6 ナナの正体
次の日の朝、ロフェス王国からの使者が王城に着いたと連絡を受けた。応接室に案内していると言われたので、私は急いで身支度を整えた。
勤務時間になってもナナは現れず、お別れができない覚悟をして応接室へと急いだ。
誰かが相手をしてくれているかと思ったが、部屋には使者と兵士しかいなかった。
「お待たせして申し訳ございません!」
「とんでもない。ダリア王女ですね。はじめまして」
待っていたのは黒いロングコートにフードを目深にかぶった人で、ほとんど顔が見えないが、体形と声から察するに男性だと思われる。
彼が座っているソファの周りには屈強な兵士が五人も立っているから、位の高い人なのだとわかった。
ロフェス王国の貴族に詳しくない私には、たとえ顔が見えたとしても、それくらいしかわからない。
「はじめまして。私がダリアです。遠路はるばるお越しいただきありがとうございます」
深々と頭を下げたあと、相手からの反応を待たずに問いかける。
「あの、事情はお聞きになられましたか?」
「もちろんですよ。大変でしたね」
扉の前に立ったままの私の所まで歩いてくると、男性はフードを脱いだ。
その瞬間、私は声にならない声をあげた。
シルバーブロンドの髪に赤色の瞳を持つ彼は、驚くほど整った顔立ちをしていた。
彼は温和そうな優しい表情で、動きを止めた私を見つめる。
「えっと。僕の顔、好みだったりするのかな?」
「え? あ、ごめんなさい」
失礼な態度を取ってしまったことを謝ると、使者は慌てた顔になる。
「謝ってほしいわけではなくて、気に入ってもらえたら嬉しいなって思っただけなんだよ」
「気に入る?」
いきなり馴れ馴れしくなった気がするんだけど、もしかして私が相手だから、敬語なんて使わなくても良いと思ったのかしら。
「うん。だって、結婚するんだから外見を気に入ってもらえたほうが良いだろう?」
「結婚?」
なんの話をしているのかしら。私はイディス様の元に嫁ぐのであって、使者と結婚するわけじゃないのだけど?
困惑していると兵士が彼の元に近寄り、呆れた顔になって言った。
「まだあなたは名乗っておられませんよ」
「あ! そうだった。でも、ナナから聞いてるんじゃないのかな」
「ナナ? 彼女をご存じなのですか」
ナナの名前が出たので食いつくと、使者は苦笑する。
「知り合いというか、ナナは父上が堂々と送りこんだスパイだからね」
「ち、父上? スパイ?」
私が聞き返すと、彼は柔らかな笑みを浮かべて一礼する。
「はじめまして。僕の名前はイディス・トールン。僕の花嫁を迎えにやってまいりました」
「……はい?」
ちょ、ちょっと待って。どういうこと?
目の前で満面の笑みを浮かべている、自称王子に尋ねる。
「か、からかっていますよね?」
「どうしてそう思うの?」
「だ、だってイディス様は」
『怪物王子』だと言いかけて言葉を止めた。
噂で判断するなんて失礼なことだわ。かといって、彼が本物かどうかはまだわからない。
彼の姿を見たことがないんだから、どうやって判断したらいいの!?
「ああ、そっか。僕は怪物王子って言われているから信じられないってところかな。もしくは、王子自らこんな所に来るわけがないと思っているとか?」
「は、はい。ユーザス王国とロフェス王国は船を使えばそう遠くはありませんが、海賊が多くいる海を渡らねばなりません。そんな危険なことをするだなんて……」
両国を隔てている海は比較的穏やかだし、岩礁があるわけでもない。半日あれば来れる航路ではあるけれど、本人がやって来るとは思ってもいなかった。
「妻になる人を迎えに来たっておかしくないと思うんだけどな。それに花嫁になるはずだった人も見ておきたかったんだ」
やっぱり、お姉様に会いたかったのね。
「色々と調べたいことがあって、実は昨日から港近くの宿屋に滞在していたんだよ」
「……昨日?」
「うん。王太子殿下には許可をもらってるよ」
「……お兄様にでしょうか?」
どういうことなの? お兄様とロフェス王国の王家は繋がっているの?
「僕が来ていることは知らないけれど、君を迎えに来た人がいることは伝えているんだ」
「あの、念のために兄に確認を入れても良いでしょうか」
「かまわないけど、君がリックス殿下の所へ行ったらまずいだろうから、僕からお願いしよう。ナナを呼んでくれるかな」
「……ナナを?」
そういえばさっき、ナナのことをスパイだと言っていたわよね。さっきはまだ来ていなかったけれど、ナナは出勤してきたかしら。
困惑したまま、ナナが来ているか確認するために扉を開くと、廊下に白いシャツの胸元に少し大き目の黒いリボン、黒のロングスカート姿のナナが立っていた。
「ナナ! 良かった。もう会えないのかと不安になっていたのよ」
「申し訳ございません。思った以上に準備に時間がかかってしまいました」
「間に合ったのだから気にしなくていいわ。あなたに話があるから、中に入ってくれない?」
「承知いたしました」
ナナは笑顔で頷くと部屋の中に入り、自称イディス様に話しかける。
「お久しぶりですわね、イディス様。相変わらず無駄に素敵なお顔が拝見できて光栄ですわ」
「久しぶりって……、昨日も会っただろ。あ、顔のことは褒めてくれてありがとう」
……今のって褒めていたの?
目を瞬かせていると、ナナが私にカーテシーをする。
「改めて自己紹介させていただきます。私はナナ・レストリーゼと申します」
「レストリーゼって……」
レストリーゼ公爵家の名は世界中に知れ渡っている。三百年前に起こった世界大戦を終戦させた英雄の末裔だからだ。ロフェス王国の公爵家でありながら、世界的な影響力を持っているとして有名でもある。嫡男がいることは知っていたが、娘がいるなんて知らなかった。
「ナナは後妻の子で昔は一緒に暮らしていたんだけど、血の繋がらない兄にいじめられていたから、王城で育てられることになったんだ」
「そうだったの?」
ナナに目を向けると、彼女は苦笑する。
「ダリア様の境遇に比べたら、私がされたことは可愛いものですし、私は反抗して家から追い出されただけですから、お気になさらず」
「たしか怒って兄の腕をへし折ったから、護衛の素質があるということで引き取られたんだよね」
「違います!」
ナナは自称イディス様の言葉を否定すると、罰が悪そうに私を見て小声で続ける。
「兄の鼻を少々」
え? 鼻?
「鼻を少々……、何かしら」
「潰したといいますか……」
「……お兄様の鼻を折ったの?」
「そうです! 死ねだのなんだの暴言を吐かれまして、当時7歳だった私は感情のコントロールができず……」
最後のほうは聞き取れないくらいに声が小さくなり、ナナはしょぼんと肩を落とした。
「子供の時のことでしょう? 大事には至らなかったようだし、反省しているのなら良いと思うわ」
「ありがとうございます」
私がフォローを入れると、ナナは微笑んでくれた。
「で、ナナ。僕がイディスだということを証明してもらえないかな。あと、リックス殿下を呼んできてほしいんだけど」
「イディス殿下の件については、私の言葉を信じていただけることが前提になりますが、ダリア様は信じてくださいますか?」
ナナに問われ、私は兵士たちに目を向けた。兵士たちは嘘ではないと言わんばかりに、真剣な表情で私を見つめている。
こんな大掛かりな嘘をつくとは思えない。それに私はナナを信じたい。
「信じるわ」
頷くと、ナナは私の目の前にいる人は本物のイディス様だと教えてくれた。
「幼い頃から本当の妹のように可愛がってもらいました。とてもお優しい方ですよ」
「わかったわ」
「イディス様、身分を証明できるものはお持ちではないのですか?」
「身分証はないけど、これなら持ってる。渡そうと思っても、早くダリア王女を連れて帰れって言われたんだ」
ナナに問われたイディス様が私に差し出したのは、ロフェス王国の国璽が押された封筒だった。
私が嫁に行くだけだからと、ぞんざいな扱いをしたんだわ。本当に信じられない!