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迷い淀む





「家に行ったらここだろうってさ。あ、すみませんブレンドを」

「少々お待ちください」


 新しくお湯を沸かし始める僕の目の前、親しげに笑う女性に対し、沙織は少しばかりの仏頂面。


 僕は沙織の交友関係に詳しいわけじゃないから何とも言えない。言えないけれど、少なくとも一度も見たことがない女性だ。この狭い町で、一度も。


 普通に考えれば、沙織の中学時代の友達。


「そんな嫌そうな顔しないでよ。傷つく」

「してないよ。何してんだこいつって思ってるだけ」

「じゃあよかった」


 印象としては飄々としたつかみどころのない人。沙織の仏頂面にも皮肉にも、まるで動じた様子がない。とはいえ追い出そうとも遠ざけようともしない辺り、嫌われているわけでもなさそうだ。


 出したコーヒーに礼を言って、女性は「おいしい」と呟いた。


「同い年くらいですよね。やるなぁ」

「いえいえ。そちらはさ……黒瀬さんとは?」

「中学時代の同級生で。あと部活が同じ」

「テニス部?」

「そうそう。同じような実力だったから、お互いライバルみたいな感じで」


 僕のコーヒーを褒めてくれた。笑顔も口調も気さくで話しやすい。


「あっと、名乗ってなかったですね。私、西機(にしはた)って言います」

「綾瀬です。黒瀬さんとは……えっと、同い年の、友達?」

「疑問符つけんな。つーか黒瀬さんやめろ」

「なーに不機嫌になっちゃって。私、まだ何も言ってないじゃん」

「言わなくてもわかるじゃん」


 一気に好感を持ってしまった僕とは裏腹に、沙織の態度は相変わらず。どうやら彼女には西機さんの来訪の目的がわかっているらしいけど、僕は蚊帳の外だ。


 別のお客さんに呼ばれて、僕はカウンターを出てテーブル席へ。もちろんその間も二人の会話は続いていて、僕はそれに気を取られないように必死に仕事に取り組む。


 注文を取り終えたところではたと気付く。


 「同じような実力のライバル」。そんな言葉に覚えがあった。


 沙織がテニスへの情熱を失ったきっかけになる、いくつかの出来事。その中で直近にあったのが、同じ中学に通っていたライバルとも言うべき人との試合。そして、敗北。


 直感した。彼女が、そう(・・)なんだ。


 カウンターに戻った僕は注文をキッチンに伝え、その完成をカウンターで待つ。店長もキッチンで料理をしていて、カウンターには僕一人だ。


 関係に気付くと、途端に二人の間に不穏な空気が見えてくる。僕の問題でしかないんだけど、不思議なものだ。


「沙織、速報見たよ」

「ふーん」

「沙織の学校からは一人だけ。沙織じゃなかった」

「そだねー」


 ……客観的に見ても十分不穏に見える。沙織のつっけんどんな態度にひやひやする。


「沙織が違う学校行くことも、遠くに行くことも、私は「本気でやり合える」と思って前向きに捉えようとしたんだ」

「やり合ったじゃん」

「そうだね。楽しかった。じゃあなんで?」


 カウンターの別のお客さんからカフェラテの注文。ラテはエスプレッソとスチームミルクが必要で、通常のブレンドとは淹れ方が違う。


 エスプレッソは難しい。豆の挽き方、粉の量、フィルター内で粉を均等にならすディストリビューション、圧力をかけるタンピング、抽出時間。本当に細かいところではあるけれど、一つズレるとバランスが大きく変わる。


 ミルクスチームだって簡単じゃない。そんな繊細な作業の中、気になる会話が目の前で繰り広げられているわけで。


「話すと長くなるからなー。少なくともここじゃーなー」

「じゃあ、明日会おうよ」

「っていうか、来るなら来るで連絡しといてよ。そもそもトープでよくない?」

「会って話したかった。会わせたい人もいる」

「だったら尚更でしょ」

「それはごめん。急遽だったんだ」


 本当に気になるなぁ。


 でも、それでも僕はコーヒーには全力だ。そこだけは絶対に崩せない。


 音を切り離して。彼女たちを見ないように。


 ブレンドを淹れる時とは違う技術。だから違う緊張感がある。慣れてきたにしても、客前に出す時にはいまだに心を構えてしまう。


 ミルクピッチャーを軽く揺らしながら作る、簡単なリーフ柄のラテアート。「映え」を売りにした喫茶店では、こういうワンポイントが意外と集客に繋がるんだ――と、店長が言っていた。


 淹れ終わると、立ち上がった沙織と西機さんが、カウンターの中を覗き込んでいた。


「……私も後でラテひとつ」

「私も」


 注文が増えた。苦笑いでそれに応じ、カウンターのお客さんに淹れたものを出した。


 実際にスマホを構えて撮っているのを見ると、素直に「やっててよかったなぁ」と思える。


 そういえば、沙織もぐるみも、ラテを注文したことはなかったっけ。これだけ通っていても、意外と注文っていうのは偏るものなんだなぁ。


 そこへ店長から料理の提供。それをテーブル席に運んで、途中に受けた注文をまたキッチンに通し、カウンターへ。


 カフェラテを淹れて、少しだけサービス精神を発揮した僕は、色を加えるように二つのリーフとバラを描いた。手間というほどの手間じゃない、多少の練習でできるようになるレベルの。


「おぉ、可愛い」

「ねー。撮っとこ」

「私も」


 彼女たちのちょっとした揉め事も、これで少しは和らいだと思えば尚更に。


 撮った後にカップを傾ける二人は、いや沙織は、少しだけ表情が和らいでいる。コーヒー好きに偽りなし、そんな彼女を微笑ましく思う。


 少しずつ、注文が立て込んでくる。まだまだ余裕はあるけれど、落ち着いて会話を聞いてはいられなくなってきた。


 そんなところで、彼女たちも解散ムードのよう。


「ちょっとコーヒー飲み過ぎたなー。今日のところは帰りなよ」

「わざとらしすぎるでしょ。まぁ、場所が悪いのはそうだし、帰るけど。また明日トープするよ」

「はいはい。明日は割と忙しいから、手短にしてよ」

「つれないなぁ。綾瀬君、それじゃあまたね」

「あ、うん。また」


 手を振り、西機さんは振り返ることなくセルジュを去っていった。


 ため息をついてカウンターに突っ伏した沙織は、「疲れた」と小さくこぼす。


「……仲悪いの?」

「いいよ。前の学校のあやポジってくらいには」

「そっか。じゃあ、その「目的」っていうのがアレなんだ」


 テーブル上で組んだ腕に頬を埋めたまま、もそりと頷く。


 色々と忙しくなってきてホールを立ち回っているうちに、沙織はすっかり帰る準備を整えて会計待ちをしていた。


 僕はレジに立ち、彼女から千円札を二枚受け取った。


「明日、キャンプ、忘れないでね」

「……大丈夫?」

「うん。また明日、トープするから」

「わかった」


 お釣りを渡して、「ありがとうございました」。手を振った沙織は、やっぱり振り返らずに帰っていった。その後は取り立てて変わったこともなく。




 その夜、沙織から着信があった。


「おっす」

「うっす」


 電話越しの彼女はいつも通り爽やかな声で、爽やかに挨拶をする。「よ」と手刀のように挙げた手が目に見えるようだ。


 勉強机の椅子に座って、耳に当てたスマホから聞こえる彼女の息遣い。相変わらず、電話というものにちょっとした特別感を覚えてしまう。


「気になってるだろうから、教えとくね。あーやとぐるみにも、言っていいから」

「わかった」


 何のことかはすぐにわかった。西機さんのこと、その目的のことだ。


「お察しの通り、私が去年インハイで負けた相手」


 長くなるかも、と思って、僕はスマホをハンズフリーにして机に置いた。遠く離れる彼女の声に、多少物足りなさはあるけれど。


 今日言っていた通り、中学時代の「あやポジ」と言えるくらいの、つまるところの「親友」だ。きっと、今でもその意識に変わりはないんだろうと思う。そうでなきゃ、逆にあんな態度はとれない。


「なーんか、全然変わってなくてびっくりしちゃった。あんな態度とったのに全然怒んないでやんの」

「すごいサバサバした人だよね。飄々というか、なんというか」

「そーなの。そんな璃子(りこ)……あ、西機ね? がさ、私に勝った時はもーめっちゃ嬉しそうに笑うの。何も言えないよねー」


 悔しいと思えなかった。テニスへの情熱に陰りが見えた。


 ずっと意識し合って、競い合って、ただの一度の勝負でそう(・・)なってしまった。――なんて、確かに言えない。あんな場所じゃあ尚更だ。


「でも、直接こんなとこまで来るような人だから、言わなきゃ納得しないよね」

「だよねー。で、私が思うにあいつが来たのって、大会に出なかった理由を聞きたいからじゃないんだよ」

「え、そうなの?」


 あんまり想像もしていなかったけれど、予想するとすればそのくらいだと思っていた。


 言い出しづらいのか、沈黙が続く。そして言い出しづらいという時点で、僕にとって、あるいは彼女にとっての不都合であるということ。嫌な予感が喉に引っ掛かる。


「たぶん」


 体感的にはたぶん三十秒ほど。実際の時間はわからない。ようやく絞り出された第一声は、少しだけ音量調整を間違えたみたいにか弱かった。


「私のこと、連れ出そうとしてるんだと思う」

「え」

「自分のいるとこ。強豪校に」


 その言葉の衝撃は、まるで実体を伴っていた。心臓を叩く音が、自分の耳の奥に聞こえるくらい。


 吐息が聞こえる。言葉を待っているみたいだ。けれど喉に引っ掛かった何か(・・)が邪魔をして、上手く声が出てこない。


 やっと出てきた言葉は。


「また明日、話そう。コーヒー、淹れるから」

「ん、いいねー。たくさん話そう」


 爽やかに、沙織はそれに頷いた。


 通話を切って、僕は椅子の背もたれに身体を預けた。身体の力がすっかり抜けてしまった。



 僕が何よりも衝撃を受けたのは、西機さんの目的そのものじゃない。


 沙織がそれを言い淀んだこと。彼女が、そこに「迷う余地」を見出しているような――



 僕の勝手な想像だ。





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