#A757A8 Th―群咲の魔女―
「ああ、来たか。此方へ来ると思ったんだ。なんとなく」
特に目的地もなく進んでいると、どういうわけかキュリーに遭遇した。瓦解した家の名残である積み上げられた煉瓦の家に、片膝を抱えるように座り込んだキュリーは俺を見るなり、ほんの少し唇を綻ばせた。
……予想外の人物に俺は思わず気難しい顔をしてしまう。別にキュリーが嫌というわけではないが、一人でいたい気分だったので、あまり歓迎できるものでもなかった。
キュリーは相変わらず一糸纏わぬ姿で、臀部に傷がつかないのか心配にさえなる。だってそこはどう考えても、ケツが痛くなる。
「なんで、いるんだよ」
「今言ったばかりだろう。お前が来ると思って待っていたんだ。ずっと待っていてやったのだ。そう嫌そうな顔をするな」
とは言っても、キュリーは特に気分を害した様子もなく、僅かに首を傾け悪戯を企む小僧のような笑みで俺の顔を覗き込んでくる。
「……嫌ってわけじゃねぇけどさ」
「独りでいたい気持ちだったか? すまないな。これは邪魔した。帰らないがな」
ふふふ、とキュリーは薄い唇から穏やかな笑声を零す。
うーむ、相変わらず俺のドツボを貫く仕草ばかりだな、こいつは……。狙ってるんじゃなかろうか?
いや、俺とこいつは出会って三日しか経っていないので、どう考えてもそれはあり得ないな。うん。
俺が他人に教えていない好みまで把握している時点でおかしいし。外見まで俺のタイプそのものっていうのもあれだし。意図的にどうこうできるもんじゃねぇもんな。
敢えて言っておくが、全裸というのは別に俺の
好みではない。それ以外の部分の話である。
「つぅか分かってて帰らないのかよ」
「私だってずっと待っていたのだ。ただでは帰らんぞ」
ふんとキュリーは鼻を鳴らし、凭れかかるようにを上体を引き、両手を後ろについて身体を支える。朝のしんとした空気に乳房が晒され、俺の目にも当然入る。クソ……その格好でそのポーズは反則である。
「まあ、いいけどよ」
「スコップ、貸してくれないか。私も彼らに少しは何かをしたい」
すっと手を差し伸ばして要求してくるキュリーに、俺は顔を顰める。
「俺がやんだよ。お前は寛いでろ」
「お前は彼らを助けるために奔走しただろう? 私はただ見ているしかできなかった。だから私にも何かさせろ」
……言いたいことは分かるけどよ……。
「俺が、あいつらのために何をしてやれたっていうんだよ……」
吐き捨て、俺はその場から立ち去ろうと歩き出す。今はやっぱりこいつと話す気分じゃねぇな。
独りで何も考えずに身体を動かしていたい。
背後でキュリーの艶っぽいため息が溢れる。
「ガンマ、英雄というのは個人では到底不可能な結果にこそ付与される肩書きらしい。誰かを助けようとした、悪人を倒そうとした、そういうものではなく、助けた、倒したという結果があって初めて与えられる。もし志半ばに倒れたのであれば、それは英雄ではなく、英雄の挑む事態の難易度を証明する要素にしかならない。登場人物にもなれず、ただ屍として描写される要素だ。一般人には無理なものに対して、一定以上の結果を出してそれは英雄と呼ばれる。やろうとした、という経過だけでは、英雄にはなれないらしい」
「それがどうしたんだよ……」
俺はキュリーに背を向けたまま、立ち止まり肩を竦める。
そんなのは分かりきってんだよ。だから、こんなに苦悩してんじゃねぇか……。
「ガンマ、お前は何になりたいんだ?」
んだよ、今度は……。
「そんなの特にねぇよ。ただ、目の前にいる奴らが区別もなく、殺されていくのが辛抱なんねぇんだよ、俺は」
そうだ。俺は別に何かになりたいなんていう目的はなんもない。クローム達と一緒に行動してるのもきっかけ自体が成り行きだし、後はもうずっと惰性だ。
ただ、その旅の中で困っている奴らがいたら助けたいとも思うし、命の危機を晒されているってんなら、やっぱり俺は助けたいと思う。それは人間として当たり前のことだろう?
何も変なことなんてないはずだ。
「なら、いいじゃないか。お前は別に英雄になりたいわけじゃないんだろう? なら、失敗はついて回るものだ。失敗が許されないのは伝説の中だけのことだ」
「そんな簡単に割り切れるものじゃねぇよ……」
何もかもが上手く行くとは思っちゃいねぇ。失敗することだってあるのは分かってる。俺だって自分がどんなに未熟で非力で弱い存在なのか理解している。
目の前にある命全てを救えるわけではないことだって痛感してきた。
ただ、それでも、やっぱり、必死に守ろうとした村人達を誰一人として助けられなかったという事実は、俺の精神に対してあまりにも痛烈なものだった。
「それは分かっている。この現実はあまりにも酷だ。そう簡単に受け容れられるものではない。ただ、どう足掻いてもこれは現実以外の何物でもない。小さき存在なんだ、お前もお前の仲間達も、私でさえも。抗うな、甘受しろ。そして今後起こるであろう認められないモノに対してお前は抵抗するべきだ。過去に抗うな、確定した事項は二度と変わることがない。また現実に抗ったところで何かが革新的に変わることはない。だから、お前は未来へ抗え。未来を変えるために抗え。起こってしまったことに対して、弱音の親戚でしかない恨み言を並べ立てたところで何も変わらない。それは立ち止まってるも同然だ」
息をする間も惜しむようにキュリーは一気に言葉を尽くした。責め立てるような口調に反して、声は痛みに耐えるように切なげで、なんとなく俺を気遣ってくれていることは分かった。
俺は、振り向くことは決してせず、俯きそうになる顔をなんとか持ち上げ、頬を空へと向けた。
穏やかな空だ。村人達が当然のように見上げるはずであった青空――流れていく雲も静かで、こんな地上の有様なんて嘘のようにも思えてしまう。
例え、あの善良な人々が死に絶えたところで、それがどんな死であったところで、世界は変わらず続いていく。悼む者も今はまだ俺達しかいない。
空を見上げ、湧き上がる様々な感情を必死に抑え込み、なんとか俺は鼻を鳴らしてみせる。
「辛辣だな」
「お前は落ち込みやすいからな。これくらい言わなければ、前にも進まないだろう、臆病者め」
なんでこいつは俺の性質ってもんを知悉してんだろうな。実際本当にそうだから困る。
どうにも俺は一人でくよくよ考えちまうタイプだからな、たまに背中を蹴っ飛ばされないと、ふっとした拍子に立ち止まってしまう。
自分の性質は自分でも分かっているつもりだ。
「そうだな。過去に四の五の言ったところでそんなの、別れた女のことを想ってマスをかくのとなんら変わらねぇわな。そう思うと最高に惨めだ」
「ああ、惨めなことだ。何ともな。それだったら、新しい美女を探し始めた方が有意義であろう?」
そりゃそうだわな。
何とも分かりやすい話だ。
過去に囚われてどこにも行けないんじゃ、それは亡霊と何ら変わりない。でも俺達は惨劇の一夜の数少ない生き残りだ。そんな奴らが亡霊として生きるわけにはいかないだろう。
全く、本当に俺はなんて惨めったらしいことをしてたんだろうな。
情けねぇ、情けねぇ。
「なんか、お前には世話になりっぱなしだな」
「そうだな、お前は世話の焼けるダメ男だ」
言ってキュリーはくすりと笑う。そこまではっきり貶されると、少し傷付くわけだが、まあしょうがない。
好みの美人に貶されるなら、そりゃあ、まあな。
「じゃ、俺はそろそろ行くわ。今は、できることをしてぇ」
あいつらをそのままにしておくわけにはいかねぇし。それに、今回のことを決して忘れないためにも、受け容れるためにも、やっておきたかった。
俺はのんびりと歩き出す。
あー、そうだ。一つ言い忘れていることがあったな。
「キュリー。お前もあいつらのために何かをしてやったんじゃねぇのか?」
「何を馬鹿なことを……」
「お前がいてくれなきゃ、俺達はあいつらを見殺しにするしかなかった。お前がいたから、俺達はあいつらを守るために奔走できた。俺達の経過にも意味があんなら、そのきっかけを作ったお前も、何かをしてやれたってことなんじゃねぇの?」
キュリーは何も答えなかった。俺もそれ以上何かを言うつもりは最初からなかったので、それは別にいい。
もしかしたら心底呆れたかもしれないが。それならそれでいいと思っている。
別に俺一人の言葉で苦悩から掬い出せるとは思っていない。キュリーがあれだけ言葉を尽くしても尚、俺の心は後悔を引き摺っている。それでも歩いていけそうな気になれただけのことだ。
俺も、せめて少しくらいは背中を押してやりたいと思ってしまうわけだ。
よりにもよって《魔族》相手にな。
ふと背後でキュリーの立ち上がる気配がした。
「ガンマ、私も手伝おう」
最初は自分だけでやるつもりだったのにな、こいつ。
少しは心境の変化があったってことかな。
俺は自分の唇が綻んでいくのを確かに感じた。
「ま、ご自由に?」
俺達は全てを思い通りにすることなんてできない。そうしようとするだけの傲慢さも、それをやり遂げるだけの力もない。だからこそ、俺達は失敗を繰り返し、いくつもいくつも後悔を引き摺って、生きていくしかないんだろう。
長い旅路の中で引き摺り続けたものがすり減って、背負えるようになるまで進み続けなければ答えなんかでないんだろう。
今はせめて、俺達の失敗を道半ばで落としてしまないように、心の中に埋めていこう。
〆
...Or It is Cr.