One Days Cs & Mn―とある昼下がり―
〆
眼鏡を新調した。以前あったお気に入りの眼鏡はどこかへやってしまったので、およそ二日ぶりの眼鏡であった。それほどかけていなかったわけではないのだが、なんだか鼻にかかるほんの少しの重みが酷く懐かしく思える。
久々に思えるレンズ越しの風景に特段変わりはなかった。度が入ってないので変わるわけがないんだけどな。
まあ、でも、こっちの方が落ち着くな、やっぱり。本当のところはなくても何も問題はないんだけど、どうにもこれがないと俺以外の奴らが違和感を抱くらしい。
俺と眼鏡を関連づけるのはやめてほしい。それどころか、眼鏡を本体として扱っているような節もある。このイメージはなんとも払拭したいわけなので、この際脱眼鏡を図るのもありだなぁと考える一方、それを面倒くさがる俺もいる。だってあいつら、一部悪意含んでるだろ、どう考えたって。俺が眼鏡かけるのやめたところで見逃してくれるとは思えない。
そもそも、俺が伊達眼鏡をかけ始めたのは、世の女性に俺の知的アピールをするためであり、名実ともにインテリ系の、知性溢れる秀才イケメンという俺の特色を全面に押し出すのが狙いだ。決してあいつらに弄らせるためのネタを提供しているわけではないのである。普段から俺は意識せずともイケメンオーラと知性と教養を放出してしまう罪深い色男であるわけなのだが、どうにもそのあまりにも高次元すぎる魅力というのは世の女性には知覚されにくいらしい。うん、いいよ、世の女性はそれでいいよ。ただし美女に限る。少し鈍いくらいの方が、必死に身に付けたちょっとばかし陳腐な手品にも喜んでくれるしさ。インテリジェンスな俺は手先さえ器用なのだ。どこぞの国の諜報機関にでも所属すれば、俺の名前は世に知れ渡っていたことだろう。あー、しまった。諜報員が世に知れ渡ってどうするんだよ。まあ、話を戻そう。しかし、いくら高次元な魅力があったとしても、それを誰も感じ取ってくれなければ意味がない。そのため、俺の明晰なる頭脳はある素晴らしい結論へと至った。ならば視覚的に訴えればいいのである。それも俺の秀才な落ち着きある知性的な美貌と、俺の頭のよさを一度に押し出せるように。ならば、最も単純明快なものがいいのだ。知性と言えば、秀才と言えば、やはり眼鏡に限るだろう。そんなわけで知性派でありながらも非常に行動的な俺は伊達眼鏡をかける次第になったわけである。一時期は本当にわざと視力を落として、真面目に勉強してたっぽさを演出しようと思ったが、真の天才は勉学に勤しむことなくして天才なのである。あと、情事の際に見たいものがぼやけてしまうというのもある。灯りはつけたまましたいタイプです。暗い中でまさぐるのもそれはそれで官能的で嫌いじゃありませんが。しかも普通の眼鏡では勉強一辺倒に見られてしまうということを考慮し、眼鏡をシャープなシルエットのノンフレームにすることで俺の美貌さえも際立たせるという機転までさりげなく利かせる俺は、最早天才どころか奇才と称されてもおかしくはないだろう。誰もが諸手を挙げて認める知性であることはこの時点で間違いはない。疑いようのない事実である。インテリジェンスな俺は、その言葉の語源通り、圧倒的な事実の行間さえ読み切ることができるわけだが、こればかりは最早どうしようもない。行間を読んだところでそこには俺を褒め称える言葉しか詰まっていないのである。俺は知性派でありながら謙虚なので、自分の才能を誇示することはあまりしたくないのだが、これは最早純然たる事実なのである。恐ろしい。自分自身が。この次元にまで達してしまうと、最早謙遜することこそが悪徳である。俺は素直に自分の罪深い才能を受容せざるをえなかった。真に怜悧なる者は自身の性質さえも正確に知悉しているものなのである。全く非の打ち所のない俊英だ。あー、全く自分が恐ろしい。俺のこの才能を世間が見出せないのはやはり、俺があまりにも高次元たる故だろう。あまりにも圧倒過ぎる彼我の差は、時に人が認識を拒絶するものなのである。いやぁ、全く以て罪深い。しかし、ここまで俺が綿密にお膳立てをしているというのに、世の女性の方々はどうしても俺の魅力に気付けない。それは何故か? 決まっている。俺があまりにも素晴らしすぎて、イイ男すぎて、女性の方々が尻込みをしているのである。いやぁ、実に罪深い男だ、俺は。世の多くの女性が、俺への想いを胸にしまい込み、切ない疼痛に喘いでいるのだと想うと、俺まで胸に痛みを覚えてしまう。女性とすれ違うだけで罪を作ってしまう俺といったら、酷い奴だぜ、ははは。女性の皆さん、俺は貴女方の想いを踏み躙るようなことを致しません。さあ、自分の気持ちに素直になって、俺へと身を委ねてしまえばいいのですよ。そうは言っても、俺の言葉は世の女性に届かないのだろう。卓越しすぎた先天的なる素養は、人を孤立に幽閉してしまうものなのである。それが俺への罰だというのなら、仕方ないことだ。原罪だからな。甘んじて受けるしかあるまい。俺は容姿端麗、頭脳明晰な上に聖人君子なのである。人間としての出来が違うぜ。
「ガンマ顔うざい」
…………。
まあ、なんだ、どんなにこう俺が素晴らしすぎる人間だとしても、その素晴らしさに気付ける人間が身近にいないっていうのはある意味不幸なのかもしれないな。ほら、あれだ。美術展とかでさ、訳分からない絵あるじゃん? でも識者っぽい奴はその絵を見て感嘆の声を漏らし、これは何々を寓意的に表現した風刺の含まれた絵画であり、何々は何々の比喩であるとかって言うけどさ、ぶっちゃけ全然意味分からないじゃん? それと同じだと思うわけよ。まあ、あいつらが本当に識者なのかどうか、そもそも作者が本当にそんなことを意図していたのかどうか、なんて全く知らないし興味もねぇけどさ。俺は、あれ、ただ砂浜を駆ける馬の絵だと思います。はい。それ以上でも以下でもないと思うし、あっても俺は案外どうでもいいですね。
「ガンマ、顔すごくうざい。どこがうざいかっていうと、なんかこう、鼻の穴の半径がうざい。穴の半径と、鼻のサイズが絶妙にいらつく比率。奇跡的」
…………。
大丈夫。全然問題ない。大丈夫。天才ってのは常に孤独なものさ。そんな逆境を生き抜くからこそ、天才とはより洗練されていくもんなんだ。むしろほら、あれじゃん? きっと俺の人間性が出来てるからこんな状況だけど、そうじゃなかったらきっと俺、もっと酷いことになってたんじゃね? つまり俺の人間性故に、俺は今の状況であるわけだ。俺すげぇ。すげぇ俺。
「ガンマの眉毛がぴくぴくしてる。今日、朝真剣に整えたばかりの眉毛がぴくぴくしてる。左右を同じにするために頑張った、その右側の眉毛がぴくぴくしてる。出かけるのが三〇分も遅れた理由がぴくぴくしてる。鏡に鼻がつきそうなほどに顔を近づけた時のガンマの真剣そうな顔は本当にうざかった。なんかこう、この世界のありとあらゆるうざいものの最高級をかき集めたようなうざさだった。あの短時間で後頭部にあらゆるものをぶち込みたくなるほどにうざかった。あー、うざいうざい」
「黙れゴリムス。お前に長文問題は早い。長くすればするほど冗長で、しかも語彙力の低さが露呈するぞ」
「うっさい。お前が頭の中で考えてることの方がよっぽど冗長です。あとゴリムス言うな」
うぐ……正鵠を射られていて返す言葉が見当たらない。
だってしょうがないもんね。ゴリムスといても退屈だし、頭動かすしかねぇじゃん。
俺はガラス繊維の含まれているであろうプラスチック製の白い椅子の背凭れに背中を預け、ため息を吐き出す。目の前には同様の素材で作られた白くて丸い小さなテーブル。天板は目の大きな網目状になっている。その上には薄手のクリアカップが二つ。俺の前に置かれたカップにはブルーマウンテンが入っていて、向かい側に座る奴の前にあるカップにはキャラメルマキアートが入っている。
どちらも平たい蓋がされていて、小さな差込口からストローが伸びていた。
昼下がり、喫茶店の野外席でのひととき。まだ初春で、麗らかな陽射しに反して風は肌寒いが、それでもクリアカップはさらさらとした汗をかいている。
円形のテーブルの中心にはパラソルが突き立てられ、俺達の手元を影で覆い隠す。
向かい側に座る奴へ特に意味もなく目を向けてみる。そいつは右手にホットドッグ、左手にハンバーガーを持ち、一口ずつ交互にそれを喰らっていた。何を考えてるのか全く分からない。一つずつ片付ければいいじゃないか。そんなことを随分と前に言った気もするが、両方とも冷めたら美味しくないからだそうだ。確かにホットドッグに至っては冷めてしまってはただのドッグになってしまうため、分からなくはない。じゃあ、別個に注文しろよ、とも思ったが、そんなことこいつは考えてもいないんだろう。何故なら脳ミソまで筋肉できてるから。
そのしなやかな細身には一回り二回りくらいサイズの大きい、ダボついたカーキ色のパーカーを着ているため、手の甲のほとんどは袖に隠れてしまっていた。しかもいつもは被らない帽子まで被っている。黒いハンチングに、いつもはポニーテールにしている紅い髪をしまい込み、前髪と、脇髪を一房だけ垂らしていた。凛とした紅い瞳に、柳のように細い眉、目鼻立ちがはっきりとした顔立ち、血色のいい頬――垂らされた長い髪さえなければ、少年のようにさえ見える顔つきである。実際、性格も男勝りでがさつなわけだが。
まあ、そうは言っても、発育の著しい胸がパーカーを内側から押し上げているため性別を間違われることはまずないだろう。パーカーのファスナーは胸元の少し上まで下ろされ、中はブラトップだけということもあって、谷間は見えないものの剥き出しの鎖骨に視線を持っていかれる。体つきだけで言うなら、こいつは本当にいい身体なのだ。鍛え上げられた細く引き締まった身体はしなやかでありながら、女性らしく出るとこはしっかり出ていやがる。
これでこいつががさつな性格でなく、また腐れ縁でなかったのなら、俺はこいつを口説いてしたかもしれない。内情を知った今じゃそんなこと何があったとしても思わないけどな。
多分に不服であるが、一応結果的には俺の幼馴染みということになるそいつは、俺の視線に気付き両手に持ったフードを貪るのをぴたりと止めた。ハンバーガーに食らいつこうとしたその体勢のまま、口をあんぐりと開けたそいつは俺を横目で見ている。
……目が合った。やだ、どうしよう。
「何?」
「なんでも……」
鎖骨見てましたとかとてもじゃないが言えないだろう。
向かいに座る幼馴染――相対的にである――のセシウは眉根を寄せ、食べようとしていたハンバーガーにかじりつき、口をもごもごと動かしながら俺の方へと顔を向ける。
「いふたいこほあんふぁらふぁっひりいへ」
言いたいことあんならはっきり言え、と言っているようで御座います。
「なんでもねぇよ。つぅか物喰いながら喋んな行儀悪ぃ」
「ふぁあ」
ああ、と恐らく返事をして、セシウは忙しなく口を動かし、頬張ったハンバーガーをちゃんとよく噛んでから飲み込む。ちゃんとよく噛んで食べるのは行儀いいんだろうけどなぁ……。
「んで何? ホットドッグもハンバーガーもやらんぞ。自分で頼め」
「そういうことじゃねぇよ」
「じゃあ、なんだよ」
しまった……そうだって言えばよかった。なんでこういう場所だけすんなり素直に答えてしまうんだろう、俺。嘘つくの下手だなぁ。
俺は新調したばかりの眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、ため息を吐き出す。
「口、ケチャップ付いてんぞ」
「なぬ?」
よく分からない疑問の声を漏らし、セシウは長い舌で唇の周りを確かめるように舐めていく。
「んあ、ほんとだ」
器用なんだか器用じゃないんだか……。
紙ナプキンを使うという発想はないらしい。全く呆れたもんだ。
俺はフリースのポケットから煙草の箱を取り出し、軽く振って上部の開きっぱなしの口から煙草を一本出す。それを口で咥えて箱をポケットにしまい、抜き際に同じポケットに入ったオイルライターを手に取った。金属製のそれは冷たく、掌の体温を奪っていく。蓋を開ける際の鋭い独特な開閉音は耳に心地よく、フリントホイールを指で回して火を熾す。ホイールに擦られたフリントから火花が散り、毛細管現象によってレーヨンボールからオイルを吸い上げたウィックに引火し、火が灯った。そよ風に吹かれて火が僅かに揺らぐが、それでも消える様子はなく、俺は空いた手で火を包むようにして風から守り、煙草の先へと近づけた。葉と紙が炙られる音を聞きながら、俺は煙草を吸い込んだ。口の中に広がった紫煙を味わい、肺へと送り込み、そっと吐き出す。手のスナップでライターのリッドを閉じ、ポケットへと突っ込んだ。
煙を吸い込み、中指と薬指で煙草を挟んだその手でテーブルの脇に置かれていた灰皿を引っかけて、手前まで引き寄せる。
舌先を刺激する紫煙を転がし吸い込むと、肺に重くのしかかり心地よい。その一連の動作を繰り返すだけで、気分が落ち着くような気がした。
「ガンマさん、煙いんですけど」
「うっせぇな」
「なんか風向き的にこっちに煙くるんだよ。私のホットドッグちゃんが煙たがってるからやめてください。食い物を粗末にするな」
「嫌がってる方に煙は行くんだよ。お前がどけろ」
「じゃあさ、じゃあさ、席交換しようよ」
「やだよ、面倒くせぇ。あー、えーと、ほら、あれだ。息で吹き返せばいんじゃね?」
「あ! なるほど!」
と言って、セシウは両手に食い物持ったまま、俺が吐き出す煙に向かって、ふーふーと尖らせた唇から息を吹きかける。頬が紅くなるくらい必死に、肺から空気を吐き出してるけど、そんなのそよ風に勝てるわけもない。
……バカだな、こいつ。
前々から思ってたけど、マジでバカだ。
呆れる俺を知ってか知らずか、セシウは未だに煙草の先から燻る煙に息を吹きかけている。
真面目なことである。
…………。
ふむ……。
俺は立ち上がり、灰皿を片手に持つ。
「ん? ガンマどしたの? 手洗いですかい?」
「いや、そこどけ」
「は?」
俺は小さなテーブルの周りを半周して、椅子に座ったセシウの隣にまで行く。俺を見上げるセシウの目は僅かに戸惑っている。
「お前あっち座れ」
「はぁ?」
「いいから。さっさとしろ。ホットドッグにマスタードぶっかけるぞ」
「どういう脅しだよ……」
「こまけぇこたぁいいから行けっつぅの」
しっしと手で追っ払うようにすると、セシウは眉根を寄せ上げながらも、両手に食い物持って立ち上がる。
俺は開いた席にどっかりと座って、灰皿をテーブルへと置いて、落ちかけていた灰を落とす。セシウは突然の命令の意味が分からず、戸惑っているようだがそんなのは関係ない。何一つとして知ったこっちゃない。
何食わぬ顔で煙草を吸って、手前にある皿をセシウの方へと押し出す。テーブルの真ん中ほどまで行った皿をセシウが身を乗り出して、食べ物を持ったままの手で器用に引き寄せた。
食べ物を手から離すという発想が浮かばないのか。あるいはそんな発想に至っても、そうする気がないのか。どっちにしても問題だけどな。
ついでにブルーマウンテンとキャラメルマキアートのカップも同じように交換する。
一通り移動を終えて、セシウは椅子に座り直し、むぅっと頬を膨らませた。
「全くガンマは勝手だな」
「うっせぇ。さっさと食っちまえ。昼食済ましたら他に行く場所もあるんだしよ」
まだまだ買わなければいけないものはいろいろとあるんだ。プラナからは最近出たばかりの『召喚と降霊の概念連理』という、その筋では有名な召喚術師とされるクロナルド・マッケンシーの書籍を頼まれている。俺も名前くらいは聞いたこともあるが、多分読んだところで理解はできないだろう。他にも複数の本を頼まれていて、著者名と書籍名だけは全てメモってきたが、とりあえずその本だけは何としても見つけてきてほしいとのことだ。あの奥ゆかしく、我が儘などほとんど言わないプラナがそれほどまでに熱望するということは、よっぽど欲しい品物なんだろう。出来うる限り街中の店を回るつもりである。
あとクロームからは椿油を頼まれている。これもまた高級な一品らしいが、それ故に置かれている店舗が限られているらしい。椿油なんて何使っても大差ねぇだろうに、なんでそんなこだわるんだかな。出来うる限り見つけてくるように言われているが、二つ回ってなかったら諦めるつもりである。めんどくせぇ。
あーあ、なんでこんなお使いやってんだろうな、俺。それもセシウなんかと。
本当だったらプラナがよかったぜ。そうじゃなかったら一人の方がマシだ。こんなゴリムスといたって何一つ面白いことがねぇ。
俺は煙草の火を揉み消し、テーブルに頬杖をかいて景色を眺める。
立ち並ぶ建物は洒落た煉瓦造りで、どれも背が高い。二階建てがデフォルトで、一階建ての建物はその分横にでかかったりする。ちょうどここは街の中心に位置する広場に面しており、円形状の広場には大きな噴水が設置されていた。噴き出した水が弾け、陽光を受けたきらきらと宝石のように煌めく。
噴水の真ん中に設えられた台座には、甲冑に身を包み剣を天高く掲げた騎士と、その側に寄り添うように膝をついた羽衣を纏った長髪の少女の石像が鎮座していた。騎士の身体は鍛え上げられ、振り上げた剣には精緻な装飾が施されている。少女も風に揺れるような羽衣や髪に躍動感があるように思え、二人とも今にも動き出しそうなほどだ。
その石像の意味や由来を分からずして、一見で崇高さと神聖さが伝わる芸術だ。
きっと相当腕利きの職人によって彫られたものなんだろうな。
街路には石畳が敷き詰められ、しっかりと舗装されているため歩きやすく、ここに来るまでに自転車で移動している者も多く見られた。広場は人々で賑わっているし、噴水に沿うように設置されたベンチにはカップルと思われる二人組もちらほらと見える。憎たらしい。家族連れも多いし、子供達が噴水の周りを走り回ったりもしている。
ただし喧噪というほど猥雑な音はなく、みんながみんな穏やかに時間を過ごしていた。
落ち着いた、瀟洒な街並みだ。
いい場所だ。あの村とは、全然違うな、全然。
行き交う人々に目を向けたまま、俺はクリアカップを手に取りストローからコーヒーを飲む。
正午過ぎ独特のゆったりとした眠気が幾分かは覚め、脳ミソの回転がまともになってくるような気がする。もちろん気のせいである。
何にしてもカフェインは優秀。いや、マジで。昨日も遅くまで起きてたから、いろいろ助かる。
朝のコーヒーがなかったら、俺は間違いなく寝ていたからな。
「ガンマ、よくそんな苦いだけのもん飲めるよね」
「ガムシロップをそのままで飲めるお前の方が俺には理解できねぇ」
別に甘い物が嫌いというわけじゃねぇが、あれをまんま飲める奴の気が知れない。あんなの飲んだら咽せるわ、普通。
「さすがに私だって子供じゃないんだから、もうガムシロップは直飲みしないよ……」
あー、確か随分と前のことだったけなぁ。あの頃はまだセシウも少女……っていうか少年って感じの外見だったもんなぁ。ああ、懐かしい。へーへー、懐かしい懐かしい。ぶっちゃけどうでもいい。
ぶっちゃけ、こいつがガムシロップを直に飲んでも飲まなくてもどうでもいい。例え飲んでないとしても、さっき俺がこいつの飯を注文しに行ってる間に角砂糖をいくつかつまみ食いしていることを、俺は知っている。バレてないつもりなんだろうがバレバレなのだ。
まあ、そんなことも、こんな洒落た街に、なんで俺はこんなゴリムスと一緒にいるのかっていうことに比べたら全然瑣末である。こんなにオシャレでトレンデーな街は美女と歩くべきなのである。イイ女と歩くべきなのである。それは決してゴリムスじゃない。類人猿と一緒に歩いてて面白いことなど何もない。
口に含んだブルーマウンテンが苦い。俺の気分も鬱の高み(ブルーマウンテン)である。暗い気持ちにマキアートな俺のハート。マキアートって「シミついた」って意味なんだぜ、知ってた?
まあ、買い出しのためだからしょうがねぇっちゃしょうがねぇんだけどさ。プラナがよかったなぁ。俺の心の癒しは、クロームと一緒に別件の用事でどっか行っちまった。
……こうなったらさっさと買い物終わらせるしかねぇな。
「それ食い終わったら行くぞ」
「あー、うん」
考え事をしている間にセシウはハンバーガーを平らげ、残ったホットドッグももうすぐ食い終わりそうだ。よくそんなに食えるもんだし、食っても太らないもんだよな。ある意味では尊敬するわ。
セシウはかじりついたホットドッグの尻から漏れて、零れ落ちそうになっているケチャップを舌で舐め取り、俺に目を向けてきた。
「なんだよ?」
「ガンマは食べなくていいの?」
「いいんだよ、俺は朝食ったから」
「トースト一枚じゃん」
十分やん……。
朝から最後の晩餐と言っても遜色がないような量と質のメニューを平らげたセシウからすれば理解できないでしょうね。俺からしても、こいつを理解できない。
「あんま食う気分じゃねぇんだよ」
「ちゃんと食べれる時に食べておきなよ? いつ、何があるか分からないんだからさ」
「あー、まあな」
適当に言葉を返し、俺はストローを咥え、コーヒーを吸い上げる。中に詰められた小さな氷が溶けてきているせいで、味が薄まってる気がする。
まあ、目が冴えていてくれんならもうなんでもいいわ。
早く買い物終わらせて、帰って寝てぇ……。
今も結構気怠いのだ。これから全く興味のないものを探して回らないといけないと思うとそれだけで気分が重い。
今ここで寝ろと言われたら間違いなく寝れるね。マジで。
「うっし! 食い終わりました隊長!」
「あー、そうかい」
元気よく手を挙げて、見て分かることをわざわざ報告してくるバカに軽く応えて、俺は残り少なくなっていたコーヒーを一気に飲み干した。ストローの先でずずず、と行儀の悪い音が鳴る。
「んじゃ……行くか」
飲み干したコーヒーを手に持ち、ゴミ箱へと向かう。セシウもセシウで丸めた包み紙と空のクリアカップを載っけたトレイを持って立ち上がる。
ふむ……。
俺は踏み出しかけた足を止め、くるりと反転する。流される髪さえ美しい、芸術的な身のこなしである。
セシウもすぐさま立ち止まり、驚いた顔で円らな目をぱちくりとさせた。そんなセシウに俺はずいっと左手を差し出す。
「それ、貸せ」
「は?」
「いいから、貸せ」
「はい?」
「あー、たく……」
俺はセシウの手からトレイを引ったくって、自分のクリアカップと、ねじ曲がった吸い殻がぽつんと転がる灰皿をそこに載せる。
セシウは未だに呆然としていた。未だに大きな目は何度も瞬きをしながら俺を見つめている。
「ゴミ捨ててくる」
「は、はぁ……」
気の抜けた返事をするセシウを放置して、俺はさらにもう一度反転、左の掌にトレイを載せ、さながら高級レストランのウェイターのように優雅な動きで歩き出す。
まあ、ゴミ捨てるだけなんだけどな。
調子狂うよなぁ、なんか。
自分でも思考の歯車が狂いまくってんのはよく分かっている。
最近、どうにもおかしい。この事項、そろそろ真剣に向き合わんといけないかもしれねぇな……。
まあ、今はまだいい。今の疲れ切った脳みそじゃまともな考えができないだろう。