第三話
「うちの奥さんね、体が弱いのに、僕のために毎朝五時に起きてお弁当を作ってくれるんだよね。それがありがたくてありがたくて、食べる度に感謝が口からこぼれちゃうんだ」
『ジーザス! 神様! あなた、私を殺す気ですか?! なんて超ド級の萌えをこんなところに忍ばせているんですか?! 罠ですか?! 罠ですよね?! 不意打ちドッキリですよね?!』
超高純度の、いや最高級純度の萌えがそこにあった。
まさか、こんな王者級の萌えを私が見落としてしまうなんて……。
きっと私もまだまだということだろう。
「素敵ですね」
「本当に、僕には過ぎた奥さんで、感謝しかないよ」
『素敵なのはあなたです!』
「よかったらお昼一緒に食べない? あぁ、こんなおじいちゃんと食べても美味しくないよね? ごめんね」
「いいえ、是非!」
是非なんて言葉が返ってくるとは思っていなかったのか、遠野さんは一瞬呆気に取られたような顔をしたけど、すぐに嬉しそうに笑った。
『その目尻のカラスの足跡ぉぉ! いい! 凄くいい! エモいです! 最高のエモさです!』
自分のデスクから椅子を運んできて、遠野さんのデスクで一緒に食べたお昼はこの上なく美味しく、心がホカホカしていた。
余程奥さんを愛しているのか、愛妻弁当を嬉しそうに見せてきては、奥さん自慢を続ける遠野さん。
人の惚気話なんてあまり好きではないのだけれど、遠野さんのそれは不快さを感じず、むしろ心がほっこりしてくる。
『新種の萌えやぁぁ! 癒し系やぁぁ! いいっすわー、本気でいいっす! 染み渡りますよ、遠野さん!』
見た目的には映え要素が一つもない、ぶっちゃけ地味なお弁当なのだけど、遠野さんの話を聞いているとキラキラ弁当に見えてくるから不思議だ。
「このアサリのしぐれ煮なんてね、本当に絶品なんだよ。冷めてもふっくらしてて、これだけでご飯が何杯でも食べられちゃうくらい美味しくてね」
お弁当の片隅に、アルミカップに入ったアサリが見える。
「美味しそうですねー」
「そうでしょ? よかったら食べてみる? 僕、まだ箸つけてないし」
そっと差し出されたお弁当箱の中からアサリを指でつまんでいただいた。
甘辛く煮てあるアサリは、どこか懐かしさすら感じる優しい味わいで、遠野さんが言っていた通り、冷めていても柔らかく、非常に美味しい。
期待の眼差しでこちらを見ている遠野さんがまた可愛いのなんの!
「凄く美味しいです」
そう言うと、遠野さんはパァッと瞳を輝かせ、小さく頷きながら嬉しそうに笑った。
『いいっす、遠野さん! ノスタルジック萌えですよ!』
もう脳内は一人お祭り状態であり、自分でも制御しきれないところまできている。
「よかったよ、奥さんも喜ぶよ、牧野さんみたいな若い子にそう言ってもらえたって知ったら」
遅ればせながら、私、『牧野 香奈』と申します。
年は今年で二十六で、遠野さんが言うようには決して若いとは言えなくなってきている年齢に差し掛かっています。
「奥さんに伝えてもいいかな?」
なんだろうか……遠野さんの頭と尻にちょっと老犬チックな犬耳と尻尾が見える。
その尻尾がゆさゆさと振られている幻覚が見えている。
『これが世にいう萌えの過剰摂取による「萌えハイ」というものなのか?!』
※ そんな言葉はない!
「はい、美味しかったですとお伝えください」
そう告げた瞬間、幻覚であるはずの尻尾が一瞬だけピンッとし、その後さっきより少し激しめに振られ始めたのが見えた。
その後も遠野さんの奥さん自慢は続き、惚気まくる遠野さんから最高級純度の癒し系萌えをたっぷりといただき、お腹も満たされ、入社以来これほどまでに満たされたお昼休みはなかったと断言できるほどの至福時間を過ごした私。
きっと今の私は、さっきまでとは違って、肌ツヤすらピッカピカになっていることだろう。
ほら、人間って幸せだと全部のコンディションが爆上がりするでしょ?
乙女が恋をして、彼氏ができると綺麗になるのと同じで、幸せオーラって人を引き上げてくれるでしょ?
今の私がまさにそれですよ。
「またご一緒させていただいてもいいですか?」
「もちろんだよ! こんなおじいちゃんでよければいつだって大歓迎だよ!」
『明日も明後日も、できれば退職のその日までご一緒させていただく所存でございます!』
心の中で盛大なガッツポーズを決めた私はなにも間違っていない。
あの癒し系萌えもあと一年の命なのだと思うと(死ぬわけじゃないのにその言い方! やめなさい!)非常に悲しいけど、知らずに見落としているより断然いい。
これからは見落としていた分もしっかり間近で最高級純度の萌えを浴びられるのだ。
これはますます会社にくるのが楽しみというものだ。
そんな私の幸せオーラを打ち消すかのごとく、母からメッセージが届いた。
【親戚の由美ちゃんが結婚するんだって】
この一言で後に続く言葉は察しがついた。
母は思考が古く凝り固まったタイプの人間で、今どき珍しい「女は二十五までに結婚すべし!」を主張する人間である。
由美ちゃんというのは今年二十三歳の母方の親戚で、お正月に何度か会ったことはあるけど大して仲良くもない相手である。
確か去年大学を卒業し、大手企業の受付嬢として入社を果たしていたはずなのだが。
母から続々と届いてくるメッセージで、受付嬢をしていた由美ちゃんを見初めた他社営業マンに猛アタックされ、交際し、妊娠したため結婚することになったのだと知るも、私にとってはどうでもいい情報である。
人の幸せは確かにおめでたいことだと思うし、それが友人であったならこっちも大騒ぎするくらい一緒に喜ぶのだけど、顔を知ってるだけ程度の親戚のそれはどうもテンションが上がらない。
あー、よかったねー、おめでとー、と棒読みで述べるレベルでどうでもいい。
冷たい人間だと思われるかもしれないが、これには理由がある。
それは偏に母だ。
親戚や知人の子、近所の誰かが結婚する度にわざわざ私に伝えてきては、その後ネチネチと嫌味を言い、結婚しない私を攻撃してくる母。
そんなことを続けられれば、母から聞かされるおめでたい報告でなんて一ミリも心が動かなくなる。
むしろ、その後のネチネチ攻撃を考えると気持ちが萎えて重くなる。
私をこんなふうにしたのは母だ、絶対。
私は悪くない、絶対。




