可愛い幼馴染とかファンタジー
その日から学校生活が少しだけ変わった。
どこが、と聞かれればただ一か所だけ。
昼休み、昼食の時間に、僕はぐるみの席に椅子を寄せて四人一緒に弁当をつつく。多くは変わっていないけれど、その時間だけはたぶん学校の誰よりも贅沢なものだ。
「今更、ほんとーに今更なんだけど、姉弟なんだね」
「だからそー言ってんだろ。なんなんマジで」
「いやほら、らしいとこ見たことないから。おべんと同じなの見ると、さすがにね」
「何回か話したことくらいあんだろ」
「そりゃそうだけど。いちいち人のおべんとの中身見ないって」
言われて机の上に視線を落とせば、所狭しと並ぶ弁当が四つ。僕とあやのそれは入れる弁当箱と中身それぞれの量こそ違えど、その内容は寸分違わず同じだ。
白米、ウインナー、卵焼き、いんげんの胡麻和え、ミニトマトにデザートのバナナ。
卵焼きを大きく頬張ったあやは、むぐむぐと頬を膨らませてご満悦だ。
そんな小動物的な姿に「かわいー」と盛り上がるのは漫画の中だけ。黒瀬さんがあやと知り合ってしばらくの頃はそんなこともあったかもしれないけど、今やそれも日常の一幕に過ぎない。
何より僕からすれば、他の二人が負けないくらい可愛いっていうんだから。小さなカップグラタンをプラスチックスプーンで食べるぐるみが、「食べる?」と首を傾げた。
「や、大丈夫」
「そぉ? おいしいのに」
「大体そんなちっさい弁当のちっさいおかず、もらったらもうないじゃない」
「そしたら、りょーちゃんからもらうよ。……卵焼きとか?」
「欲しいんじゃん」
「そ……んなこと、ないよ?」
目を逸らすぐるみ。説得力に欠ける。彼女は卵焼きが好きで、ウチの味付けも言うなれば昔から食べ慣れた日常の味。
ほら、と一切れその弁当箱に入れてやれば、「ありがとぉ」と頬を綻ばせる。最近はなかったこんなことも、自分でも驚くくらいに自然にできた。幼馴染というのは偉大だ。
代わりの何かをもらってない、なんてことは別に気にすることじゃない。子どもの頃はそうだった。そう思ってたら、「はい」と僕の弁当箱に入れられた小さなメンチカツ。
「……大人になったなぁ」
「えぇ、ハードル低すぎぃ」
そんなことを、ぐるみも覚えていたらしい。僕の発言の意図を即座に理解して、笑いながら返してくれる。……幼馴染というのは偉大だ。
卵焼きをかじってご満悦のぐるみ。誰にでも優しい彼女は、両親からこれでもかというくらいの愛情を受けて育って、それを周りに振りまくような子になった。両親を亡くした僕にも、随分長いこと寄り添ってくれた。それこそ義姉となったあやと同じくらいに。
僕はまだ彼女たちのその優しさに応えられていない。きっと「気にすんな」「気にしないで」と笑うだろうけど、それじゃあいけないことくらいさすがの僕にも理解はできる。
これまで「疎遠になったから」と遠ざけていたことも、今なら。
ぐるみにもらったメンチカツを一口に頬張り、「おいしい」と笑ってみる。「そっかぁ」と嬉しそうな彼女の笑顔に、何となく気持ちが癒される。
彼女の家の料理も、同じく僕とあやにとって日常の味だった。何しろ綾瀬家と衣縫家は隣家で、幼い頃はむしろあやとぐるみの間に僕が入る形だったから。
「……私の知らない歴史が見える」
そんな風に思い出に浸っていると、隣の黒瀬さんからぽつりと一言。
「ウチは知ってる」
「わかっとるわ。疎外感だ。なんとかしてくれ」
「久々なんだからいいだろ別に。ぬいが拗ねるぞ」
「それは困る」
「拗ねないよぉ」
これはよくなかった。この場の立役者でもある黒瀬さんを蔑ろにしたんじゃ、コミュニケーションの練習どころの話じゃない。
「そういえば黒瀬さんは前の学校の友達とか?」
「まー、連絡取ったり取らなかったり? 遊びには行かないし、来ないな」
「さすがだぜ、デリカシーが足りねー」
「そこまででもないね? 弟に厳しいのは愛情の裏返しか?」
「張っ倒すぞ」
言った後にデリカシーが足りないかなと思った僕は、何も言えず黙り込んでしまう。やはり姉弟、似た者同士ということなんだろうか。
とはいえさすがの親友同士、それだって軽妙なトークのほんの一端だ。僕とは積み重ねたものが違う。
三人の基本スタイル。黒瀬さんとあやが軽やかに話して、ぐるみは笑いながらそれを聞く。たまにぐるみに話が向かうと、途端に空気が和らいで箸とか作業が進む。そこに「途切れた」なんて感覚はなくて、だから三人揃ってこその彼女たち、という前提は崩れない。
もちろんあやとぐるみ、ぐるみと黒瀬さんっていう組み合わせも珍しいものじゃない。むしろその方がよく見かけるくらいだ。
それぞれに空気が違って、人と人との関係ってそういうものだよなぁとしみじみと思うのだ。
「だから黙んなっつーの。混ざれよ練習だろーが」
「いや、いきなりはちょっと」
「ちょっとくらい変なこと言っても怒らないよ? あーや以外」
「ウチを何だと思ってんだ」
「怒ってるのもただのポーズだしねぇ」
「ウチを何だと思ってんだ」
ぶっきらぼうだけど情が深い我が義姉は、いじられることが大層不服なようだ。何しろ僕がこうして「外」に意識を向けたのがずいぶん久しぶりだから、ちょっとばかり姿勢が前のめりなのは僕からも見て取れる。
いや、本来前のめりになるべきなのは僕、というのはわかってる。
「私から言い出したことだけどさ、そもそもこれってカフェ関係あるの? 別に静かなマスターとか店員とか、むしろありだと思うけど」
「そりゃーお前、こいつの……あー、まー、目指すとこと違うってことだよ」
「あーね。憩いの場、みたいなカフェか」
「そうだね。お母さん……実母の方のやってた頃のセルジュがそんな感じで」
「言うんかよ」
別に隠してるつもりもないし。ただ単純に場が重くなりがちな話題だから避けてたってだけで、そうでもないなら気にすることじゃない。
「今はほんとおしゃれなカフェって感じだもんね」
「人気だったんだよぉ、紡季さん。美人で、明るくて、優しくて」
「つむぎさん……響きがもう美人」
「というか今の母さんと似てるよ。アクティブにした感じ」
「あー、なるほど」
あれからもう六年。色々と忘れることも多いけれど、セルジュで過ごした温かな時間だけは決して忘れることはない。
あの頃のセルジュは、地域住民の――常連たちの憩いの場だった。コーヒー一杯で何時間も居座り、夕食の時間になるとみんながそのまま食事をとり始めるんだ。一通り食事が出回ると、カウンターの隅からギターを取り出したお母さんが、ちょっと古いポップミュージックの弾き語りを始める。
人気メニューは「ハヤシライス」。コーヒーの香りなんか全然しなくなるくらいに、店内はその香りでいっぱいになる。喫茶店なんだか洋食屋なんだか、なんて笑う常連さんも多かった。
食器の音、話し声に笑い声、お母さんのギターと歌声。賑やかな店内の片隅で、僕はお母さんの隣でやっぱりハヤシライスを頬張りながらそれを聴いていた。
多くのメニューは店の戸棚にレシピが残っていて、今のセルジュのほとんどの料理メニューはそれを元に作られている。コーヒーのブレンドも同じだ。
ただ一つ。一つだけ再現できなかったメニューがある。店中ひっくり返して探したけれど、どこにも見つからなかった。
一番の人気メニューで、僕の一番の大好物だったハヤシライス。
あれからもう六年。色々と忘れることも多いけれど、あの味が忘れられない。いつかもう一度――そう思って店長と色々と試行錯誤はしているけれど、どうにも決め手に欠けていた。
当時のセルジュ、そして僕の両親の話で盛り上がる三人。正確に言えば、主にぐるみと黒瀬さん。視線を向ける先、あやだけはうっすらと笑みを浮かべながらそれを眺めていた。
「りょーちゃんもたまに弾いてるよね」
ふとぐるみの視線がこちらに向かう。エアギター、らしき動きをしながらの突然の言葉に、僕は夢から覚めたように居住まいを正した。
「うん、軽くだけど」
「え、ギター? 弾けるの?」
「うん、軽くだけど」
「へー。今度聴かせてもらお。あーやの家に遊びに行けば聴けるってわけだもんね」
そんな大したもんじゃないけれど。
「じゃあわたしも行こっかなぁ。久しぶりにちゃんと聴きたいな」
そんな大したもんじゃないけれど、二人がこうまで言うならやぶさかじゃない。
ちなみに当然ながらあやはそのことを知っている。ギターを弾くのは大抵自宅だし、であれば隣の部屋くらいにはどうしたって響いてしまうから。文句を言われたことはない。疎遠になってからもそうだったのだから、多分僕のギターに否定的な意思は持っていないはずだ。
弾くのはいつも古めのポップミュージック。どうしたって同年代の人たちには伝わりづらいだろうから、今後もこの趣味を表沙汰にすることはないだろうと思っていた。
何となくだけど予感している。「今度聴かせてもらお」という言葉が社交辞令的なモノでなく、ともすれば近いうちに実現しかねないものであることを。
「にしてもさ、私綾人くんのこと本読んでばっかりの子かと思ってたよね」
「間違っちゃねーだろ」
「たしかに」
「認めるなよ。いやでもさ、趣味らしきものを並べてみるとほら、キャンプ? コーヒー? ギター? なにそれおしゃれ」
言われてみればどうしたことか、それだけを聞けばまるでおしゃれな人間かのようだ。
「そこに読書が加わるとなんかさ、それもかえっていいアクセントになってる気がしてくるよね」
「……おぉ~」
感心するぐるみ。君もそんなこと欠片も思っちゃいなかったよね。
そもそも趣味だのファッションだの、それ単体でおしゃれがどうのっていうのも的外れというか、芯を食っていないように感じる。
じゃあ具体的に何なのか、と問われると言葉に詰まってしまうけど。
「でもわたし、セルジュで働いてるりょーちゃん、おしゃれだなぁって思ってたよ」
「ガチ?」
「あーやはセルジュ行かないから。慣れない頃は……色々バタバタしてたけど、今はもうだいぶ余裕だもんねぇ」
「まぁ、毎日みたいに入ってはいるからね」
「りょーがおしゃれねぇ。……なんか笑っちまうんだよなー」
ニコニコと何が楽しいのかあやと僕を見るぐるみに、そんな視線を受けても尚頭に疑問符を浮かべるあや。黒瀬さんはなぜか納得顔でうんうんと頷いている。
けれどあやは、ぐるみの言うことをわざわざ否定したりはしない。二人の付き合いは誰より長く、そこには僕や黒瀬さんでさえ入り込めないほどの圧倒的な積み重ねと信頼感がある。
「っし、ごっそさん」
弁当を真っ先に食べ終えたあやから、まるで図ったように「ごちそうさま」と二人が続く。
いそいそと弁当箱をスクールバッグにしまい込み、それぞれペットボトルの飲み物で一息つくと、何となくまったりとした空気が流れた。
クラスはおよそ半分ほどの生徒が残り、それぞれに思い思いの時間を過ごしている。大人しく雑談をする人もいれば、一人スマホやノート、本と向き合う人も、ゲラゲラと笑いながら騒がしく過ごす人もいる。
僕らが一緒に食事をとり始めた時はちょっと注目されたけど、なんてことはない。ちょっと珍しいってだけで特筆すべきことも何もないんだ。
すっかりいつも通りの教室に、僕もそのまったりとした空気に自然と乗っかることができた。
「そういえばりょーちゃん、せっかくあーやと仲直りしたから、一緒にご飯でもどぉかな?」
「……一緒にご飯なら」
「今、とかじゃないからね? さすがにわかるよね?」
「ごめんなさい」
穏やかな笑顔の奥に不思議な圧を感じる。
「というか別にケンカとかしてねーし」
「はいはい、そうだねぇ」
「……どうなんだよりょー」
「いやまぁ、そういうことなら混ざりたくはあるけど」
「きまりだねぇ。さーちゃんもいい?」
「おっけー。諸々ぐるみに任せちゃっていいの?」
「任せてぇ」
のったりと全員が背もたれに身体を預けたまま、恐ろしいほどあっさりと次のイベントが決まってしまった。
ここまで受け身ばかりで色々とおいしい思いをしていることが情けなくはあるけれど、なんというか、自分からアクションを起こすことに慣れていない。もちろんこのままじゃいけないし、このままでいるつもりもない。
けれど――
「その前に今日、練習見に行っていい?」
「あ? 好きにしろよそんくらい」
「撮影は禁止です」
「りょーちゃんそんなことしないよ」
三者三様、それぞれ反応は違っても一応のところ一様に肯定……らしい。
何となく断られることはないだろうと思ってはいたけれど、やっぱりあっさりと決まってしまう僕にとっての重大イベント。
疎遠になってからもう五年、六年と経っているのに、まだ残っていた信用に頬が緩む。
「あ、女テニ見学でニヤニヤしてる」
「りょーちゃん……」
「りょーお前……」
「ちがうよ?」




