僕らの芽生え
一回戦が終わってすぐに昼休み。各自解散して昼食を、ということで、あやとぐるみは僕らに合流した。適当な空き地の芝生を見つけてレジャーシートを敷き、早速弁当を広げる。
今日も義母さん謹製の弁当。あやのものは、午後の試合に悪影響が出ないよう普段より控えめになっている。
すっかり広げてさぁ食べよう、と言ったところで、ぐるみの両親も合流した。一回戦は用事があって見られなかったらしくしきりに謝っていたけれど、彼女がそんなことで怒るはずもない。「勝ててよかったぁ」と、いつものように穏やかに笑った。
それから沙織のお母さんも。お父さんはどうやら仕事らしいけれど、「いつものことだから」と彼女は寂しげに笑う。
気づけば大所帯。それぞれ家族ごとのレジャーシートに散らばり、昼食は賑やかに進んだ。
「綾芽、すごかったなぁ」
「だろー? 今年は県予選超えるからな」
上機嫌なあやのドヤ顔。非常に可愛らしい。割と「強面」系の義父さんだから、より一層彼女の可愛らしさが際立つようだ。
高校生になっても、父親に頭を撫でられ嫌な顔一つしない。そんなあやを、義父さんは溺愛している。
とはいえ今日はテニスの大会で、僕らはそろってド素人。会話は自ずとテニス部員たちを中心に進んでいった
「あーやはほんと本番伸びるよねー。いつもより球走ってた」
「まーな。気持ちよ気持ち」
「気持ちねー」
気持ちで負けない、ってやつだろうか。
テニスに限らず競技においてよく聞く話。本番じゃあ、七割も実力を出せればいい方だ。そんな一般論が生まれるくらい、「負けたら終わり」のプレッシャーは大きいはずだ。けれどあやの表情はほとんど普段通りで、硬さも何も見られない。
ぐるみはいつも通り穏やかだけど、時折胸を押さえながら深呼吸しているのを見かける。
同じシチュエーションにおいても人それぞれ。彼女が乗り越えるしかない問題。僕はそれでも放っておけなくて、弁当に入った卵焼きを蓋に載せてぐるみに差し出した。
「いいの? ありがとぉ」
もちろん彼女自身の弁当だって美味しそうだし、僕の知る限りの好物だらけ。けれどぐるみはそれを受け取って、心底嬉しそうに笑う。
食べすぎ、にはならないはず。穏やかな彼女だけど、いらないものを欲しいとは言わない。
そうして和気藹々と食事は進む。試合中の熱気はどこへやら、穏やかな会場は自然豊かなこともあってどこか牧歌的でさえある。腹ごなしに歩いたり芝生に寝転がったり、思い思いに過ごす休息の時間。運営スタッフが時折忙しそうに行き交うこともあったりして――
試合は再び始まる。
葛木高校二回戦。シングルス2敗北から始まった。ここであやが負ければ団体戦は終わり、という局面。
緊張感に引き締まった顔は、けれど過度な気負いは見られない。ゆるゆると腕を振れば、いい感じの脱力が見て取れる。にらみつけるような瞳は、強く相手を射竦める。
一回戦より強い相手だったのはスコアを見ればわかる。けれど、それでもあやには届かなかった。
これで1対1。試合はぐるみたちのダブルスに託された。
あやに手を引かれ積極的な行動を起こすことの少ないぐるみだけれど、いざ物事を始めてみれば度胸が据わる。そういう彼女だから、コートに入れば気合も入る。緊張もまぁ、見て取れるほどにはしているようだけど。
ペアの女子は三年生。それもまたぐるみの緊張を誘う要素だろう。
上背があって視野の広いぐるみは、前衛も後衛もバランスよくこなせるオールラウンダー。組んだ三年は攻め気の強いあやタイプ。積極的に攻めていく三年のちょっとしたミスを、ぐるみが的確にカバーする。うまく攻められれば、崩れた球をぐるみが決める。
しかし対戦相手もなかなかのもので、一進一退の攻防が続く。
「二回戦って言うと大したことなさそうだけど、この時点で上位半分なわけだよ」
「あ、そういえば。弱いわけないよね」
「まー、シードとかもあるから完全にってわけじゃないけどね」
沙織の言葉に思わず感心してしまう。全員が全員「がんばってる」とは限らないけれど、それでも勝ち上がるというのは簡単なことじゃない。
ぐるみたちと戦う彼女たちもまた、僕の知らない誰かに勝ってきた。そんな当たり前の事実に気付かされる。
「でもぐるみ、よく追いついてるよね」
「目がいいし、脚長いし、いいよねー」
「確かに……」
「ほんと、スタイル良すぎ。めちゃいい子だし」
僕の右側、ぐるみの両親が「ありがとう」と沙織に笑いかける。
事実、僕も彼らにはずいぶんお世話になった。娘の友達というだけで、まるで息子のような扱いだ。
大きなステップでコート上を駆け回るぐるみは、確かに沙織の言う通り、長い脚を惜しみなく使う。高い球にはジャンプして強打を叩き込み、速い球にも腕脚を伸ばして対応する。ネット際に立つと、まるで壁だ。
あやのように鋭い球は飛ばないけれど、ああも見事にカットされると体力もメンタルも削られる。試合が進めば進むほど、差は広がっていった。
それでも二人の表情も動きも緩むことなく、なお一層引き締まっていく。僕の知らないぐるみの表情。僕の知らないぐるみの動き。効率的にボールに向かうそれは、ある種の美しさすら感じさせて――
そしてゲームセット。葛木高校、三回戦進出。これが初めてらしい。
コート上、ペアの先輩とハイタッチするぐるみの、安堵感と喜色がこぼれたような笑顔。浮かぶ汗を拭い、僕らの方に向かって小さくガッツポーズをした。
見慣れた笑顔、いつもと同じ笑顔なのに、どこか違う。その少し大人びた表情に目を奪われる。
両校並んで礼をし合い、ベンチに戻ったところで肩を叩かれた。
「やったぜ」
沙織が手を挙げて待ち構えていた。それに倣って手を挙げれば、ぱちりと軽快な音が打ち鳴らされる。
不思議な高揚感。僕が何かを成したわけでもないのに、胸が熱くなるようだ。ベンチで盛り上がる部員たちの、あやの、ぐるみの笑顔が言葉にならないくらいに眩しい。
盛り上がる両親たちを横目に見て、でも、そこに参加しようと思えなかった。
落ち込む相手校。涙を流す人もいる。まるで対照的なその光景が、僕にはあんまりにも馴染みないもので。
「テニス観るのって、結構楽しいね」
「でしょー? 詳しくなると、もっと楽しいよ」
「この機にルール覚えるのもいいかもね」
にんまりと笑う沙織は、まるで悪いことを企んでいるように僕の肩に手を置き、顔を寄せる。
「私が教えてあげよう」
「……うん、ありがとう」
ごくごく普通の提案に力が抜ける。とはいえ嬉しい提案、力のない笑みに沙織が屈託のない笑みで応えた。
「次予定空いたらテニスやろーよ。郡浜にレンタルコートあってね、ラケットもボールも貸してくれるよ」
「やったことないけど」
「だからじゃん。色々経験したら、話の引き出しも増えると思うなー」
「……まぁ、そういうことなら」
そう言われてしまってはこっちも引き下がれない。乗せていた手で僕の肩をぽんぽんと叩き、沙織は一歩離れていく。
その隙間から、にょきりと生えてくるのは見慣れた顔。ぎょっとする僕らに微笑むのは、ついさっきまでコート側にいたぐるみであった。
「わたしも行くぅ」
「ウチも」
隣にはあやも立っていた。二人ともタオルを肩にかけ、ラケットケースを背負っている。
けれどなぜだろう、さっきまでと「見え方」が違う。いつも通りの歳相応、可愛いあやとゆるふわなぐるみ。
歳相応の会話をしながら、僕らは歩き始めた。
「じゃあ、その時約束のご飯行こっか」
「わたし近くのお店予約しとくねぇ」
「いいねー。テニス女子会ってやつだ」
「女子会?」
「まー似たようなもんだろ」
「ワインに混じった泥だよ」
目的地はどうやら更衣室らしい。じゃあ僕はここで、と帰ろうとしたところを、沙織に手を引かれて止められた。彼女に着替える必要はなく、混み合う更衣室に入っていくのはマナー違反だということらしい。
会場内の施設までは一緒に入り、僕らはロビーで二人の着替えを待つことになった。親に「先に帰ってて」と連絡をして、僕は自販機で二人分のコーヒーを買った。
「さんきゅー」
「カップの自販機なんて久々」
「わかるー。これはこれでまー、悪くないよね」
缶コーヒー以上、ドリップコーヒー未満。一口飲んだ感想はそれだった。今時のカップ式自販機は、ミル挽きなんて謳い文句まであって驚いたけれど。
まさしく沙織の言う通り。これはこれでまぁ、悪くない。
「……にしても」
「うん?」
「ぐるみ可愛かった?」
言い終わってすぐにコーヒーをすする。沙織の意図がつかめずに数秒考えた後、僕は素直に頷いた。
「だよねー」
笑う沙織。
僕らはそれから無言のまま二人を待って、そのまま四人で葛木町に帰った。
楽しく会話しながら、食事をしながらお風呂に入りながら、復習をしながら、色々と考えてみる。けれどやっぱり一向にわからなくて、ベッドの上でスマホを手に取り沙織とのトーク画面を呼び出した。
何と言えばいいか。何を聞けばいいか。色々と無意味な文章をつづっては消し、それを三度ほど繰り返した後、僕はスマホをロックして眠りについた。




