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Alternative  作者: コヨミミライ
La's Bathos—仕組まれた賛美歌—
102/113

Cr's are Thinkerー深く、淀みへー


     〆


 高すぎる天井に釣り下げられた無数のシャンデリア。その配列は一種の様式美を持ち、弾けた光を拡散させている。降り注ぐ光は磨き上げられた大理石の床に反射され、ホール内の全ての影を払拭でもするように行き渡っていく。

 白い壁には高名な画家たちの特に面白みがあるわけでもない作品の群れが飾られている。多くの人々に愛されている作品であり、誰もが楽しめるであろうが、それ故にただそれだけの作品のように思えてならない。背の高い窓枠には色とりどりの硝子が嵌め込まれ、神話の風景を抽象敵に描き出しており、光さえ射せば美しいだろうに、今は宵闇を透かし暗かった。

 広すぎるホールには美しいものだけが集められている。

 有名な楽団が奏でる音色は気高く、手に持った楽器はどれも名器ばかり。しかし奏でられる演目はどれも大衆受けする名曲ばかりで、甚だしいほどに無難すぎた。

 設えられたテーブルはそれ自体も、かけられたクロスも高級品だし、飾り付けられた料理は食材から手がけた料理人、盛り付けている皿に至るまで全てに相当の金がかかっていると聞く。

 高級なもの、美しいもの――要は価値のあるものだけが詰め込まれた宝石箱の底に私はいた。

 周囲には貴族を始めとした上流階級の者たち。誰もが煌びやかに着飾り、贅を凝らした料理に舌鼓を打ち、年代物の葡萄酒に湿らした舌でつまらぬ歓談を楽しんでいた。

 衣装と装飾に富を費やすのは財力を誇示するためか、己の醜さを隠すためか、自らもまた輝くためなのか。

 同じように父親から授けられたドレスに着飾っている私が言えることではないのでしょうけれど。

「お嬢様、楽しんでおられますか?」

 ほっそりとしたグラスを持って、意味もなく語り合う人々を眺めていた私の背後に控えていた侍女が声をかけてくる。

 私は振り返らず、肩を竦めてみせる。

「貴女にはそう見えるのかしら?」

「お嬢様が楽しんでいるように見えるのであれば、私も斯様な質問をすることがなかったでしょうね」

 私の後ろで侍女は密やかに笑った。

 なかなかに意地の悪い言い方ね。

「お父様は?」

「ディコサント交易の方とあちらに」

 侍女の視線の先に目をやると、お父様が壮年の男性と和やかに話しているのが見えた。

 後援となってもらうためのご機嫌取りでもされているんだろう。お父様もそれを分かった上で接待され、相手を値踏みしているはずだ。

「お父様も忙しいものね」

「イレイス侯爵家の今後のため、言ってしまえばお嬢様のためですよ」

 私の皮肉を侍女が諫める。その語調にふっと笑みが零れてしまう。

「そうね、民衆がいないというのがあの人らしいわ」

「それは……」

「いいのよ、分かりきったことだから」

 言い淀む侍女との話を半ば強引に終わらせて、私はホールをなんとなく見渡す。

 穏やかで賑やかな人々の声。楽しそうに語らいながら、自身の富と力を誇示し、時には相手を値踏みし、また付け入る隙を探し合っている。

 誰もが談笑しているというのに、誰もが心の内に汚れきった謀略を抱えている。まるで甘い甘い飴の包み紙で覆われたコールタール。

 豪華絢爛なホールの底で汚れきった思惑を巡らす人々が、私にはなんだか淀んだ沈殿物のように思えてならなかった。

「これはこれは、イレイス侯爵家のご令嬢ではございませんか」

 当て所なく立ち尽くす私に、金髪碧眼の青年が歩み寄ってくる。高価な衣装で着飾った男だ。腕には大層高価そうな腕時計を嵌め、革靴もしっかりと磨き上げられている。

 顔立ちも整っており、一見すれば実業家の好青年といった印象ね。この場において、信用できない外見の一つだと私は思っている。しかもこの手の装いで私に話しかけてくるのならば、その思惑は真っ当なものではないでしょう。

「あら、これはこれは……」

「エドガー商会のご息子、アルベイト様です」

 後ろに控えた侍女が耳元で教えてくれる。素早い援護に、内心で親指を突き立てる。

 ハグしてあげてもいいくらいだわ。

「エドガー商会のアルベイト様ではありませんか。お初にお目にかかりますわ」

 言って、私は膨らんだ裾のスカートを摘まみ上げて、お辞儀をしてみせる。幼少の頃より女中長に厳しく教えられ、涙に顔をくしゃくしゃにしながら染み込ませた動作だ。

 我ながら寸分のブレもない、優美なお辞儀だと思うわ。

 最早意識しなくても完璧にこなせる一連の動作をする度に、涙を堪えて意地になって練習し続けたことを思い出して、少しだけ胸が痛む。

「おやおや、エルドアリシア様に名を知って頂けているとは、なんという光栄でしょうか」

 恭しく礼をするお坊ちゃんに私は気品よく笑ってみせる。無論愛想笑いだ。

 純白のドレスグローブを嵌めた手を口許に当てて、目を細めて、さりげなく口角を引き上げる。簡単なことよ。

「多くの女を惑わした罪な殿方と窺っておりますわ。確かに貴方のような貴公子を前にしては、女性も惑ってしまうでしょうね」

「その美貌で名高いエルドアリシア様を前にしては私の顔立ちなど大したものではありませんよ。天上天下に、貴女の美に並び立てる存在などそうはいないでしょうに」

 自分で言った社交辞令と、相手の歯が浮きそうな賛辞に笑顔が引き攣りそうになる。

 何言ってんだろ私、何言ってんだろこの人。

「あら、お上手ですこと。一体どれだけの人にそんなことを仰っているのかしらね?」

「このような言葉を捧げられる女性など、貴女を於いて他にはおりませんよ、エルドアリシア様」

 言って、実業家の坊ちゃんは薄い笑みを浮かべる。優雅に清らかなようで、碧い瞳は性の欲望にギラギラと輝いていた。

 昔はその目が怖いと感じていたものだ。眼光に宿るぎらついた欲望の正体も分からず、飢えた狼を見るようで不安になった。でも今は、餌に困った豚程度の印象しか覚えない。

 もう慣れてしまった。

「貴女はあまりにも美しすぎる。どれほど美しいものに例えようと、貴女と並べられては例えられたものが恥じらってしまうほどの美しさだ。そう、まるで全てを呑み込み、自身の美の一部としてしまう星辰鏤められた夜空のようだ」

 何よ、例えられてるじゃない。上手いんだか、下手なんだか、分かったものじゃないわ。

 なんで男って、「そう、まるで」って繋いだ後の言葉がどれも大したことないのかしら。

 大体、そんなもので繋がないといけない時点で、話し方が下手な気がする。

 顔だけ小綺麗な青年は私の手を掬うように取り、自身の顔をそっと近づけてくる。傍から見れば優雅な振る舞いに見えるけれど、下心が丸見えなので尻尾を振って媚びてくる犬とそう変わらない。

「私の美しさの前では、貴方さえも霞んでしまうのかしら?」

「ええ……私などでは到底及びません」

 艶っぽく長い睫毛を伏せ、痛みを堪えるような声で言ってくる。演技なのがバレバレだ。

 背筋が冷えるったらないわ。

「では、その下賤な口を離してくださいな」

 私の言葉が予想外だったのだろう。男は小首を傾げて、私の顔を見上げてくる。予想外すぎて聞き間違いとでも思い込んでいるらしい。

「わたくし、茨姫と呼ばれておりますの。その名の通り手にも棘がありますことよ。貴方が私に並び立てないようなら、その唇にも傷がついてしまうでしょう? 私には相応しくない唇ならば、分相応の女の肌でも這わせていなさいな」

「エルドアリシア様?」

 しつこくこちらの顔を窺ってくるのは、冗談とでも思っているからなのだろうか。

 断られるにしても、ここまで言われるとは思わなかったのかもしれない。

 私のことをよく知る人々は、そんな温室で甘やかされて育った坊ちゃんの醜態を見て、密やかに笑っていた。顔は平静でも、口許が微かに歪んでいてよ、皆様。

 また、程度の低い女と遊んで妙な自信をつけてしまった身の程知らずの馬鹿が恥辱を受けるぞ、とわくわくしているのかもしれない。

 名残惜しそうに私の手を掴んで離さない手を半ば無理矢理、それでいてそっと穏やかに引き離し、私はくすりと笑う。

「またいずれ、楽しませてくださいな。それでは私はこれにて」

 スカートの裾を摘まみ上げ、もう一度流麗にお辞儀をして私は情けない負け犬に背を向けて、その場から足早に立ち去る。

 あの人は自尊心が高そうだから、きっと今頃顔を真っ赤にして周囲の人たちを睨み付けているのでしょうね。目に浮かぶわ。

 私の爽快感とは裏腹に、背後では侍女が嘆息していた。

「ああ……お嬢様……また茨姫としての武勇伝をお作りになさって……。そろそろお嬢様の偉業で本が一冊できあがってしまうでしょうね。それもその辺の魔術の学術書よりも分厚いものが」

「あら、それは素敵ね。印税生活でもしましょうかしら」

「笑い事ではありません。これではイレイス侯爵家の家格にかかわります」

 侍女は苛立ったように言う。パーティーの席でなければ、金切り声でも上げていそうだ。

「でも、私が茨姫として振る舞って、却って持て囃されているわよ? あんな盛んなだけの駄犬に靡いてしまったら、それこそ家格に関わりそうなものだけれど?」

「それはそうですが、断り方というものが……」

 侍女もあの男はダメだという認識には変わりないようだ。

 まあ、それもそうでしょうね。明らかに下心しかなかったもの。

「あまり気にしていると滅入るわよ? 葡萄酒は如何?」

「飲みませんよ」

「せっかくのパーティーよ、飲むといいわ」

 言って、私はくすくすと笑う。侍女はよっぽど気が立ってるらしく、振り返らなくても苛立ちが伝わってくる。

 立食パーティーなんて面白くも何ともないのだから、侍女をからかって面白みを作るしかない。

 ここにいる者は皆、自分の利益と謀略と権力と欲望のことしか頭にない。楽しそうに語らいながら、食事に舌鼓を打ちながら、周囲を値踏みし、思惑を走らせ続けている。

 お父様に声をかける者は金のことしか考えてなどいないのだろう。商人の街ウェスターを統べる者に取り入り、そのおこぼれにあやかろうとする者、覚えをめでたくし自分の商売をやりやすくしようと思う者、或いはお父様を椅子から引きずり下ろし代わりに腰掛けようとする者。お父様はそういった思惑をおそらくは分かった上で話に乗り、思惑にハマったふりをするだけの価値があるのかどうかを見極めようとしている。

 全くお忙しいことだ。でも私だって父のことを嘲笑してはいられない。

 私に寄ってくる人たちも父のそれと大して変わりはしない。誰もが、男に媚びへつらない私を物にして自身の男の格とかいうくだらないものを高めようとしている。また、私の肢体で悦楽を満たし、肌の上に栗の花でも咲き誇らせようかとしか考えてなどいない。その他があるとしたら、私から繋がるお父様とお近づきになりたい者くらいだろう。私自身のことなど、皆どうでもいいのだ。

 女性からすれば、私は男を誘惑しながら気取っているようで、さぞ面白くないだろう。とんだ難癖だ。私だって好きでこんな容貌で生まれてきたわけではないし、鏡で自分を見たって大して美しいとは思わない。鼻梁がもう少し低い方がいいなとか、もう少し口紅の似合う唇だったらよかったのにとか、目つきが柔らかくならないだろうかとか、思ってしまう。

 今日髪を上げて気付いたのだけれど、私の耳朶は小さい。お肉があまりついていなくて、なんだか硬い。これでは、いつかピアスホールを作ることになっても苦労しそうだ。そんなことを考えると憂鬱にだってなってしまう。

 その点、私の侍女はこういった席のための少し派手な化粧がぴったり似合う顔立ちで羨ましい。そのくせ、普段は化粧を薄くしていて素朴な可愛さを感じさせる。眦の曲線が緩やかで、怒っていても柔らかさを失わない。もともと口角が上がり気味なのか、ただ歩いているだけでも機嫌がよさそうに見える。

 私なんかは顔立ちが最初から少し仏頂面めいていて、ふと鏡を見た時の顔が可愛くなくてしょうがない。女中たちにもいつも怒っているように見られているらしいし、それを知って傷ついたりもする。

 下心丸出しで迫ってくる男が嫌で断っていただけなのに、それで高飛車などと言われてもどうしようもないじゃない。まあ、それで男に靡いたら靡いたで淑女がたの顰蹙を買うのは分かっているつもりだ。

 生まれ持ってのものが気に食わないと言われてもどうしようもない。こればかりは趣味嗜好以上にどうしようもないものなのだから。さすがの私といえど、顔を変えることはできない。

 女中長に躾けられ、脚の組み方から食事の摂り方、また食事の好みに至るまで矯正され続けた私にも無理なのだ。

 女性からは目の敵にされ、話しかけてくる男どもは自尊心ばかりが高く、親しげに話しかけてくる旧知の仲もまた私ではなくお父様のことばかりを気にかけている。

 こんなものが私にとっての数少ない外出の機会なのだと考えると、無性に虚しくもなった。

 結局、私は屋敷に押し詰められ、庭園を歩くことしかできない生活に耐えられず、逃げるように社交の場に来ては、やはりというべきか現実に絶望している。

 私が拒んだところでお父様はそれを許さないだろう。私という存在はイレイス侯爵家の強力な手札らしい。私がいるだけで随分と話題に事欠かないようだし。

 普段は軟禁めいた過保護を発揮していて大事にされているのならしょうがないと思うものだが、こういった場でのお父様は何か違う。結局は私のお父様は貴族だし、私もまたその娘だ。

 侍女は私のよき理解者だろう。私の身の上を哀れむ程度には私のことを知っているから、よき相談相手だし、何よりよき友だと思っている。

 ただやはりこの子も良家の生まれ。こういった場所での立ち回りはどこか父に似通っている。

 心を殺し、偽りの笑みを貼り付け、ぴっちりと張られた天鵞絨の欺瞞の裏で謀略を巡らし、己が私益のみを追求する。それができない私が、やはり子供なだけなのかもしれない。

 貴族の娘として不自由なく暮らし、庇護されている私が現状に何か文句を言ったところで、それは贅沢な悩みであって、またどうしようもないくらい幼稚な我が儘なのだろう。

 本当に嫌なら逃げ出してしまえばいい。

 それで万事は解決する。

 でも私は生きていけるのだろうか。貴族としての社交の場で生きていく術しか教えられず、それも形だけしかできていない私が、庇護を離れ生きていけるだろうか?

 結局、そんなことを恐れて尻込みしている時点で、私にはその程度の気持ちしかないということなんだろう。

 あーあ、いやだわ。こんな、白馬の王子様を待ち続ける姫様じゃあるまいし。

 私の現状は私以外変えてくれはしない。私を理解し、傍にいてくれる侍女だって、お父様に刃向かう真似は絶対にしない。また、父が私の知らない何者かに注意されて、私の今とは違う幸せを考え始めてくれるなんて展開も絶対にありえない。

 世の中はそんなに都合良くできてはいないということくらい、私だって分かっている。

「――様……お嬢様?」

「ん? どうしたの?」

 ふと我に返ると、侍女が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。

「いえ、心ここにあらずといった様子だったもので……」

「ふふ、大丈夫よ。ちょっと考え事してただけ」

 侍女を安心させるように微笑んだ私は、身を翻して意味もなく会場を意味もなく進んでいく。

「心も何も、最初からここに私なんていないじゃない……」

 口を衝いて、そんな言葉が転がり出た。

「何か仰いましたか?」

 まだ安心しきっていない様子の侍女は過敏になってるらしく、私の独白に気付いてしまう。しまったな、と思って、素早く逃げ道を探す。

「あちらの殿方は普段見ない顔だな、ってだけよ」

 私が目を向けたのは、一人の男性。若いわけではないが、そこまで老いているわけでもない。

 型崩れし、くたびれたシャツにベストを羽織り、ポーラータイを巻いている。弱々しい笑みに若々しさはなく、どちらかというと疲れ切った印象だけれど、ここにいる者たちが常に持つ驕慢さは感じられない。弛みのない体はどこか線が細いのに、その中で無骨な手だけが際立っている。

 顔に刻まれ始めた皺も、なんだか歳月の流れによる無情な劣化ではなく、歴戦の戦士の傷跡めいていた。

 隣にいるのは体のたるみきった中年男性。如何にも民衆から搾取した金を湯水のように浪費する貴族の典型といえる男だ。ぶくぶくと太った体にはきつそうな正装に体を強引に押し込んでいて、腹の前の釦は今にも弾き飛びそうだ。

「あの方は……」

 私の隣に立った侍女は目を細め、難しい顔で二人を見つめる。

「隣にいらっしゃるのはイッテルビーを管理するベラクレート辺境伯のようですが……」

 世情に詳しく、上流階級の者に詳しい侍女にしては珍しく言葉に詰まっていた。そんなに無名なのかしら?

「ああ、思い出しました。エルシアを管理しているジゼリオス伯爵です」

「伯爵? あのお方は貴族なの?」

「ええ、まあ、そうではあります」

「何? 煮え切らない答えね」

「貴族としても浮いている方ですから。技術国の文化に傾倒している上に、こういった席にも滅多に姿を現さない方でして……」

「技術国の製品なら私たちのところでも取り扱っているじゃないの。さしたる問題ではないでしょう?」

 技術国の商人だって多数出入りしているし、お父様だって気に入っている。

 私の反論に侍女は眉根を寄せて、少しだけ考える素振りを見せる。

「そこはまた難しい問題かと思いますが。旦那様は数多くの文化を取り入れるというその一部に技術国の文化を含めている、という立ち位置を通しています。例え、利潤となるのを理由に技術国の製品を優遇していたとしても、商人の街としての在り方であるからと容認されているのが実情です。ですが、ジゼリオス卿は利益のためではなく、自身の趣味嗜好として技術国の文化に傾倒しています。この違いは大きいと思いますが?」

「突き詰めればそうなんでしょうけれど、それは表皮カワの話じゃない。ここにいるような事情を知っている人たちからすれば、私のお父様だって狡く稼いでる胸クソ悪い奴ではなくて?」

「む、むな……!」

 私のあまりにも汚らわしい言葉に侍女が絶句する。無理もないわよね。私もちょっと言葉が過ぎたなっていまさら後悔してるし。

「まあ、いいわ。少しお話してくるわね」

「お、お嬢様っ」

 追いかけてくる侍女に捕まらないように、私は少しばかり早足に、人の間を縫って進んでいく。途中で給仕のお盆に載った新しいほっそりとしたグラスを手に取り、おおよそ貴族らしからぬ貴族の下へと進む。

 興味が湧いた。このつまらない社交の場にそぐわないその人がどういった人物なのか、無性に気になったのだ。

「初めまして、ジゼリオス卿」

 私は微笑み、自然と言葉を発した。見知らぬ女性に名前を呼ばれ、目を瞠ったジゼリオス卿が私を見る。隣にいるベラクレート卿は私を知っているらしく、戸惑っている様子だ。

「おや、これはとんだ別嬪さんだ。どこのお姫様ですかね?」

 変わり者の伯爵が微笑む。静かな森に吹き込んだ風に葉が揺れるような爽やかな色気さえ感じた。

「私、イレイス侯爵家の一人娘のエルドアリシアと申しますわ」

「これはイレイス侯爵様のご息女でしたか。私は、ジゼリオス伯爵と申します。以後お見知りおきを」

 粛々とお辞儀をしてくるジゼリオス卿の振る舞いに、自然と笑みが零れた。

 この場所で、こんなに穏やかに笑えたのはいつ以来だったろうか。

 遠い昔のことのように思える。

 その時、いつの間にか色褪せてた煌びやかな飾りが、鮮烈に色めいた。

 今でも忘れられない、出会いの時。


 ――貴方はもう、覚えていないのでしょう


 〆

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