16 元婚約者を忘れられない公爵令息 ②
イディス様に対して失礼だわ。
そう思った私が、イディス様の横に立ってロインを窘めようとすると、その前にイディス様がロインに尋ねる。
「君も僕のことを醜い容姿だと思い込んでいたのかな」
「い、いえ。失礼いたしました。ゼラス公爵家のロインと申します。先ほどの無礼をお許しください」
他国の王太子殿下相手に取る態度ではなかったとさすがに気がついたのか、ロインは深々と頭を下げた。
「許してもいけど、そのかわりダリアに近づかないでほしいんだけど」
「イディス殿下、どうしてもダリア王女に伝えたいことがあるのです。二人で話をする機会を与えていただけませんか」
「二人でっていうのは却下だけど、ダリア、どうしたい?」
イディス様に尋ねられた私はロインに目を向けた。彼は懇願するような顔で私を見つめている。
事情があるとか言っていたけれど、この人は私に死の段取りをしようとした人だ。そんな人の事情なんて、私が気にしてあげなくても良いわよね。
今までロインの存在に助けられていたことは確かだ。でも、どうして死んでいないのか責められたくもない。
私は大きく深呼吸して答える。
「ここでさよならの挨拶をするだけで十分です」
「ダリア!」
「彼女に触れるな」
イディス様は私に伸ばしてきたロインの手を払うと、冷たい声で続ける。
「ダリアはもう君の婚約者じゃない。婚約者を奪われた君には同情するけれど、ラムラ王女が海賊に襲われたのは僕のせいじゃないし、ダリアを差し出したのはユーザス王国の王家だよ。ダリアは君が責めるべき対象じゃない。彼女も被害者だということを忘れないでほしい」
「それはわかっています! だからこそ、こんな形で別れるなんて嫌なんです!」
私に酷い言葉を吐いておいて、よく言えたものだわ。今頃になって悪いと感じて謝ろうとしているの?
もう、私はロインのことは、どうだっていいのに。
「ロイン、私のことは忘れてちょうだい。あなたにはあなたに似合う素敵な女性がいるわ」
「なんだよそれ! ラムラ様がそうだって言うのか!?」
「そこまで言っていないわ。だけど、あなたとお姉様はお似合いだと思う」
王女と関係を持ったのよ。それくらいの覚悟でやったんでしょう?
口に出して聞きたい気持ちは山々だけれどやめておいた。
「俺が守るって約束したのに、信じてくれないのか!」
「何を信じろって言うの!? あなたは私を裏切ったのよ!」
「ダリア、落ち着いて」
カッとなってしまった私の背中を、イディス様は優しく撫でてくれる。興奮して荒くなっていた呼吸が少しずつ落ち着いていく。
「……ありがとうございます」
「お礼を言われるようなことはしてないよ」
イディス様は笑顔で私の頭を撫でると、お兄様に話しかける。
「このままではいつまでたってもこの城から出られません。申し訳ないのですが、あなたのほうからゼラス公爵令息から詳しい話を聞いてもらえませんか」
「承知いたしました。わが国の民がご迷惑をおかけして申し訳ございません」
お兄様が頭を下げると、ロインは苦虫を噛み潰したような顔になった。
自分のせいで王太子が頭を下げないといけないなんて、あってはならないことだもの。
「さあ、行こうかダリア」
「はい!」
明るい声で返事をしたあと、お兄様に駆け寄る。
「お兄様、本当にありがとうございました。これから大変かと思いますが、私にできることがあれば連絡してください」
「ありがとう。だが、ダリアはしばらくは自分の幸せだけを考えていればいい」
「そうだよ。リックス殿下なら上手くやってくれるはずだし、僕もできるだけ協力するから」
「「ありがとうございます」」
お兄様と私は揃ってイディス様に一礼した。頭を上げたお兄様は私の頭を撫でる。
「元気でな。次に会うのは結婚式になるだろう」
「はい。お兄様もお元気で。ロインの件もよろしくお願いいたします」
「ああ、任せておけ」
お兄様ならきっと上手くやってくれるはず。あと、私が気がかりなのは――。
少し離れた場所に立っているナナに目を向けると、イディス様が口元に笑みを浮かべて口を開く。
「リックス殿下、申し訳ございませんが、あと数日だけナナを置いてもらえませんか」
「えっ!?」
声を上げたのはナナだった。そんな彼女の様子は気にせずにイディス様は続ける。
「メイド仲間に別れの挨拶もできていないようですので……」
「かまいませんよ」
「で、殿下!? 何をおっしゃっているんですか!」
「僕もリックス王子も殿下だけどどっち?」
「ど、どっちもです!」
焦っているナナをイディス様は笑顔で、お兄様は不思議そうな顔で見つめている。
思いを伝えなかったとしても、ナナが納得できる別れにしてほしかった。それはきっと、イディス様も同じ気持ちなんでしょう。
その後、私は良くしてくれたメイドたちに今までお世話になったお礼を述べ、今度こそ迎えの馬車に乗り込んだ。
「ダリア! 本当にいいのかよ!?」
ロインの声が聞こえてきたけれど、相手にはしなかった。それでも、ロインは訴え続ける。
「俺はダリアが好きなんだよ! お前のことを考えてやったことだ!」
考えてやったこと?
毒を渡すことが?
「大丈夫?」
俯いて唇を噛みしめていたからか、イディス様に顔を覗き込まれた。
そうよ。 ロインの愛はもう、私には必要ない。
「大丈夫です」
顔を上げて答えると、イディス様は安堵したような顔になった。
さあ、気持ちを切り替えなくちゃ。
ロフェス王国にはまだ一度も足を踏み入れたことがない。
どんな国なのかしら。
残してきたナナのことも気になる。
でも今は、船酔いしないようにはどうすれば良いか考えることにした。




