Crimson Sick Record―とある手記―
〆
後に『イッテルビーの惨劇』と呼ばれることになる殺戮の一夜は静かに幕を下ろした。
いや、むしろ、その一夜の出来事こそが幕開けを意味していたのかもしれない。
果てもなく、宛もなく続く『勇者の系譜』を冠しただけの滑稽な輪廻の迷走――やがて世界を巻き込んでなお激化を続けたエゴはすでに宿っていたのかもしれない。
過去、現在、未来を纏め上げ、締め上げる『勇者』という烙印。民衆を救うと謳われたそれが世界さえも屠る呪いであることをこの時誰一人として知る由もなかった。
永遠を生きる神以外に、それを知る術などありもしない。
今はまだ、それは世界にとって関わりのない話なのだ。
何れにせよ『イッテルビーの惨劇』は彼の選定の聖女にとっても悩ましい出来事であっただろう。終末の予感に絶望する民衆にとっての希望の象徴として立てた勇者クロームの事実上の敗北。これの意味するところはあまりにも大きい。
《魔族》を滅しうるとされた英雄が《魔族》に敗北を喫し、無辜の民を犠牲にしてしまった。この事件が民衆に知れ渡れば、人々の心から勇者という偶像への期待は薄れ、再び押し込まれていた絶望が箱の奥底より鎌首を擡げるであろう。
そうなれば予てよりあった《始原の箱庭》に対する民衆の不満も抑えられない。これまで勇者クロームの存在を喧伝し、平和を約束することで民衆の意見を抑え込んできた組織そのものの存続さえもが危ぶまれてしまうことは間違いない。
選定の聖女も堰き止めることのできない濁り水の扱いに苦慮していたに違いない。
しかしそんな聖女へと、吉報は、まるで窓辺に降り立つ雀のようにそっと羽ばたいてきていたのだ。
〆