Cr's are Thinkerー深く、淀みへー
悲鳴が一つ上がる。
屈強そうな体を縮こまらせ、悪相を震わせ、眼には涙が滲んでいた。大の大人が恐怖に怯え、今にも失禁しそうな有様だ。
随分と見苦しい様じゃないか。
陽も射さぬ路地裏で男は歯の根も合わぬまま、木箱に座る俺を凝視していた。
「そんな目で見んな、俺が悪役みてぇじゃねぇか」
手に持ったバタフライナイフを片手で開閉させながら俺は言う。自分でも驚くほど低い声だった。
俺の足下には、怯える男の口の一番奥につい先程まで填まっていた歯が転がっている。男の口の端からは赤黒い血が伝い落ちていた。
「俺はちょっと、お前に聞きたいことがあるだけだ。そんなに怖がるんじゃねぇよ」
淡々と話しちゃいるが正直余裕はない。それでも内心の焦燥を発露させるわけにはいかない。
「ハルケスト族の、ある男に用事があるんだ。お前も、あいつのことを狙ってたし、なんか知ってるんじゃねぇかと思ったんだが」
腰が砕け、立ち上がることもできない年若い男は、水でも掻くように足を動かし、這いずるように後退していく。しかし、背後の壁にぶつかり、逃げることもできなくなってしまう。
怯えきった表情に苛立ちが募る。
そいつは俺たちがこの街に来たその日にリーシャを追っていた男だった。
「て、てめぇ……一体なんなんだよ……!」
「質問にだけ答えろ」
歯の根も合わぬ口で紡がれた震える問いを、俺は冷たくあしらう。手元でバタフライナイフをはためかせると、びくりと男の肩が大きく震えた。先程の痛みで恐怖を植え付けることはできたようだ。
「ガンマ、こいつは恐らく、この街に巣くう組織の一員だ。粋がった若者たちを集めて、黒い金を儲けているグループがいてね」
俺の後ろに黙して控えていたヘスチナが耳元で情報を嘯く。
人間と物資の流通が発展すれば、それだけ黒い欲望も増えるし、治安の悪化も避けられない。商業によって発展するこの街の暗部だと言えるだろう。
流通が活発化すれば、子供の内から多くの物事に触れることとなり、自意識も肥大化する。見栄を張りたい若者たちにとって、そういった非日常への誘いは魅力的に映ることだろう。
「顔の半分にトライバル系の刺青をしたハルケスト族の男に覚えはないか? 答えろ」
「い、言えるわけねぇだろっ!」
質問を発したことで言葉が出るようにはなったようだ。それでも求めてる答えではない。
俺は目を細め、静かに息を吐く。俺の一挙手一投足を見る度に、男は怯え身構える。
「秘密を漏らしたら殺されるってか? 今ここで殺されるよりはいいんじゃねぇか?」
「お、俺を殺すってのかよ? や、やってみろよ……」
恐怖に歪んだ顔のまま冥い笑いを浮かべてくる。挑発するような口振りには、俺が絶対に殺しはしないという思い込みがあった。
俺はもう一度ため息を吐き出し、懐から銃を取り出す。鈍い光沢を放つ黒い金属物。その輪郭に男は目を瞠る。まさか銃を目の当たりにするとは思ってもいなかったらしい。
しかし、すぐに男の顔は弛緩する。
「銃? ははっ……や、やっぱりハッタリじゃねぇか! 銃声ですぐに騒ぎになるぜ? いいのかよ?」
小馬鹿にしたような笑い。どうやらこいつは俺を見くびっているようだ。
面倒だが、もう少し恐怖を与えるべきだろう。
俺は腕を伸ばし、銃口を男の眼前に向ける。撃てるわけがない、と思っていてもやはり恐怖があるらしく、男の両目は銃口を凝視していた。それでも口許には嘲るような笑い。
男にも分かるように緩慢な動作で引き金に指をかけてやる。一瞬、男が身を硬くする。
「う、撃てるわけがねぇよ……へへ、撃てるもんなら撃ってみろよぉっ!」
「言われるまでもねぇよ」
引き金を引く――刹那の内に腕を下げ、だらしなく伸びた男の太股に銃弾を撃ち込んでやる。
跳ね上がる鮮血。ひり出される絶叫。
背後でヘスチナは耳を塞いでいた。
「全く、いくら消音結界を張ってあげてるとはいえ、ちょっと騒がしすぎやしないか?」
「好きだろ、賑やかなのは」
「女性の悲鳴は割と好きだけど、大して綺麗でもないこんな悪漢じゃねぇ?」
ベソを掻きながら太股を押さえて転がる男の悲鳴の中、俺とヘスチナは軽口を返し合う。ヘスチナの言うように、結界で音は外部に漏れない。この男がどれだけ泣こうが喚こうが、誰も俺たちには気付かないし、咎めることも出来ない。
そんなことも分からず、男は悲鳴を上げ続けている。少し耳障りになってきた。
俺は木箱から腰を浮かし、のたうち回る男の目の前にしゃがみ込んだ。
「よう、兄弟。少しは目が冴えたか? 結構キくだろ?」
言いながら、俺は銃身の先端を男の顎に引っかけて、こちらを見上げさせる。
さらなる恐怖を植え付けられたせいか、それだけで男は悲鳴を抑え込み、俺を凝視した。怯えに震える目、かちかちと恐怖に鳴る歯はまるでカスタネットだ。
生唾を飲み込み、ただ黙っている。
よし、いい具合に素直になってきたな。
「少しは考えが回ってきただろ? さっきあんなこと言っちまったのは、ちょっと動揺してたからだってのは分かってるよ、兄弟。落ち着いて、ゆっくり考えれば、答える方がいいって分かってくれるよなぁ?」
俺の問いかけに、男はこくこくと何度も頷く。その間も見開かれた目は、俺の一挙手一投足を見つめていた。
「いいぞ。お前なら分かってくれると思ってたぜ。んじゃ、早速、知ってることを聞かせてくれねぇか?」
「あ、ああ……答える……。ただ、俺は下っ端なんだ……。知らないことも……」
心の内の俺は唇の片端を吊り上げて、陰鬱に笑っていた。
こうも目論見通りに答えられると、気持ちよくさえなってくる。
征服というのはやはり人間の望むものなんだろう。人一人の心を屈服させ、逆らうこともない。
逆らいたくとも逆らえない。従順を強制させるのは愉悦だ。
俺は気さくに、穏やかに笑い、男の肩に手を置く。
「そいつぁしょうがねぇことだろ? 分かってるよ。お前が知ってる範囲で俺におしえてくれればいい」
男はそれに安堵したようで、まるで俺が寛大で心優しい人格者であるかのように、喜色の目を向けてくる。
馬鹿だなぁ。本当に。
「それで、ハルケスト族の男のことは知ってるか?」
「あ、ああ……知ってるよ……。俺の組織の仲間だ。顔の半分に刺青をしてる奴っていったら一人しかいねぇ」
「そいつは組織の重要人物か?」
「いや、ボスの腰巾着だ……。腕っ節が強いってだけでそれ以外は何もねぇし、偉そうにふんぞり返ってるだけの馬鹿だよ……」
馬鹿はお前もだけどな。
俺みてぇな奴を簡単に信頼してる時点で、そいつよりも頭が空っぽな気もする。
「なるほどな。そんで、お前の組織ってのは一体何なんだ?」
「み、密売組織だ……」
「密売? 一体何を?」
麻薬か、銃器か。
もしかすると相当厄介な組織なのかもしれない。男は少し躊躇っていたが、俺への信頼か、命惜しさか、そのどちらかが勝り、おずおずと口を開く。
「み、耳長だよ……」
後ろでヘスチナはある程度察しがついたらしく「あー、なるほどね」と笑みを湛えた声で呟く。
「知ってるのか?」
振り返らずに問いかける。
「知ってるも何も有名な話だよ。エルフの女子供を誘拐して、高値で売ってる組織ってのは。まあ、都市伝説レベルなんだけどさ。俺も商人だから噂を聞いたことはあるんよね」
「人種問題に繋がりそうな都市伝説だな」
「ま、そいつがそう言うってことは、最早都市伝説でもないんだろうけどさ」
頭が痛くなってくる。
ただでさえエルフとの関係は悪化の一途は辿ってるってのに、こんなことが表沙汰になったら紛争に発展しかねない。今は不可侵条約を結び、互いが不干渉に徹することで何とかなっているが、これはエルフの領土を侵犯していると見做されても文句は言えない。組織で動いてるってことは相当な頻度であることも間違いないだろう。
俺たちからすれば、少数の馬鹿どもがしでかした悪行だが、エルフはそれを人族の総意とするだろう。現状を甘んじて受け容れているにすぎない連中は、これを好機と見るはずだ。
……思っていた以上に厄介だぞ、これは。
「エルフ族は総じて眉目秀麗だからね、貴族を始めとした上流階級からすれば愛玩動物としての価値も高いんよ。んなもんだから、裏では相当数取引されてる」
「愛玩動物、か」
歪みきった単語を苦々しく反芻する俺に、ヘスチナは肩を竦めた。
「俺の言葉じゃなくて、上流階級たちの認識だから、その辺はよろしく」
分かっている。そんなことは分かっている。
何より貴族の中には、そいつの人生など知らず人間さえ飼育して楽しむ屑がいることも、だ。
ベラクレート卿のような奴は一定数存在するものだ。民衆から搾り取った財産を私財と勘違いし、持て余した貴族どもが妙な道楽に手を出すのはよくある話だろう。
分かっていても、気に食わないものは気に食わない。
ジゼリオス卿は異端なのだ。あのおっさんのように人畜無害の趣味に没頭し、質素倹約に努めるような善人は一握りでしかない。大多数の貴族たちは浪費を美徳として生きている。
もちろん他にもジゼリオス卿までは行かなくとも、民衆を思い、領土を宝として最大の財産として扱う貴族がいると分かっていても、不信感は拭えない。エルフからしても同じだろう。
「まあ、それに加えて、エルフってのは魔術の媒体としても優秀らしくてね。なんでもエルフの肉を食い続ければ、エルフのような魔力を手に入れられるだとか」
「それこそ都市伝説だな。竜の肉さえ、滋養強壮以上の効果はないっていうのに」
かつて、そんな妄想に取り付かれ、竜の肉を食い続けた貴族がいる。八代に渡って竜の肉を食い続けた一族は、竜の肉に含有されていた微量の毒物の蓄積によって悲惨な末路を迎えた。
人類は未だに同じ過ちを繰り返し続けているらしい。
「普通に考えりゃそうだけどね。でも、実際信じる馬鹿はいるもんだよ。エルフという種族の孕む神秘性と、人に似通った容貌が招く弊害だよね、ホント」
「お、俺たちは、他の連中が獲ってきた耳長どもを仕入れて、貴族どもに売ってるだけだ……。俺たちは耳長に手を出しちゃいねぇ……!」
「それが連中にとって何の救いになるってんだ? お前も当事者だろが」
口を衝いて出た言葉は自分が思っていた以上に低く、恐ろしいものだった。
どうやら、こいつの無関係を気取った言動は俺の癪にも障っているようだ。
こいつと長々と話しても得る物はないのだろう。それも思った以上に、だ。
考え無しの馬鹿ってのは、最後の最後まで役に立たない。
「本題に戻ろう」
短く言って、逸れてしまった話題を本筋へと強引に引き戻す。
「お前の組織の拠点はどこだ?」
途端に男が黙り込む。獣の唸りのような荒々しい息だけが聞こえる。
丁寧に促すのもまどろっこしくなってきた。俺は銃口を男の頭に押しつける。ぴくりと男の肩が跳ね、獣のような呼吸が静まった。男の肩が静かに上下するのをしばらく眺めていると、意を決したように男は口を開く。
「カリギュラ運河に沿った工場地帯、その中の、廃工場だ」
「ヘスチナ、分かるか?」
「ばっちり分かるよ。区画の再整備の関係で破棄された場所があるさね」
さすがだ。よその街だというのに随分と把握している。祭りの度に商売をしに来ているというのは、どうやら本当のようだ。
「普段はいくつかに分けて、耳長どもを管理してんだが、今はあそこに集まってるはずだ……」
「期せずして一斉摘発になりそうだな。好都合と言やぁそうだが、都合がよすぎるような気もする」
どうにも引っかかる部分がある。
間が良かったと安易に捉えてはいけない気がしてならない。
手法は分からないが、セシウを出し抜くような連中だ。裏がある可能性を考慮して、臨むべきだろう。
「こそこそ嗅ぎ回る奴がいたって話らしくてよ、なんでか分からないがボスが一カ所に集め出したんだよ……」
管理の行き届かない末端をできる限り切り詰めて、巧いこと逃げ切ろうとでも考えていたのだろうか。
判断は早いが、あまり賢明とは言えない、か。どうにもその場凌ぎの対処に思える。
セシウを出し抜くような奴のする判断か?
「どこの犬の仕業だか知らないが助かったぜ。そのきな臭いもんが集まった場所を一網打尽にできるわけだ」
「嗅ぎつけたのが、猊下の忠犬っていうのが、またできすぎた話さね」
「ヘスチナ」
短く名前を呼んで諫めると、ヘスチナは両手を挙げて舌を出してみせた。よく分からないジェスチャーだ。
今更、こいつに何を知られても構いやしないが、余計な情報は与えない方がいい。
話すだけ話して緊張が解けたのか、男はへらへらと笑っている。これでもう身の安全が保証されたと、安心しきっていた。
「あんたら、うちの組織に喧嘩売るつもりなのかよ? やめておいた方がいいと思うぜ? なんせ、あそこには今、うちの連中が大勢いる。腕っ節に自信のある奴だって結構な数いるんだ。あんたの銃だけじゃ、痛い目見るだけだと思うけどな、俺ァ」
「俺の心配よりも先に、まずは我が身を案じるべきだと思うけどな、俺は」
言いつつ、立ち上がった俺は再度、銃口を青年の頭に向ける。
弛緩しきっていた青年の顔がさらに呆けた。眼前に突き付けられたものの意味と真意を掴みあぐね、唖然としている顔はむしろ情けなく笑っているようにさえ見える。
「え?」
漏らそうとした声は銃声にかき消された。鮮血が舞い上がり、硝煙が空に上がっていく。
粘ついた血生臭さとスパイスの効いた硝煙の臭気が建物の峡谷を満たす。どちらも馴染み深い。こういう社会に出来た谷底めいた場所も落ち着きさえ感じる。十年来の古巣のようなものだ。
男の頭が自身から溢れ出た血溜まりに落ち、紅い飛沫を跳ねさせる。俺の磨き上げた革靴の爪先で血が弾けた。
「いやいや、容赦ないね、ホント」
「このまま生きて返すなら、お前を呼んだ意味がねぇだろ」
「そらそうですわね、へーへー」
おどけたヘスチナを顧みずに言葉を返し、俺は倒れ伏した肉塊の上着に靴先を擦りつけて血を拭う。
「結構じゃねぇか。笑顔で死ねただろ?」
「あんな間抜けた顔を笑顔っちゃあ呼べないっしょなぁ」
「曲がりなりにも笑顔なら、それで何の問題もねぇだろ。まあ、もう表情なんか分かったもんじゃねぇがな」
軽口を互いに投げ合いながら、俺たちは撤収の準備に取りかかろうとする。時間もない。
思いの外時間を取られたというのに得る物は少なかった。ここから先は自分たちで何とかするしかないだろう。
銃を懐に収めようとした刹那、引き攣った短い悲鳴を俺の耳が捕捉した。
目を細め、音の聞こえた方へと素早く目を向ける。連動するように俺の左腕は勝手に銃を持ち直し、視線の先へ向けていた。
一人の年若い女性が目を瞠り、恐怖に染まった顔で俺たちを見つめていた。手に持っていたのであろう紙袋が地面に落ち、中に詰まっていた野菜や果物を散乱させる。
「どういうことだ?」
銃を構えたまま、俺は背後のヘスチナに問うた。
周囲にはヘスチナの準備した意識結界が展開されているはずだ。結界を始めとする防御魔術のエキスパートであるインジスには劣るが、ヘスチナだって十分に並外れた技能を持っている。
これに関して偽りはない。ヘスチナが実際に証明し続けている。
だからこそ、この事態は予想外だった。
「あー、こりゃ運が悪いわ」
非常事態だというのに、ヘスチナはサラダの盛り付けに失敗した程度の罪悪感しか抱いていないような声で言う。
勝手に納得しているようだが、俺からは事態が上手く把握できていない。
「先天的に魔術耐性が強いんだろうね。先天的な魔術耐性は人によりけりだけど、高い奴は本当に高くて、魔術があることにさえ気付かないって言われてるんよ」
「お前の結界を無効化するほどの耐性だってのか?」
「そりゃまあ、滅多にそういった人はいないんだけどねぇ。この街の住人はいろんな種族の血が混じってたりするから、まあ、こういうこともあるよねぇ」
つまりは生まれ持って偶然魔術耐性が強い奴が、本当に何の意図もなく、近道がてらに偶然この道を通ったら、偶然にも俺たちの殺人現場に出くわしたわけだ。
「不運なことだな」
「だっしょ? 運が悪かったんよ」
もう俺たちからは、そうとしか言えない。今これから行うことを考えれば、この年若い女性にかけられる言葉は何もないのだ。慰めも脅しも、哀れみも、その一切が羽のように軽い。
どれだけ言葉を尽くそうと、意味がない。
恐怖に縛られていた女性が我に返り、背を向けて逃げ出そうとする。俺はその細い背中がこちらへ向けられるよりも早く、胸部を狙って引き金を引き絞っていた。
躊躇いなどない。
狙いをつけて、引き金を引く。
ただ、それだけの単純極まりない一連の動作は、体に染みついていた。
心がどんなに抗おうと、それが必要とされているのなら、俺の体は勝手に機能する。
ただ一つの機械であるかのように、果たすべきを果たしてくれる。
今はもう、この世の果てまで彷徨おうが辿り着くことの出来ないどこかの村の、どこにでもいるようでどこにもいない純朴な少女さえ射殺したのだ。
それ以上に躊躇うものなどないだろう。
三度目の銃声、地面に倒れ込んだ細い体が転がっていたトマトを押し潰した。白いワンピースに赤が広がっていく。
「しょうがないことだわな」
「そう言い聞かせてやるしかないだろう。こいつらにも、俺たち自身にも」
言いながら、俺は銃を懐へと収める。
峡谷には二つの死体ができあがっていた。
「後始末は任せるぞ」
「あいよ」
「仕方なかったことは一回で十分だ。急げよ」
多くの偶然が奇妙に重なって生まれてしまった事態だ。運が悪かっただけだと言うのは簡単だが、同じことが今一度起こる可能性は少なからずある。
できる限り早く処理して、悪いことなど何一つありはしないのだ。
「あ、そういえばそうさね。これ持っていくといいさね」
証拠となる物品の始末をしようとしたヘスチナはふと俺を顧みた。俺は首だけでヘスチナを見る。
赤毛の若い商人が右手を虚空に掲げると、その上に波紋が生じた。虚空に生まれ景色を歪ませる小さな波紋の下から、薄い長方形の物体がせり出してくる。水面から生えてきたかのような光景だ。
ヘスチナは先端だけを中空に生やした長方形の箱を指先で挟んで引き摺り出し、俺へと差し出してくる。
なんてことはない。取り出し方が物珍しいだけで、出てきたものは見慣れていた。
九ミリの拳銃用実包が詰まった箱だ。まさしく俺の使っている銃に使われている弾丸。
「餞別ってやつよ」
「金にがめついお前が贈り物なんてどういう風の吹き回しだ?」
苦笑交じりに言うと、ヘスチナはどこか芝居っぽく大仰に肩を竦めてみせた。
「皮肉はよしてくれよ。金になりそうなもんこさえてくれたんで、そのお礼さね」
皮肉が利いてるのはどっちなんだか。
ヘスチナは普通に珍品を売る商人の傍ら、武器商も行っている。こいつが商人として最も優れている部分は、その破格の物量だろう。ヘスチナは空間構築魔術に長けており、自身が生み出した異次元の空間に数多くの商品を保有している。
その身一つでどこにでも行けて、どこでも大量の商品を取り扱える。こいつ自身が倉庫であり、商店であり、何より武器庫となるのだ。何よりそれが、こいつに死体の後始末を任せる理由だ。
ヘスチナの空間に隠してしまえば、死体は絶対に見つかることがない。あとは商人として、どこか非合法なところに非人道的な売り方をしていくんだろう。内臓を売るのか、精肉して売るのか、そもそもとして体を売るのかは分かったところではないし、どうでもいい。
最終的になかったことになるのなら、何も問題はない。ないはずだ。
少なくとも、これは侯爵の息女を救うために必要なことであった。効率と理想の最大公約数の近似値だ。
ご丁寧に情報収集をしたところで時間がかかる。ならばめぼしい奴から情報を吐かせた方が早い。勇者一行の一人が拷問を行ったという聞こえの悪い事実をもみ消すなら、当事者を消すより他にない。
俺が勇者一行であることは明かしていないが、どこで正体に気付き、どこで吹聴されるか分かったものではないのだから、殺すのが最も確実だろう。
最終的になかったことになるのだから、何も問題はないはずだ。
しかし、自分に言い聞かせているこの言葉が通るのであれば、最終的に善行に繋がるかもしれないこの行為もまた善行に含まれるのだろうか?
ふと浮かび上がってきた疑問を即座に振り払う。
余計なことは考えない方がいい。少なくとも今はその時ではない。