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交渉の場




 部活が終わって着替えを終えた三人が、僕を迎えに来てくれた。このまま一緒に帰るのかな、と思っていたら、沙織の先導で校舎の中に入っていくじゃないか。何だろうと考えてみれば、答えは一つしか見当たらない。


 僕らがたどり着いたのは、職員室に併設された、一度も入ったことのない「応接室」。向かい合わせで置かれた三人掛けのソファと、その中間奥側に一人掛けのソファ。職員室からは完全に見えないようなっていて、ドアノブには既に「使用中」の札が掛けられていた。


 三人掛けのソファの、ドアから向かって左側。座っていたのはテニス部顧問の裁原先生と、僕の予想通りの人物、糸生コーチだった。


 沙織に促されて、僕は一人掛けのソファに座らされ、三人が向かいのソファに座った。


「……多いね?」


 第一声は糸生コーチ。沙織に向けて、皮肉めいた笑顔を浮かべながら。


「私の大事なお友達。話を聞いて欲しいし、意見も欲しい」

「なるほど。それならまぁ、構わない」


 それでも、彼は大人だった。余裕のある態度で、理解のある言葉を僕らに向ける。


「改めて、グロウステニスアカデミーの、糸生です」


 立ち上がった彼は、スーツの裏ポケットからケースを取り出し、僕らの一人一人にその中の名刺を渡してくれた。


 彼の言う通り、「グロウステニスアカデミー」というところに所属している「糸生公喜(こうき)」というのが「彼」だ。


 改めて座り直し、傍らの鞄から封筒を取り出し、中身をテーブルに広げる。


「当アカデミーのパンフレットと、各種資料を。それからこちらのフラッシュメモリーには実際のレッスン映像が入っています。まずはこちらを、黒瀬さんに」

「いいよいいよ、いつもの口調で。大人のメンツとか知らないからさー」


 沙織の牽制(・・)に、彼は裁原先生の方をちらりと見た後、「そういうことなら」とそれに応じた。


 けれどもう、その資料の数々をテーブルの広げた時点で話は終わったようなものだ。つまるところ、「ウチに来い」と言っている。


「黒瀬、まずはっきり言おう。君はプロを狙える」

「えー。正直、それにまず惹かれないんだけど」

「イチ指導者として、磨けば光る石をみすみす放っておくわけにもいかない。資料の三枚目を」


 パラパラと資料をめくり、沙織はその中身に目を見開いた。


 僕の位置からはよく見えないけれど、両隣に座ったあやとぐるみも同じように驚いている。あや曰く、「沙織の分析」が事細かに書かれているらしい。


 当然ながら今週ほとんど部活に出ていない沙織のプレイを、今週こっちに来た彼が分析できるはずもない。公式には最新のデータといえば、去年の全国大会ということになるはずだ。


 その時点で、おそらく昔の沙織からはいくらかの変化が見られた。西機さんが言った通りに。


 それだけ詳細な分析を、その映像だけで出力してみせたのだ。この、糸生というコーチは。いや、映像だけじゃない。きっと過去の沙織を知っているから。


「合ってるけど、それ別に結論を変える理由にならないよ」

「そうかもな。だから今日、1ゲームだけやった」


 今日の部活中、デモンストレーションと称してコーチと沙織のシングルスが行われた。彼の言う通りたったの1ゲーム、4点先取のごくごく短い。


 僕が感心していた葛木高校のテニス部が、文字通りの「部活レベル」でしかないことを思い知った。部員たちは感心していたけど、試合に出るようなレギュラー陣はむしろ静まりかえっていて。


 沙織がどれだけ「力」を、「自分」を抑え込んでいたのかまで、思い知らされた。


 そしてそれでもなお、コーチには及ばなかった。カウントはG-15。沙織は1ポイントしか取れなかった。


「あれが将来の君だ。もっと言えば、君が俺のところで鍛えれば、あれも超える。俺なんて、所詮プロの世界で挫折した頭でっかちでしかないからな」


 事実として、コーチとのゲームはとても白熱して、見ているこっちがヒリつくくらいの空気だった。沙織は決して手を抜いているようには見えなかったし、逆もまた然り。どれほどの読み合いをしているのか、素人の僕にはわからないくらいの駆け引きの連続。


 真剣な表情で、笑み一つ浮かべることのない沙織。その瞳は力に満ちていて、相手を射竦めるような鋭さがあった。


 それが、それなのに、楽しそうだった。


 彼女自身にその自覚があるのかはわからない。今見ても、とても乗り気のようには見えない。断る前提でここに座っているようにすら見えるくらいだ。


「西機も待ってる。君と高め合うのに、彼女ほどの適任もいない」

「だからー」

「まだ君は、高め合った先を知らないだろう? 一つ新しい景色を、俺は見せてやれる」

「新しい景色ねぇ」


 姿勢のせいだろうか。動きのせいだろうか。洗練されている、というのはこういうのを言うんだろう。言動と行動に、僕らには出せない説得力を感じる。


 沙織は、葛木高校という「新しい世界」で、知らない自分に出会った。それは彼女にとって魅力的で、かつての自分とある種の決別を果たした。――と、仮にそういう見方をするのなら。


 また別の景色を見たのなら、新しい世界に出会えるんじゃないか。


 そこにまったく魅力を感じないかと言えば、それはきっと嘘になる。さっきまで冷ややかだった沙織の態度が、ほんの少しだけ軟化したのが見て取れる。


「ねーあーや」

「ウチに振るなよ。でもまー、このままお別れがイヤだっつーのも正直あるなー」

「あぁ、愛おしい」

「わたしもぉ。もちろん、テニス頑張るさーちゃんは好きだけどぉ」

「わかる。わかるよぐるみー」


 茶番にも見える戯れ、だけど本音なのもはっきりわかる。期待を込めた目が三対、僕の方に向けれらた。


「あ、……じゃあ、僕も」

「じゃあって」

「姉として情けない」

「りょーちゃんまじかぁ」


 いや、見ず知らずの大人の前でそんなノリについていけないよ。わかってよ。


 無言でそのノリ(・・)を見届けた糸生コーチは、苦笑いを浮かべて僕らを見渡した。


「この後時間はある? 1ゲームだけ、付き合ってもらえるかな」


 定めた視線の先は、あや。目を白黒させる彼女は、そんな「挑発」を受け流せるほど大人じゃない。そして同時に、実力差がわからないほど子どもでもない。


「相手は黒瀬だよ。本気でやったこと、ないだろう?」

「……じょーとーじゃねーか」


 本人からも聞かされた事実。そしてその目に見て、既に納得しているであろう事実。


 けれどそれでもあやは受けて立つ。負けん気もあるけれど、まず興味が勝ったんだろうと思う。


「……私オッケーしてないんだけど」

「しろ」

「えー。気が引けるー」

「……マジで舐められてんなー」


 沙織のこれは、煽ってるんだろうか?


「裁原先生、構いませんか?」

「ええ、下校時刻まではまだ少しありますし。1ゲームくらいなら」

「時間が来るようなら途中で切り上げさせます。じゃあ、行こう」


 立ち上がる五人からワンテンポ遅れて、僕も鞄を持って立ち上がる。


 応接室を出てそのまま二人は更衣室へ。僕らはテニスコートに。落ち着き払った大人二人とは対照的に、僕とぐるみはどこかそわそわ落ち着かない。


 不安そうに更衣室の方を見るぐるみ。


「大丈夫かなぁ」

「まぁ、あや自身ある程度わかってるだろうし」

「わかっててもだよぉ」


 もちろん彼女だってわかってる。あーやは負けたところで心折れたりしないし、もし仮に挫折したとしても、近いうちに立ち直る。


 だからたぶん、心配するなら二人の仲だろうな。


 これで拗れることもないだろうとは思うけど、何しろあやは負けず嫌いだ。今日負けたとして、それに追いつこうと必死になるかもしれない。その必死さに、沙織が温度差を感じるかもしれない。


 ついつい考えすぎる僕の悪い癖。生まれた沈黙に、ぐるみはかえって落ち着きを取り戻したみたいだった。


「大丈夫だよね。あーやだって別に、プロを目指してるとかじゃないもんね」

「……うん。それに、別にテニスだけで仲良くなったわけじゃないだろうし」

「うんうん。もしそう(・・)なっても、わたしが何とかするしねぇ」

「頼もしい」

「うん」


 ぐるみがそうして穏やかに笑ったところで、ジャージ姿の二人がコートに現れた。


 気合十分、普段の二人からは考えられないほど真剣な表情だ。軽く体を伸ばして、ネットを挟むようにコートに立つ。


 沙織のサービスから。一本ごとにサービスを交代して、4ポイント先取した方の勝利。そして、デュースはなし。


 ほんの数分の間に決着がつく。それでも沙織が構えてボールを地面につく間、その緊張感が僕の時間感覚を狂わせる。とん、とん、と二度、三度。


 そして彼女がその手を止め、対戦相手(あや)の方を鋭く見遣る。



 ゆったりとした動作で、ボールが高く放られる――






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