あやに本気
見るに堪えない。競争に疎い僕には、そのくらいの光景だった。どちらも応援したい好きな人で、どちらが勝ってもどちらが負けても、素直に喜べないし、悲しめない。
余りにも一方的な、想像通りの光景だ。
沙織のテニスが「組み立て」にあるというのがよくわかった。誇張にはなるんだろうけど、まるで全部が想定通りのようだった。意表を突くように浅い球を打っても、全身を使った強い球を打っても、沙織は難なく追いついてしまう。対するあやがその俊足でボールに食いついていくけれど、ここぞというところを狙いすますように沙織の一打が打ち抜いていく。
その身体能力でなんとか試合らしく見えているけれど、沙織にはまるで無理がない。表情にも動きにも、展開にも。
たったの1ゲーム。あやの表情には既に疲れが見られる。彼女は1ポイントも取ることができなかった。
「……クソ」
沙織をにらみつけるあや。対する沙織はと言えば、拳を突き上げ派手にガッツポーズをとっていた。
「煽ってんなぁ!」
「ヴィクトリィー!」
「ぶん殴るぞ!」
そして僕らの心配が杞憂に過ぎなかったことを悟る。ネット越しに戯れる二人を見て、僕とぐるみは顔を見合わせ笑い合った。
それにしても。
わかりきっていた結果。仲たがいをさせるでもなし。であれば、糸生コーチの目論見は一体なんだったんだろうか?
彼の表情は少しも崩れておらず、むしろ予想通りとでも言わんばかりに頷いているくらいだ。
「……で?」
そんな彼に向けて、その意図を問う沙織。鷹揚に頷いた糸生コーチは、けれど曖昧に笑って答えようとしなかった。
「今日はここまでにしよう。よく身体を解しておくように」
「うっす」
「ありがとうございました」
結局何一つわからないまま、この場はお開きとなった。僕らは四人揃って賑やかに帰り道を歩き、各々の家に戻っていった。
きっかけは夕食の後だった。
リビングで繰り返しテニスの動画を見るあや。それはまさしく、今日やっていた沙織とあやのゲームを撮影したものだった。
わざわざリビングで見る意味は、素人の僕や両親に意見を求めるため。
僕が思っていたよりずっと、悔しがっていた。追い込まれていた。
当然ながら僕らに言えることはあまりに少ない。「ない」と言ってもいいくらいだ。沙織に比べてあやに足りないものは何か、と聞かれても、「経験」くらいしか頭に浮かぶものがない。そんなことを口にしても意味のないことくらいはわかるから、結局僕は何も言えなかった。
繰り返し繰り返し、あやは動画を見続けた。
なんとなく、糸生コーチの思惑がわかった気がした。
沙織は頑なだ。自分の意見をただじゃ曲げない。けれど周りの環境に合わせることに長けていて、そのギャップを埋めるのに不器用な理屈を持ち出してくる。
だからたぶん、攻めるなら周囲から、と考えたんだろう。本人が「大事な友達」と呼ぶあやなら、そしてテニス部で沙織に次ぐ実力者なら尚更都合がいい。
きっとあやはこれまで以上に努力して、沙織に追いつこうとするだろう。けれど、一朝一夕で埋まる差じゃないことくらいは僕でさえもわかる。
仲たがいさせるんでもなく、あやを追い込むでもなく、彼は純粋に知るべきだと考えたのだ。
高め合う喜びを。そして、自ら苦難に挑む人の有様を。
それでもあやは、これまで「努力」を知らなかった。僕基準で言えばそりゃあもちろん十分頑張っていたけれど。沙織や西機さん、糸生コーチらの基準で言えばまるで足りない。
大会の時、あやが言っていた。「気持ち」だって。沙織がなんとなく、含みのある反応をしていた気がする。
今ならわかる。沙織にとって「気持ち」というのが、目に見えるべきものであるということ。
最近はあまり見なくなったけど、漫画でたまに見かける「メシマズ」系のキャラクター。好きな人の為と称して、健康を害するような料理を振る舞う。僕はそれがいまいち好きになれなくて、それを「好き」だなんて認めたくなかった。
相手の好み。相手の体調、体格、健康状態。周囲の環境にその日の気分。考えるべきことなんていくらでもある。「おいしい」は、「体にいい」は、愛情だ。
気持ちっていうのは、結果から見えるものじゃなきゃ伝わらない。伝わらない気持ちは結局のところ、自省にしか繋がらない。
僕は、あやの為に行動したいと思う。その本気に応えたいと思う。
「あや、明日部活休める?」
「あぁ? んなことしてる場合かよ」
「部活に行っても、沙織には勝てないよ」
「……はぁ?」
動画を止めることもせず、振り返って僕をにらむ。小さくて可愛いあやは、けれど怒るととても怖い。揺らぎのない瞳が真っ直ぐに僕を捉えて離さないから。
「喧嘩売ってんのか?」
「違う違う。練習するなら、沙織より濃い練習しなきゃ」
「んなもん……出来りゃ苦労しねーだろ」
「できる。僕の知り合いにいるから」
「あぁ? 友達もいねーお前が?」
「これでもカフェの店員だからね」
ちなみにこれは嘘。でも、知り合いにテニスに詳しい人がいるのは本当だ。
だから僕を捉えるその瞳から、僕は瞳を逸らさない。あやはこういう形式的な「本気」に弱いことくらいわかってる。
やがてくしゃくしゃと頭を掻いたあやが、「わかったよ」と頷いた。
「まぁ、期待しないで待っとくわ」
「うん。正直、頼めるかどうか五分五分だしね」
「じょーとーだろ」
実際のところ、部活の範囲で沙織に追いつくのは無理なことくらい、あやにもわかっていたんだろう。受け入れてしまえば、彼女の態度は実にあっさりとしたものだった。
……僕は。
糸生コーチの思惑に乗ろうとしている。それはつまり、沙織に本気でテニスをさせようとしているのとイコールだ。
これが僕の本音か、と聞かれると、正直迷う。
沙織に傍にいて欲しい。沙織には本気でテニスに向き合ってほしい。
どちらも、紛れもなく本音なんだから。
五分と五分の賭けに少しの緊張を感じながら、その日の夜はコーヒー図鑑を見て心を落ち着けた。
「どこ行くの?」
放課後、あやと一緒に教室を出ようとしたところをぐるみに捕まった。いや、そりゃあまぁ、わかりきってたことではあるけれど。それとなれば、すぐにやってきた沙織にも同じく問われる。
ごまかすようなことでもないけれど、特に沙織には秘密にしておきたい。
「ちょっと親に呼ばれてて。あやと一緒に」
「おー。わりーけど頼むわ」
「そっかぁ。みんな内緒話が好きだねぇ」
僕とあやが黙り込む。さすがぐるみ、僕らの嘘なんてメッキ以下の薄っぺらだ。
考えてみれば、両親に僕らを呼び出す理由がないことくらい、衣縫家にはほとんど筒抜け同然。嘘を見抜く、なんてレベルですらない。
改めて嘘をつき慣れていない自分が恨めしい。
「別に二人でやりたいことあるんならそれでいいのに」
「ごめん」
「わり」
「内緒にする理由は気になるけどね。気になるけどねー!」
「ねぇー!」
仲の良い二人に苦笑いを残し、僕らはそそくさと教室を後にした。二人の恨めしい視線が背中に刺さる、気はしたけれど、心を無にして振り切った。
ほぼほぼ皆勤賞のあやは、コートの方を名残惜しそうにちらちらと窺ってはいたけれど。
「裁原先生にはもう伝えたでしょ?」
「そりゃそーだけど」
「練習しに行く、には変わりないから、サボりじゃないよ」
「そーだけどよー」
昨日の時点である程度納得はしてくれた、と思っていたけれど。それでも罪悪感が消えるわけじゃないってことかな。
ともあれ校門を出てコートの横を通り過ぎれば、それももう手遅れだ。振り返ることをやめたあやは、吹っ切れたように足を速めた。
「つーかそろそろどこ行くかくらい教えろよ」
「あーっと……なんだっけ。西山のペンション」
「ペンションだぁ?」
西山、とは文字通り町の西に位置する山のことだ。あくまで通称で、実際には「松栄山」という立派な名前がついている。大規模な自然公園があって、併設されたペンションはそれなりに大きく人気も高い。
もちろん泊まりに行くわけじゃない。用があるのはそこに泊まっている人だ。
「……なー、もしかして」
「たぶん、合ってる」
「マジかー」
さすがというかなんというか、この時点で僕の目的がわかったようだ。
そのまま住宅街を通り過ぎ、西山を登ること十分と少し。ペンションのオーナーを通して「目的」に会いたいと伝えれば、思いの外あっさりと許可が下りた。
まるで「わかっていた」とでも言うように。ノックに「どうぞ」と答えを聞いて、先導する形で僕がドアを開いた。
自然公園に「らしい」大きな木造のペンション。その部屋は一つ一つがゆったりとした造りで、自然光を取り入れる大きな窓が特徴的だ。木製のインテリア、清潔感のある柔らかな配色の家具。窓際の椅子に腰掛けたその人物は、テーブルにカップを三つ並べ、穏やかな表情で僕らを迎え入れた。
「よく来たね。待ってたよ」
少しだけ。緊張した僕らを、糸生コーチは優しげに笑った。




