第二話
デスクに到着すると、隣の席の先輩にあたる鈴木さんが挨拶をしてきた。
「おはよう」
「おはようございます、鈴木さん」
鈴木さんはおっさんと呼ぶにはまだ少し青い男性で、現在三十二歳。
ラノベの世界では十分おっさんと呼ばれるお年頃だけど、私からしたらまだまだひよっこだ。
本人は「俺なんかもうおっさんだよ」なんてこぼしているが、おっさん特有のあの、なんといえばいいか表現が難しいあのオーラが不足している。
だから本人がおっさんだと言っていようが、私からすれば彼はまだおっさんではない。
だけど鈴木さんはおっさんに片足は確実に突っ込んでいるため、結構純度の高い萌えを醸し出してくれる貴重な存在でもある。
仕事はできて、真面目で、人当たりもよく、人が嫌がる仕事でも笑顔で引き受けるという、社員の鏡のような人間だけど、それでいて結構うっかり屋というか天然でもあり、眠気には勝てないという、赤ちゃんのような弱点も持っている。
身長が低く、モテる要素が少ないのか、未だに独身だし、ここ数年に至っては彼女すらできないという不遇の中にいるようだが、そんなことは私には関係がないことだし、そこに萌えを感じるわけではないためどうでもいい。
パリッとしたスーツを着こなし、髪も完璧に整えてきたつもりなのだろうが、私は見落とさない。
「後頭部跳ねてますよ?」
「え? 嘘! どこ?」
彼の詰めは甘いのだ。
そこが萌えポイントでもある。
後頭部のど真ん中にこれでもかと癖を付けながらも堂々と跳ねている一束の髪の毛。
それに気づかないというポイントも高評価だし、指摘されて慌てふためく姿もまた、天然物で申し分ない。
大の大人がこんなにワタワタと慌てふためく姿なんてとてつもなく貴重だし、これを可愛いと言わずしてなんと言おうか!
『クッソー! なんだよその小動物みたいな動きは! 後ろ振り返っても見えるわけないじゃん! どんだけ慌ててるんだよ! 可愛いなぁ』
そんなことを考えながらも、どこが跳ねているのかを教えてあげると、鈴木さんは私をまるで命の恩人でも見るような、喜びに満ちた眼差しを向けてきた。
その目がまた可愛いこと!
「ありがとう! どのくらい跳ねてるかな? 水つけたら直りそう?」
「水では難しいかもしれないですね。でも、ワックスか何かを使っているなら、水で濡らしてその成分が少し溶けたら、もしかしたら直るかも」
「そうか、そうだね! ありがとう! ちょっと行ってくる!」
『お前は女子か?! いや、女子より女子っぽいぞ、その反応! 萌えます! 十分萌えます!』
小走りで走っていく鈴木さんの背中を見つめながらそんな思考をしている私。
もしこの場に人の思考が読めるサイコメトラー的な人物がいたら、きっと奇妙な目でこちらを見てくるだろうけど、そんな人間は多分実在しないため、思う存分叫ぶ。
人の頭の中なんて、表情と一致しないことなんてざらにあるだろうし、これくらいで驚かれるのは遺憾ではあるけど、人に知られたいとも全く思わない。
本日は朝から二度も萌えが吸収できた私は、モチベーションが上がっていて、仕事の効率も上がっている。
いつもはちょっと苦痛すら感じる文字入力も、今日はサクサク楽しくこなせている。
それもこれも萌えを吸収できたからで、改めて萌えのパワーを実感している。
『ありがとう、萌えよ! 私は今日も頑張れます!』
ふと鈴木さんに目をやると、ちょうど席を立つ瞬間で、その後ろ姿を見た瞬間、思わず突っ伏しそうになった。
『ちょっ! ちょっと待って! 何それ、反則技?!』
濃いめのグレーのスラックスに入りきれなかったのか、入れ忘れなのか(恐らく後者)、チョロっとはみ出たワイシャツの端っこ。
凡人ならそれを「だらしがない」と言うのだろうけど、私からしたらそれすらも「萌え」でしかない。
髪の毛が跳ねていることですらあれだけの反応を示してくれるのだから、はみ出たワイシャツの存在を知ったら、どんな反応が返ってくるのだろう?
それを想像するだけでもテンションが上がる。
戻ってきた鈴木さんにそっと近づいて、ワイシャツがはみ出ている件を伝えると、鈴木さんの顔は一気に赤く染った。
『乙女か?! 乙女ですか?! なにその真っ赤に熟れたトマトみたいな赤面! 可愛すぎん?! ねぇ、可愛すぎんか、君!』
急いでワイシャツをスラックスの中に入れると、何事もなかったような涼しい顔をしてパソコンに向かったものの、私は見逃しはしない。
『え? 耳まで真っ赤なの?! いい仕事してくれるじゃん、鈴木さん! 鈴木さん史上過去一ポイントの高い可愛さですよ! 素晴らしい! 実に素晴らしい! 素晴らしすぎです!』
鈴木さんの素晴らしすぎる職人芸ともいえるその姿に拍手喝采を送りたいのをじっと我慢していた。
これだけで今日一日元気に乗り切れる。
今日という日がこんなに恵まれた日になるなんて、なんのご褒美なのだろう?
ウキウキしながら迎えたお昼休み。
お昼はいつも近くのコンビニか、オフィス街に昼時になるとやってくる屋台カーで購入し、自分のデスクで食べるのが定番になっている。
うちの課には女性が少なく、特に同年代の女性はおらず、みなさん年上の、御局様と呼ばれてもおかしくないほどのベテランさんばかりなため、滅多にお昼を誘われることはない。
御局様方は既婚者が大半であり、自分達でお弁当を作って持参し、デスクではなく社員食堂でお弁当を広げて食べるのがお好きらしく、この時間帯になると私のいるオフィスは一気に静かになる。
鈴木さんも同僚男性と共にどこかに食べに行ったらしく、今日のお昼は私と、私のデスクから一番離れている席の遠野さんの二人きり。
遠野さんは来年定年を迎える男性社員で、この課では一番の古株である。
哀愁漂うほどよく丸くなりつつある背中の持ち主で、おっさんというよりはおじいちゃんという方がしっくりくるほどだ。
お茶を入れるために遠野さんの席の後ろにあるポットへと近づくと、なにやら小声でブツブツとつぶやいている声が聞こえてきた。
ご飯を食べながら念仏でも唱えているのかと耳をそばだてる。
「……ありがとう……うん、美味しいよ……この人参なんて歯がいらないほど柔らかく煮てあって……ありがたいよ、本当に」
通話をしているのかとこっそり確認してみたけれど、そんな様子はないため、もしかして認知症が勃発してしまったのかと一瞬激しく動揺した。
私に気づいた遠野さんは、恥ずかしそうな上目遣いで「聞こえちゃった?」と言ってきた。
『なんだその反則級の上目遣い! 不覚にもキュンとしたじゃないか!』
こんなところに転がっていた萌え。
神様に激しく感謝した。




