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Alternative  作者: コヨミミライ
La's Bathos—仕組まれた賛美歌—
108/113

Cr's are Thinkerー深く、淀みへー

 どこかからか轟音が鳴り響いた。

 この建物の構造も、そもそも自分がどこにいるのかも分からないリーシャには、それが何の音なのかは推測もできない。

 ただ大重量の鉄塊が衝突するような音には思えた。

「………何があったのかしら?」

 問いかけてみたものの、背中合わせに縛り上げられているセシウから返答はない。

 眠っているような様子ではない。つい先程までは普通に話もしていた。そうごく普通に、まるで窮地に立たされているわけではないかのように。

 この状況下で何故彼女がそのような振る舞いができるのかは定かでない。そもそも機を窺うと言っていた彼女が何故好機がやってくることを確信しているのかも分からない。

 ふと三度、渇いた銃声が鳴り響く。くぐもったその音は確かにリーシャたちの耳を叩いた。

「……来た」

「え?」

 何事か呟いたかと思えば、セシウはもう動き出していた。

 身を捩り、窄めた唇の隙間からひゅっと呼気が押し出される。次の瞬間には彼女の体を縛り付けていた荒縄がぶちぶちと音を立て始める。

 手こずるような様子も見せずにセシウは力のままに引き千切った。あっという間のことすぎて、リーシャは開いた口が塞がらない。

「……な、何それ……?」

「こんな縄、大したことないですよ。ちょっと力加えたらほらこの通り」

 首だけで振り返るリーシャに千切れた縄の末端を見せるように掲げ、セシウはにっこりと笑う。

 さも当然のように言うが、リーシャにはそんなこと到底不可能だ。どれだけ力を加えようと、体に食い込んだ縄はびくともしない。

 これをその身一つで引き千切ったというのか、歳もそう変わらぬこんな少女が。

「ていうか、貴女、もともと逃げられたじゃない」

「え? まあ、縛りを解くことくらいはできますけど、その後のこともあるんで」

 セシウはリーシャの背後にしゃがみ込み、リーシャの華奢な体を縛り付ける縄を弄りながら答える。

「相手の戦力も所属も分からない状態で、私一人でリーシャさんを守りながら戦うっていうのは流石に無謀かなって。なんで機会が来るのを窺ってたんです」

「機会って今がそうだって言うの?」

「そうです。思った通りになってくれました」

 セシウは短刀を取り出し、リーシャの体と縄の間に生まれた僅かな隙間に刀身を滑り込ませる。ぐっと力を込めると刃が縄に食い込んだ。

「あの銃声はガンマのです。助けに来てくれたんですよ」

「銃声?」

 最初に聞こえた三度の銃声を思い出す。確かに銃声は聞こえたが、何の変哲もない銃声だったはずだ。

「ずっと聴いてるんです。細かい区別はつきませんが、他の銃声とガンマのとでの区別くらいはつきます。よし、切れました」

 途端にリーシャを縛り付けていた縄が緩み、はらりと地面に落ちていく。リーシャは太股に乗った荒縄を払い、ゆっくりと立ち上がる。

 短時間だったはずだが、どうにも久々に体を動かした気がする。具合を確かめるように腕を動かしてからリーシャはセシウに目を向けた。

「じゃあ、貴女はこれをずっと待っていたの? あいつが来るって分かっていたの?」

 リーシャの問いにセシウは苦笑する。

「そこまでは分かりませんでしたよ。今回のは突然のことでしたし。ただ、ガンマならきっと私たちの場所を探し出して、助けに来てくれるって信じてたんです」

「信じてたってそんな」

 明確な根拠もなく、ただ信じているというだけで、猶予がどれだけあるのか、そもそも自分たちがどうなるのかも分からないこの状況下で待ち続けていたというのか。確証もないその信頼が、リーシャには信じられなかった。

 今まで人々の思惑と悪意の世界で生きてきたリーシャは、そんな信頼を抱いたことなど一度もない。

「ガンマはそういう奴なんです。いつも冷たいこと言うし、冷静な策士みたいなことしてますけど、知り合った人を見捨てるようなことは絶対にしない。リスクがどうのこうの言いながら、一番に考えてるのはみんな助かる方法ばっかり。だから今回も助けに来てくれるって思ったんです」

 セシウは真っ直ぐにリーシャを見つめて断言する。

 迷いもなく、一切の猜疑も含まない瞳がリーシャには眩しい。

 本当に彼女は、ガンマが来るこの瞬間を信じ、耐えていたんだろう。もし彼が助けに来ず、最悪の事態になったとしても、この少女は見捨てられたなどとは決して思わず、今まさに自分たちを助けるために奔走してくれているのだと信じて疑わないでいるのだろう。リーシャはなんとなく、そんな気がした。

「貴女ってすごいのね」

 覚えず、そんな言葉が零れ落ちる。壁に耳を当てて周囲の音を窺っていたセシウが、弾かれるように振り返り首を傾げる。

「ああ、まあ、アタシ、力だけが大体の取り柄みたいなもんなんで……」

「そうじゃないわよ」

 そわそわと自身の髪に触れながらあっちこっちに顔を向けて落ち着かないセシウにリーシャはそっと穏やかに微笑んで、背を向ける。

「羨ましいわ……」

 呟いた言葉はセシウに届かず消えていく。

 誰かをここまで信じられる彼女の強さも、その誰かに巡り会えた幸運さも、どれも羨ましかった。

 リーシャの心など知る由もないセシウは、乱れていた頭髪を一度解き、慣れた手つきで結い直す。先程までは変装のために低い位置で纏めていたが、今度はいつものポニーテール。

 黒い男物の背広には少し不釣り合いな赤い尾を指で弾き、セシウは挑むように外界へと通じる唯一の扉を挑むように睨みつけた。




「敷地内にはここ以外に建物が二つあるようです。ここはどうやら倉庫として使われてるみたいですね」

 部屋の隅に積まれていた木箱の一つを真ん中に持ってきた二人は、それを挟むようにしてしゃがみ込み、顔を突き合わせていた。

 セシウはポケットから取り出した小さな紙切れに、窓から見える範囲から推測した敷地内の簡易的な全景を書いていく。よく見るとそれはこの街にある紳士服店のレシートだった。

 今まさにセシウが着ている背広のものだろう。

「それで銃声のした方向察するにガンマがいるのはこちら側の建物」

 言いつつセシウは一つの建物を円で囲う。

「まずはガンマと合流します。外に見張りが二人ほどいるみたいなのでそいつらはぶん殴ってふん縛って、こん中に突っ込んじゃいましょう」

「いいわね、その感じ。好きよ」

 セシウの言い回しもあって妙に爽快感がある。普段は歯が浮くほど上品な言葉遣いに触れているせいなのか、却って魅力的にも思えた。

「とりあえず交戦はなるべく避けるように行こうとは思いますが、多少の荒事はあると思います。少し無理をさせることになるかもなんですけど、大丈夫ですかね?」

「心配いらないわ。随分強く縛られて、手首が赤くなってるの。女性の扱いも分からない連中に仕返ししてやりましょ」

「いいですね、こっぴどくやってやりましょう」

 にっと笑ってセシウは立ち上がると、懐に突っ込んでいた革の手袋を取り出して嵌める。指を通した手袋をぐっと強く引っ張って食い込ませ、感触を確かめるように何度か手を開閉していく。

 納得のいく馴染んだ感触を捉え、満足げにセシウは一度強く頷いた。

「相手が所持品を取り上げない素人で助かりました」

「それ重要なものなの?」

「竜の革を使った特別製です。その上地の魔術で強化されてますよ」

 ぐっと親指を突き立てて見せるセシウの拳をリーシャはじっと見つめる。

「……竜の革、ね」

「どうかしましたか?」

「ううん、なんでもないわ。頼もしい限りだと思ってね」

 思案するような様子を払うように頭を振り、リーシャは控え目に笑う。

 セシウは応じるように拳と拳をぶつかり合わせ、この部屋唯一の扉に目を向けた。

「お任せください。貴女のことはアタシが守り抜いてみせます。今度こそ、必ず」

 静かな、それでいて力強い声。

 凪いだ海原、静まる森、何事もないようでいて生存のための闘争を飽きることなく繰り返す戦場にも似た声音。

 何も知らないリーシャからしても、その声が秘めた決意を感じた。


     〆


 巨体が後ろへと傾ぐ。

 岩のような恵まれた骨子を包み込んだ筋肉がうねり、表皮に絞り出された珠のような汗が飛沫となって弾ける。

 反り返る上体、しかし腹筋が緊張し、太股の筋肉が膨張し、硬質の靴越しでも分かるほどに両足の五指は地面を掴もうとしていた。

 自重との拮抗。握り込められた拳の指先は強すぎる力に白み、紅潮していく顔面には青い血管が浮かび上がる。

 半ば虚ろになりかけた双眸は反り返ったままに天井を睨め付け、上唇には歯が食い込んでいた。

 不鮮明であろう意識で、しかしその巨体は自身の限界を超えて、倒れることを拒んでいる。

 一体何がこいつをここまで留まらせるのか。倒れなかったことで誰かに賞賛されるわけでもない。勝負に勝つわけでもない。

 だというのに男は何かを必死に守るように、地面へと飛び込もうとする背中を懸命に留めていた。

 隙だらけのその姿をクロームは何も言わずに見つめていた。あと一撃、その無防備な巨躯に一撃を見舞えば、全てが終わる。分かりきっていながらも、クロームは動かない。

 ただ、目を細め、無言のままに、その戦いを見つめていた。

 意地だ。

 理解する。理解せざるを得ない。

 これは、こいつの意地でしかない。

 自分の意地を貫くために、こいつは顔の右半分を覆う刺青を歪ませ、必死な形相で、醜態など気にせず倒れまいとしていた。

 誰に褒められるわけでなくとも、ただ自分自身のために自分自身と戦っている。

 俺は決して持ち得なかったものを目の当たりにし、俺は呆気に取られていた。

「う、おあああああああ!」

 男が唸る。真っ赤になった顔で唸りを上げ、上体が僅かに湧き上がる。最初の一歩を踏み出してからは早く、そのまま傾いだ体が起き上がっていく。

 力のままに持ち上げられた体は勢い任せに前のめりとなり、踏み留まることもできずに俺たちの目の前に倒れ込んでくる。

 大重量が地面に叩きつけられる轟音と共に大地を震わす衝撃が靴裏から俺の足を叩いた。

 結果は何も変わらない。

 ただ後ろに倒れるか、前に倒れるか程度の違いしかなかった。敗北は揺るがず、惨めな姿を晒しただけなのかもしれない。

 それでも生き様を貫くようなこいつの姿に、俺は何も感じなかったわけではなかった。

 胸の奥をちりちりと焼く熱い何か。くすぶっている熱量。

 クロームはそっと胸に手を当て、倒れ伏した男に敬意を払うように一礼した。

「前のめりに倒れることを意地でも貫くその生き様——貴方には感服しました」

 男の背中が激しく上下する。厚い胸板を持つ巨人の背中はやはり大きく厚いものだった。顔を伏したまま、荒い呼吸をする男は何も答えない。

 クロームは痛みを堪えるように目を細め、そっと下唇を噛み締めた。

「二度も言うべきでないことは分かっていますが、貴方ほどの人が何故このような場所に——」

「人の生き方を悪し様に言うもんじゃねぇ。どんな場所でも生きた場所がそいつの生き様だ」

 身動ぎ一つせずに答え、男はふっと力を使い果たし震える左腕を上げた。つい、と伸ばされた太い指先の押しのけられるように、俺たちを取り囲み呆然としていた連中が避けていき、廃工場の一画にある扉が露わになった。

 指し示しているのは間違いなく、その扉であった。

「征け」

 低く唸るような声にクロームは一度頷き、弾かれるように走り出す。

「あ、ちょっ、おま!」

 後先考えずに突っ走りやがって……。恐らく誘拐されているんであろう、ここにいるエルフの子供達の保護だってしなくちゃいけねぇっていうのに。

 そこまで考えて一度俺は周囲を見回す。俺たちを囲む男達は完全に戦意を失い、互いの顔色と様子を窺い合っているような状態だ。統率する巨漢がいなくなって組織力が失われたようにさえ思える。この様子だと、もうエルフに手を出すこともなさそうではあった。

「……大人しく家に帰って、そんで働け。若人ども」

 吐き捨てて、俺もクロームの後を追って走り出す。包囲していた下っ端どもは俺たちの行く先を開けるように散っていく。

 今の判断が正しい保証はどこにもないし、エルフたちを悪用する連中がまだ残ってるかもしれない。それでも本音を言ってしまえば、俺にとって見ず知らずのこの異種族の子供たちよりも、セシウやリーシャの方がずっと優先すべき存在だった。

 だからこそ今はその危険性に気付かぬふりをして走るだけだ。

 先を行くクロームは振り返ることなどしない。

「男と男の約束って奴が芽生えたか?」

 少しばかり悪戯心が芽生え、底意地の悪い茶化した質問が口を衝いて出る。

「そんなものではない」

 苛立ちを見せるかと思ったクロームの声は不思議と凪いでいた。

「単に取り合われるべきの命の代替にしかすぎないんだ、あれは」

「は?」

 真意を掴みあぐねる俺にクロームがそれ以上答えることはなかった。




 敷地内にあるもう一つの建物は三階建ての事務所らしきものだ。ほとんどの連中が向こうの工場に出ていたのか、建物からは人の気配らしきものが感じ取れない。

 物音も聞こえず、不自然なほどにひっそりと静まり返っている。

 言いようのない違和感、どちらから言い出すわけでもなく、俺とクロームは建物の外壁をなぞるように歩きながら、くすんだ窓から屋内の景色を窺っていく。

 薄暗い室内にも人の姿はない。何もない部屋ばかりだ。何かが残されているわけでもなく、ありとあらゆるモノが取り除かれた正方形、あるいは長方形の空間は必要以上に広く、何より孤独なものに見える。

 全てが一つの建物にある区切られただけの空間にすぎないというのに、その隣り合った空間一つずつがそれぞれに固有の孤独を内包しているようだ。

 薄暗さに目を凝らし、もうそれだけ陽が傾いているのだと気付く。このままだとリーシャと祭りを回れる時間もほとんどなくなってしまいそうだ。

 藍色になりつつある空を見上げ、少しばかり気が逸る。いつの間にか、眩しかったはずの斜陽は街を囲む壁の先で微かに頭を出している山の稜線の向こう側だけを燃やしていた。

 西の山で燻る夕陽の残照、東の空からはすでに深く暗い紺碧が滲み出ている。

「奇妙だな」

「ああ、静かすぎる……」

「それだけじゃない。臭いがおかしい」

 呟いたクロームはが周囲に目を巡らせ、俺に目を戻した瞬間、目を見開いたような気がした。

 そうと思った時、俺の視界はすでにシェイクされていた。突如腹部にねじ込まれた内臓を圧迫するような衝撃と同時に空の藍、外壁の灰、地面の茶、それぞれの色が綯い交ぜになっていく。少し遅れて背中全面に何かが叩きつけられる。

 違う。叩きつけられた。

 混乱する頭が重力の方向を捉え、ようやく自分が仰向けに倒れていることを察する。

 目の前にはいつの間にか空が広がっていた。

 腹部は鈍い痛みを訴え、地面に打ち付けた背中も当然のようにひりひりする。

 空気を絞り出す掠れた音が足下から聞こえ、俺は素早く起き上がった。

「なんだ!?」

「俺はその言葉がもう二テンポほど前にほしかったところだ」

 答えたクロームは黒い体毛に包まれた巨大な動物を抱え込んでいた。

 外見は狼に似ているが、発達しすぎた分厚い筋肉や口の脇からはみ出した長く鋭い牙は明らかに狼のそれではない。

 間違いなく魔物の体躯と爪牙。

 首を抱え込むように取り押さえられた魔物の四肢はぶらりと垂れ下がり、先端に刃を持つ尻尾もまた力なく地面についている。

 クロームが頸椎をへし折って、殺したのだろう。

 俺とクロームの足下にはガラスの破片が散乱し、俺たちの間にある窓はガラスが割られていた。

 完全に絶命した魔物のでかい図体を脇に放り投げ、クロームは腰に手を当て、呆れたように大きなため息を吐き出す。

「状況が理解できないようだから分かりやすく説明してやろう。ただでさえ間抜け面の貴様が名状しがたい阿呆面を晒している時に窓を砕いて、この魔物が飛びかかってきたので、俺は敵地であるにも関わらず呆けきっていた貴様を蹴っ飛ばし、助けてやった。ここまでで質問はあるか?」

「特にねぇよ」

 明らかに俺の不注意だが、何とも棘のある言い回しじゃねぇか。そりゃ俺が悪いのかもしれねぇけどよ……。

「そうか、ないか。俺はあるぞ」

「何だよ」

「どうして貴様が敵地でそこまで阿呆面を晒せているのか、是非とも秘訣を教えてほしいところだ」

「俺も今質問できたんだけど」

「質問に質問で返すな。お母さんに習わなかったか」

「義母はいても母親は知らねぇよっ!」

「屁理屈をこねるんじゃない」

 言いながらクロームは先程の魔物が飛び出してきた窓から湧き出したどす黒い闇を焦ることなく上段回し蹴りで背後へと弾き飛ばす。情けない悲鳴を上げて、狼に似た姿をした黒い体毛の魔物は鞠のように地面を跳ねていった。

「お前なんかあれだよな、日に日に言い回しが面倒くさくなってきてね?」

「あ?」

 ぴくりとクロームの片眉が跳ねる。ただでさえキツい切れ長の目がより鋭角気味になり、白銀の瞳は明らかに俺を見据えていた。やばい、見下されてると余計に怖いな。

 つぅかあ? って言ったよ。この勇者、あ? って言ったよ。勇者なのに。

「よかったな、ガンマ。今日は剣がないぞ」

「あー、殺されなくて済みそうだ」

「お前を死ぬまで殴り続けることができるぞ、寿命が少し延びたな」

「その経過を生きてるって言い張るのかよ、テメェはっ!」

 怒鳴る俺から視線を逸らし、クロームは敵の本拠地と思しき建物へと目を向けた。

「妙だな」

「何がだよ」

「人里に魔物がいるだけでも妙だが、人の悲鳴も追撃もない」

「……そいつぁ確かに妙だな」

 クロームに倣って、俺も建物へと目を向ける。

 コンクリート打ちっ放しの味気ない建物。長方形による鋭角と平面ばかりの外観もあって、顔が漂白されてしまったようだ。

「人里のど真ん中、この場所だけに魔物が棲み着くなんてことはまずあり得ない。間違いなく誰かの手によって使役されている」

「だろうな」

 クロームの予想は大方当たっているだろう。

 普段は研ぎ澄まされ冴え冴えとした剣のように愚直な性格と戦いに関する本能にも似た天性の才能ばかりが目につくが、クロームだって頭は回る方だ。

 こういう時の思考の感触は、こいつが完璧超人であることを再認識させる。

「では、誰が使役している?」

「そこ、だな」

 一番の問題だし、この場で考えて答えが出るモノかも怪しい。

「敵がド素人のヘタレな雑魚ばっかりでこっちまですっかり緩い態度で挑んちまってたが、どうやらそういうわけにもいかなそうな感じだ」

 俺は腰を浮かし、勢いをつけて上体を起こしてそのままその場にしゃがみ込む。

 胸ポケットからくしゃくしゃになっていた煙草の箱を取り出し、よれよれになった煙草を一本摘まみ取って咥える。

 ライターの蓋を開く澄んだ音が妙に敷地内で響く。煙草に火を付けて、紫煙を吸い込む。ゆっくりと吐き出す。

「これは俺の予想で、明確な根拠があるわけじゃねぇ。それでも一応留意しておいた方がいいことがある」

 クロームは腕を組み、短く息を吐き出す。

「言ってみろ」

「この一件、実行犯のこいつらは素人だが、手練の奴が裏で手引きしている可能性が高い。いたとすれば、それこそ《魔族(アクチノイド)》並みに面倒くせぇ奴だ」

「《魔族(アクチノイド)》ほどの奴が在野にいるものか」

「面倒くささと強さは違ぇだろ。恐らくそういう奴がいたとしたら、セシウたちの誘拐にも関与している。おかしいとは思ってたんだ。束になってかかってきても俺一人倒せないような奴らがセシウを連れ去った上に拘束できている? もうその時点でロクなもんじゃねぇ」

「セシウを捕まえられるほどの力を持っている、ということになるな」

 クロームが細い顎に手をかけ呻吟する。こいつも嫌な予感がしてきたことだろう。

 俺だって同じだ。自分で言ってても面倒さに嫌気がさしてくる。

 なんで行く先々で俺たちは厄介なことに巻き込まれるんだろうな。いや、俺たちがいたからリーシャが巻き込まれたと考える方がこの場合自然かもしれない。

「しかも、あの烏合の衆どもを束ねて、それをさせたんだ。力を持ってる奴が一人でそれを成した方がまだやりやすい。そいつだけ対処すればいいからな。でも、そのいるかもしれない誰かはここの素人どもを使って、やり遂げさせている。技術がある上に人の使い方を知っている。手に負えねぇよな。問題は増える一方だ」

「貴様程度には頭が回り、その上でセシウや俺と同程度の戦闘力はあるということか?」

「戦闘力に関しては分からん。ただここの連中は事実そいつの指示に従った。跳ねっ返りどもを服従させられるだけの何かはあるはずだ」

「もともと組織にいたのではないか?」

「それはなさそうだ。ここの連中の練度と統率力のなさがその証拠だろう。そんな奴がいたなら、すでに徹底された人海戦術を取れてないとおかしい気がすんぜ」

 煙草の灰を床に落とし、ため息を吐き出す。

 考えれば考えるほど、この一件は面倒なことにしか転がらなそうだ。

 嫌だねぇ、この状況。どうにも居心地が悪い。何かが引っかかる。喉の奥に物がつっかえてるみてぇな感じがする。

「そいつが肉体的に頑健かどうかはさておきプラナに並ばずとも、それに近い魔術を扱えるってのは十二分に考えられる。そうでないと騒ぎを起こさずにセシウを拐かせた理由が思いつかないだけなんだけどな」

「どちらにせよ厄介なのは変わりないわけだな」

「ま、そうなるよな」

 忌々しげに建物を睨み付けるクロームに俺は肩を竦める。竦めるしかねぇだろうよ。

 短くなった煙草を揉み消した俺は立ち上がり、懐から銃を取り出す。

 この先はいくらなんでも手加減をすべきではない気がする。ナメてかかると、こっちが喰われる。

 陽は徐々に傾き、建物は針のように細長い影を伸ばし始めていた。

 時間をかけすぎたかもしれない。急ぐべきだろう。

 クロームに目を向けると無言で頷き動き出す。

 先程魔物が割った窓からそっと音を立てずに建物内部へと二人で這入っていく。

 室内にはすでに闇が湧き出で、足下が多少見づらい。

 安全を確保しつつ歩きながら、俺はまた口を開く。

「恐らくかなり狡猾な相手だ。非常に冷静で自分の知能を正当に評価している。その上で恐らくはこの一連の出来事を楽しみながら手引きしている。人を使うことに長け、社交的に振る舞うことができる程度の社会性は有しているだろうな。また、肉体的にも平均以上の身のこなしは可能であり、何より劇や小説を好んでいるはずだ」

 頭の中に浮かび上がる、いるかも分からない誰かの人となりを予測する。

 ここまでの出来事で見えてくるのはこの程度、か。

「何故物語を好んでると思う?」

「話が出来すぎている。これはあくまで予想だが、俺たちがここに来ることも含めて、仕組まれているような気がするんだ。明らかに仕立て上げられてる」

「誘導されていた、ということか?」

「さぁな。そこまで露骨に誘導をされたわけじゃないにしろ、あそこまで周到なことをしておきながら詰めが甘い。俺たちならここまで辿り着くと分かっていて、あえて痕跡を残していたような気もする」

 俺が情報を得たあの男は何故一人で街をぶらついていた? 考えてみればそこからしておかしい。

 ただ出歩いていたにしてもあいつはある程度情報を持っていた。あんな簡単に秘密を漏らすような奴を野放しにしておくか? よりにもよってこの局面で。

「待て。つまり、そいつは俺たちが何者なのか知っているのか?」

「可能性は十分にある。考えてみりゃそうだ。リーシャが誘拐された理由だって全然思いつかねぇ。リーシャは俺たちを釣るために攫われたのかもしれねぇ」

「どういう意味だ? お嬢様は侯爵の息女だぞ? 十分すぎるほど誘拐の理由になるだろう」

 ああ、そうさ。俺もてっきり身代金目当ての犯行だと思い込んじまっていた。誰だってそう思うだろうよ。侯爵の娘、その分かりきっていた事実が真実を曇らせた。

 この街に住む多くはリーシャを知らない。その名前ばかりが一人歩きしている。

 どんな顔立ちで、どんな姿で、どんなことを想い、どうやって生きてきたのかも知らない。それを俺は知っている。

「あいつは普段人前に姿を現さない箱入り娘だ。そんな奴をどうやってピンポイントで攫えるってんだ。その上、今回の遊楽自体がイレギュラーのはず。一般の奴が知っているはずもない」

「……それが本当だとしたら一体どこから仕組まれていたというんだ」

 クロームも思わず立ち止まり、俺の顔を見る。こうなるともう笑えてくるよな。

「もうすでに俺たちがあいつと会ったこと自体が仕組まれていたのかもな」

 考えれば考えるほど、思い返せば思い返すほど最初の出会い方はおかしかった。なんであいつは追われていたんだ?

 しかも命からがら逃げてきた様子だったが、そもそもあんな大の男三人に追われて、普通あそこまで逃げてこれるか?

 おかしいだろ、全部。

 再び歩き出したクロームが扉に耳を当て内側の様子を探る。

「何かいるな」

 潜めた声で呟き、クロームが身構える。

「人か?」

「いや……この音、魔物か……? 一気に仕留めるぞ、容赦はするな」

「へいへい」

 指先によるスリーカウントの合図に合わせてクロームがドアを蹴破り、素早くクロームの脇を抜けて部屋へと俺が踏み込む。

 真っ先に飛び込んできた獣を回し蹴りで叩き落とし、頭蓋を踏み抜いて破砕。そのまま構えた銃でさらに向かってくる獣へと発砲する。

 血生臭さと硝煙の臭いが絡み合い、濡れそぼった凄惨な臭気が鼻腔へとねじ込まれる。一種の質量を持っているかのように鼻の中でわだかまる臭気。

 酷く不快で、何より慣れた臭いだった。

 発砲で魔物が怯んだところを、俺の横合いを抜けてクロームが肉薄。斜陽が射し込む屋内を、橙の光を弾いた銀の光が瞬きのように切り裂き、魔物たちを殴り、蹴り飛ばす。

 一瞬で制圧を完了し、俺は転がる魔物に目をやる。完全に息絶えているようで、ぴくぴくと痙攣していた。

「俺の銃より、お前の拳の方が強ぇってのはおかしいと思うんだよ」

「魔物相手に生半可な銃火器は通用せん。その体毛で弾かれるか、威力を殺される。それこそ破壊力がなければダメージにはならん。こういった手合いを倒すには施術をされた武器を用いるしかない」

 確かにクロームの拳にもセシウには劣るとはいえ魔術が付与されているらしいが、それにしたって魔物を殺せるのはおかしいと思うわけだが。

「おい、つぅか、何だよここ……」

 周囲に散乱するのは男達の亡骸。いや、肉塊というべきか。

 魔物どもに随分と食い荒らされている。鮮血が飛び散り、損壊も著しい。これじゃあ、何で死んだのかも分かったもんじゃねぇ。だが、俺たちを唖然とさせたのはそれではない。

 部屋の外壁を覆うように延びた蔓。まるで一種の模様のように壁にこびりついたそれの根元は、コンクリートの地面を突き破って、凭れ架かる太い木の幹だ。

 部屋の四方を囲むように突き出た木たちが所狭しと犇めき合っている。太いところでは人一人分の太さはあるであろう木は複雑に絡み合い、まるで大蛇の群れのようでもあった。

「どうなってんだ、これ……」

「何かの魔術、なのか……?」

 人工物の内側で息づく自然物。まるで前人未踏の遺跡へと迷い込んでしまったような錯覚。

 予想を遙かに上回る未知の光景は訳の分からぬ恐怖を喚起する。

 落としどころとなるべき知識を求めて、俺の脳はフル稼働してそれらしい情報を必死に引き出す。

「地と水の複合魔術には確かにこの手の植物を使う魔術もあるらしいが、それにしたってどうにも奇妙な光景だな……」

「ということは、少なくともプラナの手によるものではない、か」

 だろうな。

 プラナが扱える魔術は火と水と風。地の魔術だけは扱うことができない。

「これだけの魔術を扱える者がいるっていうことか」

 調べれば調べるほど厄介な情報が出てくんな。知っておいた方がいいと分かっていても、憂鬱な情報の連続には気が滅入るもんだ。

「ガンマ、これもお前の言ういるかも分からない第三者のものだと思うか?」

「そう考えるのが自然かもしれないんだが、そこまで決めつけるのは早計な気もするんだよなぁ。あまり先入観がありすぎても却って足下を掬われそうだ。とりあえずそういう奴がどこかにいるってことだけは意識しておいた方がいいかもしれないな」

 何事も決めつけすぎるとロクなことがない。

 情報を集めるのもいいし、繋ぎ合わせることも重要だが、多すぎる情報と、点を結び合わせる線は事実を曇らせかねない。

「……つぅか、なんでこいつら死んでんだ?」

 ふと漏らす俺の疑問にクロームが首を傾げる。

「魔物に殺されでもしたんだろう?」

「誰が呼び出した魔物に?」

「……ああ」

 辻褄が合わねぇぞ。

 咄嗟の判断で魔物は敵だと判断して攻撃したが、それならばこいつらは今まさに俺たちが敵対している組織の誰かが放ったものであるべきだ。

 魔物が人間を襲うなんて当たり前のことすぎて気付くのが遅れてしまった。

 敵が放った魔物ならばこいつらに被害は及ばないはずだ。そもそもこの場所に魔物がいることだっておかしい。

 誰が何に対して魔物を放ったんだ?

「第三者の介入か」

「本当にそうだとしたら、事態はさらに面倒くせぇことになんな」

 クロームが珍しく大きなため息を吐き出す。眉間に親指を押し当て、目をぎゅっと閉じている辺り頭痛でも起こしているのかもしれない。

「頭が痛くなることばかりだな」

「全くだ。ここいらで一つ吉報がほしいところだよ」

「一つお前が死んでくれないか? 俺の頭痛の種が一つ消える」

「この場において、そんな軽口が出てくる点に関してはさすがの俺もお前を見習うね」

「貴様には及ばんさ」

 俺を嘲るようにクロームは吐き捨てる。

 俺まで頭が痛くなってきた。相変わらずこいつとの会話は体力使うし、多分クロームも俺に対して同じ事思っている。

 俺とこいつの関係性はいつまで経っても不毛なままなんだろう。

「立ち止まっていてもしょうがねぇ。結局は俺たちも動くしかねぇんだろうな」

「それはそうだが、悪い報せもあるぞ」

 周囲を見回しながら、クロームがゆっくりと身構える。

 思わず顔が歪む。

「今度はなんだよ」

「何者かがこっちへ近付いてきている」

「誰だよ」

「魔力の影響かまでは分からんがどうにも感覚に靄がかかっている。判別できないのが問題だ」

 舌打ちしてしまった。

 俺とクロームは即座に動き、何者かが迫ってきている側の扉の両隣に貼り付き、気配を探り合う。俺が銃を構え、クロームはズレた眼鏡を押し上げて、それぞれ息を潜める。

「眼鏡馴染んできてんぞ、勇者」

「貴様よりは馴染むだろうさ、勘違い眼鏡」

 俺にも気配が分かる程度には何者かが接近してきている。確かに周囲の元素が乱れているのか、確かな距離が判然としない。超常的な直感に期待するより、足音から距離感を判断した方がよさそうだ。

 足音から大体の身長と体重は判断できる。

 身長一六二センチ、体重は六〇くらいか。

 恐らくは女性、体重から予想されるよりも軽い音から大分鍛えているのかもしれない。にじり寄るような気配、出来る手合い、か。

 近付いてくる。向こうも警戒している。気付かれているようだ。

 入ってきたところを一撃で仕留めるべきか。

 クロームに目を向ける。クロームも俺を見ていた。視線で意思疎通し、クロームも静かに頷く。

 その間にも何者かは迫ってくる。

 扉に手をかける。滑りの悪いノブが軋んだ音を立てた。

 一瞬、咄嗟に身を引く、と同時に轟音。一寸前まで俺の頭があった場所が砕け散り、拳が突き出していた。

 壁の向こうから舌打ち。拳はすぐさま引き抜かれ、今度は木製の扉が弾け飛ぶ。真っ二つにへし折れた扉が木片と共に飛び散り、影が部屋へと突入してくる。

 即座に銃を構える。影を挟んだ向かい側のクロームも一息で肉薄していく。

 影の赤い髪の隙間から垣間見えたのは刃のように鋭い眼光。目が合った。標的にされている。

 飛び込んできた影は片足が地に触れると同時に、その足を軸として俺の方へと体を回転、一気に距離を詰めてきた。

 速い、まずい、間に合わな——

 死を覚悟した瞬間、眼前に迫った拳がぴたりと止まる。背後のクロームも拳を振り抜きかけた体勢のままで硬直していた。

 影の頭から延びる炎のようであり尻尾のようでもある、赤いポニーテールがふわりと揺れる。

「ガンマ!?」

「セシウ!?」

 三人揃ってバカみたいな声を上げ、セシウはセシウで俺とクロームの顔を交互に見て、困ったように眉根を寄せて曖昧に笑う。

「うぇ……ごめんごめん。なんか気配分からなくてさ……気付かなかったよー」

「てんめっ、いくらなんでも笑い事じゃねぇぞ!? 殺されかけたぞ!?」

 頭をかいて、あははと能天気に笑うセシウに俺は怒鳴る。

 今死ぬと思った。完全に死ぬと思った。

 いくらなんでも目がマジすぎた。

「だから悪いって言ってるじゃん。そりゃアタシも悪かったけどさ」

 唇を尖らせ、セシウは不服そうに俺を見てくる。確かに話は分かるけど。

 めっちゃ怖かったじゃねぇか。未だに心臓ばくばくしてるし……。

 もう最初、壁をぶち破って拳が出てきた時とかパニックになったもんな……。

「気配が分からなかったのはこちらも同様だ。気にするな。それとガンマが死にかけたのはガンマが弱いせいだ。問題ない」

「さっすがクローム! 話分っかるぅ!」

「問題あるわっ!」

 怒鳴る俺など構わずセシウは朗らかに笑っている。相も変わらず気楽そうな顔を見て、内心少しほっとする。

 元気そうだし、酷い目にも遭ってないみてぇだ。

「大丈夫だったか?」

 ふっと漏れた俺の問いにセシウが振り返る。

「ん? ああ、見ての通り。ぴんぴんしてるよ!」

 腰に手を当て、胸を張ってセシウは満面の笑みを俺へと向ける。

「そうか、無事でよかった」

「へ? あ、ちょ、やだなぁ! そんなアタシに限って、なんかあるわけないじゃん! アタシ、体力と力が取り柄みたいなもんだし、これくらいどうってことないっつぅか!」

 自然に出た言葉にセシウは何故かあたふたし、上擦った声で口早に訳の分からないことを言い出す。

 なんでそこでそんな慌ててんだろ、こいつ。

 でもそんなところがまたセシウらしいような気がして、本当に無事だと分かって、なんだかまた一段とほっとする。

「よかったよ。心配だってしたさ。おかえり、セシウ」

「あ、う、うん……ただいま、ガンマ」

 少し戸惑うように頷いたセシウはそれでも笑顔で俺に応じてくれた。

 なんか、落ち着くな、本当に。

「ところでセシウ、エルドアリシア嬢はどうした?」

 ふとクロームが問いかけて、俺も気付く。セシウが無事だったことに気を取られて、すっかり忘れていた。

 セシウもセシウでびくりと肩を震わせ、気まずい顔で自分が押し入ってきた入り口から通じる先を顧みる。

「しまった。向こうで待たせてるの忘れてた……」

「おいおい……」

 そりゃ荒事になるなら隠れさせておいた方がいいだろうけどよ。

「リーシャさーん! もう来ても大丈夫ですよー! ていうかガンマたちいましたー!」

 セシウの呼び声で足音が近付いてくる。かっかっと鋭く力強いヒールの音が徐々に大きくなってくる。

 んん? なんか足音がキツくねぇか?

 近くに隠れさせていたらしく、リーシャはすぐに部屋へと現れた。

 状況が状況のせいなのか、俯き加減の横顔は橙色の髪に隠れてよく見えない。拳は強く握られ、肩も強ばっているように感じられる。

 ここは気楽な一言でもかけて、和ませてやるか。

「よぅ、リーシャ。どうした?」

 言ってる最中にリーシャは俺の方へと相変わらずの力強い足取りで迫ってくる。

「り、リーシャさっん!?」

 足の甲に鋭い痛みが走り、目を見開く。

「ふん!」

 ヒールで踏まれた足を押さえてうずくまる俺など構わず鼻を鳴らしたリーシャは背中を向けて、腕を組んでいる。

 いってぇ……マジいてぇ……。大丈夫? 俺の足に風穴できてない?

「な、何しやがんだよっ!」

「べ、つ、にっ!」

「別にで助けに来た奴を踏むかよ普通! 別に、でよ! マジでいってぇ……」

 洒落になんねぇぞこれ……。なんて酷い仕打ち……。

 女って分っかんねぇ。マジ分っかんねぇ!

「ま、まあ、リーシャさん落ち着いて……」

「落ち着いてるわよっ!」

 宥めにかかるセシウにぴしゃりと言い放って、リーシャはそっぽを向いている。一体何をそんな怒ってんだ、こいつは……。

 どうしていいのか分からずセシウも困り果てている。腕を組んで、事態を静観しているクロームだけは我関せずの顔をしている。

「セシウ、犬も食わん痴話喧嘩に進んで巻き込まれる必要はないぞ」

「痴話喧嘩じゃねぇよ!」

「痴話喧嘩じゃないわよっ!」

 俺とリーシャ、揃ってムキになって言い返してしまうが、異口同音の反論を受けてもクロームは関係なさそうな顔をしている。

 なんだっつぅんだよ、もー。俺が何かしたかよ、今。

 と恨めしげにリーシャの背中を睨むと、ふと足下に映る影に気付く。

 ……目が合った。

 思わず瞬きをしてしまう。

 リーシャの細くしなやかな美しい御御足に隠れるように小さな影が俺を見つめていた。

 大きく円らな瞳、怯えるような目、そして先の尖った長い耳。

「おい、リーシャ、その子供なんだ。隠し子か——イデッ」

 今度はポーチ顔面に投げられた。

 いってぇけど、もう何も言わねぇよ。もういいですよ、もうなんでも。

「見て分かんでしょ! エルフよ! エールーフ!」

 振り返ったリーシャはびっと足下の子供を指差して怒鳴る。

「んなムキになんなよ、ただの冗句だろ」

「ムキになんかなってないわよっ!」

「じゃあ、なんだよ!」

「なによっ!」

「ま、まあ、リーシャさん落ち着いて……」

「セシウ、犬も食わんぞ、それは」

「うっせぇな!」

「うっさいわねっ!」

 本日二回目のやり取りである。

 確かにこれは犬も食わないだろう。当事者だって胃もたれしそうだ。

 あー、埒が開かん……。

 まだ辛い足の痛みを我慢して立ち上がり、俺はもう一度エルフの子供を見る。

 酷く怯えた様子でリーシャの後ろに隠れて、俺とクロームへ交互に目を向けていた。小さな肩は萎縮し、瞳孔が落ち着きなく動き続けている。

 襤褸布同然の布を纏っただけの姿。そこから伸びる手足は病的に白く細いもの。儚い姿形は硝子細工というよりも、薄汚れた姿も相まって紙屑を想起させた。

 恐らくはこいつも連れ去られたエルフの一人なんだろう。まともな食事も与えられずに、出荷されるその日を訳も分からず待たされ続けるだなんて、家畜以下の扱いじゃねぇか。

「ここに来る途中で偶然会ったの。すごい傷だらけで足下も覚束なくて、見てられなくてさ」

 セシウがふと説明してくれる。

「騒ぎに乗じて逃げてきたのか?」

「さぁな。どちらにせよ、セシウが戻ってきてくれたのは心強いが、非戦闘員二人を庇いながらの戦いになるな」

 俺の予測にクロームの対応は素っ気ない。こいつにしては妙に現実的なことを言う。

「逃げてきたって?」

「お前たちを攫った連中、エルフを人身売買に使ってる組織なんだよ」

「人身売買ってそんな……。そんな連中がどうしてアタシたちを?」

「その見当がつかなくて困ってんだよ。お前が捕まってる間、なんかそれらしい情報とかなかったか?」

 セシウたちは先程まで組織のど真ん中にいた。何らかの情報を漏れ聞いた可能性だってあるかもしれない。

「え……そんな、突然言われても、なぁ……」

「どんな些細なことでもいい。何か、見たり聞いたりしたものがあれば」

 セシウが唇に指を当て、天井へ視線を向ける。ほんの少し、些細な情報でも今はほしい。

「んー、そう言っても、アタシたち突然大男がやってきたと思ったら、その後意識失っちゃって、起きたら縛られてて、それっきりだったからなぁ。ごめん、あんま参考になる情報は……」

「いや、今ので十分だ。縛られてたって話だが、それは何か特別な処理をされていたか? お前でさえ抜け出るのに苦労するような細工が」

「んー、特になかった気がするなぁ。その気になったら簡単に引きちぎれるようなただの縄だったよ。外にもやる気のない見張りが二人いただけだったし」

 壁に張り巡らされた幹の一つに背を預け、腕を組んでいたクロームが何かに気付き、俺へ目を向ける。

「また妙な話だな」

「気付いたか」

 話に取り残されているセシウとリーシャが訳も分からずに俺とクロームの間で困惑している。

「さっきも話してたんだが、相当に腕の立つ魔術師がいる。これはもう確定だ。魔術に対して抗体のある俺たち《創世種エレメンツ》から訳も分からぬままに意識を奪う魔術があった時点でな。そんだけの魔術が必要な相手だと分かっていながら、拘束が縄一本? おっかしいだろ。逃げてくれと言ってるようなもんだ」

「逃がす意図があったのは間違いない。お前が言うとおり、俺たちがここに集合することは仕組まれているようだ」

「それは……え? どういうことなの?」

 リーシャは事態を飲み込めていない。セシウもそうだろう。

 実際のところ、俺だって真相には至れていない。

 正体不明の誰の小細工までは読み取れても、その真意が全くと言っていいほど見えてこない。

 何故、そいつは自分の組織が追い詰められるようなことを自らしている。しかもこれほどまでに周到な準備をしてまで。

「どういうことなんだろうな。俺にも分からん」

「何よそれ、今分かった風な口きいてたじゃない」

 まあ、そうなるよな。

 リーシャからしたら腑に落ちないだろうし、俺自身何も飲み込めてはいない。

 ずっと喉の奥で何かがつっかえているような居心地の悪さ。飲み込めるほど噛み砕けていないのか、飲み込むべきではないから解き明かされないのか。

「誰かが何らかの思惑を持って行動している。そいつはどういうわけか俺たちをここに誘き出して、お前たちが逃げられるように仕組んでいる。恐らくはプラナ並みの魔術師で頭もキレる。そんな奴がどうしてこんな回りくどいことをして、さらには何をしようとしているのか、それが全く分からない」

 分からない、何一つ見えてこない。

 セシウたちが或いは真実を切り拓く鍵を持っているかもしれないが、それもないようだ。

 どこまでも周到だ。これだけ面倒なことをしておきながら、核心に至るものは何一つない。

 何一つ確信になど至っておらず、全ては憶測の域を出ることもない。

 歯痒く腹立たしい。掌の上で躍らされているのは分かっているのに、その掌で躍り続けるより他にはない。

「立ち止まっていて答えが出る物でもないだろう。まずはエルドアリシア嬢を安全なところまで送り届けよう」

 クロームの意見は尤もだ。二人の非戦闘員がいる状態で戦うのは危険だ。二人を救出できた時点で一番の目的は果たしている。エルフを売買しているこの組織自体は潰さなければならないが、それよりもまず第一なのはリーシャの安全の確保。

 ここは一度撤退するのも悪くないのかもしれない。

「え? 逃げるっていうの?」

 予期せぬリーシャの反論。俺たちの判断に戸惑っているような、驚いているような表情だ。

「逃げるんじゃねぇ。戦略的撤退だ」

「同じことじゃない。ここまで来て逃げて、まだあいつらがここに残ってるって断言できるの?」

 それは正論だ。俺たちの襲撃を受けた今、あいつらだってこの場所が安全じゃないことは理解しているだろう。俺だったら必要最低限のものを持って逃げ出すね。そうなった場合、エルフたちは、自らの首を絞める危険な爆発物でしかない重荷となる。

 殺されるだろうな、間違いなく。

 引き下がらないリーシャにクロームは珍しく苛立ったように頭を掻き、ため息を吐き出す。

「エルドアリシア嬢、何か勘違いしているようだから言っておこう。俺たちの目的は貴女の救出だ。そして、それはすでに完了している。本来ならば、これ以上関わる必要もない。ただ連中の行為がエルフとの種族間問題となり、こちら側の損失になる可能性があるからこそ対処はするが、それは本来我々の仕事には含まれていない」

「貴方……勇者なんでしょう! この場所で非人道的な蛮行があると分かって、何故それを見過ごすというの!?」

「俺は確かに勇者です。しかし、その意味もまたエルドアリシア嬢は履き違えている。俺の使命は《魔族(アクチノイド)》を倒し、この世を終末に導く《終末龍プルトニウス》の復活を防ぐこと。この組織の裏で手引きしているのが《魔族(アクチノイド)》であるのならば、我々は挑まねばなりませんが、この問題はそうではない。何よりこの街に必要以上に留まっているのも貴女の都合によるものだ。これ以上、我々の仕事を阻害される筋合いはありません」

 クロームは正義感と使命感が強い男であり、直情的な振る舞いを見せることもあるが、その裏では常に己の正義感と使命感の最大公約数を勘定している。こいつ自身、可能ならばこの組織を見過ごしたくはないだろう。しかし、救えるものに限度があることも分かっている。

 俺たちにとって至上の目的は《魔族(アクチノイド)》を止めること。目先の悪事に気を取られて、《魔族(アクチノイド)》の悪行を許すことになっては元も子もない。

 この世界全ての命と、この場所で弄ばれる数えきれる命。どちらかを選ばなければならない。

 クロームも完全に見過ごすとは言っていない。この場は一度退き、リーシャたちの安全を確保してから事に当たろうとしている。しかし、その間にエルフが無事だという確約はどこにもないのもまた事実。

「ここは敵の本拠地なのでしょう! この場で行われている悪事を止めなければ、無辜の子供達が虐げられることになる! 貴方はそれさえ見過ごすというのですか!」

「何も見過ごすとは言っていない。ただ、このまま無理に進み、貴女が傷を負うだけならばまだしも、取り返しのつかないことになった場合、後々の処理が面倒になることは承知のはず。それでなくとも非戦闘員を庇いながら戦い、我々が後の戦いに支障を来す手傷を受けるかもしれない。その時になって後悔しても遅いのです」

 クロームは感情的に物事を否定しているわけじゃない。リスクリターンを考えて事実を述べている。静かに諭されても、しかしリーシャは引き下がらず、小さな拳が白くなるほど握り締め、クロームを睨んでいた。

 俺でさえビビるクロームの気迫に怯えず、ここまで言い返せるのってすげぇよな。

 ふとセシウと目が合う。

 おずおずと眉根を寄せ、窺うような上目遣い。

 ……あー、はい。助け船ですね。

「どちらにせよ、ここで話し合うのも時間の浪費だ。この中で一番戦力にならねぇ俺がリーシャたちを送り届ける。その間にお前らはあいつらを全員とっ捕まえておけばいいだろ」

「敵の戦力が未知数の今、お前を欠いたまま戦うことを俺はよしとせん。貴様の洞察力は必要だ」

 あ、結構認められてんのね、俺。

 なんだかちょっと意外。悪い気はしねぇけど。

「じゃあ、もう進むしかねぇだろ。ここまでで十分すぎるほど時間を消費している。後々のことを考えれば、ここでリーシャに恩を売って、さらに戦果を上げて、侯爵様の覚えをめでたくしておくのも悪くないんじゃねぇか?」

 あー、我ながら嫌な言い回し。

 リーシャは自分を通して侯爵に取り入ろうとする輩ばかりと会い続けて、それがたまらなく嫌だって知ってんのに、それと同じことをしようとリーシャの目の前で提案している。

 仕方のないことだけど、分かっていながら、それしかできない自分に嫌悪感さえ覚える。

 俺の反論にクロームは一度こちらを睨み、しかし観念したようにため息を吐き出して、大仰に手を広げてみせた。

「分かった。勝手にしろ。そう言うからには考えもあるのだろう」

「任せておけよ」

 何も考えてないけどな。

 今はそういうことにしておこう。

「さ、この間にも連中が何してんのか分かったもんじゃねぇ。迅速かつ慎重に行こうぜ」

 言いつつ俺は全員に背を向けて、懐に戻していた銃を引き抜く。

 この後俺たちはプラナを探すという重大な仕事も残っている。時間をかけずにさっさとリーシャの願いを叶えてやろう。

 ずっと人の只中で味わう孤独に耐えて生きてきたリーシャの味方を誰かがやってもいいだろう。それくらいのことは許されていいはずだ。

 何もしてやれない俺ができるのは、ただ一人の少女としてのこいつのために何かをする奴が存在し得ると行動を持って証明してやることだけ。

「クローム!? やめ——」

 背後から聞こえるセシウの引き攣ったような声、咄嗟に振り返り、ほぼ反射的に俺の横合いを駆け抜けるように迫ったナイフを銃で弾き落としていた。

 我が目を疑うように見開いたセシウは俺とクロームの間で立ち尽くし、リーシャも言葉を失っている。その向こう、クロームはナイフを投じたままの姿で俺を睨み付けていた。

 俺を? いや違う。

 そうじゃない。

 クロームの視線を俺の斜め下に向けられてることに気付き、何を見つめているのか目を動かそうとした矢先、腹部に鋭い痛みが走る。

 脳を駆け抜け、配線をブチ切るような衝撃にも似た感覚。

 棘だらけの熱量が腹部に生まれる。

「な……」

 俺の足下にはエルフの少年がいた。先程までリーシャの足にしがみついていた少年は手に短剣を持ち、俺を震える眼で凝視している。わなわなと震える唇、小さな手もまた同様に震え、切っ先が揺れて短剣はそのまま手から滑り落ちていく。

「な、なんで……」

 俺刺されてんだ……。

 自分の血で染まった剣を見つめながら、俺は足が縺れ、崩れるように地面へと倒れ込んでいた。

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