18 元婚約者の企み ②
立ち話でする内容でもないと考えた私たちは談話室で話をすることにした。
部屋の正面には暖炉があり、その近くには王妃陛下の好みだという赤と黒のチェック柄のソファが二つあり、片方に並んで座る。
お茶を淹れてくれたメイドが出ていくと、早速、イディス様は話し始める。
「確認するけれど、彼が君を裏切ったあとの一通目の手紙には君を突き放すようなことが書いてあったんだよね」
「……はい。あまりにもショックな内容だったので流し読みになってしまいましたけど」
「それは布石だったんじゃないかな」
「布石?」
意味がまったくわからない。答えを求めてイディス様を見つめる。
「だと思うんだ。君はラムラ王女から、彼からの二通目の手紙を受け取ったんだよね」
「はい」
頷いてから布石とは関係ないけれど、あることに気づく。
「もしかして、ロインはお姉様が私に毒物を渡したということにしたかったんですか?」
驚いて尋ねると、イディス様は頷く。
「そうなんじゃないかな。君がラムラ王女から受け取ったものを飲んで倒れたら、封筒を渡した彼女を疑うよね」
そういえば、手紙は廃棄するようにと書いてあった。人を死に追いやるようなことが書かれているものが残っていてはいけないという意味合いだと思っていたけど、それだけじゃなかったのね。
「ですが、そんな怪しいものを私が飲むでしょうか」
「だから布石だと言ったんだ。一通目の手紙で君を追い詰め、二通目の手紙で決断させるつもりだった」
そうだわ。あの時の私は精神的に追い詰められていた。イディス様が私を認めてくれるかわからないという不安もあって死を選んでも良い気がしていた。
ロインは私の性格を知っているから、そうやって追い詰めようとしたのね。
「君が生きていてくれて嬉しいよ」
私が俯いたからか、気にかけてくれたイディス様の優しい声と言葉が胸に染み渡る。
今までのことが頭の中を駆け巡った。
泣くつもりはないのに、また涙が溢れ出す。
本当に私は泣き虫だ。
何回泣けば、あの辛かった日々に気持ちの整理がついて、前を向けるんだろう。
「ごめん。泣かせるつもりはなかったんだ」
私は慌てて涙を拭って、あたふたするイディス様に笑いかける。
「イディス様は何も悪くありません。イディス様の言葉は本当に嬉しいんです」
ロインは私を守ると言ってくれていた。そんな人から死をすすめられたことは、自分が思っていた以上に深い傷だったんだわ。
「それなら良いけど、僕も君の変化に気づくように心がけるけれど、これから辛いことがあったら一人で抱え込まずに相談してほしい」
「ありがとうございます。あの時は、本当に死んでも良いかもって思っていました。あの時の私にも、私のことを心配してくれる人たちがいたのに……」
今思うと、馬鹿なことをしようとしていたと反省している。
「謝らなくていいよ。精神的に参っている時って正常な時にできる判断ができなくなるよね」
「……イディス様もそんな時があるのですか?」
「僕はないけど、友人がね」
イディス様は目を伏せて答えた。
彼とは会って二日目だ。でも、そうとは思えないほど、人には話しづらいことを話した。だからか、彼は何らかの形で心に傷を負って、それが癒えていないのだと感じた。
予想でしかないけれど、もしかして、私に生きろと言っていたのは――。
詳しいことを知らない私が何か言っても良いことではないわよね。
だから、私は話題を戻す。
「ロインは、お姉様が私に毒を盛ったことにしようとしたのでしょうか」
「そういうことじゃないかな。彼なりの復讐だったのかもしれないね」
「復讐?」
「やったことを認めるわけじゃないけど、彼は本当に君が好きだったんだと思う」
ロインが私を好き? ありえないわ!
「それは絶対にないと思います」
「そっか。そうだよね。そんなことをしたら君が悲しむことはわかるはずだもんな」
「私のことが好きなのに、お姉様と関係を持つ可能性はあるとイディス様はお考えなのですか?」
「下半身は別物という男はいるんだよ。彼は君がそれを理解してくれると思っていたのかもしれない」
「……そう言われればそうかもしれません」
私がロインを好きなことを彼は気づいていた。だから、私が彼から離れていくなんて思いもしなかったんでしょうね。
下半身は別物ということは、じゃあ、イディス様もお姉様に迫られたら……。
無言でイディス様を見つめると、彼は慌てた様子で首を横に振る。
「僕はそんなことはしないから! ダリアが悲しむようなことはしないよ!」
「ロインも同じことを言っていたんです。イディス様もお姉様の誘惑に負けてしまうのではないかと……」
自分が失礼なことを口にしてしまったことに気づき、慌てて謝る。
「申し訳ございません!」
「そう思ってしまうくらいの経験をしてきたんだから仕方がないよ」
イディス様は私の左頬に優しく触れて続ける。
「自分のことを悪く言っていた女性に落ちるほど馬鹿じゃないよ。それに自分の都合の良いことしか覚えていない人は王妃になる器じゃないだろう?」
「お……う……ひ」
そうだった!
イディス様は王太子。なら、妻になる人は王太子妃。イディス様が即位したら王妃だわ!
こんな大事なことを忘れているなんて馬鹿過ぎる。お姉様のことを言えないわ!
「今までそんなことを考える余裕なんてなかったんだ。逆に今は、それだけ心に余裕ができたってことだよ」
「……ありがとうございます」
会話が途切れた時、伝書鳩が帰ってきたと連絡があった。小さな白い紙には名前は書かれていなかったけれど、お兄様の筆跡で『父と姉は母にかぶせました。例の男には明日、私と彼女が確認を入れます』と書かれていた。
万が一他の人に読まれても良いようにしているのだろうけれど、意味がわかるはずの私にも伝わりにくい文章だと思った。
「これはどういうことなのでしょう?」
「君の父親と姉が全ての罪を母親のせいにしようとしているみたいだね。私はリックス殿下、彼女はナナ、例の男というのは、君の元婚約者だろう」
「お姉様がお母様を犠牲にするだなんて……」
お父様は自分の地位を守りたいから、お母様に罪を被せたのはわかる。でも、お姉様が裏切るなんて!
「ダリアは元婚約者に聞いておきたいことはある? 僕は質問したいことがあるから、リックス殿下に聞いてもらうけど」
「あ、あの、お兄様にお願いしてほしいことがあるんです」
「どんなこと?」
内容を伝えると、イディス様は「それくらいならお安い御用だけど、どうして?」と心配そうな顔で尋ねてきた。
「もし、彼と顔を合わせるようなことがあれば、私には必要ありませんと伝えたいんです」
「わかった」
イディス様は頷くと、メイドに紙とペンを持ってこさせたのだった。




