第13話
その日、玄関を開けるとそこには透明エプロン男が立っていた。
思わずドアを閉めたのはいうまでもない。
ドアスコープから見てみると、当然ながらやはりいて、ため息を吐きながらドアを開けた。
「おはよう」
なにが楽しいのか満面の笑みを浮かべているが、こっちは笑顔すら作れない。
笑えねぇ、笑えるわけがねぇ。
なにが嬉しくて別れた元彼に朝から、しかも玄関開けてすぐに遭遇しないといけないのか。
無視して通り過ぎようとしているのに、行く手を阻むように前に回り込む元彼。
「おはよう」
聞こえていないと判断したのかわざわざ挨拶し直している。
睨みつけて無言を貫いていると、透明エプロン男は困ったように頭をかきはじめたのだが、困ってるのも迷惑なのもムカつくのも、負の感情は今この状況においては全部私だけのものな! と思っている私。
「挨拶くらいしてくれたっていいだろ?」
「ストーカーで警察に突き出されたい?」
「ストーカーって」
「家の前で待ち伏せしてる行為がストーカーじゃなきゃなんなの?」
「……ごめん」
ごめんで済むなら警察はいらん!
「言っとくけど、家の前じゃないなら別のとこで待ち伏せすりゃいいとか考えてるなら、それも間違いだから。どこであろうと待ち伏せしてる時点でストーカーだから」
「そんな……じゃあ、俺、どうやってお前に会えばいいんだよ」
「会う必要ないでしょ、別れてるんだし、やり直すこともないんだから」
「そんな! そんなこと言わないでくれよ! チャンスをくれないか? 頼むよ!」
復縁したくて割烹着を持ってくるようなやつになぜチャンスを与えなければならないのか?
目の前にいる現時点で通報しないだけマシだと思って欲しいくらいだ。
私の優しさを女神級だと褒め讃えてくれても構わない(言い過ぎ)。
「俺だって反省したんだ。いきなり割烹着は素人にはレベルが高かったのかな? ってさ」
そういう問題じゃない!
割烹着だろうがなんだろうが、そもそも裸で身につけること自体おかしいんだとなぜ理解しない!
「だからさ、これ」
なにやらまた紙袋を突き出してきたけど、受け取る気なんてサラサラない。
「いらない」
「そんなこと言わないでさ、とりあえず見てみてよ」
見たって絶対ろくなもんじゃない。
「仕事に行くのね、私。暇じゃないんだよ。遅刻したらあんたが代わりに怒られてくれるわけ?」
受け取らずにそう言うと、透明エプロン男はスッと道を開けてくれたけど、紙袋だけは強引に押し付けてきた。
「まずは水着から、な?」
なにが「な?」だ!
プールでもないのに家の中で水着着てるバカがどこにいるよ!
「頭沸きすぎててもう宇宙人にしか見えないわ、あんた」
「え? 水着もダメ?!」
ダメに決まってんだろ!
「お前に似合う水着を厳選したんだけど」
似合えばいいってもんじゃねぇ!
そして、馴れ馴れしくお前呼びすんな!
プールに誘われたついでに水着のプレゼントならありえるが、復縁を希望する相手に自分のフェチのために室内で着てもらう水着を渡すバカがどこにいるよ! あ、目の前にいたな。
渡された紙袋をポイッと通路に放り投げ、さっさと階段を下りた。
「ま、待ってくれよ!」
紙袋を拾って走って追いかけてきた透明エプロン男の手には、私のために選んだという水着がしっかり握られていた。
『それを私に着ろというのかぁぁ!! 百回くらい死んでこい!! バァァァァカ!!』
上半身の布面積がこれでもかというほど少ない黒いビキニをヒラヒラとこちらに見せながら走ってくる透明エプロン男を蹴り飛ばしたい衝動に駆られたが、「私は大人だ!」と自分を律した。
あんなのね、ニップレスに紐が付いただけと変わりないから! もう、むしろ紐だから!
誰が着るよ、あんなもん!
あんなのが似合うってどんな痴女だよ!
あんなのを渡されるのは真っ平ごめんなので、追いつかれないように久々に全力疾走した。
久々だったし、ヒールは低いが一応ハイヒールなので転ぶかと不安もあったが、火事場の馬鹿力なのか転ぶことなく、しかも結構早く走れた。
『え? 私、実はまだまだイケる? イケちゃう?』
電車に乗りこんで少ししたら一気に疲労が襲ってきて、やっぱりもうそんなに若くないんだと悲しくなった。
吊り輪に掴まって立ってるけど、足が地味にプルプルしていて、手を離すと多分崩れ落ちると思う。
こういう時に座らせてもらえたらありがたいけど、私がそんな状況だなんて誰も知らないし、そもそも席を譲ろうなんて人がこの時間帯にいるわけもないので諦めた。
会社に着く頃には足の震えも治まってくれたけど、心はすっかり疲弊しており、早く萌えを吸収したかったのに、今日に限って大村課長とはエレベーター前で出会わずガッカリ。
でもその代わりに、たまにしか遭遇しないレアおっさん、『安村』さんと遭遇した。
安村という苗字しか知らないこのおっさんは、多分社内報(社員向けの冊子)を作る部署に勤務している人だと思うけど、全然詳しくないのでよく知らない。
いつもヨレッとしたくたびれたグレーのスーツを着ていて、てっぺんがかなり薄らしてしまった頭のおっさんで、存在感が薄めなので、エレベーターに一緒に乗っていても気づかれないらしく、見かける度に女子社員に「キャッ!」とか「え? 人いたの?!」なんて言われている。
今日は私と二人きりなので誰も騒がず静かである。
私は安村さんに実はちょっと注目している。
安村さんは地味で目立たない人ではあるけど、一箇所だけ注目すべきポイントがある。
それはネクタイ。
くたびれたグレーのスーツにも関わらず、ネクタイにはこだわりがあるのか、逆にこだわりがなさすぎてなんでもいいのか、その辺は定かではないのだが、毎回見かける度に超個性的なネクタイをつけているのだ。
一番最初に見た時は黒地に黄色い稲妻柄がなんともスーツとミスマッチすぎるネクタイをつけていて、思わず二度見したものだった。
今日のネクタイは、緑の生地に赤いさくらんぼが踊る、見た目的にはクリスマスのようなネクタイである。
せっかくこうして二人きりだから声をかけてみようか……。




