかって聞いてんの」

「ああ、そういうこと……」

 突然何かと思えば、そんなことか。

 まあ、確かにすごいと言えばすごいんだろうが。何でこいつは突然、こんなことを聞いてくるんだろうか。

「まあ、すごいとは思うけど……」

 どう答えていいのか分からず、そんな曖昧な答え方をすると盛大なため息を返された。殺してやろうか。

「あんたに聞いたあたいがバカだったわ。会計は七三八〇イェン、ね」

「ん……ああ」

 どうやら興味も失せたらしい。こっちは興味を持たれても困るから別にいいんだけどさ。

 なんかこう、釈然としねぇよな……。

 とりあえずこれで解放されるのだ。大人しく支払って帰るとしよう。そして金輪際、二度とこの店に立ち寄らなければ、俺達の心は穏やかなのである。

 グッバイ、気狂い。

 俺は財布から預けられていたお札を取り出し、灰被りの長めの袖に隠れた小さな手へと手渡す。

 千イェン札八枚を受け取った灰被りは慣れた手つきで枚数を数え、カウンターの陰からちゃりちゃりと小銭を取るような音が聞こえた。

「はい、六二〇イェン、返してやる」

 手の平を出すと、その上におざなりな手つきで小銭が落とされる。一応合っているのかどうかを確認した後、財布に小銭を戻した。

 灰被りは積み上げた本の上に折り畳まれた紙袋を載せ、俺達の方へ本を僅かに押し出す。あとは全部自分達でやれ、ということらしい。

「ご来店あざーした。もう二度と来んな」

 店を利用してやったことへの感謝の気持ちなんて微塵も持ち合わせていない言葉を受けて、俺とセシウはお互いの顔を見合う。セシウは眉根を寄せて、心底困り果てていた。俺もきっと同じような顔をしているんだろう。

 順番を待っている金髪美女さんのために、カウンターの脇の方へと、本と一緒に移動して、俺は紙袋を広げる。

 黒地の紙袋には、この店の看板と同じ色使いで店名がプリントされている。相変わらずの酷い色使いだ。でも、その鮮やかさが今は懐かしい。ここはあまりにも暗すぎる。

「ガンマ、私が入れるよ」

「お、そうか? すまんな」

 セシウの申し出を有り難く受け取り、俺はセシウが本を入れやすいように紙袋の口を拡げた。大きく開いた紙袋の口にセシウは丁寧な手つきで本を入れていく。一冊一冊、ずっしりとした重みのあるハードカバーの本だ。その本をそっと持ち上げるセシウの繊細な手に、ついつい目が行ってしまう。

 いつも力任せな割には、綺麗な手してんだな、こいつ。なんか本当、一応は女の子なんだよな、こうして改めて見てみるとさ。

 俺の視線は自然とセシウの横顔へと移っていた。本を傷つけないようにと一生懸命になっているセシウの横顔もまた、女性のそれだ。

 髪の毛をハンチングの中にしまい込んでいるせいで、その顔立ちが余計はっきりと見えてしまう。

 肌は少し荒れてはいるけれど、綺麗すぎず、また血色のいい肌は人間の温もりを感じさせる。クロームやプラナのように完成されすぎた、人形のような美しさとは違う、人間的なものだ。

 美人になったっとはなんとなく思ってたけど、こいつ、ちゃんと着飾ったら、それこそその辺の舞台女優にも劣らない美貌になるんじゃないのか?

 そんなことを考えてしまう。

「うっし、終わったよ」

 あっという間に五冊の本を紙袋の中に並べて入れたセシウが、俺の方へと顔を向ける。咄嗟に俺は視線を闇へと逸らし、気恥ずかしさを誤魔化すように頭をかいた。

「お、おう、ゴリムスにしては早いじゃねぇか」

「な、なんだとー」

 振り上げられた拳から逃れるように数歩下がり、俺は本の詰まった紙袋を持ち上げた。五冊分の本の重みが紙紐にかかって指に食い込む。

 お、結構重いな……。

「なんだ、仲がいいな」

 背後から聞こえた声に振り返ると、灰被り店主にお金を渡した金髪美女が俺達を見て笑っていた。

 なんで俺とセシウのやり取りを見た奴は、大抵そういう的外れな感想を述べるんだろうか。

「全く、乳繰り合うのは余所でやってほしいもんだっていうね。あ、これお釣り」

「うむ、どうも」

「あざーした」

 気の抜けた声でだらだらと挨拶をしてひとまずの仕事を終えた灰被り店主は、俺達を見届けるようなサービス精神を発揮することもなく椅子に座り直し、煎餅を咥えて再び本を読み始めた。

 金さえもらったら、それで仕事はおしまいらしい。これで経営成り立ってるとか信じられない。

「さて、これで買い物終了だな」

 本を持っていない右腕を腰に当て、金髪美女は満足そうに言う。目当ての本がようやく見つかって大層ご満悦のご様子だ。

「おう、わざわざ案内ありがとな。助かったぜ」

「私も助かりました。ありがとうございます」

 片手を挙げて言葉だけ述べる俺に反して、セシウは礼儀正しく深々と頭を下げて感謝の言葉をを口にする。

 ま、まあ? 俺は紙袋持ってやってるし?

「なぁに、これくらいは」

 金髪美女は唇の端を引き上げ、手の平をひらひらと振る。と、そこでそいつは何かを思いついたように、不敵な笑みを漏らした。

「そうだ。この本、君達にやるよ」

「は?」

「え?」

 今なんて言った?

 脳の処理が僅かに遅れる。

 おかしいな。こいつのくれるって言ってる本は先程俺がこいつに譲った物のはずなんだが……。

 唖然とする俺達など気にすることなく、何故か金髪美女は得意気に笑っていやがる。

「いやさ、この本をタダでやる代わりにさ、君達、私も買い物に付き合わせろよ。それで昼飯奢ってくれないか。ずっと探してたから、腹が減ったんだ」

 付き合わせろ? 付き合えじゃなくて?

 こいつは一体何を言っているんだ?

「い、いや、それは別にいいんですけど……。いいんですか? その本、ずっと探してたんですよね?」

 セシウが戸惑いながらも訊ね返す。

「あー、まあ、そうなんだけどさ。なんか君達といると面白そうだし、もう少し付き合わせてもらおうかなぁ、なんてね」

 ……ふーむ。

 まあ、本人が言うんだから、それでいんだろうな。こいつ、あんま人の顔色見て意見を言うようなタイプには見えないし、本当にそう思ってそうだしなぁ。

 断る理由は特にないか?

 飯代よりその本の方がよっぽど高いだろうし。こっちに損はねぇか。

「ガンマ?」

 やっぱりセシウは最終決定を俺に委ねようとする。なんでこいつ、俺に決定権を譲るんだろうな。毎度のことながら。

 俺は即決したように見えるのもなんか癪なので、頭の後ろを掻いて少し悩む素振りを見せた後、肩を竦めてため息を吐き出し、仕方ないとでも言いたげに思えるように両手を広げた。

「まあ、いいんじゃないか?」

「よし、そうと決まればまずは昼飯だな」

 腕を組んで、金髪美女は俺にウィンクをしてみせる。少しあどけなさの残る外見に大人びた素振りが常と思われるこいつの、その茶目っ気溢れる仕草はなんとも破壊力が抜群だな。

 なんか今、きゅんときた。

 そんな俺の心境など露知らず、金髪美女は俺に右手を差し出してくる。

「私はカリーヌだ。まあ、ただの旅の魔術師だ」

 左の脇髪を指先で耳に引っかけ、金髪美女もといカリーヌは穏やかな微笑と共に握手を求めてくる。俺はその細く冷たい手をそっと握った。俺が込めたのと同等の力が手の平を優しく締め付け返してくる。

「俺はガンマ。こっちはセシウだ。まあ、俺達もただの旅人って言ったところかな」

「よろしくお願いします」

 セシウとも握手を交わし、カリーヌは上機嫌に鼻を鳴らし、また俺達を観察するように見つめる。

「それじゃあ、今日はちょっと君達で楽しませてもらうとしようかね」

 顎に指をかけ、舌なめずりをするカリーヌの仕草に何か悪い予感を覚えてしまう。

 悲しいことに俺の悪い予感はよく当たるのである。

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