キャンプに必要なのは楽観
アウトドアショップ「SWAN」は、さまざまなブランドのアウトドア用品を扱うセレクトショップである。敷地面積は隣にある大型ショッピングモールの半分ほどもあり、その品揃えも当たり前に相当なものだ。キャンプがやりたいのなら、とりあえずここに来れば間違いない、というわけで。
「めっちゃ広ー。私ここ来んの初めて」
入口の自動ドアをくぐった黒瀬さんは、物珍しそうに店内を見回して感心しきりだ。僕も何度か来たけれど、来るたびにわくわくする気持ちがあるのは否定できない。高い天井に明るい照明の下、左を見ればテントコーナー、寝袋コーナーに焚火コーナー、中央からはウェアコーナー、右の方には大小雑貨や収納等々。他にもカー用品コーナーなんかもある。
ともあれ、今は気になることがあってそれどころじゃない。
「え、ガチ?」
「なにが?」
「キャンプ」
「興味出てきたよね!」
あの日のセリフを繰り返し、黒瀬さんはにかっと爽やかに笑う。その笑顔に一点の曇りもなく、僕は「あぁ、そう」としか言えなくなってしまった。
色々と思うところはあるけれど、彼女の趣味、引いては人生に僕が口出しをする理由も権利もない。だから僕は店内を見回し、ひとまずはと指差した方へと歩き始めた。横に並んで歩く黒瀬さんは、何が楽しいのかにこにこと笑顔を崩さない。「うきうき」が隠せない子供のようで、かわいい。
そうして立ち止まったのはテントコーナー。広げられたものがいくつかと、収納袋に畳まれたものが壁際の棚にぎっしりと詰め込まれている。ただそれだけでもちょっとしたスーパーマーケットほども広さがあって、なんとも、心をくすぐられる光景だ。
「おぉ、すっげー。これ入ってもいいんだっけ」
「うん。といっても広げられてるの、大体ファミリー用だけど」
「広いもんねー」
言いながら靴を脱いで設営されたテントの一つ、二ルーム型のものに潜り込んでいく黒瀬さん。テントの中に置かれたキャンピングベッドに座り込むと、その天井を見上げて彼女は「おぉ」と声を上げた。
「ちょっとした部屋!」
「すごいよね。さすがに手が出ないや」
「いくらいくら?」
「えっと」
横にある値札に目をやれば、思わずぎょっとしてしまう。
「七万だって」
「やべー。ちょっとさすがに手が出ないや」
言いつつも腰掛けたまま動かない彼女は、にっこり笑って手招きをする。少しだけ尻込みしてしまうものの、これを断るほどの度胸もない僕は素直にそれに従った。むしろどんとこい、なんて気持ちであることも否定はしないけど。
彼女からほんの数十センチ。隣に座る僕は、彼女に倣って天井を見上げた。クリーム色の幕体が手の届かない高さにあって、店内の照明を薄っすらと透かしている。確かに、広い。
「……いいなぁ、これ」
「よねー。でもこれ、車がなきゃだよね」
テントの中にいるからだろうか、声が少しだけ近い。少しだけ響く。耳と胸がくすぐったい。
「だろうね。原付に載せたら、それだけで他に積めなくなりそう」
「あ、そだ。やるなら免許も取らなきゃか。……自転車じゃ無理だよね?」
「無理ってわけじゃないけど……だいぶきついとは思う」
荷物を最低限にすれば自転車にも積めないことはないし、それで乗れない漕げないってこともないとは思う。とはいえあの町のどのキャンプ場も大抵山道にあって、上り坂はどうしたって押し歩くことになる。
そんな僕の説明に、けれど黒瀬さんは落胆する様子もなく「そっかー」と呟いた。わかってた、ってことなんだろうか。
「じゃー次綾人くんの見せてよ」
「ん、じゃあ出よ」
名残惜しいけどテントを出て、棚に並んだ収納袋から目的のものを探す。大人しくついてくる黒瀬さんを待たせないようにと表示と見比べながら、できるだけ急いで。
「あ、これ」
「どれ? あ、これか、「月明り」。エモい名前」
「月明りの下でも設営できるくらい簡単に、っていうことらしいよ」
「ほー。でもワンタッチじゃないんだよね」
「まぁ。組み立て式の中じゃ、ってことかな?」
なるほど、と呟き黒瀬さんは積まれた「月明り」の中から緑色のものを引っ張り出して表示を見る。テントの表示にはテントの種類やサイズ、重量、定員など様々なことが書いてある。
「うーん。よぅわからん」
「持って軽いならそれでいいし、二、三人用買えば一人で使う分には困らないよ。耐水性も結構あるし」
「ほぉ。例えばいつもの三人組は?」
「は、きついかな。二人ならなんとか」
「そっかー」
「ただまぁ、あやは自分のテント持ってるし、心配いらないと思うけど」
「あ、そーなん? さすがだなあーや」
どの辺りがさすがなのかはよくわからないけれど、少なくとも二人に内緒ってわけじゃないのかな、と思うと少しだけ安心した。何がどう安心なのかはよくわからないけど、少しだけ。
「ワンタッチはやめた方がいい?」
「最近は丈夫なのも出てるし、ありだと思う。買うならダブルウォール……二重構造になってるやつがいいかな。雨風に強いから」
「なーる」
他にも、例えば部品が壊れた時に丸々買い替えになることもある、なんてこともあったりと、色々と説明を重ねていく。そのたび「へー」とか「ほー」とか表情豊かな黒瀬さんは、説明する僕もなんだか興が乗ってしまって口数が増えていく。
それを自覚して口ごもると、「うん?」と首を傾げてこっちを見ながら笑うんだから。
「とりあえず「女の子一人で」ってなると色々勝手が違うし、そういう動画探すのもありだと思う」
「そーなるかー。テントはわかった、じゃー次いこ」
「じゃあ近場から、ペグとハンマー、グラウンドシートと寝袋かな」
「グラウンドシート? テントだけじゃダメなんだ」
「ダメなんだよ。快適さもあるし、テントも汚れるし、劣化が早まるし」
歩きながらあっちへこっちへ、黒瀬さんはスマホにポチポチとメモを残しながら僕の説明を楽しそうに聞いてくれた。
グラウンドシート、寝袋、ウェアやブランケット、調理器具や食器、その他諸々。
女の子だけあって僕とは違うところに興味を示したり、僕がテンション上がるところに無関心だったり、そんな違いがちょっと面白い。防火ポンチョを着てなぜかドヤ顔だったり、ランタンを見比べてこの上ない真剣な表情をしたり、小さなクッカーを「かわいい」と評してみたり。
「うーん、迷う。かわいいの多いよね」
「ランタンに関しては、ちょっとわかる」
「ランタン限定? かわいいのに、このスプーンとか」
何の変哲もないチタン製のカトラリーを右手に、左手の指先でその縁をなぞる。その優しげな手つきに確かな「かわいい」を感じてしまって、僕はそれに何一つ反論しなかった。できなかった。
「なんか小物一つくらい買っとく?」
「……いいかも」
何か一つでも買っておけば、使いたいって欲が生まれる。その欲があれば、実際キャンプをやるモチベーションになるだろう、なんて打算。
僕は彼女にキャンプをして欲しいのかどうか――というのは、正直自分でもよくわからないけど。憧れの人と同じ趣味を、同じ話題を共有できるならそれはどんなに楽しいだろうと、思ってしまった。
そんな打算まみれの提案を、黒瀬さんは爽やかに笑って受け入れた。
「じゃあこのカトラリーセットにしよ。いつでも使えるし」
「いいかも。……というか、最初はグランピングから始めるのもありかも」
「グランピングって……あれだよね、全部用意されてるあれ」
「そう、それ」
「あー、なるほど。確かに、あり」
だからその提案は、ある意味ではその罪滅ぼし、って言うとちょっと言い過ぎか。
静かな夜を一人で過ごす、という趣味には、ある種の適正っていうものがあると思う。風の音、虫の声、葉擦れの音。そこに楽しみを見るか安らぎを見るか、恐れを見るか。それを確かめるために、道具を買う前に一度ちょっとした妥協案でお茶を濁すのも手だろう、と思う。
「ちなみに綾瀬林業のキャンプ場でもグランピングサイトが二つくらいあった気がするから」
「おぉ、営業」
「早めのご予約を」
「うん、ありがと」
ちょっと気取ったセリフに恥ずかしくなって目を逸らす僕を、黒瀬さんは楽しげに笑った。
その後会計を済ませて店を出た僕らは、そのままショッピングモールに向かった。特に買いたいものがあるわけでもないけれど、時間的に昼食がてらのウィンドウショッピングをしよう――という黒瀬さんの提案に僕が乗った形だ。
こうなってくるといよいよアレ――デート味が増してくる。相変わらず会話は弾んでるってほど盛り上がりはしないけど、それでも彼女から「退屈」を感じない程度には続いていた。
「好きな料理とかある?」
「えっと……ハヤシライス?」
「おー、いいね。じゃあ今日はそれにしよう」
「あった?」
「ふつーの洋食屋さんがあるべ。あとカレー屋さんにもおいてある」
「黒瀬さんはいいの?」
「いいよー。じゃあラグー行こうラグー」
フードコートとは違う、飲食店が並ぶ一階の「飲食店街」に、ラグーという洋食屋がある。僕も何度かは行ったことがあるけれど、どれを選んでもおいしい地元でも評判のお店だ。だから昼食時ともなればそれなりに並ぶことになるから、混雑時に一人ではまず選ばないけれど。
店の前に並べられた丸椅子は、半分ほどが埋まっていた。その「列」の最後尾に並んで座った僕らは、スマホも出さずに会話を続けた。肩が触れそうなほど近い距離。黒瀬さんの膝にはメニュー表、口元の笑みをそのままに眺めている。
「なぁにしょっかなー」
「……好きな料理は?」
「ボンゴレロッソ」
「ある?」
「ごめん嘘」
「えぇ」
なぜ無意味な嘘を。
突っ込み放棄の僕に「いやー」と頭を掻きながら照れ顔の黒瀬さんに若干呆れつつ、彼女の開いていたメニューを視線だけで覗き込む。
オムライス、パスタ、カレーにハヤシライス、その他にも色々な料理の写真がその名前と共に記されている。たったの四ページ、一枚めくればすべてのメニューだけど、それだけでも迷うくらいの品揃え。
そんな僕のため、黒瀬さんは腕を持ち上げて二人の間にメニューを持ってきてくれた。身動ぎ一つ、いい香りがする。
「ハヤシライスちゃうん?」
「そう、だけど。見ると迷う」
「んじゃあ見せない」
ぱたんとメニューを閉じ、にやりと笑う。どうやら僕の昼食はこの瞬間ハヤシライスに決定してしまったらしい。
まぁ、別に文句もない。好物なのは事実だ。
「で、結局黒瀬さんは?」
「ひつまぶし……かなぁ」
「えぇ……」
東海地方の名物、ひつまぶし。おひつにご飯と細かく刻んだうなぎが入っていて、それを薬味や出汁などで様々な食べ方を楽しむ料理である。
もちろん洋食ではない。なので、この「ラグー」にあるわけがない、んだけど。
戸惑う僕の視線を受けて、黒瀬さんはやっぱりいたずらっぽく笑うのだ。
「これはガチ」
「ガチ……なんだ……」
爽やかで快活で、ぼっちの僕でも気安く話せる黒瀬さんは、それでもどこか掴みどころがない。
「また今度、いこーね」
音を立てて跳ねる鼓動。頬を超えて額まで熱が伝わるのを感じる。
そうして熱に浮かされて、その現実感のなさに少しだけ自分を見失って――
「えっと」
僕は素直にそれに頷くことができなかった。けれど今更態度を前向きにするのも変な気がして、言葉に窮した僕が唯一絞り出したのは、
「ごめん」
というたった一言だけ。
誤解も何もない。「いこーね」に「ごめん」と答えれば、それは黒瀬さんの提案を断ったということ。それに気付いて慌ててみるけれど、彼女はそんなのどこ吹く風と気にした素振りもない。
「あー」
と、むしろ気まずそうなのは彼女の方で。
「やっぱ、変だったかな」
「変、というか」
「距離感おかしい?」
「……ちょっと」
舞い上がった気持ちはすっかり落ち込んで、僕は俯いて彼女の問いに答えていく。
僕と黒瀬沙織は、遠くて遠い存在だった。会話らしい会話をしたこともなく、週一訪れるカフェで一言二言交わすばかり。あやという共通の繋がりも、弟である僕がそもそも疎遠だっていうんだから意味もない。
そりゃあちょっと危ないところを助けたとはいえ、それがいきなりほとんど話したこともない男とデートする理由にはなりはしない……はずだ。
だから、そんな想像を脳内で重ねるたび、気持ちが沈んでいく。
「うーん」
声の響き方で、彼女が変わらず僕の方を見ているのがわかる。俯く僕の耳に直接沁み込むような、相も変わらぬ爽やかな音。
「あ、詰めなきゃ」
どうやら前に並んでいたカップルが店に入っていったらしい。二つ、席を詰める黒瀬さんに倣う。
乱高下する気持ちとは裏腹に、状況が彼女から距離を取ることを許さない。息遣いすら聞こえてきそうな距離でも、彼女は無言のまま椅子の下に畳んだ脚をパタパタと動かしている。
どうしてこうなった? いや、僕のせいなんだけど。
楽しいイベントなんだから、楽しく過ごしてればそれでよかっただろうに。そりゃあもちろん、誘われた時から頭の片隅に浮かんでいた疑問ではあるんだけど、それにしたってタイミングがあるだろう。
頭を悩ませれば悩ませるほど気持ちも同じく落ちていく。それを知ってか知らずか、僕らが最前列に着いた頃に黒瀬さんが口を開いた。
「私さ、今、吊り橋の上にいるんだ」




