それは突然やってくる
ぐるみを慰めようの会、というわけではないらしい。そもそもそこまで落ち込んでいるんなら尚更僕を呼ばないし、何より彼女は自分の反省点を既に理解している。以前沙織が言っていた通り、プレイの幅が狭く決定力に欠けるというものだ。
まだテニスを始めて一年と少し。それがいきなり上位に加わるなんて言うのは、それこそ無茶だっていうのは素人の僕にも理解できる。沙織をして「いける」と言わしめるあやがおかしいんだ。
でも、だからこそ。親友とも言うべき二人がそうなんだから、自分だけが遅れていることに焦燥感もあっただろう。特別自分が下手なような錯覚だって生まれる。
黙り込んだままたっぷり一分。最初に顔を上げたのはあやだった。
「っし、じゃあぐるみの罰ゲームな」
「もぉー……なんでりょーちゃん巻き込むかなぁ」
「その方が面白いからだよね」
あれ、気まずい空気どこ行った?
目を白黒させる僕を余所に、沙織とあやがスマホを構える。ぐるみが立ち上がり僕の前に来ると、ぺたりと背中を向けて女の子座り。
頭に疑問符が浮かぶ。いや「はい」って言われても、どうしろと。
「好きにしていいぞ」
「ぐるみ、怒ったほうがいいよ?」
「もう怒ったよ」
「……そっか」
でも、思い出した。昔もこうやって「罰ゲーム」したっけ。先日のパジャマパーティーじゃ、僕が身体的に接触することはなかったけど。
僕は無言のままぐるみの横腹に手を添えた。
そして――
「んぐ、ふふ」
彼女は昔からコレに弱い。もちろん小学校低学年の頃の話だから、今はどうかわからなかったけど。どうやら相変わらずのようだ。
なんとなく、パジャマパーティーの時から、少しだけ昔みたいに戻ったような気がする。手を繋ぐのに抵抗がない。脇腹をくすぐって、思い切り笑わせられる。
「ふふふ、あは、はははっはははは!」
普段の彼女からは想像できない大笑い。そんな彼女を見て、あやと沙織も大笑いだ。
なんとなく、スポーツものの漫画でよく見る光景を思い出す。くすぐったり辛いものを食べたり、あるいはあくびをしたり。それで涙をごまかすみたいな演出だ。
ぼんやりとぐるみをくすぐっていると、やっぱり彼女も落ち込んでいて、泣きたくなったりするんだろうかと思う。部活には欠かさず通い、休日には三人でラケットを持って出かけることも多々あった。僕からすれば十分に頑張ったと言えるくらいには、頑張っていた。
そりゃあ、負けたくないよなぁ。負ければそりゃあ、悔しいだろう。
「あ、りょ、あはははは、りょちゃ、あの、ふふふんははははは」
こちらに振り返るぐるみの目尻には涙が浮かんでいて、ああやっぱり、そうなのかなぁとしんみりしてしまう。
「……あいつぜってー面白がってるよな」
「まだ見ぬ一面を見た気分。ぐるみだからなのかな」
「小学生に戻った気分だわ」
外野の声は聞こえない。
いつから僕はこんなに大胆になったのかな、と思う反面、昔からぐるみやあやに対して遠慮なんてなかった。ぐるみがあんまりあっけらかんに背を向けたものだから、僕もそれに呼応したんだと思う。
だからつまり、そういうこと。
「あはは、ふふ、ふぅ、はぁ」
顔を赤くして、涙を浮かべるぐるみは、手を離してもまだ笑う。
あやと沙織がこれを意図したかどうかはわからない。けれど要するにぐるみはこれを堪えていたわけだ。
二人はそれを見て見ぬ振りでココアをすする。
中学生の頃は、二人は運動部に属してはいなかった。帰宅部で、どちらかというと「全力で遊ぶ」という方向に振り切っていたように思う。直接関わっていないから、断言はできないけれど。
それだって、それまでの揺り戻しみたいなものだ。それまで自由に遊べなかったから、これからはたくさん遊びたい。自然な話だ。「元凶」である僕は、いっそそうであるべきだと安心したものだった。
全力で遊んだら、高校では全力で「何か」に打ち込むことにした。それがテニス。
彼女たちは基本、「始めた以上は全力で」という気質をしている。沙織からしたらそれも半端だったわけだけど、それでも楽しむという一面においては沙織を引き込むほどだった。
目尻に薄くにじんだ涙を拭い、ぐるみは大きくため息をついた。ココアを飲んでまた一息。
「ふー。りょーちゃんってば相変わらずいい腕してるなぁ」
「あんまり嬉しくないね」
「つかぬいが弱ぇーだけだしな」
「あーやがやってもこうならないよ」
取り繕うような、けれど自然な空気感。幼馴染である、ということを思い出させてくれるようだ。
紅潮した頬も荒い息も、上下する肩も。扇情的であるという以前に心配が勝つ。……訂正、ちょっとエロいとは思うけど。
「後は明日のあーやだねぇ」
「まー順当にいけばいけるよ。相手のことも大体わかってるし」
「スライス多用のシコラーなー。苦手なんだよなー」
「用が済んだら僕出てっていい?」
「あ、私ももう帰る」
「わたしもぉ」
「おー、じゃなー」
立ち上がる僕に続いて、沙織とぐるみが部屋を出る。廊下に出たところで「送ろうか」と聞いてみれば、「じゃあお願い」と沙織。
ぐるみは隣の家、彼女が玄関に消えていくまで見送って、僕は沙織を家まで送った。
あやは順当に個人戦を勝ち上がり、県二位で地区大会へ駒を進めた。沙織曰く「とんでもねー才能だぜ」と称していたけど、実際一年と少しで県の女子高生で二番目に上手くなれるんだからとんでもねーものである。
その日の我が家は大盛り上がり。ぐるみの手前呼ぶのはどうかという心配をよそに、衣縫家が自ら乗り込んできてのバカ騒ぎだ。親連中はしこたま飲んで、僕らはしこたま食べた。いい酒いい料理、金に糸目はつけぬと言わんばかりだ。
とはいえ翌日は普通に平日で、通常授業。適当な時間で解散して、僕らは何事もなかったかのように眠りに就いた。
そしてあやにとってはこれからが苦難の道。今までよりも強い相手と戦って、勝つのが目標だ。ひとしきり騒いだ後は、むしろこれまで以上に気持ちを引き締めて。
そんなあやの意気込みを余所に、沙織とぐるみは実に気楽なものである。
大会翌日にはわぁわぁと声をかけられるあやを、二人はだらっとしたままぼんやりと眺めていた。当日にはあれこれと質問攻めをされていた沙織も、その日にはもうすっかり落ち着いていて。
「なんか沙織の時以上に騒がれてない?」
「まぁ、あーやの方が皆と馴染みが深いっていうか。私が全国行った時なんて、せいぜい二か月かそこらの付き合いしかないわけだからね」
「あー、確かに、そっか。学校全体としては、沙織が盛り上がってたけど。大人の都合感もあったもんね」
「それなー。実際、これであーやまで全国行こうもんなら、葛木高校志望者増えると思うよ」
「強豪校、ってことになるんだ」
一人行ったくらいじゃ変わらないにしても、二人行けば何かしらの要素を感じるのに十分だ。何よりその二人と練習できる、というのは十分魅力的だろう。
弁当から取り出したサラダチキンにかぶりつき、沙織はぼうっとあやを見る。友達の賛辞に自慢げな笑みを浮かべるあやは、そりゃあもう愛らしくて眩いばかりだ。
立場が変われば見方も変わる。見られる側だった沙織は、今のあやに何を見ているんだろう。
……というか、教室の隅っこに女子がたくさん集まっていて肩身が狭い。ぐるみ、沙織、僕逃げてもいいかな。
「だめぇ」
「いや何も言ってないけど」
「トイレ行ってくるとか言い出しそうだったからぁ」
「……言わないよ?」
エスパーか。
「まー綾人が話しかけられてるわけじゃないし、いーじゃん。何か話振られたら「うんうん」言っときゃいいからさ」
「うん」
「ぐるみとお風呂入ったことある?」
「うん」
「あるんだ……」
「ちびっちゃい時だよぉ」
ちなみに当時のことはほとんど覚えていない。覚えていないので、彼女の体型の遷移について僕から語れることはない。
ぐるみから「写真あるよぉ」なんて言い出したのを、僕は全力で止める。その写真が何でスマホに入ってるのか、気にはなるけど気にしない。
とにもかくにも居心地の悪い昼休み。何事もない平和な日常。
変化の兆しはいつも唐突である。
そんな日常を過ごし、翌日には沙織とのキャンプを控えた金曜日。放課後いつも通りバイトに向かった。
沙織はといえば、大会が始まってから一度も部活に行っていない。事情が事情だけにあやもぐるみもそれを責めたりせず、彼女の熱が戻るのを待っている。
コーヒーを淹れる僕。カウンターに座る沙織。常連さんの冗談に、たまに彼女がコーヒーを運んでくれたりして。和やかに、楽しく時間が過ぎていく。
からんからんとベルが鳴る。来客を知らせる嬉しい音。入ってきたのは、長身の女性。百七十ほどのぐるみより尚高い。怜悧な印象の顔立ちに、ウルフカットがよく似合う。
「いらっしゃいませ」、「お好きな席にどうぞ」という僕の声に、彼女は意外な形で応えた。
「や、沙織」
「……えぇ?」
沙織の隣に腰掛けて、柔らかに微笑む。対する沙織ときたら、思い切り眉をひそめて怪訝そうに。
どうやら、一波乱ありそうな空気。




