あげてはおちる
結果から言えば、葛木高校女子テニス部は、翌日の三回戦で敗退した。
ベンチに戻り項垂れる部員たち。あやも、ぐるみも。コートを出て歩き去っていく彼女たちの背に、僕はかける言葉も見つからない。
盗み見るように視線を向けた沙織の横顔。ほんのわずかな強張りが、かえって彼女の感情を教えてくれる。不参加とはいっても、「楽しい」と称する部活への思い入れは深いはずだ。例え自分より弱い人たちばかりだとしても。
「……予想通り、なんだよねー」
「そっか」
「でも、悔しい」
「そうだね」
親もみんな残念そうにはしているけれど、僕だってもちろんそうだけど、それでも沙織とは温度差がある。
少し黙り込んで、沙織はコート際のフェンスから離れた。
「じゃあ私、部のみんなと学校戻ってミーティングだから。またね」
「うん。また」
スクールバッグを肩に担ぎ直して、沙織は振り返ることなく僕らから離れていった。
慰めるだのなんだの、僕は彼女を追いかける気にはなれなかった。かける言葉も見つからない。本当にあの事件がなければ、僕らというのは住む世界が違ったんだなぁ。そんな風に思わせる背中だった。
大人たちに混じって葛木町に帰り、僕はそのままバイトに向かった。色々ともやもやしたものを振り切るように、無心になって働いた。意外にも途中から沙織が合流したけれど、その時にはすっかりいつもの調子で。
その日で一旦沙織のアルバイトは終わりだ。ささやかな打ち上げということで、店長から夕食とデザートのセットが振る舞われた。もちろん両親には連絡済みだ。
「夏休みになってまた働きたかったら、言いなよ」
「ありがとうございます。たぶん絶対言うと思います!」
「たぶん絶対な。楽しみにしとくよ」
次の約束を取り付けて、僕らは一緒にセルジュを後にした。
二人で歩く夜道は少しだけしんみりとしていて、蛙と虫の声の隙間に足音がぽつりと聞こえてくる。見上げれば満天の星、あの日の夜空を思い出すようだ。
さぁさぁと草が鳴る。稲が波打つ。
「来週キャンプ行きたい」
「……いきなりだね」
隣を歩く沙織から突然の提案。
「じゃあ、あやとかぐるみ誘ってみたら?」
「行こうよ」
「ダメでしょ」
「えー」
そもそも高校生オンリーで外泊って時点でそこそこハードルが高い。そもそも未成年のみでの宿泊は受け付けない、という宿泊施設も多いくらいだ。例えば綾瀬林業のキャンプ場で言えば保護者の同意書があれば、という条件があるけれど。
「仮に僕がよくても、親がダメって言ったら無理だよ」
「いけると思うんだけどなー」
「その親に対する謎の信頼は何?」
「親に対しての信頼は別に謎でも何でもなくない?」
「……確かに」
思わず納得してしまったけれど、それで僕が折れるわけにはいかない。
なんて、そもそも沙織が本気で言っているとも思ってないんだけど。からかうように意地悪な笑みを浮かべる彼女は、僕があたふたと動揺すると思っているんだろう。
沙織と出会う前の僕だったらそうだった。でも今は違う。
「百歩譲って、僕が上のキャンプ場で、沙織が下。一緒にご飯食べて遊んで、夜は別々って感じかな」
「おー。いいね。そうしよう」
「えっ」
本気じゃないと思っていたから、僕は冗談交じりに「計画」を話した。それくらいならもしかしたら、という希望的観測を多分に含んだ、見通しの甘い計画だ。
今の沙織はといえば、さっきまでの「にやにや」もどこへやら、実に前向きに楽しそう。可愛い笑顔を浮かべるものだから。
「どのみち個人であーやが勝ち上がったら、誘えないしね。綾人しかいない」
「僕しかいないことはないと思うけど」
「最初は詳しい人と行きたいじゃん?」
「……まぁ、ないとは思うけど、親がいいって言ったらね」
「これフラグ立ったな」
「やめてよ」
「嫌なの?」と問う沙織の顔はちっとも悲しそうでもないし、まるで僕の答えがわかっているかのようだ。そしてもちろん僕の答えは決まっていて、「嫌じゃない」とそっぽを向きながら。
学校を通り過ぎて住宅街へ。灯りが増えれば彼女の顔もよく見える。田舎は朝も夜も早い、なんて言うけれど。この時間になれば人通りはだいぶ減って、窓を開け放った家からは賑やかな声が漏れてくる。人の営みが、まるで絞り染めみたいに夜闇に滲む。
そんな中で飛び切り際立つ、沙織の顔。白くて柔らかくて、浮き立つみたいだ。
「明日明後日は私たち学校いないけど、一旦本を出さないでいようね」
「……前向きに検討します」
「まー、とりあえずそれでいいや」
そんな彼女が、僕のことを考えてくれている。見ていてくれている。
「沙織も」
「うん?」
「よく見ててね、あやのこと、ぐるみのこと」
「……うん」
だから僕も彼女のことを理解したい。
彼女のテニスに対する気持ち。向き合い方。彼女自身まだ捉え切れていないものを、僕が知りたいと思えるほどに。
僕と沙織はほんの少しの間手を繋いで、彼女の家の前で離れて別れた。
翌日の学校は無味乾燥だった。
――なんてことにならないように、僕はコーヒー図鑑を家に置いて登校した。誇張抜きで、高校に上がってから初めてのことだ。
「いつも」から逸脱すると、人はここまで不安になるのか。ただの本一冊が、ちょっとした心の安定剤になっていたのか。
そんなことさえ実感するほど、どこかソワソワと落ち着かない不安感に苛まれる。けれど苦痛というほどでもなく、文字通りに浮足立っているような心地だ。
結局休憩時間には誰にも声をかけることができず、自分の席でぼーっと過ごした。
動きがあったのは昼休み。お弁当を取り出した僕の席の隣で、あやの席に座り込む男子が二人。
一人は小学校からの知り合いで、一人は高校からこっちに越してきて話したこともない。
幸いにして彼らは興味があるから僕に話しかけてきたのであって、話が途切れて気まずい思いをすることはなかった。
とはいえ興味の対象は姉を含む女子三人であり、僕らの関係性である。であれば僕の一存であれやこれやと話すわけにもいかない。ごまかしながらはぐらかしながら、それでも正直に僕は話した。
僕はどうやら、結構羨ましい立ち位置らしい。いや自覚してなかったわけじゃないし、自分でもそう思う。
でも、なんでだろう。彼女たちの魅力を他人から聞かされれば聞かされるほど、言葉にならない不快感が募る。そのどれもが事実だとしても、素直に頷くことができない。
そりゃあ、傍から見たら僕だって、というか僕こそ「狙ってる感」満載なんだろうけど。
それでもそれを口に出したりはせず、なんとか話は盛り上がったと言えるくらいにはがんばった。慣れてしまえばなんてことはない、彼女たちが魅力的なのはどこまでいっても事実。それに対しての評価は彼女たちがすべきことであって、僕が口を出す道理はないんだから。
それからもう一つ。クラスメイトの男子と話すのは、楽しかった。むしろそれが大きい。部活の話にバイトの話、遊びの話。ずいぶん久々な気はするけれど、これこそ「対等」だなと感じるくらいに気安い空気感がそこにあった。
彼らの持つ気質もあったんだろうけど、「またな」って言ってくれた時は本当に嬉しかった。
沙織にはいい報告ができそうだ、と気分よくバイトをこなし、僕は駆け込むように家に帰った。
帰るや否や階段をどたどたと降りてくる足音。あやの姿を認めると同時、がしっと腕を掴まれ引っ張られる。「なになに」と言う抗議は丸無視され、階段を駆け上がり、僕はあやの部屋に引っ張り込まれた。
「連れてきた」
「でかした」
「いいのにぃ」
そこには沙織とぐるみが甘い香り立ち昇るココアを手に、テーブルを囲んでいた。
同じように僕とあやもテーブルを囲み、柔らかなクッションに腰を下ろした。なんとなく、気まずい沈黙が下りる。
だから察してしまう。
あぁ、負けちゃったんだな、ぐるみ。




