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キャンプのだいごみ




 管理棟から戻った沙織の表情を見て、立てた親指を見て、抵抗の無駄を知った。


 僕は沙織と協力して手早くテントを張った。張り終えた沙織は喜々として写真を撮り、そのまま夕食の準備に取り掛かる。食事自体は最初から一緒にとるつもりだったから、そこに抵抗はないけれど。


 同じサイトに泊まるだなんて、同じ部屋に泊まるも同然だ。テントに防音機能なんてなくて、沙織が身じろぐたびにそれを報せるように音が鳴る。想像するだけで心臓が早鐘を打つ。


 それでも何とか悟られないように。僕らはそれぞれ持ち寄った一人用のグリルに着火剤を入れ、火をつけた。


 一緒にとる、とは言っても別々のテーブルで。沙織がいつかソロでやる時があれば、すぐにでもできるようにとそう決まった。


 火吹き棒で懸命に息を吹く沙織。しばらく眺めた後に僕もそれに倣った。


 着火剤が燃えたら炭を置く。その後はガスボンベに水を張ったクッカーを乗せて火をつける。


 僕と沙織のメニューは同じ。パックのご飯とバーベキューだ。最初は何より簡単に、そしてアウトドアを感じられる料理がいい。炭火で焼いた肉と野菜、それらをご飯と合わせれば、まぁまず間違うことはない。


「あとは炭に火が回るのと、お湯が沸くのを待つだけ」

「思ったより簡単だったねー。既に楽しい」

「ね。直火だと結構焼き加減難しいから、注意は必要だけど」


 待つだけ、とはいっても、二人で話していればあっという間だ。ぐつぐつと沸き立つお湯にご飯のパックを突っ込み、グリルの網に牛脂を塗ってまずは野菜から乗せていく。具材はそれぞれ家で切ってあるから、あとは乗せて焼くだけだ。


 さつまいも、かぼちゃ。時間をおいてにんじん、ピーマン、玉ねぎ。


「沙織って料理得意?」

「何回かレシピ見てやったくらい? さすがに焼き加減間違えることもないとは思うけど」

「じゃあ大丈夫か」

「あーやならもっと凝ったことするんだろうけどねー。ああ見えてめっちゃ家庭的なの推せるよね」

「うちが結構、なんていうか、昔かたぎだからね」

「女は家事! ってやつだー」

「そうそう」


 その割にはあやが好き放題やってるけど、そもそも別に新しい価値観に理解がないわけじゃない。あくまでもうちがそうである、というだけだ。


 沙織の家がそうでないことくらいは、今日まで一緒にいてよくわかる。彼女の行動に理解があり、あり過ぎて怖いくらいだ。


 でもそのおかげでこうしていられる。この状況は、多少不本意なところはあるものの、今この瞬間は間違いなく楽しい。嬉しい。幸せだ、とも思う。


 焼き上がった野菜を引き上げ、もう一度牛脂を塗り、今度は肉とキャベツを隣合わせに。


 小皿に焼き肉のたれを入れ、最初は玉ねぎから。


「あふ、ふぁ」


 予想以上に熱かったんだろう、口を開けて息を吐く沙織。落ち着けば「うまぁ」と笑顔で僕を見る。こぼれる息が白くなるような季節ではなくなったけど。


「あまいね。牛脂もいい味出してるー」

「ね。色々やっても、結局炭火焼バーベキューが最強ってなる」

「でもやっぱ、肉食わなきゃだよね、肉」

「もちろん。そろそろいいかな」

「よさげ」


 色の変わった肉、カルビを突っついて、裏返して、またしばし。焼き上がった肉をたれにつけて頬張れば。


 やっぱり熱くて「はふはふ」としてしまう。けれど鼻に抜ける炭の香り。油の甘み。肉の歯ごたえの中にしっかりとしたうまみが感じられる。どう表現したらいいのか、香るだけじゃない「炭の味」。何度食べても、結局これが一番だ。


 飲み込むまでしっかり堪能した沙織が、感嘆の息を漏らした。


「うめぇ」

「ね。最高」

「やっぱりホットプレートでやるのと全然違うなー。炭の香りがちゃんとすごい」


 肉を食べ野菜を食べ、温まったご飯はパックのまま蓋だけはがして。


 そうしているうちに辺りはすっかり真っ暗だ。ランタンを点けて虫よけを置く。


 僕らバーベキューをぺろりと平らげて、食器等を洗って干した後、テントから程よく離れたところでたき火をすることにした。薪を組んで、そこにまだまだ熱々の炭を火ばさみで移す。程なくして火がつくと、あっという間に薪に広がっていった。


 ぱちぱちと音を立てながら静かに揺れる、橙色の温かな光。吐き出される白煙。僕らは椅子を移動させて、たき火の前に陣取った。


 テーブルの上でいつものようにコーヒーを淹れ、沙織に渡す。自分の分も淹れると、バッグの中からマシュマロを取り出した。二人の間に置いた沙織のテーブルに袋ごと置いて、僕らは一本ずつ金串を手に取る。


「なんか、もう懐かしいね」

「うん」


 火にかざせば、焼けるのはすぐだ。火傷しないようにと小さくかじると、その独特な食感と甘みに舌鼓を打つ。


 コーヒーの苦みを含むと、後引く甘さがきゅっと引き締まる。ため息が漏れた。


「おいし」


 火に照らされた沙織の横顔。恐怖も不安も憂いもなく、ただただ甘みと香りに酔いしれた、優しい笑顔。


 あの日よりずっときれいだ。


「お、綾人が私に見惚れてる」

「いや、そんな」

「あはは。でも、見ちゃうのわかる。だから目が合ったしね」

「そ、っか」


 可愛い人が可愛いことを言うのは、ズルだ。


 ごまかすようにマシュマロを食べて、それもコーヒーで飲み下す。くすくすと彼女の笑い声が耳にくすぐったい。


 こんな調子で、僕は一夜を乗り切ることができるんだろうか。少し心配になってくるくらいに、夜闇に浮かぶ沙織の表情が優しいんだ。あの時のことを思い出してるんだろうか――吊り橋の上に立っていた時のことを。


 ぱちりと薪が弾ける。沙織が少し仰け反る。僕らは小さく笑い合った。


「ほんときもちー。綾人いれば不安もないし」

「僕もいつも行けるわけじゃないよ?」

「でも結構来てるんだよね。私邪魔しない範囲でついてくから」

「あ、これっきりじゃないんだ」

「せっかく買ったんだよ?」


 そりゃあ、この為に推定三十万以上の金をかけたとあらば、これっきりで終わるのはあまりにも「あまりにも」だ。とはいえそこに僕がいる、というところにいまいち実感が湧かないというか。


 あやもぐるみも、それぞれ一人でキャンプできるくらいには知識も経験もある。行くならむしろそっちがメインだろうと思っていたものだから。


 不思議なもので、沙織の視線からは全幅の信頼すら感じる。そりゃあ彼女が傷つくようなことはできる限りしないようにと思ってはいる――けれど。


「綾人綾人、せっかくだからコーヒーの淹れ方教えてよ。簡単にでいいから」

「え、うん。じゃあ、さらっと」


 テーブルに向かっていつも通りに。けれどその流れを口に出して説明するとなると、途端に難しくなる。それでも前のめりになって耳を傾けてくれる沙織の期待に応えたくて、僕も説明に熱がこもっていく。


 一通り説明して、それから一通り沙織が実践して、出来上がった一杯を彼女がすする。


「うーん……ちょっと飲んでみて」


 手渡された沙織のマグカップ。何の気なしに渡されたそれを、僕はついまじまじと見てしまう。


 あや相手なら全く気にならないのに、それが沙織となると話は別だ。


「おい、中学生」

「ごめん」


 そりゃあ、いかにも思春期って感じで子どもっぽくはあるけど。気になるじゃないか。


 とはいえ咎められてはこれ以上ためらってもいられない。一口含み、目を閉じて舌の上で転がしてみる。香り、味、口当たり。見るべきところはそう多くはないけれど。


「温度がちょっと低かったかな」

「お湯のね。やっぱプロはちげーや」

「プロではないと思うけど……」


 やっぱり、自分で淹れるのとは少し違う。おいしくないわけじゃないけど、お金を払ってとなると話が変わる、くらいには。そういう意味じゃ、僕を「プロ」だなんて称するのもあながち間違いじゃないのかな、なんて。


「ま、とりあえず流れは理解」

「そろそろお風呂にしよっか」

「だねー。私先でいい?」

「うん。ゆっくりでいいから」

「はぁい」


 テントの中に放り込んであった荷物からお風呂セットらしきものを取り、沙織は管理棟の方へ歩いて行った。浴室は管理棟の中にあって、シャンプーとコンディショナー、ボディソープくらいは置いてある。


 それが女の子のお気に召すかどうかはわからないけれど。キャンプ場で入れるだけぜいたくだよなぁ、と僕は思うのだ。


 やがて出てきた沙織と入れ替わりで入浴を済ませると、また二人でたき火を囲んだ。


 夜空とたき火を眺めていると、心が安らぐ。けれど、一人でいる時とはまるで違う自分に気付いた。


 たき火は、窓のように過去や願いを映す、僕にとっては逃避先だった。けれど隣に沙織がいるだけで、ただただ温かな光として目の奥に染み入るのを感じる。その熱を冷ますように夜空を見ると、星々の数に圧倒される。


「最初にこの町に来た時思い出すなー。星すげーって、感動したんだよね」

「うん。僕は逆に、都会の空をあんまり知らないけど」

「全然違うよ。本当に、全然」


 呟く沙織の横顔は、そのまま夜空に向けて歩き出しそうなほどに陶然としている。


 この町に来てよかった、と、彼女がそう思ってくれているような。そう言ってくれているような。


「ただ、一人で来た時はスマホ絶対いるね」

「それはね」


 ぱ。


 と、断ち切るようにスマホを取り出した沙織に、倣うようにスマホを見た。連絡はなし、見るべきものもないというのに。


 さっさっといくつかの操作をして、沙織はテーブルにスマホを投げ出した。薪を一本、二本と追加して、また椅子に背を預ける。


「薪おしまい。終わったら、寝よっか」

「うん。掃除してからね」

「それもあったかー。ま、よかろー」


 それからしばらく、僕らは雑談しながらたき火を眺めた。忘れてたと言わんばかりにたき火を背景に写真を撮ったり、たき火の向こう側にテントを映して撮ってみたり。


 夜の写真は、それはそれで味がある。二人別れたテントの中、寝袋の上に寝そべってスマホを眺める。


 こないだのパジャマパーティーの写真にまでさかのぼってみたりして、その時のことから今日のことまで、静かに思いを馳せる。ほんの数メートルのところで、沙織も同じようにしているんだろうか。あるいはテニスのことで悩んでるんだろうか。


 そんなことを考えていると、ジッパーの音がゆっくりと鳴った。何事かとその動向を見守る僕の目に、「よっと」なんて気の抜けた声で侵入を果たす沙織の姿。


 その手には寝袋。


「……何してるの?」

「え? まだ寝るには早いから、お話しようかなって」

「寝袋持って?」

「うん。今は大丈夫だけど、寒くなったら」

「……そっか」


 さすがに、心配し過ぎか。


 僕の邪推(・・)ににやにやと楽しげな沙織は、上半身を起こしてあぐらをかく僕の横に、ちょこんと両ひざを立てて座り込んだ。


 狭いテントの中、肩が触れそうな距離で。





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