Cr's are Thinkerー深く、淀みへー
銃器で武装した男たちがリーダーと思しきシルバーアクセサリー塗れの男の指示で散開する。どこかに息を殺して隠れ潜んでいる侵入者を探し、神経質に視線と銃口を彷徨わせていた。
斜陽に陰る室内に繋がる部屋の様子を次々と調べていく。
いずれ燻り出されるはずだ。
両隣に部下を一人ずつ従わせたリーダー格はそう考えて、気楽に構えていた。侵入者がどれほど優れた魔術師であろうと、今自分の手中にある紙切れを使えば大した脅威でもない。
あの道化師のような男は驚くほどに使える。
恐らく彼の助けがなければ、ここまで上手くことは運んでいなかっただろう。それこそあの金になる女を誘拐することもできず、目的不明のあの小柄な魔術師を相手取ることもできなかったはずだ。
まずは愚かにも単身で乗り込んできたあの灰色のローブを纏った魔術師を始末してしまおう。しかし、あの魔術師は全身を灰色のローブで隠し、体も小さくすばしっこい。まさにドブネズミのような奴だと思い至る。
姿形からやることまで、全てが鼠めいていた。
その哀れなドブネズミを始末した後、またあの道化師の力を借りて、自分たちをこそこそ嗅ぎ回っている者を捕まえよう。向かわせた部下たちは返り討ちにあったらしいが、恐らくは用心棒でもつけているのだろう。怯えることはない。道化師はきっと、また素晴らしい道具をもたらしてくれるはずだ。
どんな思惑があるかは分からないが、道化師は自分たちに協力的だった。今の間だけでも、使えるだけ使わないと損だろう。
それに女一人誘拐するだけで高額の報酬があるという、夢みたいな依頼まである。道化師のお陰で誘拐は容易にでき、あとは引き渡すだけだ。対象は見てくれのいい女性だったが、一体どんな目的でその女性の誘拐を依頼してきたのかは分からない。
しかしそれも、高額な前金を渡されたのだから深く考える必要はないだろう。
あとは引き渡して報酬をもらうだけ。
耳長の売買による収益がなくとも、しばらくは遊んで暮らすこともできる。
運が巡ってきている。
男は自分の幸運さに唇の綻びを抑えられない。
頬が弛緩し、ついつい笑ってしまう。できすぎた話に不信感を抱くこともない男の思考を遮るように、どこからか男性の悲鳴が響いてくる。
恐らくは部下がやられたのだろう。室内を反響し、声の出所が分からない。その上、取り乱した者たちが見境なく発砲さえ始めている。
男は忙しなく視線を彷徨わせるが、手中にある紙切れを握り締め、その感触で自分を落ち着かせる。
この紙切れは今、どんな銃よりも頼もしい武器だ。この紙がある以上、あのドブネズミは自分を害すことなどできはしない。できはしないのだ。
その時、両脇に控えていた部下たちが動き出す。
リーダー格の男の右側に銃を向け、引き金を引く。たちまち幾重にも重なった銃声が間断なく耳を劈く。銃口が放つ火の目映さに目を焼かれながら、リーダーの男は視線を巡らす。
そこには銃弾を弾きながら、真っ直ぐに突っ込んでくるドブネズミの姿があった。
ブーツを脱ぎ捨て、素足で床を蹴って向かってくる鼠に浴びせかけられた銃弾は全てが彼女の手前で弾かれ、明後日の方向へと跳ねる。恐らくは魔術だ。
腰まで引き裂かれたローブの裾が翻り、白く艶めかしいであろう素肌は西日を受けて橙に煌めく。
距離を詰め、ドブネズミが杖を振り上げ跳躍する。
魔術が来ると予期し、男は紙切れをドブネズミへと掲げた。
しかし、魔術師はまだ杖を振り下ろさない。距離が詰まる。
掲げた札に不可視の結界が接触し、光が散る。無数の光の触手が伸び球状の結界の表面に張り付くように広がっていく。
干渉によって拮抗し、ドブネズミの体は空中で静止する。
二人の間の空間に亀裂が走る。結界が札の干渉に圧され、崩壊しかけている。光はより一層強さを増し、ドブネズミの結界を浸食していく。小さな亀裂が無数に走り、拡がり、ドブネズミを蜘蛛の巣のような罅が覆う。
硝子の砕けるような音を伴い、煌めく破片が飛び散る。それらは触れても傷つかず、また触れたという感触すらない、結界の欠片。弾け飛んだ透明な欠片は光を受けて宝石のように煌めき、地面につくよりも早く魔力と元素に分解され消失していく。共に落ちていくはずのドブネズミはしかし、その時になってようやく杖を振り下ろす。
魔術ではなく打撃だ。勘付き、男が体を素早く横に動かし、紙一重で振り下ろされる杖を避けきった。
「まだまだっ!」
ドブネズミが吠える。
断頭台のように振り下ろされた杖が地面へと突き刺さる。ほぼ垂直に地面に突き立った杖を支えに、小柄な灰色のローブはさらに男との距離を詰めていく。
右足が振り上げられ、ローブの裾がさらにはためいた。両手で持った杖を支えに右足が水平の蹴りを放つ。
爪先が陽光に煌めいた。小さな右足の先、人差し指と中指の間には小さなナイフが挟み込まれている。
ナイフを伴った蹴りが男の首へと迫っていく。
避けられない。この状況で避けることは不可能だ。
早い。完全に出し抜かれた。
結界はおとりにすぎなかった。
判断に窮し、男は無意味と分かっていながらも、無数の紙切れを持った手を我武者羅に魔術師へと突き出していた。
手元から滑り落ちた紙切れはそのまま魔術師の体へと飛来していく。ドブネズミは構わずに足を振り抜き、男の首を引き裂かんとするが――
「――なっ!?」
紙切れが触れた瞬間、魔術を伴っていないはずのドブネズミの体の上で眩い光が弾けた。ローブに触れた無数の紙が青い炎を伴って一瞬で焼失し、ドブネズミの矮躯が弾き飛ばされる。
男でさえも呆気に取られる中、宙へと投げ出されたドブネズミは空中で体勢を取り直し、まるで獣のように四肢で床に着地し、滑るようにして慣性を殺しきる。
およそ魔術師らしからぬ身のこなし。ドブネズミでさえもが意外だったらしく、紅い目を見開いていた。
「……そんな……これは……」
「な、なんだ、お前……」
男がドブネズミを凝視し、震える声で呟く。フードを目深に被ったドブネズミの頬には蔓が絡みつくような刺青めいたものが浮き上がっていた。そんなものは確かに先程まで存在していなかった。
赤黒いそれは、体よりも一回り大きいローブから微かに見える手の指先から、剥き出しになった脚に至るまで、彼女の細身に這い回るように刻まれている。
先程までなかったはずの刺青のような何かは、肌に溶け込むように色が薄れ、やがて見えなくなる。
ドブネズミは驚きに見開かれた目で地面についた自身の手足を見つめる。
そして、ドブネズミ――プラナは彼らに目を向け、三日月にも似た笑みを浮かべた。
ぞくりと男たちの背筋を鋭角の寒気が駆け上がる。
彼女の笑みはそういう類のものだった。あまりにも危険だ。素人でさえ危機感を抱くほどの、一目で尋常ではないことが分かる捕食者の笑み。
恐らく、海で獲物を見つけた鮫は心中でそのように嗤うのだろう、と感じてしまうほどの微笑。
「な、何やってんだ! さっさと殺せっ!」
男の叫びに叩かれ、二人の部下が銃口をプラナへと向け、夥しい銃声と共に鉛玉がプラナへと殺到する。プラナは即座に四肢で床を突き飛ばすようにして直上へと跳躍した。一拍遅れた到達した銃弾が床に突き刺さり、プラナを追って上へと昇っていく。
本来なら身動きができず、不利になるはずの跳躍。しかし、プラナのそれはあまりにも高すぎた。体は即座に天井へと到達し、まるで世界が反転したように上下逆にプラナは文字通り着地する。
四肢で天井を掴んだプラナはそのまま天井から斜め下に跳躍し、銃弾を避けきる。地上に降りたプラナは杖を元素に分解し、素早く駆け出した。
速い。速すぎる。
後を追うように流れていく銃弾はプラナに追いつくことができず、壁に弾痕を刻んでいく。
男たちからはプラナの姿が見えなかった。ただ薄い灰色の、霞としか認識することができない。
「何やってんだ! 早くあいつを殺せ!」
焦れたリーダーが部下を怒鳴りつける。しかし、目で捉えることすらできない相手を撃ち抜けるほどの実力など素人の彼らにはなかった。
必死に銃を撃ち続けるが、銃声だけが虚しく響き渡る。
ついにはプラナの姿さえ見失い、三人は落ち着きなく周囲を見回した。
静寂。静謐、沈黙。
夕闇に紛れた人の形をした何か。
誰ともなく生唾を呑み込む。リーダー格の両隣の男は手に浮いた汗で滑りそうな銃把を握り締めた。
部屋の隅から何かが裂けるような物音が鳴る。
「う、うわああああっ!」
精神的に摩耗していた右側の部下が音の聞こえた方も分からず、銃弾を撒き散らす。
「何やってんだ! 落ち着け!」
リーダー格の男が怒鳴り、もう一人の男が恐慌状態の仲間を後ろから押さえつける。引き金から指を離すことができず、ついに男は残り僅かだった銃弾を撃ち尽くしてしまう。
あまりにも情けない空撃ちの音。それでも男の指は凍り付いたように引き金から離れない。
忌々しげに情けない部下を一瞥し、リーダー格の男は歯軋りする。
「クソ……弾だってタダじゃねぇんだぞ、こんだけ無駄弾撃って、鼠一匹殺せねぇってのか……。それに一体何人やられた……」
男はすぐ傍に転がっている無数の焼死体に目をやる。
無残にも焼け焦げた人の形をした炭。膨れ歪み、表面に幾ばくかの光沢を持つそれは間違いなく炭だった。しかし僅かに生まれた裂け目からは、確かに桃色の肉が見える。
「ボス……あいつただもんじゃねぇ……! 逃げた方がいいっ!」
仲間を後ろから羽交い締めにした男が怯えながらも箴言する。それは間違いなく賢明な判断だっただろう。しかしあまりにも気付くのが遅かった。
怯えきっていたもう一人の部下も取り押さえられたまま、媚びへつらう子供のような目でリーダー格の男を見つめている。
そんな部下たちの情けない姿にリーダー格の男の顔は怒りに歪む。
「黙ってろっ! テメェ如きが俺に指図すんじゃねぇっ! こんだけやられておいて、今更尻尾巻いて逃げろっていうのか!」
唾を飛ばして怒鳴る。
手中の紙切れを握り締める。
例えあの魔術師が魔術を使ってこようと、これがある限り安全なはずだ。
しかし、不可解なこともある。この紙切れが魔術師の肌に触れた途端、動きが変わった。
確かに身軽な女だったが、今となってはそれ以上だ。
鼠などの小狡い素早さではない。例えるな豹のような捕食者のしなやかさ。
「ボス、あいつ、俺たちを砂の詰まった袋かなんかと勘違いしてやがるっ! このままじゃ本当にみんな死んじまいますっ!」
「んなことは分かってんだよっ! だからここで殺すんだろうがっ!」
怯懦にかられた部下に向き合いリーダー格の男は叱り飛ばす。
そんなことは分かっている。分かりきったことを指摘する部下が鬱陶しく、このまま殴り飛ばしてしまおうか脚を踏み出した途端、壁際の床から黒い奔流が流出した。
何かが地面を割り砕き、みしみしと軋むような音を立てながら這い出てくる。それも一つや二つではない。まるで部屋全体を包囲するように無数の何かが生えてきている。
「こ、今度は何だってんだ……!」
黒い奔流は支流を作るように、枝分かれし、壁を伝うように天井へ伸びていく。互いが互いに絡み合い、窓を覆い、光を遮っていた。
樹木だ。どこからともなく生えだした樹木が急速に成長し、部屋を包囲している。
太い幹と細い蔓によって壁は覆われ、光はほとんど遮られた。部屋は途端に薄暗くなり、未だに成長を続けているらしき木の軋む音だけが囁くように耳に這入り込んでくる。
「クソッ! どうなってんだっ! 他の連中は何やってんだよっ!」
男は叫ぶ。
次から次へと常軌を逸した出来事ばかりが起こる。自分はもしかすると悪い夢でも見ているのだろうか。
そうだ。全てが夢にすぎないはずだ。
きっと、あの魔術師も実在しない。もしかするとあの荒唐無稽な道化師もまた空想の産物なのかもしれない。思えばあの男は存在が突拍子もなく、やることなすこと全てが幻想めいていた。むしろあの男が実在していると考える方がおかしい気さえしてくる。
しかしそんな現実逃避を、突如として目の前に現れた灰色の魔術師は許してなどくれなかった。
目深に被った灰色のフード、ローブの裾は破れ血の気を感じさせない磁器のように白く細い脚を晒しだしている。フードからは月明かりを染み込ませたような白い髪が零れていた。その全てが薄闇に翳っているというのに、彼女の紅い双眸だけは浮かび上がるように仄かな光を宿している。
瞳孔は縦長で爬虫類めいていた。
蛇に睨まれた蛙。自分たちはまさにそうなのだろう。
動けない。背を見せて逃げればそのまま殺されてしまいそうな威圧感。
無論向かっていくことが無謀なのも分かりきっている。
「貴方のお利口な部下は来ませんよ」
「アアッ!?」
「もう殺しました」
プラナの唇の両端が引き上げられる。三日月を連想させる歪な笑みだった。
「て、テメェ……」
仲間を取り押さえていた男が銃器を構え、プラナへと走り出す。間断なく銃弾を放ちつつ、ただただ真っ直ぐにプラナへと突き進む。
「ふざけんなよっ! よくもっ!」
「よせ! やめろっ!」
リーダーの命令を振り切り、男は全速力で魔女へと迫っていく。
プラナへと殺到する銃弾はしかし、彼女の眼前で途端に力を失い停滞した。何かと拮抗するようでもなく、また押さえつけられているようでもなく、ただ時が止まったかのようにぴたりと止まり、虚空に留まっている。
下等な生物を蔑むような目で目の前で停止する銃弾を眺め、プラナは空に向けて立てた小指の先でくるりと円を描く。その動作に倣うように静止していた銃が半回転し、先端が突進してくる男へと向けられた。
「さようなら」
まるで今まで忘れていた動きを思い出したかのように銃弾たちは先程までと同じ速度で動き出す。自らを放った者へと向け、裏切りの銃弾は殺到した。
噴き上がる鮮血。夥しい銃弾を全身に受け、男の体に数え切れないほどの穴が穿たれた。
悲鳴を上げることもなく、訳も分からず絶命した男の体が後ろへと傾ぐ。
その背後に呆然と立ち尽くすリーダー格の男とプラナの目が合った。
爬虫類の瞳が新たな標的を見つけたようにうっとりと細められる。
「後ろに倒れるとは、最期の最期まで無様なものですね」
プラナが手をそっと上げる。人差し指の先が示すように男へと向けられた。瞬間、プラナの足下の床に亀裂が走り、細く鋭い何かが飛び出す。それはリーダー格の男の脇を抜け、後ろで鮮血が飛び散った。
「はい、終わりです」
残ったただ一人の部下の心臓が樹木の槍に貫かれ、無残にも砕け散った。何の感慨もなく、ただ作業のように、悲鳴を上げることもなく殺された。
地獄の釜の底に取り残された男の唇がわなわなと震える。握り締めていた紙切れがはらはらと足下に落ちた。この震えは怒りではない。純粋な恐怖だった。
「貴方のお陰で久々に本調子を発揮でき、気分がいいんです。私はこれでも貴方に感謝しているんですよ」
伏せた目と冥い笑み。どこか淫靡で妖艶な表情が、底知れぬ恐怖を感じさせた。
「ですから、貴方はとっておきの方法で殺しきります」
最早生き残ることなどできはしない。命乞いをしたところで彼女が助けてくれるはずもない。
恐らく自分もいとも容易く殺されるのだろう。
絶望に染め上げられた男の足下に散った紙切れが紫苑の光を宿し始めていた。