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可愛い義姉とかファンタジー




 その後届いた料理を、僕らはぽつぽつと談笑を交えながらきれいに食べ終えた。僕は宣言通りのハヤシライス、黒瀬さんはビーフシチューとバゲットのセット。千切って浸して、小さな口に放り込んでは口元の緩む彼女の、なんて可愛らしいことか。


 あんな(・・・)話をした後だから、ちょっとした仕草に意識が向かう。意識が向かえば自然、意識してしまう。


 もうその時点で彼女の術中だ。なんて思うものの、そもそも彼女自身手探りの状態。僕に「好きになってもらおう」とも、まして自分が「好きになろう」なんて思ってもないはず。ちょっと意識を向けて、後は自然の流れに任せて心の赴くままに――と、そういう話だと理解した。


 休み時間には背中越しに、放課後の数十秒には金網越しに。僕にとっての彼女は憧れで、遠くて、わからない存在だったのに。


 彼女の言う通り、ちょっと変だ。距離感がおかしい。


 とはいえそんな話題はとうに過ぎ去り、僕らの関係はちょっとだけ前に進んだ。わからないことはまだまだ多いけれど、これから知っていくことなんだからそれでいい。


 ラグーから出てちょっとだけウィンドウショッピングをして、僕らはそのまま葛木町行きの電車に乗り込んだ。


 電車の中の黒瀬さんはそれまで通り明るく話し爽やかに笑い、そして朗らかに聞いてくれた。話題はそりゃあ多くはないけれど、とりあえず共通の知り合いのことでも話していれば間は埋まる。


 見慣れたホームに降り立ち、無駄におしゃれな広場に出て、僕らはそろって町を歩いた。待ち合わせもいいけど、こうして男の子に家まで送ってもらうのも悪くない。笑う黒瀬さんに、僕は何も応えることができなかった。



 今もって現実感の伴わない浮遊感。今の今までの出来事は全部夢だったんじゃないか、なんて思ってしまうくらいに思考が定まらない。


 自分なりに会話が成り立つよう頑張ったけど、変なこと言ってないかな。失礼なことをしてないかな。挙動不審になってやしないかな。キャンプ用品の紹介はうまく伝わったかな。本当に今更な話だけど、黒瀬さんと別れて自宅近くまで戻った辺りで急に気になってきてしまうんだ。


 そんな風に気もそぞろに玄関のドアを開けた僕を出迎えたのは、ちょうどリビングからペットボトル片手に出てきた、少し緩めのジャージを着崩したあやだった。


「よー」

「うん、ただいま」


 あの日から少しだけ、態度に気安さが見え隠れする。「よー」という言葉にこそ変わりはないものの、以前であればこちらをチラッと見てすぐに階段を上がってしまっていたはずだ。足を止め、こちらを見てくれる。それだけのことが、どれだけぶりだろうと懐かしくなってしまうくらいだ。


「ちょい話聞かせろよ」

「え、なんで」

「いいだろ、減るもんでもねーし」


 そのまま僕の返事を待つこともなくリビングへ引き返していくあや。これは僕が部屋に戻っても追いかけて来かねないな。


 仕方ない、と苦笑いをこぼして、僕も靴を脱いでそれに続いた。


 リビングではあやがキッチンからコップを二つ取り出し、テーブルに置くところだった。手元のペットボトルから麦茶を注ぎ席に座ると、向かいに座るよう顎で示した。


 テーブルに肘を突いたままのその仕草。相変わらず態度が悪いけど、これが不思議と気にならないんだよな、あやっていう子は。身もふたもないことを言えば、小柄な体躯と可愛らしい顔が理由で。


「で、どこ行ったん?」

「郡浜」

「わざわざ? なんか買ったん?」


 そんな可愛らしい顔を訝しげに歪めるあやの問いに、僕は少しだけ迷ってしまう。


 黒瀬さんがキャンプに興味があるということを、あやは当然知っていると思っていた。その事実に安堵したりもした。


 けれどこんな風に訊くということは、知らないのかもしれない。であれば黒瀬さんは、おそらくこの町の一番の親友であるあやにさえその事実を話していないということだ。


「んだよ」

「……そこはほら、プライバシーが」

「あぁ?」


 いやわかるよ、そりゃにらみたくもなるだろうさ。でもほら、黒瀬さんが言っていないことを僕が言うのは違うじゃないか。


「……じゃあいいわ。お前、二人で出かけて大丈夫だったん?」

「まぁ、なんとか。男子よりマシかも」

「あー、お前、子どもん時から遊び相手ウチかぬいばっかだもんな」


 そう、現状ほぼほぼぼっちな僕は、子どもの頃から友達が少なかった。たまに誘われて一緒に遊ぶことはあっても、結局二人の下へ戻ってしまう。それが一番気が楽というのが理由……と言いたいところだけど、単純に誰に対しても深く踏み込んでいけなかったというだけの話だ。


 なんとなくの付き合いならできなくもない。でもそればかりをやってきたせいで、誰とも「知り合い以上」になれなかった。田舎の学校だからもちろん小中高と同じメンバーが多くて、だから、グループが固まれば固まるほど僕は独りになっていった、ということ。


「……何凹んでんだよきめぇな」

「言葉が強いよ」

「沙織とうまくやりゃー、まー自信もつくんじゃねーの?」

「だといいけど」


 一息ついて麦茶を飲めば、よくよく冷えていて喉が気持ちいい。腹の中までそれが落ちていくような感じがなんとも、思っていたより僕の身体は火照っていたみたいだ。


「大体ぬいとかかなりモテんだぞ? 下手すりゃ沙織より」

「まぁ、それは何となくわかるけどさ」

「わかってねー。ぜってーわかってねーな」


 あやの言葉に、何となく頭に浮かぶぐるみの姿。結構な上背があって、百七十センチほどの僕とさほど変わらない。あやと並ぶとまるで凸凹で、その辺のギャップも二人が愛される理由の一つだ。穏やかな、という形容をまるで体現したような優しい顔立ちも、緩くふわふわとした立ち居振る舞いも、それからその体格も。


 思春期の男からしたら、暴力的ですらある。スポーツするにはちょっと邪魔そうだな、と思うくらいのそれ(・・)は、幼馴染の僕からしても「意識したことはない」なんて口が裂けても言えない。そのくせスポーツを真面目にやっているものだから、全体を見れば引き締まってすらいて――


「……な?」

「何が「な?」なのさ」

「考えてたろ。やべーよな、ウチの顔が埋まるもんな」

「埋まるなよ」

「幼馴染特権だろ。……ってことは」

「ないって」


 幼馴染だけど異性だ。肩に触れるくらいじゃ文句の一つも言われやしないけど、そこには……いや、まぁ、触れようと思ったこともないけれど。


「というかあやだってモテるでしょ」

「なんかちがくね? かわいいのは確かだけど、なんかちげーじゃん」

「可愛いのは確かとか言っちゃう辺り、相変わらずだね」

「かわいいだろ?」

「……まぁ」


 ドヤ顔の義姉。実際のところ、「可愛い」と言われた回数なら間違いなく黒瀬さんやぐるみよりも上のはずだ。テーブルから出るのはせいぜい胸元からで、机に肘を突く、なんて言っても頬杖どころか「こめかみ杖」だ。何しろ小柄で、ちびちびとグラスを傾け麦茶を飲む様は、なんというか、小動物を思わせて見ていて飽きない。


 何より厄介なのは、彼女は全部自覚してるってことだろうな。自分がどう見られていて、何をしたら怒られて、どこまでならば許されるのか。どこまでが「可愛い」でどこからが「あざとい」のか。


 顔の造りも表情の作り方も、どれをとっても「媚び」を感じない。だから彼女は、どこまでいっても彼女のままだ。


「他の誰とも仲良くないのに、よりによってこの三人っていうのはなんか、なんかだよね」

「まー、面白くねーってヤツもいるだろーな」

「まぁ、だからってどうしようもないけど」

「イマドキそんくらいでギャーギャー言うやつもいねーって。いたらむしろそいつがやべーヤツだし」


 やべーヤツだからこそやべーんだけど、それをあやに言ってもしょうがない。「そうだね」とそれに同意して、僕はもう一口麦茶を飲んだ。


「なんかあったらおねーちゃんが守ってやるからなー」

「……懐かしいねその感じ」

「だろ? 二時間しか変わんねーのになー」


 懐かしそうに目を細めるあやに、僕もそうだねと笑った。


 僕とあやは同じ日に生まれた。家はちょっとだけ離れてはいるものの、親戚同士仲良かった僕らは、ほとんど毎日のように一緒に過ごした。物心ついた頃にそのたった二時間ばかりの差を知らされた僕らは、元々の性格も手伝って自然と「姉」と「弟」のように育ってきたわけだ。


 疎遠になったきっかけはひとえに僕が情けなかったから、というわけだけど、それでも彼女は根気強く僕を立ち直らせようとしてくれていた。


 姉としての情、のようなものが、今もどこかに残っている。目の前のあやから少しだけそれを感じる。


「まぁ」

「うん」

「やるんならとことんやれよ。遠慮とかすんな。沙織にもウチにも、あと一応ぬいにも」

「うん、そうする」


 目を逸らしながら、少し照れ臭そうに。子どもの頃は自然にできていたことが、今の僕らにはちょっとだけハードルが高い。


 けれどやっぱり、あやは僕の姉さんだ、とつくづく思う。昔からそうだった。何をするにも先頭に立って僕やぬいを引っ張って、色んな場所へ連れて行ってくれた。僕が「なんとなくの付き合い」程度にでもできるのは、彼女がそうして引っ張ってくれた時の影響が大きい、と思う。


 ポリポリと頭を掻いて僕の方に向き直ったあやの顔はもう平静そのもので、どうやら「姉らしい」時間は終わったようだ。


「つか沙織マジで何がしたいん? ちょっと助けられたくらいだろ?」

「まぁ。実際迎えに来たのも黒瀬さんのお母さんだし」

「そんくらいで好きとかなんとかはねーよなー」

「……ねーだろーね」


 現状好きだと言われたわけじゃない。僕は嘘をついていない。


「あやの弟だからってこともあって、前からどんな人だろーとは思ってたらしいよ」

「あーね、きっかけがあったからみたいな」

「だと思う。あやのおかげで話題には困らなかったよ」

「何言ったんだよお前」


 呆れながらも怒ろうとはしないあやは、やっぱり器が大きいと思う。


 実際大したことは話していない。昔から「姉」だったこと、野山を駆け回ったこと、今みたいにスキンケアなんてほとんどしていなかったから肌は浅黒かったこと、その他色々、とにかく活発な女の子だったと。


 逆に黒瀬さんからは今のあやの話を。部のマスコット的立ち位置で、皆に可愛がられてるある意味での(・・・・・・)ムードメーカー。感覚(センス)頼りの雑なテニスではあるけれど、それでもそのセンスがなかなかのものだからいい線行ってる。でもミーティングサボるのはやめて欲しいなぁ、とか色々と。


「ミーティングは出ようね」

「……何聞いてんだよお前」


 また目を逸らして呟くような。


 麦茶を一息で飲み干して、グラスを片付けるとあやは足早にリビングのドアに手をかけた。かけたところで立ち止まり、はたと思い出したようにこちらを振り返る。


「あいつ、沙織さ、距離感おかしいだろ?」

「まぁ、それは」


 デートから、あるいはその提案をされた時から。言い当てられたことを驚く僕の反応に、「それこそ心外だ」と言わんばかりに肩をすくめるあや。


「あいつな、言うほど上手くねーぞ」

「なにが?」

「人付き合い」


 どういうこと、と問おうとする僕を遮るように、あやはさっさとドアを開いてリビングを後にした。


 人付き合いが上手くない、なんて、たとえあやの言うことであっても信じられない。たくさんの人と笑顔で会話して、教師からのウケもいい。何より今日一日、僕自身があんなにも楽しかった。人付き合いが上手くない、何となくでしか会話のできない僕が。


 どういうことだろう。考えても、やっぱりわからない。信じられないとは言っても、だからといってあやが嘘をついているとも思えない。矛盾する思考に、僕は、答えを出せそうにもなくてそっと蓋をした。


 一人になったリビングで、僕も麦茶を飲み干す。空になったグラスをテーブルに置いて、伸ばした腕をテーブルに乗せ、その上に倒れ込むように頭を、頬を横たえる。


 レースのカーテンから陽光が差し込んでいる。音もなく、窓の外からの情報はただのそれだけでも、その先にある見慣れた我が家の庭の様子は手に取るようにわかっていて。


 何の変哲もない日常がそこにある。午後四時、まだまだ明るい穏やかな七つ下がり。


 たった一週間かそこらの間に、これだけ変わった僕の生活。僕からは何も行動していない、ただただ受け身の得難い幸運。


 でもだからこそ、取りこぼしたくない。そんなわけにはいかない。そう思う。


 すくい取るように拳を握りこんで、僕はぼうっとそれを眺めた。定まらない視界の中、ただただそれを固めるように。




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