Cr's are Thinkerー深く、淀みへー
エルフ密売組織拠点の敷地にはイレイス侯爵の私兵が詰め寄せていた。
すでに日を沈みきり夜を迎えている。
俺たちは肌寒い空の下、建物からエルフの子供達を保護していく私兵の姿をぼんやりと眺めていた。
組織の残党がいる可能性もあったが、どうやら建物内にいた者はほぼ全てが魔物に喰われていたらしい。ごく数名の生存者は半ば保護の形で身柄を拘束された。
「結局、何がどうなった、というんだ」
他に見るものもないので星空を眺めていた俺の隣で、クロームがそっと呟く。
「さぁな。俺が教えてほしいくらいだ」
事実、俺は何も分かっていない。
連中がリーシャを攫った理由も分からず、また姿ばかりちらつく謎の黒幕は姿さえ見えなかった。もしかするとその存在自体が俺の妄想の産物なのか、とさえ思えてしまう。
「だが、間違いなくこれで終わりじゃあない」
「だろうな。あの男を殺した誰かがいる。しかもそいつはまだ星瞬く夜空の下にいる」
殺した理由は間違いなく口封じだろう。正体を特定される情報が漏れる前に自分をよく知る者を消したかったのだろう。
腑に落ちない点もある。ここまで周到な相手だ。もう少し上手く消える方法はあったように思える。
あの死体を隠し発見が遅れれば、それだけ逃げる猶予は増えるというのに、何故あのような手間までかけて目につく死体をこさえたのか、その理由が見えてこない。
何か、意味があったはずだ。
「どちらにせよ、時間の問題ではないかしら」
私兵が用意した三人掛けの椅子の真ん中に座ったリーシャが呟く。両隣に座るセシウとプラナ、それに俺とクロームの視線が自然と集まった。
肩にかけた俺の上着を胸元に引き寄せ、リーシャは細い息を吐き出す。
「生き残った組織の者たちも情報の提供には協力的よ。情報が行き渡れば、すぐに足取りも掴めると思うわ」
「あのハルケスト族の男は組織の副長の位置にいた。あの男ならば、確かに核心をつく情報を持っているかもしれない」
リーシャの言葉にクロームを同意する。
ハルケスト族——クロームと意気投合したあの巨漢が自ら出頭し、事情を話したことで私兵はここに駆けつけてくれた。全員とは言わないが、あいつの取り巻きも含め、情報提供は惜しまないということらしい。
侯爵の息女に対する誘拐未遂という重罪が消えるわけではないが、リーシャも罪が軽くなるように手を回すことを約束している。
「その誰かが逃げ切るまでに包囲網を作れればいいけどな」
「考えすぎよ。こんな夜遅くに魔物が闊歩する外に出られるわけもない。明日の朝には情報が出回る。それに商人たちの朝は早いわ。誰かさんが先んじて行動しようとした頃には、もう知れ渡っているはずよ」
商人の目は頼りになるものだ。この街全体の商人が監視者になるというのは心強くある。並大抵の奴なら逃げ切ることは不可能だろう。
なのに、どうしてなんだろうか。俺には、全くと言っていいほど捕まえられる予感がしなかった。
「お嬢様!」
突然の聞き慣れない声。見ると、私兵を護衛につけた女性がいた。
身分を隠すためか控え目な服装は、それでも生地が高価で装飾もあしらわれており、庶民のそれではない。
リーシャに付き従う侍女だった。
「ご無事でしたか」
血相を変えて駆け寄る侍女に、首だけで振り返りリーシャは少し疲れたように息を吐く。
「ああ、一体どうしたの、こんなところまで」
「どうした、ではありません! 話は聞きました。お嬢様が拐かされたと聞いて、屋敷は大騒ぎですよ!」
「大丈夫よ。この通り無事じゃないの」
落ち着きなく苛立った口調で捲し立てる侍女にもリーシャはいつもの調子を崩さない。さすがは茨姫と再認識させる貫禄だ。
危機感のないリーシャの言動に、侍女は額に手を当て一歩後ずさる。眩暈でも起こしたのだろうか。両隣についている護衛も慌てている。
「とにかく、こんなところにいては危険です! お屋敷に戻りましょう! 旦那様からもお話があるとのことですよ!」
あからさまにリーシャの顔が歪む。心底嫌そうだった。
無理を言って外出した先でこの一件。明らかにタイミングが悪い。
また侯爵の過保護さが増しそうだ。
「はぁ……分かったわ。行くわよ」
渋々と席を立ち、リーシャは俺たち四人を一度ゆっくりと見回す。
「それでは皆さん、申し訳ないけど私は先に屋敷へ戻ります。今回の一件、本当に感謝しています。貴方たちがいなければ、エルフたちは救えず、私もどうなっていたことか。本当に、ありがとうございます」
深々と頭を下げるリーシャに俺は少し苦笑する。
「突然改まるなよ。変な感じがする」
「あら、そう?」
顔を上げたリーシャの顔からは貴族らしい冷然な雰囲気が消え、悪戯好きの子供のような笑みをしていた。
それが俺の最もよく知るリーシャだ。
「じゃあ、改めて。いろいろと大変なことに巻き込んでしまってごめんなさいね。でも、みんなのお陰で助かったわ。本当にありがとう。先に屋敷で待っているから気を付けて帰ってきてちょうだい」
リーシャの言葉にセシウは笑って手を振り、プラナもそっと頷く。クロームだけは腕を組んでいる。
「ああ、それとこれ、返さないといけないわね」
「ん、ああ、別に」
構わない、と言いかけて一旦その言葉を飲み込んだ。
歩み寄りながらリーシャは肩から上着を下ろそうとしたところに、先んじて受け取るように一歩リーシャへ踏み込む。
「後で行く」
そっと呟き、はたと気付いたように眉根を上げる。
「ああ、考えてみりゃまだ寒いだろ。着てけ」
「あら、そう? じゃあ、借りていくわ」
何食わぬ顔で答え、リーシャは下ろしかけた上着を肩に掛け直す。
「それではみんなお先に」
浅く一礼したリーシャは侍女の脇を抜け去っていく。侍女もまた俺たちに深々と一礼してから、優雅な足取りでリーシャの後を追う。
ひとまずの脅威は去り、護衛も複数人ついている。リーシャに関しては心配ないだろう。
後ろ姿が見えなくなるまで見送った後に、俺たち四人はそれぞれを見合った。
「どちらが目的だったと思う?」
クロームが呟く。
セシウは訳が分からず首を傾げる。
「どういうこと?」
「今回の一件は明らかに仕組まれていた。狙われていたのは間違いない」
話が出来すぎている。
まだ尻尾も掴めない何者かは、間違いなく相手が俺たちだと知った上で、こんなふざけたことをやらかした。
「問題は勇者一行を狙ったのか、イレイス侯爵家の娘を狙ったのか、だ」
「あー、そういうことか」
納得したのかしてないのか判断に困る返事をされたが、ここはセシウが理解したということで話を進めよう。
「リーシャを狙ったのなら、それは貴族に対する反乱だ。俺たちを狙ったとなれば、それはつまりは世界に対する反逆行為になる。前者はその辺の身の程知らずのバカのしそうなこととなるが、後者だった場合は——」
「《魔族》」
プラナが俺の言葉を引き継ぐ。その名前一つで俺たち四人の間の空気が張り詰めた。
もちろん、こんな回りくどいことを《魔族》がする理由は分からない。しかし、それ以上に《魔族》の長、カルフォルの思惑など理解できない。
ならば、備えられるもの全てに備える必要もある。
「やることは変わらないだろうが、一応その辺は意識しておけよ、ってだけの話なんだけどな」
緊張を解す意味で俺は付け加えておく。
結局は全て予想止まりだ。今回のこと全てを含めたそうだった。
今までにしてきた選択に間違いはなかったのか、正しい選択は何だったのか、どう行動するのが最善だったのか。
答えは今回もまた出てこない。
信じて行くしかないのだろう。
ここからは少し遠い中心街で花火が上がり始めていた。
気分を紛らわすべきだと全員が無意識に思ったのかもしれない。
俺たち四人の足は自然と酒場に伸びた。
犯罪者組織とはいえ生き残りがほとんどいなかったという重い事実を背負った上での酒はお世辞にも美味いとは言えないが、それでも何もしないままに戻るには足取りが重すぎたのだろう。
嗜む程度に酒を飲んだ俺たちは人通りの少ない裏道をのんびりと歩いていた。
誕生祭も終わりが近付き、脇道から垣間見える大通りからは少しずつ人が減ってきている。それでもまだ終わりきることはなく、余韻を楽しむように人々は酒を飲み交わし暢気に踊っていた。
美しい光の錯綜と人々の歓び笑い合う声。対して俺たちは肌寒く暗い道をただ黙々と歩き続けている。
向こう岸の世界が今では遠く感じ、透明な壁に隔たられているようにも感じた。
リーシャが味わう孤独感はこれがより深まったものなのか、それとも全く別のものなのかは分からない。それでもどんなに泳ぎ続けても決して辿り着かない空のような場所に想いを馳せ続けることの苦しみを考えると、少し胸が痛んだ。
「考え事?」
隣を歩くセシウが問いかけてくる。
お酒を少し飲み過ぎたのか、頬は少し赤らんでいた。
いつもと変わらない気楽そうな笑顔、に見えて少ししおらしい。こいつなりに気を遣ってくれてるのかもしれない。
「まあ、な」
「リーシャさんのこと?」
肯定することに少しばかり得体の知れない躊躇いを覚え、一度言葉に詰まるが、隠すこともまた憚られ素直に頷く。
「そう、だな」
俺は並び立つ建物によって細長く切り取られた夜空を見上げて答えた。
「今回の一件で、あいつはまた自由が利かなくなるんだろうなって思っちまってよ」
「申し訳なくなっちゃったわけだ」
「言っちまえば、そうだな」
俺の心の機微をすっかり把握されている。
「俺が上手く立ち回れば、こうなることは防げたかもしれない。もちろん、それが困難だった、なんてことが分からないわけじゃない。ただ、防げる可能性はきっとどこかにあったんだろうなってよ」
最悪、リーシャが誘拐されてしまったとしても、もう少し穏便に事を片付けることができれば、この一連の出来事をなかったことにできた。
侯爵の耳に入らなければ、それはなかったこと。曲がりなりにも安全が証明されれば、リーシャは外の世界に多少なりとも出向きやすくなったかもしれない。
「我ながら女々しいとは思うんだけど、よ」
「そうは言わないけどさ」
言いながらセシウは少し笑う。自虐をユーモアと捉えたのかもしれない。
「でも、実際にこういうことが起こる可能性はいつだってあったのかもしれないよ。今回のはアタシたちがいたから、無事解決したけど、いなかった時だったらそれこそ無事じゃ済まなかったかもしれない、とも思うんだよね」
「まあ、な」
痛いところを突かれたな。
何事もなく終わっていたら、リーシャは外を出歩ける頻度が増えるかもしれない。その時に今日のような出来事が起こらないとは言い切れないのだ。
その時俺たちはリーシャを助けられない。
「いつ何が起こるのかって、アタシたちには見通せないし、分からない。でも、リーシャさんが今回無事だったのは確かでしょ? じゃあ、今回のことに関しては、間違ってなかったんじゃないかなって思うんだけど、どうだろ?」
にっと歯を見せて笑いかけてくれるセシウに、ずっとわだかまっていたものがあっさり溶けて、滑らかに流れていくような気がした。
……ああ、そうか。
いつまでも先のことばかりを考えすぎて、大事なことを見失っていた。
今の俺たちがした選択が、将来どんな結末を引き寄せるのかは分からない。それでも今現在、リーシャは無事に生きていて、セシウは俺の隣でこうして笑っている。
これ以上の何が大事だというんだろうか。
方法に間違いはあったかもしれない。喪われた命もある。
それでも、リーシャもセシウも生きている。助け出すことができた。
目の前に示され続けている結末に何故、俺は今まで気付かなかったんだろうか。
思わず唇が綻ぶ。
「お前、すげぇよな」
「んー? 今日はなんかやたら褒められるなぁ」
「俺以外にも褒める変人がいたのか」
「脱出する時にリーシャさんにねー……って、なんか今失礼なこと言った!」
素直に褒めたのが今頃気恥ずかしくなって苦し紛れに入れた皮肉にセシウが怒る。
こんなありふれたセシウとのやり取りを守れたことが嬉しくて俺は自然と笑い、セシウもまた柔らかく微笑んでいた。
その瞬間、セシウの片眉が跳ねる。
次の瞬きの間もなく、俺の両隣を銀と赤の風が抜け、隣に走り出たプラナが実体化させた杖を握っていた。
条件反射で俺も銃を引き抜いて構える。
「次から次へと休む暇がないなっ!」
クロームは今までなかったはずのデュランダルをいつの間にか呼び寄せ、構えていた。
「周囲に高位の意識結界が展開されています。かなり強力なものですね、これは」
「また敵なの!?」
プラナの分析にセシウは呆れきったため息を吐き出す。
ここまで来て敵ではない可能性などないが、敵でなければいいのにという意識も事実ある。
全員が疲弊しきっていた。この状況でプラナに強力と言わしめる意識結界を展開できる手合いを相手にするのは御免被りたいところだ。
意識を研ぎ澄ませ、四人で四方を警戒する。感覚の鋭いクロームやセシウも周囲を見回していた。敵の気配を感知できていない。
息を呑み、体を強ばらせる俺たちの真ん中に渇いた音が落ちてくる。
手と手を打ち合わせる音だった。
音の方向に全員が目を向ける。
俺たちの頭上、並び立つ建物の屋上に影が座り込んでいた。
「思っていた以上に素早い反応だ。何より機敏に動く。路地裏に在るには素晴らしい性質かな」
妙に芝居かかったよく通る声だった。舞台俳優の台詞めいている。
クロームが剣を構え、石畳の床の上で靴裏が擦れる音が微かに滲み出た。
「何者だ!」
声を張り上げた誰何の声が狭い空間で残響する。
「誰だ、とはまたつまらない質問だ」
声は背後で聞こえた。屋上にあったはずの影が消えているのを視界の端に捉えつつ、俺たち四人がそれぞれ体を回し、円陣の内側へと得物を突き付けた。
いつの間にか俺たちの真後ろに現れていたのは、何とも奇妙極まりない出で立ちをした者だ。
まず最初の印象は道化師。
豪奢な衣装に黒いマントを纏い、顔の上半分は金縁の装飾がなされたドミノマスクで隠れている。細くすらりとした体つきをしており、鳶色の髪は柔らかく短い。
白い手袋を填めた指先を、微かな笑みを宿した口元に当て、その道化師は鷹揚に俺たち四人を見回す。
その外見を俺たちは知っていた。
「どういうつもりだっ!」
裂帛の声を上げたのはクローム。顔は怒りに歪み、目は刃よりも鋭く炯々とした輝きを宿していた。
プラナの目も穏やかではなく、獲物を威嚇する獣めいたものを感じる。
敵意よりも深い殺意を一身に受けつつ、道化師は嗤っていた。
「私を忘れてしまった、とでもいうのかね?」
「貴方が何者か分かっているからこその問いでしょうに」
プラナの肩口から見える景色が蜃気楼のように揺れる。立ち上る魔力が陽炎となっていた。
得物を突き付けられたこの状況下、道化師は両手を広げて大仰に回って、俺たちを一度見渡す。
「嫌われたものだ。悪くない感情だ。何かの感情を引き起こすのは、それが如何なる感情であろうと全て優れた役者の業。よいぞ」
「テメェの戯言に付き合ってる暇はねぇんだ。なんでテメェがここにいやがるんだ、ランタンッ!」
こいつのペースに巻き込まれるわけにはいかない。
面倒な手合いだ。そして何よりこいつがここにいるという状況そのものがロクでもない。
「随分なご挨拶ではないか、戦動者よ。同胞に対して、あまりにも痛烈な歓迎だな」
ドミノマスクの奥に嵌め込まれた眼球が俺を捉える。常軌を逸脱しないものの、明らかに人より少しばかり長い舌が下唇を舐めた。
「テメェは同類かもしれねぇが、同胞だとは思わねぇよ」
そうだ。こいつは確かに俺たちの仲間、という位置づけになるのかもしれない。
《創世種》の第五十七位《隠遁の元素》ジャック=O=ランタン。間違いなくこいつは選ばれた者の一人だ。
俺たちと同じく《魔族》に対抗する力を持ち、何より同じ目的の下で戦っている。
しかし、こいつを仲間とは思えない。思わない。こいつは仲間というにはあまりにもえげつない。
「要件を手短に言え。隠遁の徒、何故貴様がここにいる。何の目的があって俺たちの前に現れた」
クロームが剣を構えたままに問う。味方と言葉を交わすというにはあまりにも詰問めいて、それでいて味方を前にしているとは思えないほどの臨戦態勢だ。
「斬れもせぬのに構えることはあるまい。それはまるで嬰児が掴んで離さぬ掛布めいているぞ。漣の抑えに使われては伝説の剣が泣くのではないか、『ゆうしゃ』殿」
まるで友人の肩に触れるような気さくさで白い手袋に覆われたランタンの手がデュランダルの切っ先を軽く叩く。咄嗟に剣を引いたクロームは忌々しげにランタンを睨み付け、歯噛みしている。
「少し面白い舞台装置があったのでな。楽しませてもらったよ。『ゆうしゃ』の御一行」
「まどろっこしいことはやめて。一体何でここにいんのか聞いてんのっ!」
セシウの声が俺たち全員の耳に突き刺さった。こいつにしては珍しく表情に怒りの色が見える。
誰にでも友好的なセシウが敵でもない者にこんな顔をするっていうのは珍しいことだろう。
道化の言葉に躍らされてはいけない。こいつは常に自分を中心にしか話を回さず、その言葉遊びで相手を絡め取る手合いだ。
長々とこいつの言葉を聞くのは耳に悪い。
「仮初めとはいえ勇者伝説、ならば王道の一つや二つ、あってもよいとは思わないか?」
ランタンが喉の奥で嗤う。マントがはためいたと思うと、俺たちの中心からランタンは消え、近くの並べられた木箱の上に立っていた。
引いたマントで前身を隠すその姿勢は演者らしく、こいつの振る舞いの前では並べられただけの木箱は舞台に成り代わり、月明かりは絞った照明にさえ思える。
不必要に伸び、内巻きに渦を描く爪先が印象的な靴がこつこつと足音を立てて木箱の上を歩んでいく。
「勇者伝説の王道といえばなんだ? 勇者が勇者らしく活躍する物語といえばどういったものだろう? そこの紅い風は何だと思う?」
「ふざけた呼び名はやめて」
冷たくあしらうセシウにランタンは困ったように両手を広げ、おどけた風情で肩を竦める。
「今日の聴衆は風情を解さない手合いのようだ。致し方あるまい」
木箱の左端に到達したランタンはくるりと華麗にターンし、また右端へとゆっくり悠々と歩み出す。
「勇者といえばそうだ。囚われの姫を救うというのが一番分かりやすいだろう? お供を連れて、敵の根城へ、悪を打ち倒し弱きを助ける。素晴らしい。素晴らしく分かりやすい。だが、もちろんピンチも必要だ。仲間の危機に駆けつけ、その剣を持って助け出す。格好がよいではないか」
身振り手振りを大袈裟な語り口。
しかし、その物語は何かと重なる。
頭の中で今までの出来事全てが繋がっていく。
「まさか、テメェがっ!」
銃を突き付ける俺に、ランタンは降参でもするように両手を挙げてみせる。口元には人を食ったような笑みを貼り付けたままだ。
「落ち着きたまえ、落ち着きたまえよ。先程も言ったが、私は面白い下地があったものだから、少し味付けをしただけのことだ」
「テメェがあいつらに指示をした上におかしな道具を与えた黒幕かっ!」
「黒幕、その響きは何とも甘美で素晴らしいものではあるが違う。私は言ってしまえば、そうだ。獅子身中の虫。彼らに道具と情報を与えるフリをして、彼らの悪事が白日の下に晒されるように仕組んだのだよ。そして君たち『ゆうしゃ』ご一行が打ち倒す。何と巧妙な策略。これぞ《創世種》の成せる業」
はっはっはと楽しげに笑い、ランタンは拍手などしてみせる。
「ふざけるなっ! 貴様のせいでどれだけの危機があったと思っているのだ!」
クロームが吠える。それでもランタンは決して動じない。
まるでここに実体がないかのように、俺たちの激情など全てがすり抜けていく。
「貴様のせいでどれだけの危機があったと思っているのだっ——か。なるほどなるほど。はっはっは、では『ゆうしゃ』殿に問おう。一体、どんな犠牲があったというのだ?」
道化師の問いにクロームは言葉を詰まらせる。
そうだ。この戦いにおいて、俺たちは手傷を負った。少なからず怪我はしたのかもしれない。
だとしても、俺たちは生きており、リーシャもまた無事だった。
「茨の姫は無事助け出すことができ、その上森の民は救われた。悪の組織は見事壊滅。手柄はあれど、一体どんな損失があった?」
俺たちは何も失ってはいない。
プラナの治癒によって完全に消えた俺の腹部の傷はクロームの先走った行動が原因だった。
俺が尋問の上に殺した青年と無関係の若い町娘もまた俺の独断。
こいつの策があったから起こったことではないのだ。
「しかし、貴様のその策により組織の連中はどれだけ犠牲になったと思っている! あの獣も貴様の使役したものだろう!」
苦し紛れなクロームの反論。ダメだ。それはあまりにも弱い。
「悪は倒すべきなのだろう? 連中とて《魔族》と変わらず我々の安寧を乱す存在。もし今回の森の民の誘拐が知れ渡ればどうなる? そこに思い至らないほど愚かではあるまい。森の民との戦争になれば、あの者たちよりももっと多くの存在が死ぬことになるのではないか?」
分かりきった言葉だった。
犠牲の差し引き。より多くの無辜の民が犠牲になることに比べれば、あいつらの命はあまりにも軽い。
そう判断せざるを得ない。
俺たちが背負うものを考えれば、どこかで心を殺し、命に優先順位をつけていくしかないのだ。
「白魔女も、随分と楽しんでいたのだろう? 鎖に繋がれたままの羽を久しぶりの伸ばすことができ、さぞ気分も晴れ渡ったはずだ」
「黙りなさい。いくら貴方が同胞といえど、差し違えることはできます」
恫喝するようなプラナの声にランタンはやはり喉の奥で嗤う。
「怖い怖い。これは本当に二、三度殺されてしまいそうだ」
ランタンのマントがはためく。次の瞬間にはランタンの姿が消失している。
「今後の手筈は整えてあるぞ、『ゆうしゃ』とその仲間達よ。明日には道標も示されよう。楽しみにしておくといい」
どこからかランタンの声が聞こえる。
狭い路地の間で谺する声の在処は分からず、それっきり道化師の声が響くこともなかった。
耳の奥で、まだあいつの笑い声が鳴り響いているような気がする。
俺たちはただ終焉を拒みたいだけだというのに、世界はこんなにも謀略に満ち溢れている。