話をしよう
あやが僕のギターをただ一人聞きに来なかったのも。
セルジュに寄り付かなくなったのも。
お母さんの話題に触れようとしないのも。
――全部、かつての僕の為。だからつまり、僕のせいだ。
両親を亡くした。火災だった。あれやこれやと細かい手続きを経て、僕が最後に見たのはもう白い骨だけ。
真面目で穏やかなお父さん。明るく活発なお母さん。真面目が取り柄、なんて友人からいじられるお父さんに、お母さんは「そこがいいんじゃない」と笑って答えた。だからお父さんはお母さんが好きで、お母さんはお父さんが好きで、そんな二人が僕は好きだった。
そして二人も、僕を愛してくれた。それが、ちょっと遊びに行って帰ってくる間に消えてしまったなんて――
あんまりにも現実味がなくて、僕は怒るでもなく泣くでもなく、ただ塞ぎ込んですべてを遮断した。
けれど今でも覚えている。義父さんと義母さんの力強く優しい言葉を。
あやの前向きな言葉と、その握られた手の小さな震えを。
「今日からウチが姉ちゃんだってよ。言うこときくんだぞ」
僕は返事もせずに、ただその手を眺めていたと思う。
しばらく学校は休んだ。来る日も来る日も部屋に籠りきりで、お腹が空いた時だけ静かに階段を下りた。お風呂さえも数日に一度で、その時は大抵あやに引っ張られて無理やりのような形で。
「特別だかんな。お前が言うんならぬいもつれてきてやるぞ」
「……いい」
そのままどれだけ経ったか。ある日突然学校に行こうと準備を始めていて、三人は食卓に降りてきた僕に驚いてたっけ。うつむいたままただ黙々と食べて黙々と準備して、そのまま学校に行った。その日はほとんどしゃべることなく、ぐるみにもずいぶん心配をかけた。
「りょーちゃん、たまごやきあげるぅ」
「じゃあ、ぼくも」
「……おんなじのかえっこしただけじゃねーか」
そんな日々が続いた。ただでさえ友達の少なかった僕から、この日を境にますます人は離れて行って。
それでも根気よく声をかけ続けてくれたのが、あやとぐるみだ。あやはもちろん、ぐるみも毎日のように家に来てくれた。
そもそも焼けてしまった僕の実家と、綾瀬の家には少し距離がある。実の両親が共働きだったこともあって、僕は元々綾瀬家に預けられがちだった。だからあやとはそれ以前から姉弟同然だったし、ぐるみとの距離もとても近かった。
三人で遊んで、セルジュでご飯を食べる。訪れた三人の子どもに、お母さんは仕事の手を止めてまで構ってくれて――常連さんが冗談で言う文句に、彼女がまた文句を言っては笑い声で起きる。そんな空間が、僕らは大好きだった。
あやは特に、お母さんに憧れのようなものを抱いていた。手際よく料理をしてコーヒーを淹れ、大人たちと冗談を交わし、ギターをかき鳴らしては楽しげに歌う。それそのものが、というよりは、仕事というものを心底楽しんでいるようなその姿に。
がらんどうのセルジュは、寂しかった。
ほどなくして店長が来て、セルジュは少しずつ活気を取り戻していったけれど。
あやはもう、随分前からセルジュには行こうとしていなかった。僕の前でもお母さんの話をほとんどしなくなり、ただただ前向きに僕に寄り添ってくれた。時に遊びに誘い、時に話をして、時にはただ隣に座っていてくれた。
僕はそういうあやの気遣いに何一つ気付けず、ただただ怠惰に「普通の生活」を送っていた。朝起きてご飯を食べて、学校へ行って授業を受け、帰ってまたご飯を食べて、お風呂に入って寝る。空いた時間には大抵あやかぐるみがそこにいてくれて――
中学に上がって色々と変化が起きた。あやとぐるみにも交流が増えて、色々とやりたいこともできてくる。両親の死からもう二年が過ぎて、いつまでも僕ばかりに構ってもいられないのは当然のこと。
それに、この頃には僕の言葉数も少し増えてきた。言うなれば「普通のコミュ障」くらいには。心配して寄り添う、それこそ病人のような扱いはもう必要ない。
セルジュの経営が軌道に乗り始めたのはいつからだったか。久々に店に行った僕が目にしたのは、生き生きと働く店長の――ひー姉の姿。少し減ってしまった常連さんたちと、それでも楽しそうに話す彼女の姿に惹かれるように、僕は店のドアを開いた。
「……座って。コーヒー淹れてやるから」
中学生の僕には、少し苦い。けれど、飲めた。お母さんに「試しに」と飲まされた時には、たった一口で放り出してしまったのに。ああ、僕も少しは成長してるんだなぁ、なんて。今思えばコーヒーが飲めたくらいで何をバカな、とは思うけれど。
僕はコーヒーが好きになった。おいしく淹れられるようになりたい。おいしく飲んでもらいたい。その時僕が感じたように、誰かの心の癒しになれるならどんなに素敵なことだろう。
僕にもやりたいことができて、少しだけ「まとも」に近づいた。けれどあやは、それでもセルジュには行かず、お母さんの話をしなかった。
彼女自身が避けるなら、僕からできることは何もない。そう思っていた。
それは間違いなく負い目のせいであり、これ以上あやの負担になることはしたくなかった。きっとずっと、僕は彼女に心配をかけ続けていたから――
それが逃げでしかないことに、僕はきっとどこかで気付いていた。気付きながらも何一つできないまま、僕はあやを遠ざけた。
僕は、彼女がそのことで泣いたところを見たことがない。それに気付いたのはつい最近のことで、つくづく僕は何も見えていなかったんだなぁと、本当に自分が嫌になる。
あんなにもお母さんのことを好きでいてくれたあやが、辛くないはずがないのに。
夕食をとってお風呂も入り、それぞれくつろぐ午後八時。僕はあやの部屋の前に立った。どう話を切り出そうか、そもそも僕はあやをどうしたいのか、あやとどうなりたいのか。
……色々考えすぎて足踏みするのが僕の悪い癖だ。沙織の顔を思い出す。
興味の赴くまま、行き当たりばったりの体当たりで。失敗も成功もあるけれど、彼女はそれでも楽しそうだ。たぶん、本当はそれでいいんだ。
こんこん、静かな廊下にノックが響く。
「あー?」
けだるげなあやの声。
「僕。ちょっと話したいんだけど、いい?」
「あー」
けだるげな返事。僕がドアを押し開けると、ベッドに寝そべってスマホを持ったまま、目線だけで僕を出迎えた。
おみやげのコーヒーをテーブルに置くと、のそのそと起き上がってマグカップに手をかける。あや専用の、小さな猫が書かれた可愛らしい。
「食いもんねーの?」
「いる?」
「……まー、いっか」
確かに、コーヒー単体だと少し寂しいか。反省はするけれど、テーブルの横のクッションに腰を落ち着けてしまったからか立ち上がる気にもなれない。
改めて部屋を見渡せば、さすがに小学校の頃とはずいぶん違う。この部屋に入らなくなってどれくらいになるだろう――少なくともドレッサーなんてものは、あの時にはなかった。可愛らしいあやの部屋は、やっぱり可愛らしいものでかためられていて。
片付いていることには、意外性はない。沙織に言った通りうちは昔気質で、女性であるあやは家事に対する意識がとても高いのだ。
そんな彼女の服装は、上下ラフなスウェット。ダボっとしたシルエットは、確かにまぁ可愛らしいと言えなくもないけれど。
これでも、夏場に比べればずいぶんマシか。そもそも部屋着、別におしゃれでないといけないなんてルールはない。
「……んだよ」
「なんでも」
いくら姉弟とはいえ、女の子をじろじろと見るのは大変マナーが悪い。僕はコーヒーを飲んで心を落ち着けた。
「で、何?」
「……あー、いや、大したことじゃないんだけど」
落ち着けたつもりでも、いざ話し出そうとするとどうにも、どう切り出していいやらわからない。どうしたところで唐突だろうし、それで気分を害そうものなら手が付けられない。
……そしてそれは、僕の自己保身でしかない。わかってる。
「お母さんのこと……久々に、あやと話したくて」
「……沙織か」
「えっ」
「意趣返しのつもりか? いい性格してんなー、相変わらず」
覚悟を固めて話してみれば、あっさりと事のいきさつを看破されてしまった。目を白黒する僕を笑ったあやは、けれど気分を害したりはしていないようだった。
さすが姉、さすが親友といったところだろうか。決意と覚悟に凝り固まった僕の心が、少し緩んだ。
「でもなー、お前もお前だ。今更だって、わかってんだろ」
「それは、そうかもしれないけど」
「あん時から、どんだけお前に声かけたと思ってんだよ」
「それは、ごめん。でも」
「でもじゃねーよ。都合よく「よく立ち直ったねー」なんて、できるわけねーだろ」
にらむような強い視線。強い言葉が、緩んだ心に突き刺さる。
でも、案外。
これくらいは覚悟のうちだ、というのもそうだけど、意外とダメージはなかった。「そりゃそうか」という気持ちもあるし、「これくらいなら」と思える余裕もある。
沙織とこうしてぶつかることはなかったけれど、それでも人と深く関わった経験が、糧になってる。
「……っていう前提で、話をしよう」
「おまっ……ほんと、沙織に似てきたな、マジで」
「光栄です」
「クソが」
テーブルに乱暴に肘をついたあやが、そっぽを向く。
かすかに、口元が緩んだ――気がした。




