彼女たちの開幕
そして大会当日。会場は県内にあるそこそこ大規模なテニスコートで、駐車場にはたくさんのバスが並んでいた。当然僕は電車からバス移動でここまで来た。両親も一緒だ。
チケット等はいらないらしく、目当ての場所に時間通りに行けばそれでいい。
今日明日は団体戦。シングルス二人とダブルス一組。あやはシングルス1、ぐるみはダブルスに出場する――
と、隣に立つ沙織は指を立てて説明してくれた。
「コートはこっち。第四コート、十時から」
「うん。ごめんね、入り口で」
「いーのいーの。私が伝えることは大体伝えたし、あとは本番に間に合えば」
並ぶ僕らの後ろに両親が続く。何度も遊びに来て、何度か泊まりに来た沙織だから、両親からの印象はとてもいい。
入口でも丁寧にお辞儀をして、先に案内を始めたくらいだ。両親がそれを固辞した形で、僕らはこうして並んで歩いている。
そこら辺ちゃんとした高校生って時点で、しっかりしてるよなぁ、沙織は。僕が沙織の両親に同じようにできるか、正直自信はない。
「にしても、すごい賑わってるね」
「まー、この辺は高校自体少ないからねー。全部ひとまとめで一気に消化って具合よ」
「でも真剣だよね。親御さんたちはともかく、選手みんなピリピリしてる」
「そりゃーそうだ。記念で出る、みたいなとこも多いけどね」
色々見渡してみれば確かに、楽しそうに会話しながらコートに目を向けないような高校もある。震えながら親御さんたちから励ましを受けている子。仲間同士鼓舞し合っている人たち。真剣な表情でミーティングをしているところもあれば、既に敗れ去り落ち込んでいる人もいる。
ちょっとヒリついたこの独特の空気感は新鮮だ。僕とは無縁の世界に、少しわくわくしてしまう。
「ちなみに何回勝てば地区大会?」
「団体は三回だね。まーはっきり言うと、団体は望み薄だよ」
「え、そうなの?」
「選手層が薄いからねー。期待していいのはあーやの個人くらいかな」
「……ぐるみは?」
「ちょっと厳しいかな。男子の方も、一人行けるかなーくらい」
選手層、というのはやっぱり大事らしい。それはつまり競争相手の数でもあり、切磋琢磨する相手がいなければ上達の早さに大きな差が生まれる――と、沙織は言う。
「それに、たくさん人がいれば色んなスタイルの人がいるってことだから。色んなプレイを知っとけば、本番での対応力もそりゃー上がるってわけ」
「なるほどなぁ」
「その辺私が色々気を遣って、色んなプレイをするようにはしてるんだけど。まー、限界はあるよね」
圧倒的な強者が一人いればそういうことも可能。そういう意味じゃ葛木高校は恵まれてる、とも言えるわけだ。
ただ沙織は一人で、身体は一つ。全員の上達の為部活をやってるわけじゃない。
「あ、ごめん。まだ始まってもないのに、水差しちゃったね」
「ううん、大丈夫。そこら辺はひっくり返してくれるって信じることにする」
「じゃー私も、仲間を信じることにしよー」
にこにこと、僕を見て笑う。
時折、そんな沙織に視線が送られることに気付いた。彼女は全く気にする様子がないけれど、はっきりと彼女を見ているとわかる。
でも、そりゃあそうか。ここにはテニスをやっている子ばかりがいて、そこに興味を持たないはずもない。興味があれば、その道で「上」に行った人間を知っていても不思議じゃないんだ。
黒瀬沙織は、この地域における高校テニス界の有名人である。
そんな事実を、今更ながらに実感した。
「お、見えてきた。コート内にはエントリー選手と顧問以外は入っちゃダメだから、柵の外だよ」
「おっけ。じゃあ、義父さん義母さんと、僕の間にいてくれる?」
「よし。名解説を期待してくれ」
見えてきた、見慣れた顔ぶれ。葛木高校テニス部の面々は、コート内で円を作りミーティングの真っ最中のようだった。
そういえば初めて見る。胸元に「葛木高校」と書かれた白い半袖のポロシャツ、肩には青いライン。それから黒いスコート。ユニフォーム姿のあやは、真剣な顔で部の仲間たちと話し合っていた。あの穏やかなぐるみも、その表情にいつもの「緩さ」が見られない。
コート外。僕ら以外にも見物人は多くて、そのほとんどは恐らく部員の関係者だ。
けれど、やっぱり。ここにも全く無関係な人が数人いて、コート外の沙織に訝しげな視線を向けていた。そもそも彼女は、関係者としてセーラー服こそ着ているものの、ユニフォームさえ身に着けていないのだ。
「義父さん義母さんは、去年も見てたよね」
「ええ。みんな頑張ってたわよ」
「綾芽は惜しいところまでいったんだがなぁ」
「あーや、今年はやってくれますよ」
「楽しみねー」
両親も、あえてそれに触れようとしない。部のエースが出ないということは、そこに重大な理由があるのだろうと察してくれている。
まぁ、基本的には子どもに甘い両親だ。あやさえ見られれば、みたいなところももちろんある。
そして試合開始直前。シングルス2の女子生徒が沙織のところにやってきてアドバイスを求めた。一言二言交わし、女の子はコートに戻っていく。
「ちなみに何を言ったの?」
「相手がシコラーだからねぇ、高め深めで様子見て、積極的に前に出ようって」
「しこらー?」
「うん。タイプは色々あるけど、とにかく粘って粘ってミスを誘うタイプのプレイヤーのこと」
「なるほど」
それにしても、こんな田舎の予選一回戦の、その一人一人を研究して対策を決めている。それが強豪の当たり前なんだな、と感心してしまう。
結論から言えば、彼女は見事勝利した。僅差ではあるものの、沙織の言った通りのプレイができていた。
聞けば三年生。最後の大会。初戦を勝利で飾り、コート上のみんなとハイタッチを決めていく。
これであとは、あやが勝てば二回戦進出だ。
あやは沙織のところには来ず、目配せ一つで試合に臨んだ。
数分のラリーのあと、あやのサービスゲームから。
ここからは全部沙織の解説。テニスも他の競技と同じく、身長がある方が有利なスポーツだ。サーブから何から、ほとんどの動作において低身長であることのメリットは少ない。
故に、あやのサーブに求められるのは「鋭い変化」か「精緻なコントロール」のいずれか。あるいはその両方だ。
打点が全て。沙織がそんなことを前に言っていた。それはサーブにおいても同じで、トスアップとリズムでサーブの質が決まる、と言っても過言じゃない。ゆらりとしたダイナミックな構えから脱力の効いたトロフィーポーズ。ラケットが落ちると同時にスイングが開始され、その構えからは考えられないほどにラケットが走る。
ボールはサービスコート内、センターラインぎりぎりを、相手から逃げるような軌道を描く。跳び付くようにそれに追いついた対戦相手が返したボールに力はなく、いつの間にか前に詰めていたあやが見事にそれを相手コートに叩き込んだ。
歓声が上がる。僕も、自分では考えられないくらいに声が出た。両親も手を叩いて喜んでいる。
「理想的なパターンだね。あやみたいな子には三球目が大事」
「もっと走り回るイメージあったけど」
「同等以上の相手にはそうなるってだけだね。実際それも強いし」
けれど沙織の目はどこまで行っても冷静だ。この1ポイントは想定内、当然の結果とでも言わんばかり。あるいは試合の流れを見極めているだけなのか。
元々テニスはサーブ側が有利。あやは次々とポイントを重ねる。
テニスは1ゲーム4点先取。インターハイ予選においては8ゲーム先取で決着だ。15、30、40というカウントは一般常識として知ってはいても、審判の読み上げに少し「ん?」と思う瞬間があったりして。
試合は、一方的なものだった。
「まー、正直格下だよ。それにあーや、割と本番に強いタイプだし」
「そうなんだ。強そうではあるけど」
気後れせず、真正面から相手を見る。打ち出すボールはパワフルで、相手をコート外に釘付けにする。そのメンタルの強さが、全身から、プレイから伝わってくる。
打球音が違う。弾けるような、気持ちのいい音がする。
躍動する小さな身体は軽快ながらも迫力に満ちていて――惚れ惚れするくらいだ。
「……本気のあや、初めて見た」
「かっこいいっしょ? だから私、あーやとやるの、好きなんだ。それは本当、嘘じゃないの」
「格下でも?」
「そ。格下でも」
コートを見たまま、沙織は誇らしげに胸を張る。
完全に流れを支配したあやは、「8-1」で葛木高校の二回戦進出を決めた。相手選手と握手を交わしベンチに戻ったあやは、僕らに向けて小さく拳を掲げる。
四人揃ってサムズアップ。思わず顔を見合わせて笑う僕らは……僕は、初めて味わう喜びに少し胸を浮き立たせるのだった。




